食材から辿る / 在来

素材 時期 C検証済

成立年代 前1500〜

卵が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

3ゲート

食材入手ゲート
家禽(鶏)の家畜化で安定供給(東南アジア・前1500年頃、Ban Non Wat 1650–1250 BC)。野鳥卵の採取は先史より普遍
調理技術ゲート
加工不要(生食・加熱=食材入手と同年)
場ゲート
家庭の日常食(食材入手と同年)

卵はどこから広がったか

卵は、手を加えなくても食べものになる。殻を割れば中身はそのまま口に入り、火にかければ固まる。挽く道具も、発酵させる時間も要らない。野の鳥の巣から卵を採ることは、先史のむかしから、どこの土地でも行われてきた。

変わったのは、卵がどこにあるかである。巣の卵は、林を歩いて見つけたときにあるものだった。やがて人は鳥を庭で飼うようになる。東南アジアでは、いまのタイ中部にあるバン・ノンワットで、紀元前1650年から前1250年のあいだに鶏が人里の鳥になった。卵は探しに出かける先ではなく、住まいの横にいる鳥から受け取るものになっていく。

ローマの台所の卵

イタリアでは、卵は古代ラツィオ以来の土地の食材で、ローマの料理はこれをごく当たり前の材料として使ってきた。同じ土地の羊から作るペコリーノ・ロマーノも、頬肉を塩漬けにしたグアンチャーレも同様である。20世紀半ばのローマの食堂で生まれたカルボナーラは、その三つを一皿に集めた。溶いた卵をゆでたてのパスタにからめ、鍋の余熱だけでとろみに変える——火にかければ固まるという卵の性質が、そのまま仕立ての要になっている。

マラッカの菓子、海峡の朝食

16世紀のマラッカでは、卵とココナッツミルクと椰子の砂糖を合わせて煮つめ、とろりとした甘い練りものにすることが行われていた。スリカヤという。マラヤ大学の史学誌に載ったこの菓子の研究は、それがマラッカの土地の甘味であり、この港からポルトガルへ伝わっていったことを論じている。

同じ卵とココナッツの練りものは、海峡をはさんだシンガポールでカヤと呼ばれ、今日まで作られている。国立図書館庁の事典がその来歴をまとめているとおり、これは街の喫茶店であるコピティアムが朝に出す品である。薄く切って焼いたパンにカヤを塗り、濃いコーヒーを添える。

広東の焼き菓子の餡

卵を主にした甘い餡を型に流して焼く菓子は、20世紀の広東で広まった。1920年代の広州で、百貨店や酒楼が客を呼ぶための新作として出したのが始まりである。生地の器に卵と砂糖を溶いた液を張り、窯で焼き上げる。この蛋撻(エッグタルト)は1940年代に香港へ渡り、のちに街の茶餐廳の定番になった。点心の卓に並ぶこの菓子の中身は、ほとんど卵である。

割ればすぐ食べられるという卵の性質は、巣から採っていたころと今とで変わっていない。変わったのは、それが林の奥ではなく、ローマの食堂にも、マラッカの鍋にも、広東の窯の前にも、いつもあるものとして置かれるようになったことである。

各地への伝来 4

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 時期不明 イタリア 在来
  • 時期不明 シンガポール 在来
  • 時期不明 マレーシア 在来
  • 時期不明 中国 在来

卵を使う料理 146

成立年不明 14

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

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