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ハンバーグ 時期 C起源説 C検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 西洋料理のハンブルグステーキとして明治に入り(名前は1907年の料理書に見える)、1950〜60年代に日本の洋食の定番として広まった ・ 主役食材 ひき肉

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

1907年(明治40年)の家庭向け西洋料理の本には、すでに「ハンブルグステーキ(一種の牛肉のステーキ)」の見出しが立っている。それでもハンバーグが日本の洋食の定番として広まるのは、戦後の1950〜60年代のことだとされる。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
1907年の家庭向け西洋料理の本『洋食五百種』は『ハンブルグステーキ(一種の牛肉のステーキ)』を載せており、名前は明治の末には日本に入っていた。…
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持赤堀吉松 等『洋食五百種:家庭応用』新橋書店, 1907(国立国会図書館デジタルコレクション, インターネット公開)重み5 支持近代食文化研究会「戦後に食べられた『ハンバーグ』その驚きの中身」東洋経済オンライン重み2

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3ゲート

食材入手ゲート
牛や豚の挽肉・玉ねぎ・パン粉・卵を使う。主役の挽肉は明治の肉食解禁後の食材だが、挽肉が日本で手に入るようになった年はまだ確かめていない
調理技術ゲート
挽肉に玉ねぎ・パン粉・卵を混ぜてこね、小判形にまとめて焼く。1907年の料理書の作り方がこの形かは確かめていない
場ゲート
明治の家庭向け西洋料理の本に載り、戦後に雑誌の料理記事・洋食店・市販品(1962年)で広まった。今は家庭・洋食店・ファミリーレストランで出される

検証メモ: 1907年の家庭向け西洋料理の本『洋食五百種』に『ハンブルグステーキ(一種の牛肉のステーキ)』の見出しがあり、名前は明治の末には日本に入っていた。ただ戦前の挽肉料理の代表はメンチボールで、ハンバーグステーキが雑誌や料理書で広まるのは1950年代、洋食店の定番になるのは1960年代初めとされる。1962年には市販のハンバーグも出た。1882年の赤堀割烹教場の開校のときに紹介されたという話もあるが、出所は確かめられていない。

起源説

諸説併記

★主 明治に西洋料理のハンブルグステーキとして入り、戦後の1950〜60年代に日本の洋食の定番になった C

1907年の家庭向け西洋料理の本『洋食五百種』は『ハンブルグステーキ(一種の牛肉のステーキ)』を載せており、名前は明治の末には日本に入っていた。ただ戦前の挽肉料理の代表はメンチボールで、ハンバーグステーキが雑誌や料理書で広まるのは1950年代、洋食店の定番になるのは1960年代初めとされる。米軍の占領期のアメリカ式のハンバーグステーキの影響を指摘する見方もある。普及の経緯は報道記事によるもので、一次史料ではまだ確かめていない。

未確定

1882年の赤堀割烹教場の開校のときに初めて紹介された説 D

東京の赤堀割烹教場が1882年に開校したとき、ハンバーグが紹介されたとする話。雑誌のウェブ記事が『といわれています』と伝聞で書くだけで、出典を示していない。開校当時の記録で確かめたものはない。

解説

ハンバーグは、牛や豚の挽肉に玉ねぎ、パン粉、卵を混ぜてこね、小判形にまとめて焼く料理である。いまは家庭の食卓にも、洋食店やファミリーレストランの献立にも並ぶ。主役の挽肉は、明治に肉食が解禁されてから日本の台所に入ってきた食材である。

名前は明治の末には日本に入っていた。1907年に東京で出た家庭向けの西洋料理の本『洋食五百種』は、「ハンブルグステーキ」を「一種の牛肉のステーキ」と添え書きして載せている。ただ、この添え書きが伝えるのは牛肉のステーキの一種ということだけで、挽肉をこねて丸めるいまの形と同じ料理だったのかは定かでない。

日本の洋食として広まるのは、ずっと後のことになる。近代食文化研究会の記事によれば、戦前の挽肉料理の代表はメンチボールで、ハンバーグステーキが雑誌や料理書を通じて広まるのは1950年代、洋食店の定番になるのは1960年代の初めだった。1962年には市販のハンバーグも売り出されている。占領期のアメリカ式のハンバーグステーキの影響を指摘する見方もある。

検証ストーリー

ハンバーグが日本に初めて紹介されたのは、1882年(明治15年)に東京の赤堀割烹教場が開校したときだという話がある。この話を載せている雑誌のウェブ記事は「といわれています」と伝え聞いた形で書くだけで、話のもとになった開校当時の記録も挙げていない。

1907年に出た『洋食五百種』には「ハンブルグステーキ」の名が見える。ただ、この本で確かめられるのは料理の名と「一種の牛肉のステーキ」という添え書きまでで、1882年の教場で何が教えられたかは、ここからは分からない。開校のときに紹介されたという話は、伝え聞いた話のまま残っている。

名前が明治のうちに入っていたことと、料理が日本の洋食の定番になったことのあいだには、半世紀ほどの隔たりがある。戦前の挽肉料理の代表はメンチボールで、ハンバーグが雑誌や料理書、洋食店を通じて広まるのは戦後だったとされる。この料理を誰がいつ日本に伝えたのかには、まだ答えが出ていない。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-10-31 支持 C→C
1907年の家庭向け西洋料理の本が、ハンブルグステーキを牛肉のステーキの一種として載せている
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
戦前の挽肉料理の代表はメンチボールで、ハンバーグステーキは1950年代に広まり、1960年代初めに洋食店の定番になった
研磨係
2026-10-31 不明 D→D
1882年の赤堀割烹教場の開校のときにハンバーグが紹介された
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
地域の確認: 日本→日本(変えない)。1907年の料理書は東京で出た西洋料理の本で、ハンブルグステーキを西洋料理として載せるだけで、日本のどこで始まったかは言わない。1950〜60年代の広まりを書く報道記事も、雑誌・料理書・洋食店の全国の動きとして書き、土地を挙げない。赤堀割烹教場(東京)の話は伝聞で確かめていないので、東京に絞らない。
研磨係

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