食材から辿る / 在来

ニンニク 素材 時期 C検証済

成立年代 前3000〜

ニンニクが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

3ゲート

食材入手ゲート
栽培化(不稔栽培品種・中央アジア天山山脈周辺・A. longicuspis 種複合由来)
調理技術ゲート
生食/加熱で可食化(特別な加工は不要)=食材入手と同年
場ゲート
食用成立=食材入手と同年

ニンニクはどこから広がったか

ニンニク(Allium sativum)のふるさとは中央アジア、天山山脈の周辺の山地である。近縁の野生種を含むひとつづきの種の集まり(A. longicuspis 種複合)のなかから、人の手で選ばれて畑の作物になったと考えられている。原産地がここにあることは、遺伝と分布の両面から広く認められている。

ただし、いつ人の作物になったのかは決まっていない。栽培化は文字の記録より前の出来事で、年代を測る手がかりが乏しいためである。畑の作物としてのニンニクが確かに見えてくるのは紀元前3千年紀のエジプトとメソポタミアで、そのころにはもう、日々の食べものであり薬でもあった。

種を結ばない作物

この植物には変わった性質がある。畑で育つニンニクは花茎を伸ばしても、種子をほとんど実らせない。長いあいだ人が球根で殖やし続けた結果、種で殖える力を失ってしまったのである。だから新しい土地にニンニクが現れるときは、必ず誰かが球根を——ひとかけらのりん片を——運んでいる。風にも鳥にも運べない作物が、ユーラシアの端から端まで広がったのは、人が袋に入れて持ち歩いたからにほかならない。

地中海で油と出会う

地中海の西では、ニンニクは油と組み合わされて調味になった。ローマ期のイベリア半島では紀元前1世紀にはニンニクもオリーブも土地の恒常的な産物で、大プリニウスの『博物誌』は、潰したニンニクをオリーブ油で和える調味を書き留めている。のちにアイオリと呼ばれる乳化ソースの遠い祖型である。中欧のチェコの地でも、11世紀ごろには食材として、また薬草としてニンニクが知られていた。

オホヒルと呼ばれた球根

東の端にも球根は届いていた。源順が承平年間(931〜938年)に編んだ『倭名類聚鈔』は、菜蔬の部に「葫」を挙げ、その和名を「於保比流(オホヒル)」と記す。大きなヒル、つまり大蒜である。小さいほうの「小蒜」は「古比流(コヒル)」と書き分けられている。10世紀前半の日本で、ニンニクは名前を与えられた既知の作物だった。

天山の山あいで人の手に入り、種で殖える力と引き換えに畑に居ついたこの球根は、こうしてエジプトの市場からイベリアの鉢、平安京の辞書の頁にまで行き渡ったのである。

各地への伝来 3

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 前100頃 スペイン 在来
  • 931〜938頃 日本 交易路
  • 1000頃 チェコ 在来在地栽培

ニンニクの到来が成立を縛った料理 1

ニンニクが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。

ニンニクを使う料理 110

成立年不明 13

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

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