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さらさ玉子 時期 C起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 遅くとも明治28年(1895)までに日本で(始まりは未特定) ・ 成立年代 〜1895 ・ 主役食材 卵

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

卵を白身も黄身も一緒にかき混ぜ、刻んだ岩茸を入れて枠で蒸し、小口に切り分けるさらさ玉子は、明治の料理書に繰り返し載った寄せ物である。いまさかのぼれる最も古い記録は明治28年(1895)の『実用料理法』の図に添えられた名で、誰がいつ作り始めたのかは分かっていない。

3ゲート

食材入手ゲート
卵、岩茸(1895年『実用料理法』の寄物の製法)
調理技術ゲート
卵を白身も黄身も一緒にかき混ぜ、岩茸を入れて枠に流して蒸し上げ、小口切りにする
場ゲート
寄物の一品。1895年『実用料理法』は寄物を多く口取物や焼肴の取り合わせに用いるとする

成立年代と成立ゲート

主役食材は在来で、到来による制約がない。下限の縦線は無く、帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 〜189518791903

検証メモ: 卵を白身も黄身も一緒にかき混ぜ、細かく刻んだ岩茸を入れて枠に流して蒸し、小口切りにする寄せ物。遅くとも明治28年(1895)の『実用料理法』に図の名「さらさ玉子」で載り、明治31年(1898)の下田歌子『料理手引草』、明治35年(1902)の『実用料理教本』(更紗雞卵)、明治36年(1903)の『衛生飲食調理法』もそれぞれの言い回しで同じ作り方を載せる。1902年の本は、小口切りにすると更紗の模様が現れると書く。それより古い料理書にこの名があるかは確かめられていない。

起源説

未確定

★主 遅くとも明治28年(1895)の『実用料理法』に「さらさ玉子」の名で載っていた(始まりは未特定) B

明治28年(1895)の『実用料理法』は寄物の製法の頁に、卵を白身も黄身も一緒にかき混ぜ、岩茸を入れて枠に流して蒸し、小口切りにする作り方を載せ、図に「さらさ玉子」の名を付ける。明治31年(1898)の下田歌子『料理手引草』は別の言い回しで、底に厚紙を貼った枠…続きを読む

明治28年(1895)の『実用料理法』は寄物の製法の頁に、卵を白身も黄身も一緒にかき混ぜ、岩茸を入れて枠に流して蒸し、小口切りにする作り方を載せ、図に「さらさ玉子」の名を付ける。明治31年(1898)の下田歌子『料理手引草』は別の言い回しで、底に厚紙を貼った枠に、味をつけた卵と細切りの岩茸を流し込んで蒸す作り方を「さらさ玉子は」と書き起こす。明治35年(1902)の『実用料理教本』は「更紗雞卵」の名で同じ作り方を載せ、小口切りにすると更紗の模様が現れると書く。明治36年(1903)の『衛生飲食調理法』も「さらさ玉子」の名で載せる。明治33年(1900)の『実業宝典』の「かまぼこさらさ玉子」は1895年の本とほぼ同じ文である。明治21年(1888)の雑誌『庖丁鹽梅』にも「更紗玉子」の名が文字起こしで見えるが、頁の画像が見られない。頁の画像で確かめた最も古い本は1895年の『実用料理法』である。誰がいつ作り始めたかは分からない。

解説

卵と岩茸を枠に流して蒸す

さらさ玉子は、卵を割って白身も黄身も一緒にかき混ぜ、岩茸を入れて四角い枠に流し、蒸し上げてから小口切りにする料理である。明治の料理書はこれを、枠や型に流して形を整える寄物(よせもの)の一つに数えた。

枠のこしらえ方まで書いた本もある。明治31年(1898)の下田歌子『料理手引草』は、四寸(約12センチ)四方ほどの枠の底に厚紙を貼り、貼り合わせた糊の継ぎ目を糸で巻いてくくり、剝がれないようにしてから、かき立てて味をつけた卵と細切りの岩茸を流し込んで蒸す、と書く。明治36年(1903)の阪本隆哉『衛生飲食調理法』も、底に厚紙を貼った枠に流して蒸す手順を短く記している。明治33年(1900)の『実業宝典』では、甑(こしき、蒸し器)の中に薄板で四寸四方ほどの枠を組む。

明治35年(1902)の『実用料理教本』は、小口切りにすると切り口に更紗の模様が現れる、と書き添えている。染め布の更紗を思わせるこの切り口が、「さらさ」の名につながっていると読める。

口取物や焼肴の取り合わせに

明治28年(1895)の『実用料理法』は、寄物の多くを口取物や焼肴の取り合わせに使う、と書く。さらさ玉子もその寄物の作り方を集めた頁に載っており、小口に切った一切れは、こうした取り合わせの一品として盛られたと考えられる。

検証ストーリー

明治28年(1895)7月、博文館は「日用百科全書」の第3編として、大橋又太郎編『実用料理法』を出した。寄物の作り方を集めた頁に「玉子能き程と打わり、白も、黃も一處にかき交ぜ、岩茸を入れて、右の枠へながして蒸し上げ、小口切にするなり」という一節があり、添えられた図に「さらさ玉子」の名が書かれている。名と作り方がそろった記録としてさかのぼれるのは、この本が最も古い。

3年後の明治31年(1898)、下田歌子の『料理手引草』が同じ料理を別の言葉で書いた。「さらさ玉子は先づ、四寸四方許りの枠」と書き起こし、枠の底に厚紙を貼るところから手順を説く。1895年の本の文を写したものではなく、筆の違う二冊が同じ名で同じ品を載せている。明治の半ばには、卵と岩茸を枠で蒸すこの寄せ物が、決まった名前で呼ばれていたことになる。

その後も明治の本は、この料理を名を少しずつ変えながら載せていく。明治33年(1900)の『実業宝典』は見出しを「かまぼこさらさ玉子」とし、本文は1895年の本とほぼ同じ字句である。明治35年(1902)の『実用料理教本』は「更紗雞卵」と漢字で書き、言い回しは1898年の本に近い。明治36年(1903)の阪本隆哉『衛生飲食調理法』は、ふたたび「さらさ玉子」の名で載せた。大正元年(1912)に中等教育学会が編んだ『割烹学』は、寄物の作り方の一つとして1895年の本とほぼ同じ文を収めている。

1895年より古い手がかりも一つある。明治21年(1888)2月の雑誌『庖丁鹽梅』第15集の文字起こしに、「墨流 更紗玉子 此仕方は額のうちへ薄板」という一続きの字が見える。名は同じで、薄板で枠をこしらえる書き出しも後の本と似ている。ただし、この書き出しに続く手順で卵や岩茸が使われているかどうかは分からない。同じ料理であれば記録は7年さかのぼるが、いまのところそうとは言い切れない。

遅くとも1895年には、さらさ玉子という名とその作り方が料理書に載っていた。それより古い記録に同じ料理があるかどうか、そして誰がどこで卵に岩茸を混ぜて枠で蒸し始めたのかは、分かっていない。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-10-09 支持 —→—
「卵と岩茸の蒸し寄物」が1912年の史料に現れる
研磨係
2026-10-10 支持 —→—
卵を白身も黄身も混ぜて岩茸を入れ、枠に流して蒸し、小口切りにする作り方が1895年の史料に現れる。同じ頁の図には「さらさ玉子」の名が付く
研磨係
2026-10-10 支持 —→—
同じ作り方が1900年の史料に「かまぼこさらさ玉子」の見出しで現れる
研磨係
2026-10-10 不明 —→—
1888年の雑誌に「更紗玉子」の名と、枠を薄板でこしらえる作り方の書き出しが載る(OCRのみ)
研磨係
2026-10-10 不明 —→—
1888年の雑誌に「更紗玉子」の名と、枠を薄板でこしらえる作り方の書き出しが載る(OCRのみ)
研磨係
2026-10-10 支持 C→B
明治31年(1898)の下田歌子『料理手引草』は、1895年『実用料理法』と違う言い回しで、底に厚紙を貼った枠に、味をつけた卵と細切りの岩茸を流し込んで蒸す作り方を「さらさ玉子は」と書き起こし、図にも「さらさ玉子」の名を付ける。写しでない2冊が同じ名で同じ品を載せるので名前のある料理として扱い、頁の画像で確かめた最も古い1895年を上限(遅くともこの年まで)に置く。始まりは分からない
研磨係
2026-10-10 支持 B→B
明治35年(1902)の『実用料理教本』は欄外見出し「更紗雞卵」の下に、搔き立てた卵に味を付け細切りの岩茸を入れて枠で蒸す作り方を載せ、小口切りにすると更紗の模様が現れると書く。言い回しは1898年の本に近い
研磨係
2026-10-10 支持 B→B
明治36年(1903)の阪本隆哉『衛生飲食調理法』も「さらさ玉子」の名で、卵を割り混ぜて味を付け、細切りの岩茸を入れて厚紙を貼った枠に流して蒸す作り方を載せる
研磨係

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構成素材

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