食材から辿る / 旧大陸

小麦粉 素材 時期 B検証済

成立年代 前9000〜

小麦粉が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

3ゲート

食材入手ゲート
小麦(エンマー/ヒトツブ)の栽培化(肥沃な三日月地帯=レバント/南東アナトリア)。前9000年ごろ野生エンマーの栽培が始まり、前8000年ごろ(PPNB)に非脱粒の栽培型が初出、以後さらに数千年かけて形質が優勢化=栽培化は数千年の過程で、成立下限にはその最も早い端 前9000年を取る
調理技術ゲート
製粉(磨石・石臼で挽く)。挽き臼は栽培化と同期
場ゲート
農耕村落(食材入手と同年)

小麦粉はどこから広がったか

小麦粉は、麦という穀物と、それを砕いて挽く道具の、二つがそろってはじめて食べものになる。麦のふるさとは西アジアの肥沃な三日月地帯——地中海東岸のレバントから南東アナトリアにかけての一帯で、野生のエンマー小麦やアインコルン小麦をまいて育てることが始まったのは、およそ紀元前9000年ごろのことだった。穂が自然には落ちない栽培型が現れるのはそこから千年ほど後の紀元前8000年ごろで、その性質が畑いっぱいに行き渡るまでにはさらに数千年がかかっている(シヴァーンらの2013年の報告)。挽く側の道具立ては、それより前から人の手にあった。麦がまだ野生だった時代にも、人々は磨石で穀粒をすりつぶして食べていたのである。畑の麦と挽き臼が結びついて、粉という素材が暮らしのなかに現れるのは、この紀元前9000年ごろにさかのぼる。

麦の粒はそのままでは硬く、殻も外れにくい。すりつぶして粉にしてはじめて、水と練って焼く・煮る・発酵させるといった扱いが利くようになる。パンも麺も練り菓子も、この一段の加工の先にある。だから小麦を運んだ人々は、粉にする石も一緒に運んだ。

農耕とともに西へ

肥沃な三日月地帯で生まれた農耕は、麦を先頭に、作物と家畜をひとそろいにした一式としてヨーロッパへ運ばれた。アナトリアからエーゲ海を経てバルカン半島へ、そこから中欧へ——ハンガリーのアルショーニェーク・バータセークの集落では紀元前5800年ごろから麦作と牧畜が営まれ、チェコの地には紀元前5500年ごろ、東欧一帯には紀元前5300年ごろ、フランスには紀元前5000年ごろに麦を挽いて食べる暮らしが届いた。南アジアでは、パキスタンのメヘルガル遺跡の年代を測り直した近年の研究(ヴィダーレらの2025年の報告)が、紀元前5200年ごろにはインダス地方で麦と大麦の農耕が始まっていたことを示している。

草原を東へ

麦はユーラシアの草原地帯を東へも伝わった。カザフスタン東南部のベガシュ遺跡から出た炭化した種子を直接年代測定した研究(フラケッティらの2010年の報告)は、紀元前2200年ごろの中央ユーラシアの草原に、西アジア由来の脱粒しやすい小麦が届いていたことを明らかにした。さらに東のモンゴル方面では、紀元前後の遊牧の民が麦や大麦を口にしていたことが、同位体と出土した穀物からわかっている。

回転する石臼と、中国の粉食

東アジアで麦が粉として本格的に食べられるようになるのは、挽く仕組みが変わってからである。上下二枚の石を回して連続的に挽く回転石臼が普及すると、粉を大量に用意できるようになり、麺という食べものが成り立った。中国でこの粉食が広まったのは、漢代の後半から唐代にかけて——七世紀前後を目安とする時期のことである。粒のまま炊いて食べる穀物の国に、練って延ばす食文化が加わったのは、この石臼の回転からだった。

帆船が運んだ樽

大西洋を渡った小麦粉は、畑としてよりも先に、船荷として新しい土地へ入っている。ラプラタ地域では1536年ごろからスペインの入植地が麦を育て始めた。いっぽうブラジルに16世紀のうちに届いたのは麦畑ではなく粉のほうで、本国ポルトガルから運ばれてくる輸入粉が食卓を賄っていた。サンパウロ地方で在地の製粉が動きだすのは17世紀に入ってから、1614年の製粉所がその始まりである。コロンビアやベネズエラでは、温帯の作物である麦は暑い沿岸ではなくアンデスの山地——メリダやトルヒーヨのあたりに持ち込まれ、それでも粉の多くはその後も輸入に頼りつづけた。1599年、スペインのオニャーテの入植団は現在のニューメキシコで麦を蒔いている。ミサに使う聖体のパンを焼くには、どうしても小麦粉が要ったからである。北米のヴァージニア植民地では入植の二年目にあたる1608年に麦の播種が試みられて失敗し、根づくまでには数十年がかかった。アフリカ南端の喜望峰には1652年、オランダ東インド会社が補給基地を築いた際に麦がもたらされた。カリブ海の西インド諸島には1650年ごろ、ジャマイカには1655年、メキシコ北部のソノラには1687年と、麦と粉が届いたのはいずれも17世紀のうちである。さらに遠い港へは一世紀ほど遅れて——インドネシアには1700年ごろ、インド洋のモーリシャスには1721年、オーストラリアには1790年、ニュージーランドには1814年と、18世紀から19世紀にかけて次々に渡っていった。

袋詰めの商品として

19世紀に入ると、小麦粉は麦の育たない土地へも商品として流れ込む。シンガポールの新聞『シンガポール・クロニクル』の1835年5月16日の輸入品欄には、セイラムから来たアメリカのブリッグ船エドウィン号の積荷として「小麦粉250樽」が、クラッカーやチーズや塩魚とともに並んでいる。20世紀初めの海峡植民地では、オーストラリア産とアメリカ産の輸入粉が市場を分け合い、その主な買い手は華人ほかアジア系の住民だった。ダカールでは1900年前後から輸入粉を使うパン屋が根づいている。インド洋の交易では、それよりずっと早く、11世紀から15世紀にかけてペンバ島などの東アフリカ沿岸に麦が運ばれていた。肥沃な三日月地帯で石にすりつぶされた一握りの粉は、こうして畑の広がりとは別の道——港から港へ、樽と袋に詰められて世界を回る道を得たのである。

各地への伝来 29

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 前5800〜前5300頃 ハンガリー 交易路在地栽培
  • 前5500〜前4900頃 チェコ 交易路
  • 前5500〜前5000頃 フランス 交易路在地栽培
  • 前5500〜前5000頃 東欧 交易路在地栽培
  • 前5200〜前3000頃 インド 交易路
  • 前2450〜前2100頃 中央アジア 交易路在地栽培
  • 前800〜250頃 モンゴル 交易路加工
  • 前500頃 ロシア 在来
  • 25〜900頃 中国 交易路加工
  • 1000頃 オランダ 在来在地栽培
  • 1000頃 ジョージア 在来
  • 1000〜1500頃 東アフリカ 交易路流通
  • 1509〜1700頃 ジャマイカ 植民地交易
  • 1550頃 コロンビア・ベネズエラ 植民地交易流通
  • 1532〜1614頃 ブラジル 植民地交易流通
  • 1536〜1580頃 ラプラタ地域 植民地交易流通
  • 1598〜1600頃 ニューメキシコ 植民地交易
  • 1608〜1660頃 米国 植民地交易在地栽培
  • 1650頃 西インド諸島 植民地交易流通
  • 1652〜1700頃 南アフリカ 植民地交易流通
  • 1687〜1700頃 メキシコ北部 植民地交易
  • 1700〜1800頃 インドネシア 植民地交易
  • 1715〜1745頃 モーリシャス 植民地交易
  • 1788〜1800頃 オーストラリア 植民地交易在地栽培
  • 1813〜1830頃 ニュージーランド 植民地交易在地栽培
  • 1832〜1835頃 シンガポール 植民地交易流通
  • 1835〜1910頃 マレーシア 植民地交易流通
  • 1885頃 カナダ 植民地交易流通
  • 1880〜1930頃 セネガル 植民地交易

小麦粉の到来が成立を縛った料理 37

小麦粉が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。

小麦粉を使う料理 232

成立年不明 23

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

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