台湾ラーメンは、名古屋・今池の中華料理店「味仙」の創業者、郭明優が、台湾で食べた担仔麺をもとに唐辛子をきかせて作ったと伝えられる辛い麺である。「台湾ラーメン」という呼び名そのものは、1970年の東京の雑誌に、新橋の店が出す担仔麺を指して出てくる。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 在来
- 調理技術ゲート
- 中華麺とスープの調理
- 場ゲート
- 名古屋今池の中華料理店から市内ラーメン店へ
成立年代と成立ゲート
食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い食材入手ゲート(1872年・在地/到来・豚肉)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はこの条件が揃った年になる。この条件を太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は、その条件が揃った年以降にある。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
検証メモ: 名古屋めしの一つとして、市内のラーメン店や中華料理店で出される。台湾の担仔麺がもとで、唐辛子は考えた人が名古屋で足したものなので、同じ辛い麺は台湾には無い。東京では1970年ごろ、担仔麺そのものを台湾ラーメンと呼んだ例がある。
起源説
未確定
★主 名古屋今池の味仙で郭明優が担仔麺をもとに考えたとする説(1970〜71年ごろ) B
名古屋・今池の中華料理店「味仙」の郭明優が、台湾で食べた担仔麺をもとに、唐辛子を効かせて作ったのが始まりとする説。本人は取材に、大阪万博(1970年)のころ台湾で担仔麺を食べて日本で作ろうと思った、台湾ラーメンも基本は担仔麺と同じで、今池には韓国の人が多く住んでいたので唐辛子を入れたら喜ばれると考えた、と語る。テレビ番組のサイトは昭和46年(1971年)ごろの考案とする。考えた当時の記録は見つかっておらず、味仙の台湾ラーメンを書いた雑誌は、見た範囲では1989年のものが最も早い。台湾ラーメンという呼び名そのものは、1970年の東京の雑誌に、新橋の店が出す担仔麺を指して既に出てくる。
- 言及 『現代』1970年11月号 講談社(NDLデジタルコレクション PID 3367286・本文OCR抜粋で読了) 重み5
- 言及 『月刊食堂』1972年4月号 柴田書店(NDLデジタルコレクション PID 2674655・本文OCR抜粋で読了) 重み5
- 支持 『中部財界』1989年6月号 中部財界社(NDLデジタルコレクション PID 2773972・本文OCR抜粋で読了) 重み5
- 支持 野嶋剛「名古屋・味仙創業者が明かす「台湾にない台湾ラーメン」の誕生秘話」nippon.com 2021年5月30日 重み2
- 支持 テレビ東京「出没!アド街ック天国」名古屋 2005年6月11日放送分 25位 味仙(番組サイトのバックナンバー) 重み2
解説
台湾ラーメンは、中華麺とスープに、豚肉、ニラ、にんにく、唐辛子を合わせた辛いラーメンである。もとになったのは、台湾の麺料理の担仔麺(タンツーメン)である。
今池の中華料理店で
味仙は、1962年に名古屋・今池で開いた中華料理店である。創業者の郭明優は台湾の出身で、2021年に受けた取材では、大阪万博のあった1970年のころ台湾へ行って担仔麺を食べ、「これを覚えて日本で作ろうと思った」と語っている。郭によれば、台湾ラーメンも基本は担仔麺と同じだという。
担仔麺と違うのは唐辛子である。郭はそのわけを「今池には韓国の人も多く住んでいたから、唐辛子を入れたら喜ばれると考えました」と話している。2005年のテレビ番組の紹介は、台湾出身の店主が担仔麺をもとに台湾ラーメンを考えたのを1971年ごろとしている。今池の中華料理店で生まれた台湾ラーメンは、その後、名古屋の市内のラーメン店でも出されるようになった。
検証ストーリー
1970年11月、東京の雑誌『現代』は、新橋センター一号館の外側にある「台南担仔麵」という店で食べられる、「日本で初めてという台湾ラーメン」を紹介した。1972年4月には飲食業の雑誌『月刊食堂』も、同じ一号館の外の店舗に「台湾ラーメンの店」があり、店の名は「台南担仔麵大王」だと書いている。二つの雑誌が台湾ラーメンと呼んだのは、どちらも担仔麺そのもので、唐辛子をきかせた名古屋の一杯とは別のものである。
名古屋の台湾ラーメンも、郭明優の話では担仔麺から始まっている。郭が台湾で担仔麺を食べたのは1970年のころで、東京で担仔麺が台湾ラーメンの名で紹介されていたのと同じころにあたる。この名を味仙が初めて付けたのかどうかは、分かっていない。
名古屋の台湾ラーメンを考えた当時の記録も見つかっていない。国立国会図書館がデジタル化した雑誌や本を全文検索できる範囲では、味仙の台湾ラーメンが現れる最も古い例は、1989年6月の雑誌『中部財界』である。記事は味仙の売りものを「微塵切りにした"たかの爪"とにんにくを豊富に入れた激辛料理」と紹介し、品書きに台湾ラーメン、青菜いため、台湾ちまきを挙げて、「日本風にアレンジせず台湾料理の味をそのまま出す」と書いた。郭本人の話では、その唐辛子は名古屋で加えたものだった。同じ範囲では、これより古い例は見つかっておらず、この範囲に新聞は含まれない。
味仙という店、郭明優という人、もとになった担仔麺、唐辛子を入れたわけは、郭本人の話が語っている。考えた年は1970年ごろとも1971年ごろとも言われて定まらず、台湾ラーメンという呼び名がどこから来たのかも、決着がつかないままである。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-10-31 | 支持 | —→— |
地域の確認: 名古屋市→名古屋市(変えない)。取材記事は名古屋・今池の味仙の創業者が考えたとし、唐辛子は今池に韓国の人が多く住んでいたので入れたと本人が語る。今池は店の所在地で、ほかの料理と同じく市より狭くは絞らない。名古屋市の行は市町村を1つも持っていなかったので、名古屋市の16区を結ぶ。
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→B |
味仙の郭明優が1970年ごろ台湾で食べた担仔麺をもとに台湾ラーメンを作った
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
味仙は昭和37年に今池で開き、昭和46年ごろ台湾出身の店主が担仔麺をもとに台湾ラーメンを考えた
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
味仙の台湾ラーメンは1989年の雑誌に出る(味仙の品として文献の最も早い例)
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | B→B |
1970年の東京の雑誌に、新橋の店の担仔麺を指す「台湾ラーメン」の名が出る
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | B→B |
1972年の飲食業誌に、新橋の担仔麺の店を台湾ラーメンの店とする記事がある
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研磨係 |
構成素材
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