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ちくわぶ 時期 C起源説 C検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本・東京 ・ 確かめられた最古の記録は1903年の兵食献立の「竹輪麩」で、1906〜1907年には軍の教本と東京の家庭料理書に煮物の材料として出る。この年までに在ったことは言えるが、いつ作られ始めたかは記録で決められない ・ 成立年代 〜1903 ・ 主役食材 小麦粉 ・ この地域の料理を見る

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

ちくわぶは、魚のすり身が高かった時代に竹輪の代わりとして小麦粉で作られた、とよく説明される。明治後期の軍の献立や教本、東京の家庭料理書に現れる「竹輪麩」は、竹輪の形をした麩として、こんにゃくや里芋とともに煮物に使われていた。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
確かめられた最も古い記録は1903年の『偕行社記事』の兵食献立で、1906年の陸軍経理学校の教本は、こんにゃく・里芋とともに切ってゆで醤油で煮る…
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持『偕行社記事』325号 偕行社 1903年11月 国立国会図書館デジタルコレクション重み5 支持岡崎内蔵松『糧食経理科参考書』陸軍経理学校 明治39年(1906)国立国会図書館デジタルコレクション重み5

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3ゲート

食材入手ゲート
小麦粉(古くから国内で得られる)。1916年の家事の教科書は小麦粉から取った麩質に粉を加える生麩の類とし、現在は小麦粉を水と塩で練ってゆでる。食材の面で成立の年を縛るものは無い
調理技術ゲート
小麦粉の生地を竹輪のような筒形に作り、ゆでて固める
場ゲート
明治後期には軍の兵食と東京の家庭の煮物・煮染に使われた。現在は東京を中心とする首都圏で、おでんの種として好まれ、製造元が真空包装で売っている

成立年代と成立ゲート

主役食材(小麦粉)の到来データが未登録(不明)のため、到来による下限(縦線)は表示していない。帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 〜190318871911

検証メモ: 小麦粉の生地を竹輪の形にしてゆでた、東京を中心とする首都圏のおでん種。魚のすり身が高かった時代に竹輪の代わりに作ったという説明がよく紹介されるが、それを書いた古い記録は確かめられていない。確かめられた最も古い記録は1903年の兵食の献立にある「竹輪麩」で、1906年の陸軍経理学校の教本は、こんにゃく・里芋とともにゆでて醤油で煮る材料に挙げ、1907年の東京の家庭料理書は「竹輪麩、里芋の煮染」を献立に入れる。1916年の家事の教科書は、小麦粉から取った麩質に糯米や小麦の粉を加えて作る生麩の類に竹輪麩を数えており、麩質を取り出さずに練る現在の作り方といつから同じになったかは、まだ確かめていない。

起源説

未確定

★主 明治後期の東京の献立に、煮物に使う竹輪の形の麩(竹輪麩)として現れる(それより前は記録で確かめられない) C

確かめられた最も古い記録は1903年の『偕行社記事』の兵食献立で、1906年の陸軍経理学校の教本は、こんにゃく・里芋とともに切ってゆで醤油で煮る材料として竹輪麩を挙げ、1907年の東京の家庭料理書は「竹輪麩、里芋の煮染」を献立に入れる。名のとおり竹輪の形をした麩として扱われており、1916年の家事の教科書は、小麦粉から取った麩質に糯米や小麦の粉を加えて作る生麩の類に竹輪麩を数える。小麦粉を水と塩で練ってゆでる現在の作り方といつから同じになったかは、まだ確かめていない。いつ誰が作り始めたかは記録で決められない。

魚のすり身が高価だった時代に、ちくわの代わりとして小麦粉で作ったとする説 D

料理サイトなどが「有名な説」として紹介する由来。竹輪の形をしていることから自然に思いつかれる説明だが、そう書いた古い記録は今回確かめられず、紹介する側も出典を示さない。明治後期の記録では竹輪麩は麩の一種として扱われ、1916年の家事の教科書は小麦粉から取った麩質で作る生麩の類に数えており、竹輪の代用品として扱った記述には当たらなかった。

解説

小麦粉でできた筒

ちくわぶは、小麦粉を水と塩で練った生地を竹輪のような筒の形にし、ゆでて固めたものである。東京を中心とする首都圏で、おでんの種として好まれ、製造元が真空包装にして売っている。宮城県塩竈市の製造元も「東京ちくわぶ」の名で売っている。原料の小麦粉は、古くから国内で得られてきたものである。

明治の煮物の材料として

竹輪麩の名は、明治36年(1903)11月の『偕行社記事』に載った兵食の献立に、材料の一つとして出てくる。明治39年(1906)に陸軍経理学校が出した教本は、こんにゃく、竹輪麩、里芋などを適当に切ってゆで、醤油で煮る料理を載せている。明治40年(1907)の東京の家庭料理書『年中総菜料理』には「竹輪麩、里芋の煮染」が献立に入る。明治の終わりには、竹輪麩は軍の兵食でも東京の家庭の総菜でも、芋やこんにゃくと一緒に煮る材料だった。

麩の仲間として

名前のとおり、竹輪麩は竹輪の形をした麩として扱われていた。大正5年(1916)の家事の教科書は、小麦粉から取り出した麩質(グルテン)に糯米や小麦の粉を加えて作る生麩の類に、竹輪麩を相良麩と並べて数えている。麩質を取り出してから粉を加えるこの作り方は、小麦粉をそのまま練ってゆでるいまのちくわぶの作り方とは同じではない。

検証ストーリー

ちくわぶの由来として料理サイトなどがよく紹介するのは、竹輪の代わりだったという話である。魚のすり身が高価だった時代に、すり身の代わりに小麦粉で竹輪の形をこしらえたのが始まりだという。竹輪そっくりの形と名前からは、自然に出てくる説明である。

けれども、この話を紹介する側は、もとになった記録を示していない。1906年の陸軍の教本も1907年の家庭料理書も、竹輪麩をこんにゃくや里芋と煮る材料として並べており、竹輪の代わりとは書いていない。1916年の家事の教科書は、麩質から作る生麩の類に竹輪麩を数えている。これらの記録に描かれる竹輪麩は、魚の練り物の代用品としてではなく、竹輪の形に作った麩として現れる。

それでも、竹輪麩が竹輪の代わりとして生まれたのかどうかまでは、これらの記録は語っていない。記録が示すのは、明治から大正の人々が竹輪麩を煮物の材料とし、麩の仲間として扱っていたことであり、最初に作った人が何を考えていたかではない。代用品という話は、古い記録の出典を添えられないまま、形と名前からの説明として広まっている。

竹輪麩をいつ、誰が作り始めたのかは、記録からは決められない。はっきりしているのは、1903年の兵食の献立に名前が現れ、明治の終わりには軍の兵食と東京の家庭の煮物に使われていたことである。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-10-31 支持 C→C
いま食べられていることの確認: 宮城県塩竈市の株式会社阿部善商店が、自社のおすすめ商品として「東京ちくわぶ」を販売している(公式サイトの2022年・2023年の商品情報更新のお知らせ、2026-10-31閲覧)。現在も製造・販売されている。
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
1903年の兵食献立に竹輪麩が材料として出る
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
1906年の陸軍の教本で、竹輪麩はこんにゃく・里芋とゆでて醤油で煮る煮物の材料
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
1907年の東京の家庭料理書に竹輪麩と里芋の煮染がある
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
1916年には竹輪麩は麩質(グルテン)に粉を加えた生麩の類とされていた
研磨係
2026-10-31 不明 D→D
ちくわの代用として小麦粉で作ったとする説は、紹介する側が出典を示さず、明治後期〜大正の記録では麩の一種として扱われている
研磨係

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構成素材

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