天丼の始まりは江戸の天ぷら屋だとも語られる。一方、1897年(明治30年)に出た東京の案内記は、神田今川橋の天ぷら屋・仲野の主人が20年あまり前に天ぷらを丼に盛り、一人前7銭で売り出したのが天丼の元祖だと記している。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- 1897年の『東京新繁昌記』は神田今川橋北の天ぷら屋・仲野を天丼の元祖とし、二十余年前に主人が天ぷらを丼にして一人前七銭で売り出したと記し、19…
- 判定
- 諸説あり(対立説を併記)
- 主な根拠
- 支持金子佐平(春夢)編『東京新繁昌記』東京新繁昌記発行所, 1897(国立国会図書館デジタルコレクション, インターネット公開)重み5 支持『東京名物志』公益社, 1901(国立国会図書館デジタルコレクション, インターネット公開)重み5
3ゲート
- 食材入手ゲート
- エビ・米・醤油・みりん・小麦粉は江戸時代までに日本で手に入っており、天丼の成立を縛らない
- 調理技術ゲート
- 江戸時代からある天ぷらを、丼飯に載せてたれをかける。丼に飯と具を盛る出し方は鰻丼で江戸後期に既にあった
- 場ゲート
- 明治の東京の天ぷら屋が一人前の丼物として売り出した。現在は天丼専門店・そば店・定食屋で出される
成立年代と食材入手ゲート
食材入手(1536年・在地/到来)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はその条件が揃った年になる。成立年代の帯は、その年以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
検証メモ: 1897年の『東京新繁昌記』は神田今川橋の天ぷら屋・仲野を天丼の元祖とし、二十余年前に主人が天ぷらを丼にして一人前七銭で売り出したと記す。1901年の『東京名物志』も天丼の元祖を二十五六年前とする。どちらも店の言い分を書き留めた案内記で、ほかに年代を確かめる記録は見つかっていない。江戸の天ぷら屋の橋善や浅草の三定を始まりとする話もあるが、根拠は店の創業年で、天丼を出した年を示す記録はない。
起源説
諸説併記
★主 明治初期の東京の天ぷら屋で丼物として成立(神田の仲野を元祖とする店の記録) C
1897年の『東京新繁昌記』は神田今川橋北の天ぷら屋・仲野を天丼の元祖とし、二十余年前に主人が天ぷらを丼にして一人前七銭で売り出したと記し、1901年の『東京名物志』も天丼の元祖を二十五六年前とする。数えると1870年代半ばになる。ただし店の言い分を書き留めた案内記で、ほかに同じ時期を示す独立した記録は見つけていない。
未確定
江戸後期の天ぷら屋(橋善・三定)発祥説 D
天ぷら屋の橋善(1831年に屋台で創業とされる)や浅草の三定(1837年創業とされる)が天丼を始めたとする説。根拠は店の創業年で、天丼を出した年を示す同時代の記録は見つけていない。百科事典の本文以外に出所を確かめられていない。
- 言及 Wikipedia日本語版「天丼」 重み1
解説
天丼は、揚げた天ぷらを丼飯の上に載せ、たれをかけた料理である。具の主役はエビの天ぷらで、衣には小麦粉を使い、たれには醤油とみりんを合わせる。
天ぷらは江戸時代からある料理で、エビも米も、醤油やみりんも、江戸時代には日本で手に入る品だった。丼に飯を盛って具を載せる出し方も、江戸の後期には鰻屋が鰻飯で行っていた。
案内記に書き留められた天丼は、明治の東京の天ぷら屋が一人前の丼物として売り出したものだった。1897年の案内記が伝える仲野の話から年を数えると、売り出しは1870年代の半ばになる。この年は店の語るところで、案内記からは、遅くとも1897年には東京の天ぷら屋で天丼が出されていたことが分かる。
いまの天丼は、天丼の専門店のほか、そば店や定食屋でも出される。
検証ストーリー
天丼を始めた店として名前が挙がるのは、江戸の天ぷら屋である。1831年に屋台で始めたとされる橋善や、1837年の創業とされる浅草の三定が、天丼の元祖だと語られることがある。けれども、この話が手がかりにしているのは店を開いた年で、天丼を出し始めた年ではない。橋善や三定が天丼を出した年を書いた当時の記録が、この話に添えられているわけではない。
天丼がいつ売り出されたかを年数とともに書いた文が、明治の東京の案内記にある。金子春夢が編んだ1897年の『東京新繁昌記』は、神田今川橋の北にあった天ぷら屋・仲野を取り上げ、「天丼の元祖にして今より廿余年前此家の主人が天麩羅を丼になすことを発明し、一人前七銭にて売り出したる」と記した。4年後の1901年に出た『東京名物志』も、天丼の元祖を「廿五六年前」としている。どちらの数え方でも、売り出しは1870年代の半ばになる。
ただし二冊とも、店が語る由来をそのまま書き留めた案内記である。仲野の主人が天丼を発明したという話も、売り出しが20年あまり前だという年も、店の外から同じ時期を示す記録が並んでいるわけではない。
天丼を最初に出したのが江戸の天ぷら屋だったのか、明治の仲野だったのかは、決着がついていない。文に書き留められているのは仲野の言い分のほうで、江戸の店の話は創業の年に頼っている。明治30年の東京の案内記には、天丼がすでに天ぷら屋の品として、元祖を名乗る店の名とともに書き留められていた。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
1897年の東京の案内記が、神田今川橋北の仲野を天丼の元祖とし、二十余年前に主人が天ぷらを丼にして一人前七銭で売り出したと記す
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
1901年の東京の名物案内も、天丼の元祖を二十五六年前に七銭で売り出したと記す
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | D→D |
橋善(1831年創業)・三定(1837年創業)が天丼を始めたとする説 出典:
Wikipedia日本語版「天丼」 重み1
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
地域の確認: 日本→東京都。1897年の『東京新繁昌記』は東京の飲食店案内の中で神田今川橋北の仲野を天丼の元祖とし、1901年の『東京名物志』も東京の名物として天丼の元祖を挙げる。並ぶもう一つの説(橋善・三定)の店も東京にある。店は説どうしで割れるので店の町(神田)までは絞らず、東京都の行に結ぶ。
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研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。
- 素材エビ
- 素材みりん日本
- 素材小麦粉
- 素材米飯成立史は準備中
- 素材醤油(日本)日本