生地で具を包み、半月形にして油で揚げるスリランカの軽食パティス。定番の具である魚とジャガイモの組み合わせをポルトガル統治期の置き土産と語る説があるが、ジャガイモがこの島の畑に現れるのは、ポルトガルが島を去って一世紀半以上たった19世紀のことだった。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- スリランカのパティスは半月形に成形して揚げる包み揚げで、ポルトガルの pastel/empada や empanada に構造が酷似する。魚とジ…
- 判定
- 諸説あり
- 主な根拠
- 反証Samuel White Baker, Eight Years' Wanderings in Ceylon (London 1855) 第1章(1846-47年の初訪時のニュワラエリヤ=『It apparently produced nothing except potatoes.』/『Potatoes, being the staple article of production, are principally cultivated』)一次史料 支持Dr. R. Riddell『Indian Domestic Economy and Receipt Book』(Bombay: Gentleman's Gazette Press, 1849・初版)(Internet Archive 全文OCR・アイテムID: india.history.resource.53671)一次史料
3つの成立条件
- 食材の条件
- 小麦・魚は在来。定番のジャガイモ具が律速で、セイロン(スリランカ)高地へのジャガイモ到来は英領期の1819–1823年(Davy 1821/Ceylon Almanac 1851)=ポルトガル船の来航(1506年。1505年とする記述もある)から1658年にオランダに追われるまでのポルトガル期のセイロンにジャガイモは無い。魚版もある
- 調理技術の条件
- 生地で具を包み半月形に成形し揚げる(揚げ技術)
- 場の条件
- 街頭・茶店の軽食、ショートイーツ
成立年代と成立条件
食材入手と調理技術の各条件を同じ時間軸に並べた(流通は独立した条件でなく、食材の条件の経路として含め、場の条件は料理が成立し広まった場のことで、年で表せないので図には出さない)。最も遅い食材の条件(1819〜1823年・在地/到来・ジャガイモ)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はこの条件が揃った年になる。この条件を太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は、その条件が揃った年以降にある。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場の条件(年で表せないので図には出さない)
検証メモ: ポルトガルの pastel/empada 系とみる説と、英国植民地期の meat pastry 系とみる説が併存し、直接の祖型は決着していない。一方、定番の具であるジャガイモがセイロン(スリランカ)へ入った年代は、デイヴィー『セイロン内陸誌』(1821)とセイロン年鑑(1851)の年表という同時代の記録2点により1819–1823年と確定している。残る宿題は、パティスという料理名がセイロンの文献に現れる最も古い年で、セイロン刊行の料理書・新聞のデジタル化資料に届かず未特定のまま。
起源説
諸説併記
ポルトガル pastel/empada 系起源説(ポルトガル期・16〜17世紀) C
スリランカのパティスは半月形に成形して揚げる包み揚げで、ポルトガルの pastel/empada や empanada に構造が酷似する。魚とジャガイモを詰める版は、ポルトガルの bolinho(干鱈とジャガイモのコロッケ)の系譜とされ、ポルトガルがセイロンに…続きを読む
スリランカのパティスは半月形に成形して揚げる包み揚げで、ポルトガルの pastel/empada や empanada に構造が酷似する。魚とジャガイモを詰める版は、ポルトガルの bolinho(干鱈とジャガイモのコロッケ)の系譜とされ、ポルトガルがセイロンにいた時代(1506年の最初の来航〔1505年とする記述もある〕から、オランダにジャフナを奪われた1658年まで。コロンボに最初の要塞を築いたのは1518年、コーッテ王国を正式に取り込んだのは1597年)に持ち込まれた植民地料理の在地化とみる説。ただし**ジャガイモ具の版はこの期間には成立しえない**=ジャガイモのセイロン到来は英領期で、John Davy(1821)がカンディ高地の欧人菜園での1819–20年頃の試作成功を、Ceylon Almanac(1851)の年表が1823年のカンディ諸州でのジャガイモ農園開設を記録する(一次史料2点)。したがってポルトガル期に遡りうるのは形式(半月形の包み揚げ pastel)までで、現行の定番具(魚+ジャガイモ)は1820年代以降の在地化である。
- 反証 The Ceylon Almanac and Annual Register for 1851 — Chronological Table of Events(1823年項『Plantations of Potatoes established in the Kandyan Provinces under the direction and at the expense of the Ceylon Literary and Agricultural Society』)一次史料
- 反証 John Davy, An Account of the Interior of Ceylon, and of its Inhabitants (London 1821) p.488(カンディ高地の欧人菜園で『other vegetables, that have been tried, as potatoes and onions, have also succeeded』/p.276 在地の栽培はsweet potatoesのみ)一次史料
- 言及 Zoltán Biedermann「Ceylon」『Encyclopaedia of Portuguese Expansion』(2009・英訳 Marília Pavão・CHAM/FCSH-UNL オンライン版)専門事典・公的機関
- 言及 Roar Media, 'The Long History of Short Eats'(スリランカのショートイーツ史・パティス=empanada類似・植民地由来)一般書・報道
- 支持 Taste Cooking, 'The Long History of Sri Lanka's Short Eats'(cutlets/patties=英国由来説、fish patties=ポルトガル統治期説、bolinho系croquette)一般書・報道
- 支持 The Flavor Bender / SBS Food — Sri Lankan Fish Patties (Fish Empanadas)ブログ・百科本文
英国・オランダ植民地の meat pastry 系起源説 C
別の説では、パティス(およびカツレツ)は英国植民地期(1796–1948)に持ち込まれた meat pastry の系譜とされ、『cutlets and patties arrived with the British』と語られる。オランダ統治期(1658–1796)の croquette 文化の影響も指摘される。ショートイーツという総称化・大衆化自体は20世紀(Perera & Sons 等のベーカリーが1960年代に販売、1970年代にコロンボで日常食化)で新しい。
- 支持 Dr. R. Riddell『Indian Domestic Economy and Receipt Book』(Bombay: Gentleman's Gazette Press, 1849・初版)(Internet Archive 全文OCR・アイテムID: india.history.resource.53671)一次史料
- 支持 Roar Media, 'The Long History of Short Eats'(スリランカのショートイーツ史・パティス=empanada類似・植民地由来)一般書・報道
- 支持 Taste Cooking, 'The Long History of Sri Lanka's Short Eats'(cutlets/patties=英国由来説、fish patties=ポルトガル統治期説、bolinho系croquette)一般書・報道
解説
パティスは、小麦の生地で具を包んで半月形に閉じ、油で揚げた包み揚げである。スリランカでは街頭や茶店でつまむ軽食「ショートイーツ」の定番で、片手で持てる大きさと揚げたての香ばしさが身上だ。詰め物はスパイスをきかせた魚とジャガイモが多い。
生地になる小麦も、詰める魚も、この島で手に入るものである。ジャガイモは違った。南米の高地に生まれたこの塊茎は、19世紀に入ってからセイロンの高地に持ち込まれる。英国人医師ジョン・デイヴィが1821年に出した島の内陸誌は、キャンディ高地の欧州人の菜園で「ジャガイモや玉ねぎも試され、うまくいっている」と書き、1851年のセイロン年鑑の年表は1823年にキャンディ諸州でジャガイモ農園が開かれたことを記す。それ以前の島にジャガイモは無く、いま定番となっている具のパティスもまた、この土地には存在しようがなかった。
したがってこの一皿がいまの姿になったのは英領期、19世紀前半より後である。名を書きとめた記録がいつからあるのかは、まだ分かっていない。
ショートイーツという総称でくくられ、街の軽食として大衆化するのはさらに新しく、20世紀に入ってからのことだ。1960年代にはペレラ・アンド・サンズのようなベーカリーが売り出し、1970年代のコロンボでは日常の食べ物になっていた。
検証ストーリー
パティスの半月形は、ポルトガルのパステルやエンパーダ、あるいはエンパナーダによく似ている。そこから、ポルトガル人がセイロンにいた時代に持ち込まれた包み揚げが土地に馴染んだのだ、という見方が生まれた。その時代は1506年の最初の来航(1505年とする記述もある)に始まり、オランダにジャフナを奪われた1658年に終わる。魚とジャガイモを詰める版を、干鱈とジャガイモのコロッケであるボリーニョの系譜に置く語り口も、この見方の一部である。
だが、その語り口は具のところで行き詰まる。ジャガイモがセイロンの土に入るのは英領期で、1819年から1820年ごろにキャンディ高地の菜園で試作が成功し、1823年には農園が開かれた。ポルトガルの統治は、それより一世紀半以上前に終わっている。半月形に閉じて揚げるという形そのものがポルトガル由来である可能性は残るが、いま定番の魚とジャガイモの詰め物は、どうやっても1820年代より後の産物である。
そのジャガイモの到来年にも、繰り返されてきた誤りがある。スリランカの農務当局や国際的なジャガイモの資料は、1850年に探検家サミュエル・ベイカーが持ち込んだと書いてきた。しかしベイカー自身が1855年の旅行記で、1846年から47年にかけて初めて訪れたヌワラエリヤを「ジャガイモ以外には何も産していないようだった」と書いている。彼が入植する前から、その高地はジャガイモの土地だった。
もうひとつの説は、パティスを英国植民地期のものとみる。カツレツとパティスは英国とともにやってきた、という語りで、あいだに挟まるオランダ統治期のコロッケ文化を挙げる声もある。こちらには同時代の記録がある。1849年にボンベイで出た英領インドの家庭料理書は、鶏や牡蠣や魚のパティスを索引に立て、「パティスのためのよい生地」の項で、現地の粗挽き小麦を水でこね、薄く延ばしてバターを塗り、巻き込んでから「パティスの大きさに切り出せ」と指示する。折り込んだ生地で小さく包むという作り方が、この時期の英領南アジアの台所にすでに定型として在ったことになる。
ただしそれは英領インドのパティスであって、セイロンのパティスそのものの記録ではない。ポルトガルの形から来たのか、英国の焼き菓子から来たのか、二つの説はどちらも決め手を欠いたまま並んでいる。決まっているのは、詰め物の側の年代だけである。
検証ログ 13 件・押すと開く
| 日付 | 結果 | 確からしさの変化 | 主張 / 出典 |
|---|---|---|---|
| 2026-07-02 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) パティスはポルトガルpastel/empada/empanadaに酷似。魚+ジャガイモ版はbolinho系。ポルトガル統治期1505-1658の在地化
|
| 2026-07-02 | 支持 | C→C |
別説ではcutlets/pattiesは英国植民地期由来。ショートイーツ総称化は20世紀(1960s Perera&Sons、1970s日常食化)
|
| 2026-07-02 | 支持 | C→C |
定番ジャガイモ具の下限は南アジアジャガイモ到来1610年。旧下限1550は到来前で矛盾していた
|
| 2026-07-02 | 支持 | C→C |
パティス(スリランカ)はfish empanadaと広く同一視される半月形揚げ包みパイで、エンパナーダ#88と同じ中世イスラム圏包みパイ伝統の対等な別料理。ただし直接祖(ポルトガル/英/蘭の植民地pastry)は諸説で単一祖型が確定しない
|
| 2026-07-03 | 不明 | C→C |
パティスの文献初出特定を試みたが確定できず=初出不明。二次文献はいずれもpatties単独の初出年を示さず。初出年候補のCeylon Daily News Cookery Book(1929/30)は全文到達不可でpatties項未確認。一次史料はオンライン不在(mark-primary-recheck済) |
| 2026-08-21 | 反証 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) パティスの定番具であるジャガイモは、ポルトガル統治期(1505-1658)のセイロンには存在しない。ジャガイモのセイロン到来はカンディ高地への英領期導入で、Davy(1821)が1819-20年頃の欧人菜園での試作成功を、Ceylon Almanac(1851)年表が1823年のカンディ諸州農園開設を記録する
|
| 2026-08-21 | 反証 | C→C |
スリランカ農務省(doa.gov.lk)およびCIP World Potato Atlasが採る『ジャガイモは1850年にSamuel Bakerがスリランカへ導入した』説は、当のBaker自身の同時代記述と矛盾する。Baker『Eight Years' Wanderings in Ceylon』(1855)は1846-47年の初訪時のニュワラエリヤを『It apparently produced nothing except potatoes.』と書き、彼の入植(1848)以前からジャガイモがそこで唯一の産物だったことを示す
|
| 2026-08-29 | 支持 | C→C |
『patties』という語と、その折り込み生地の作り方は、英領南アジアの家庭料理書に1849年時点で定着していた。Riddell『Indian Domestic Economy and Receipt Book』(Bombay 1849) は索引に Chicken patties with ham (p.156)・Oyster patties (p.84)・fish patties (p.82) を立て、p.215『A good paste for patties』で現地のロロン(rolong=粗挽き小麦)を水で捏ね、薄く延ばしてバターを塗り巻き込み『cut it out the size of your patties』と指示する=英国植民地期の meat pastry 系譜説(#1238)に、これまで欠けていた同時代一次史料が付いた
|
| 2026-10-08 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) スリランカのパティスをポルトガル統治期(1505〜1658年)の pastel/empada 系の包み揚げに由来するとする説は、ジャガイモを詰める版がその時期に成立しえないことが示されても、形の由来としての本体は変わらない |
| 2026-10-23 | 不明 | C→C |
ポルトガルがセイロンにいた時代は、1506年の最初の来航(1505年とする記述もある)から、オランダにジャフナを奪われた1658年まで。1505年は統治の始まりではない(コロンボの最初の要塞は1518年、コーッテ王国の正式な併合は1597年)
|
| 2026-10-23 | 支持 | C→C |
パティスはポルトガルの pastel/empada/empanada によく似ており、魚とジャガイモの版は bolinho 系に近い。ポルトガルがセイロンにいた時代(1506年の最初の来航〔1505年とする記述もある〕から1658年まで)に在地化した
|
| 2026-10-23 | 反証 | C→C |
パティスの定番具であるジャガイモは、ポルトガルがセイロンにいた時代(1506年の最初の来航〔1505年とする記述もある〕から1658年まで)のセイロンには無い。ジャガイモのセイロン到来はカンディ高地への英領期導入で、Davy(1821)が1819-20年頃の欧人菜園での試作成功を、Ceylon Almanac(1851)年表が1823年のカンディ諸州農園開設を記録する
|
| 2026-10-23 | 支持 | C→C |
スリランカのパティスを、ポルトガルがセイロンにいた時代(1506年の最初の来航〔1505年とする記述もある〕から1658年まで)の pastel/empada 系の包み揚げに由来するとする説は、ジャガイモを詰める版がその時期に成立しえないことが示されても、形の由来としての本体は変わらない |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。
関連する料理
横断 共通の祖先を持つ料理・同名異物(別系統)
同じ食材を共有(ジャガイモ)
- アルーキーマパキスタン(ラホール)
- シンガラバングラデシュ
- アルータマネパール
- アルー・カチョリ(ジャガイモ餡カチョリ)インド(ラジャスタン/北インド)
- アムリトサリ・クルチャ北インド(パンジャブ)
- パヴバジムンバイ
- フチカバングラデシュ
- パニプリ北インド
- レフセノルウェー
- カルド・ヴェルデポルトガル・ミーニョ
ほか 66 品。 ジャガイモの食材ページで一覧を見る →