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海鮮チヂミ 時期 B起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

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韓国 ・ 20世紀前半〜中葉(파전の文献初出は1946年・方信栄『朝鮮飲食作り方』=初出年。海鮮のジョン自体は朝鮮期の儀軌に遡るが、ネギと合わせた記録は1900年代の料理書にも無く、下限1900年はその不在の証拠に基づく=民間での先行は排除しない。魚介入り小麦粉生地の해물파전として大衆化するのは戦後1950〜60年代) ・ 成立年代 1900–1946

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

釜山名物の東萊(トンネ)パジョンは朝鮮王への献上品だった——広く語られるこの由緒は、王朝の記録のどこにも姿を見せない。ネギと魚介を生地ごと焼き上げるこの一皿の名が文献に現れるのは、ようやく1946年のことである。

史料が示すこと 起源・発祥は?

海鮮チヂミ(해물파전)は朝鮮半島在来のジョン(전/煎)・プチムゲの一種で、特定の発祥譚を持たない。宮中儀軌・古料理書には海鮮のジョンが遡って記録される(1609『迎接都監儀軌』魚肉煎/1670頃『飲食知味方』魚煎法=ただし魚を薄切りにして焼くもので貝・イカ等の海鮮ではない/1795『園幸乙卯整理儀軌』海参煎・全鰒煎/1892・1901『進饌儀軌』石花煎・紅蛤煎・海参煎)が、ネギ(파)を合わせた『파전』は1900年代の料理書にも見えず、方信栄『朝鮮飲食作り方』(1946)が文献上の初出。その1946年版の파전は『밀가루에 계란을 풀고 소금으로 간을 맞춘 다음 썰어 둔 파를 넣어 번철에 부…

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3ゲート

食材入手ゲート
ネギ(파)・イカ/エビ/貝などの魚介・小麦粉/米粉はいずれも朝鮮半島で入手可能で、律速となる外来食材はない。ただし小麦粉生地の해물파전が大衆化するのは朝鮮戦争後、米国余剰小麦の流入で밀가루が家庭に普及して以降(釜山の동래파전は찹쌀가루・멥쌀가루生地)
調理技術ゲート
번철(鉄板)や鍋に油をひいて生地ごと焼く在来の煎(ジョン)/부침の技法。最後に卵を落として蓋をする東萊式の仕上げも同系の在来技術
場ゲート
家庭と市場の屋台・大衆酒場(マッコリの肴)。東萊では日帝強占期の料亭『진주관』で妓生が供して名物化し、戦後に飲食店料理として全国化。現代韓国では『雨の日にはパジョンとマッコリ』という消費文脈が定着しており(韓国紙が繰り返し取り上げる)、焼く音と雨音の類似・雨天に農作業を休んで家で焼いた農村の生活などが理由として語られるが、いずれも新聞レベルの説明で、この習慣がいつ定着したかを示す史料は確認できていない

成立年代と成立ゲート

主役食材の到来データが未登録(不明)のため、到来による下限(縦線)は表示していない。帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 1900–194618921954

起源説

定説

★主 在来のジョン(전/煎)から20世紀に分化した近代成立説 B

海鮮チヂミ(해물파전)は朝鮮半島在来のジョン(전/煎)・プチムゲの一種で、特定の発祥譚を持たない。宮中儀軌・古料理書には海鮮のジョンが遡って記録される(1609『迎接都監儀軌』魚肉煎/1670頃『飲食知味方』魚煎法=ただし魚を薄切りにして焼くもので貝・イカ等の…続きを読む

海鮮チヂミ(해물파전)は朝鮮半島在来のジョン(전/煎)・プチムゲの一種で、特定の発祥譚を持たない。宮中儀軌・古料理書には海鮮のジョンが遡って記録される(1609『迎接都監儀軌』魚肉煎/1670頃『飲食知味方』魚煎法=ただし魚を薄切りにして焼くもので貝・イカ等の海鮮ではない/1795『園幸乙卯整理儀軌』海参煎・全鰒煎/1892・1901『進饌儀軌』石花煎・紅蛤煎・海参煎)が、ネギ(파)を合わせた『파전』は1900年代の料理書にも見えず、方信栄『朝鮮飲食作り方』(1946)が文献上の初出。その1946年版の파전は『밀가루에 계란을 풀고 소금으로 간을 맞춘 다음 썰어 둔 파를 넣어 번철에 부치는』もので、小麦粉生地に卵を溶き塩で調味してネギを入れ番철(鉄板)で焼く点は今日のパジョンとほぼ同形(翻刻DBが伝える材料は파 썬 것 한 사발・밀가루 반 홉・계란2個・기름・소금で、一寸の長さ×七分の幅に焼き、生地の水分は『된 꿀』ほど)。ただし初出時点の파전に魚介は入っておらず、魚介を載せた해물파전についての調理書の記録はその後もほとんど無い(한식문화사전も『해물파전에 대한 조리서의 기록은 거의 없다』と明記し、동래파전から起源を推し量るほかないとする)=『파전』は1946年に文献化された形とほぼ同形で今日に続くが、『해물』を加える形の定着は文献で追えない。魚介入りの해물파전が小麦粉生地の大衆料理として広まるのは朝鮮戦争後、米国の余剰農産物として流入した小麦で밀가루が普及して以降と推定される。釜山の동래파전は日帝強占期に東萊の料亭『진주관』で妓生が供して名物化したと伝わり、生地に찹쌀가루・멥쌀가루を用い、쪽파と대합・홍합・조갯살・굴・새우を豊富に入れ、最後に卵を落として蓋をし、醤油でなく초장(酢コチュジャン)で食べる点で小麦粉主体の一般の해물파전と異なる。

反証

東萊파전=朝鮮王への진상품(献上品)起源説/東萊城の戦い由来説(俗説) D

동래파전には王朝期に遡る起源譚が複数流布する。(a) 朝鮮時代に東萊府使が삼짇날(旧3月3日)に王へ진상(献上)した料理で、以後삼짇날に食べるようになったとする説(서울신문2009報道を한식문화사전が구전として紹介)、(b) 粛宗代に金井山城の中城を築く부역꾼…続きを読む

동래파전には王朝期に遡る起源譚が複数流布する。(a) 朝鮮時代に東萊府使が삼짇날(旧3月3日)に王へ진상(献上)した料理で、以後삼짇날に食べるようになったとする説(서울신문2009報道を한식문화사전が구전として紹介)、(b) 粛宗代に金井山城の中城を築く부역꾼(賦役労働者)の새참(間食)として食べられたとする説(이지은2009を同事典が구전として紹介)、(c) 1592年の東萊城の戦い(壬辰倭乱)に由来するとする説(観光・飲食店紹介やウィキペディア等で流布)。しかしいずれも同時代の記録に裏づけを欠く。進上品を記録した朝鮮王朝の一次史料に파전は現れず、多数の海鮮のジョンを載せる宮中儀軌・古料理書(1795『園幸乙卯整理儀軌』1892・1901『進饌儀軌』等)にもネギを合わせた파전の記録が無い(不在の証拠)。料理書での파전の初出は1946年の方信栄『朝鮮飲食作り方』であり、しかもその初出形は魚介を含まない小麦粉+卵+ネギの파전である。王朝期の献上品説・城戦由来説を支える同時代記録は確認できず、事典自身も(a)(b)を『이야기가 구전된다』と伝承として扱うにとどまる=後代の後付け起源譚創られた伝統)と見るのが妥当。

解説

海鮮チヂミ(韓国語でヘムルパジョン=해물파전)は、鉄板にたっぷりのネギを敷き、イカやエビ、貝といった魚介を散らし、小麦粉や米粉の生地を回しかけて油で焼き上げる料理である。韓国では「ジョン(전/煎)」「プチムゲ」と呼ばれる焼き物の一群に属し、日本でチヂミの名で親しまれてきた料理の、ネギと海の幸を主役にした一様式にあたる。

ネギも魚介も粉も、朝鮮半島では古くから手に入る素材だった。宮中の記録には、海のものを衣にくるんで焼いたジョンが数多く残っている。17世紀初めの『迎接都監儀軌』には魚肉煎が、18世紀末の『園幸乙卯整理儀軌』には海参煎(ナマコ)や全鰒煎(アワビ)が、19世紀末から20世紀初めの『進饌儀軌』には石花煎(カキ)や紅蛤煎(ムール貝)が並ぶ。海の幸を焼いたジョンは、宴の膳に欠かせない一品だった。

ただし、そこにネギを主役に据えたパジョンは見当たらない。パジョンという名が料理書に登場するのは1946年、方信栄(パン・シニョン)の『朝鮮飲食作り方』が最初である。その一冊より前に、この名を書きとめた料理書は見つかっていない。

魚介を加えたヘムルパジョンが誰の台所にもある料理になるのは、朝鮮戦争のあとのことだ。米国からの余剰小麦が大量に流れ込み、小麦粉が家庭の台所に行き渡ると、粉をたっぷり使う生地はぐっと身近になった。市場の屋台や大衆酒場では、マッコリの肴として厚く焼かれたパジョンが定番になった。

釜山の東萊パジョンは、同じ名を持ちながら肌合いが違う。生地にはもち米粉とうるち米粉を用い、ネギと魚介を重ねたうえで最後に卵を落とし、蓋をして蒸らすように仕上げる。小麦粉主体の一般のヘムルパジョンとはまた別の、ねっとりと柔らかい口当たりで、店の看板料理として供されてきた。

検証ストーリー

東萊パジョンには、立派な由緒がついている。朝鮮時代に王へ差し出された進上品だった、あるいは1592年、壬辰倭乱の緒戦となった東萊城の戦いに由来する——観光案内や飲食店の由緒書き、百科事典の記述までが、そう伝えてきた。

だが、進上品を几帳面に書き留めた王朝の記録に、パジョンは一度も現れない。宮中の儀軌や古い料理書は、魚のジョン、ナマコのジョン、アワビのジョン、カキのジョン、ムール貝のジョンと、海のものを焼く献立を細かく書き分けている。これほど書き残されていながら、ネギを合わせたパジョンだけがどこにも見えない。東萊城の戦いに結びつける話も、地元に古くから共有されてきた言い伝えとしては跡をたどれない。

名物としての東萊パジョンの輪郭がはっきりするのは、ずっと後になってからである。日帝強占期の東萊にあった料亭「晋州館(チンジュグァン)」で妓生が客に供して評判を得たと伝えられ、そこから戦後の飲食店料理として広まった。四百年前の戦場でも王の膳でもなく、近代の花街と食堂が、この名物の舞台だった。

いま受け入れられているのは、海鮮チヂミが在来のジョンから20世紀に枝分かれした近代の料理だという見方である。料理書に載らないことは、民間でまったく焼かれていなかったことまでは意味しない。それでも、王朝期の献上品としてのパジョンを語る同時代の記録は見当たらず、その由緒は後の時代につけ足されたものとみるのが妥当だろう。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-07-15 None —→—
網羅リスト取り込み時の代表出典(研磨の出発点)
PDM
2026-07-26 支持 None→B
파전(ネギのジョン)の文献初出は1946年・方信栄『朝鮮飲食作り方』であり、1900年代の料理書には海鮮のジョンは多数あるがネギを合わせた記録が無い。해물파전が小麦粉生地の大衆料理として広まるのは朝鮮戦争後の米国余剰小麦流入で밀가루が普及して以降
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2026-07-26 反証 None→D
동래파전は朝鮮時代に王への진상품(献上品)であった/1592年の東萊城の戦いに由来する、とする起源譚
polisher-1
2026-07-31 支持 B→B
파전の文献初出=방신영『조선음식 만드는 법』(1946)の記載内容は、밀가루に계란を溶き소금で調味し、切った파を入れて번철で焼くもの(材料: 파 썬 것 한 사발・기름・밀가루 반 홉・소금 조금・계란 2개、一寸長×七分幅に焼く)=生地・卵・番철という点で今日のパジョンとほぼ同形。ただし初出形に魚介は無く、해물파전についての調理書の記録はその後もほとんど無い
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2026-07-31 反証 D→D
동래파전の王朝期起源譚は、한식문화사전が(a)東萊府使が삼짇날に王へ진상した料理(서울신문2009)(b)粛宗代の금정산성 중성 築城の부역꾼の새참(이지은2009)の二つを『구전』として記録しており、事典自身が伝承扱いにとどめている。1592年東萊城の戦い由来説も同様に同時代記録を欠く
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2026-07-31 不明 B→B
『雨の日にはパジョンとマッコリ』という食習慣が現代韓国に定着している(およびその理由として語られる焼く音と雨音の類似・農耕社会で雨天に休んで焼いた等の説明)
polisher-1

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