香川のうどんの確かな記録は江戸期、金毘羅参りの門前町のうどん屋にさかのぼり、「讃岐うどん」が全国に知られる名物になるのは戦後のことである。塩・醤油・煮干しがそろう土地だったからうどんが根づいたという定番の説明は、江戸期の記録では跡づけられていない。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- 讃岐のうどんの確かな最初の記録は、元禄年間(1688-1704)の金毘羅大祭を描いた『金毘羅祭礼図』の3軒のうどん屋とされる。正徳年間の『和漢三…
- 判定
- 諸説あり(対立説を併記)
- 主な根拠
- 支持寺島良安『倭漢三才図会』下巻(日本随筆大成刊行会 1928)国立国会図書館デジタルコレクション コマ388重み5 支持『週刊現代』2巻29号(講談社 1960年7月24日)国立国会図書館デジタルコレクション コマ24重み5
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 主役の小麦は在来。正徳年間の『和漢三才図会』は讃岐丸亀の小麦を諸国の上とする。昭和40年代以降は原料小麦の大半がオーストラリア産に置き換わり、2000年代からは香川県が育成した品種『さぬきの夢』も使われている
- 調理技術ゲート
- 生地を延ばして切る切り麺の製法(親のうどんと共通)。讃岐に固有の製法がいつ生まれたかは史料で確かめられていない
- 場ゲート
- 江戸期は金毘羅参りの門前町のうどん屋(元禄期の祭礼図)や寺の参籠・法事の振る舞い。戦後は県外の店や万博への出店を通じて名物になった
成立年代と成立ゲート
調理技術の成立年(1544年)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。
- 調理技術
- 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
検証メモ: 香川にうどんが根づいた理由として、小麦・塩・醤油・煮干しの産地だったことがよく挙げられる。江戸期の史料で確かめられるのは讃岐の小麦が良質と評されたことまでで、ほかの理由は史料では確かめられていない。江戸期に庶民の日常食だったのか、祭礼や法事の特別な食べ物だったのかも決着していない
起源説
諸説併記
★主 江戸期に金毘羅の門前と小麦の産地で根づき、戦後に全国の名物となった C
讃岐のうどんの確かな最初の記録は、元禄年間(1688-1704)の金毘羅大祭を描いた『金毘羅祭礼図』の3軒のうどん屋とされる。正徳年間の『和漢三才図会』は讃岐丸亀の小麦を諸国の上とする。『讃岐うどん』が名物として知られるのは戦後で、1960年には東京の雑誌が『有名な讃岐うどん』と書いており、1970年の大阪万博への出店で全国に評判が広がったとされる。香川にうどんが根づいた理由を、小麦・塩・醤油・煮干しの産地だったことに求める説明は広く語られるが、それを江戸期の史料で確かめた研究は見当たらない
未確定
江戸期から庶民が日常に食べていたとする説 C
瀬戸内の塩、小豆島の醤油、伊吹島の煮干し、讃岐の小麦が揃っていたため、うどんは江戸期から讃岐の人々の日常食だったとする説明。観光案内や一般向けの解説に多いが、江戸期の讃岐で庶民がうどんを日常に食べていたことを示す同時代の史料は確認できていない
江戸期はハレの日の食べ物で、日常化は明治以降とする説 C
金毘羅の金光院日帳に宝暦11年(1751)参籠の僧へ饂飩を出した記事があり、坂出の大庄屋の家では文久元年(1861)・慶応4年(1868)の法事に温飩粉を用意している。これらから、江戸期のうどんは祭礼・法事などの特別な日の食べ物で、日常の食べ物になったのは明治以降とする見方。根拠の町史・市史は未見で、地元の歴史愛好家の紹介を通じてしか確かめていない
解説
讃岐うどんは、讃岐(いまの香川県)のうどんである。小麦粉を練って延ばし、細長く切る切り麺で、作り方の骨組みは各地のうどんと変わらない。讃岐ならではの打ち方がいつ生まれたのかは、はっきりしていない。
さぬきうどんの歴史をまとめた2020年の研究は、讃岐のうどんの最初の確かな記録として、元禄年間(1688〜1704年)の金毘羅宮の秋の大祭を描いた金毘羅祭礼図を挙げる。この絵には3軒のうどん屋が描かれている。江戸期の讃岐のうどんは、まず金毘羅参りの門前町の店として姿を現す。門前の店のほかに、寺にこもって祈る僧への振る舞いや、法事の膳にもうどんが出ていたと伝えられている。
主役の小麦は讃岐で古くから作られてきた作物である。18世紀初めの正徳年間にまとめられた百科事典和漢三才図会は、小麦の項に「諸國皆有之而讃州丸龜之產爲上」と書く。小麦はどの国にもあるが、讃岐の丸亀でとれるものが一番よい、という評価である。ただし文はそのまま「爲饅頭色白」と続き、ほめているのは饅頭にしたときの色の白さだ。
「讃岐うどん」が県の外で名物として語られるようになるのは戦後である。1960年には東京の週刊誌に「有名な讃岐うどん」の文字が見え、1970年の大阪万博に店を出して評判を呼んだことで、その名は全国に広まったとされる。
材料の小麦は、昭和40年代からは大半がオーストラリア産に置き換わった。2000年代に入ると、香川県が育てた小麦の品種さぬきの夢も使われるようになっている。
検証ストーリー
香川にうどんが根づいた理由として、よく次のような説明が語られる。讃岐は良い小麦がとれるうえ、瀬戸内の塩、小豆島の醤油、伊吹島の煮干しと、うどんに要るものが手近にそろっていた。だから江戸の昔から、うどんは讃岐の人々の毎日の食べものだった、というものだ。観光案内や一般向けの解説でおなじみの筋書きである。
このうち江戸期の記録にたどれるのは、18世紀初めの百科事典『和漢三才図会』が讃岐丸亀の小麦を諸国の上とした、小麦の評判までである。塩や醤油や煮干しがうどんと結びついていたことや、庶民がうどんを日々食べていたことについては、それを示す同時代の記録が挙げられているわけではない。
これとは逆向きの見方もある。地元の郷土史の愛好家が、琴平と坂出の町史・市史に載る記録として紹介しているところでは、金毘羅の寺、金光院の日々の記録に、宝暦11年(1751年)、こもって祈る僧に饂飩を出した記事がある。坂出の大庄屋の家では、文久元年(1861年)と慶応4年(1868年)の法事のために温飩粉を用意していた。ここから、江戸期のうどんは祭りや法事のような特別な日の食べもので、ふだんの食卓にのぼるのは明治以降だとする説が出てくる。ただしこの説も、紹介を通じて知られる数件の記録を手がかりにした見方の一つにとどまる。
戦後の名物化についても、語られ方は一つではない。さぬきうどんの歴史をまとめた2020年の研究は、讃岐うどんが有名になったのは1970年の大阪万博に店を出して大評判を得たからだとする。一方で、その10年前の1960年7月には、東京の週刊誌が沼袋の丸山十字路近くにある手打ちうどんの店「さぬき屋」を、「有名な讃岐うどんの本物に近い味が味わえる」と紹介している。すうどん(かけ)は20円だった。同じ年の9月には広告業界誌が、讃岐を「金比羅さまで有名な」土地と呼んだうえで、関西はうどんのうまいところだが「ことに讃岐のうどんは一番うまい」と書いた。万博が評判を全国に押し広げたのだとしても、東京の雑誌が「本物」を引き合いに出せるほどには、その名は1960年の時点ですでに通っていた。
「讃岐うどん」という呼び名そのものがいつから使われ始めたのかは、まだはっきりしない。江戸期の讃岐のうどんが毎日の食べものだったのか、特別な日のごちそうだったのかも、決着していない。香川とうどんの結びつきとして記録でたどれるのは、元禄期の金毘羅の門前に描かれたうどん屋と、讃岐の小麦への評判、そして戦後に県の外で語られはじめた名物としての評判である。そのあいだをつなぐ道筋は、まだ多くが空白のまま残っている。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-10-09 | 支持 | C→C |
讃岐のうどんの確かな最初の記録は元禄年間の金毘羅祭礼図のうどん屋3軒で、讃岐うどんが全国に有名になったのは1970年の大阪万博出店による
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研磨係 |
| 2026-10-09 | 支持 | C→C |
18世紀初めに讃岐丸亀の小麦は諸国の小麦の上と評されていた
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研磨係 |
| 2026-10-09 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1960年の時点で、讃岐うどんは東京の雑誌で『有名な』と形容される名物になっていた(1970年万博より前)
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研磨係 |
| 2026-10-09 | 支持 | C→C |
1960年に、讃岐の手打ちうどんは関西でも一番うまいと広告業界誌に書かれていた
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研磨係 |
| 2026-10-09 | 不明 | C→C |
江戸期の讃岐で、庶民がうどんを日常に食べていた
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研磨係 |
| 2026-10-09 | 不明 | C→C |
江戸期の讃岐のうどんは祭礼・法事などのハレの日の食べ物で、日常化は明治以降
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研磨係 |
| 2026-10-09 | 不明 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 香川にうどんが根づいたのは、小麦・塩・醤油・煮干しの産地が揃っていたためである |
研磨係 |
| 2026-10-09 | 支持 | C→C |
1960年の時点で、讃岐うどんは東京の雑誌で『有名な』と形容される名物になっていた(1970年万博より前)
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研磨係 |
| 2026-10-09 | 不明 | C→C |
香川にうどんが根づいたのは、小麦・塩・醤油・煮干しの産地が揃っていたためである |
研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。