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バターチキン 時期 A 起源説 C 検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。

インド・デリー ・ 20世紀中葉(1940s-50s) ・ 成立年代 1947–1960 ・ 主役食材 トマト

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

デリーの名店モティ・マハルで一人のシェフが発明した——バターチキンの発祥譚はそう語られるが、発明者も年代も一次史料を欠き、いまもデリーの裁判所で帰属が争われている。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
分離独立期にデリーのモティ・マハル系レストランで考案されたとの説(要検証)
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持How Tomatoes Went from an Object of Suspicion to India's Souring Agent of Choice (GOYA)重み3 不明Who invented butter chicken? Indian court to decide (Moti Mahal vs Daryaganj)重み2

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3ゲート

食材ゲート
トマトは新大陸原産、ポルトガル経由で16-17Cにインド亜大陸到来=物理的下限。鶏・乳製品は在来
流通・技術ゲート
タンドール焼きの残り肉をトマト・バター・クリームのグレービーで再調理する手法
場ゲート
独立期デリーのレストラン(モティ・マハル)→外食・大衆化

成立年代と食材ゲート

主役食材の到来年(縦線)が物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある。

成立年代と成立ゲート成立 1947–1960食材到来 1600(トマト)15641996

検証メモ: 検証済(polisher-3): デリー・モティ・マハルを揺籃とする筋は広く流布だが発明者・年代の一次史料は乏しく係争中(モティ・マハルvsダリヤガンジ)→帰属未確定の諸説C。食材ゲート:トマト北インド到来1600(台帳)≪下限1947で整合。CTM(#10)は同祖姉妹(英国側の希釈派生)。

起源説

諸説併記

★主 バターチキンの主要起源説 C

分離独立期にデリーのモティ・マハル系レストランで考案されたとの説(要検証)

ダリヤガンジ=クンダン・ラール・ジャギ共同考案説 C

1947年デリー開業のレストランをグジュラルと共同創業したクンダン・ラール・ジャギの系譜(レストランDaryaganj)が、同店で共同考案したと主張。1949年登録の手書き共同経営文書を証拠提出。発明者帰属はデリー高裁で係争中で確定せず。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-06-19 14:02:38 不明 C→C
デリー・モティ・マハルでグジュラルがタンドリーチキンの残りをトマト・バター・クリームで再調理し考案
デリー=モティ・マハルを揺籃とする筋は広く流布だが、発明者・年代の一次史料は乏しく係争中(モティ・マハルvsダリヤガンジ、2752頁の訴訟)。IP弁護士いわく裁判所は状況証拠に依拠。神話化された反証対象ではなく帰属が確定しない諸説状態=Cを維持。
polisher-3
2026-06-19 14:02:38 不明 C→C
1947年デリー開業店でジャギがグジュラルと共同考案(1949年登録の手書き共同経営文書)
対立帰属説として併記。Daryaganj系は1949年文書を提出するが発明者帰属は未確定。CではなくDではない(デリー独立期の揺籃自体は否定されない)。
polisher-3
2026-06-19 14:02:38 支持 A→A
食材ゲート:トマト北インド到来=1600年(ポルトガル経由)、大衆食用化1950s-70s。下限1947と矛盾なし
トマト到来(1600)≪下限(1947)で食材ゲート整合。むしろトマトの大衆食用化(1950s-70s)とバターチキン成立期が重なる点が成立時期の固さを補強。食材ゲート台帳に トマト@北インド=1600 を登録。
polisher-3

完了定義(DoD)

✅ 充足(3ゲート/2確度/C・D対立併記/C・D出典≥1/ゲート整合)

解説

バターチキンは、20世紀中葉(おおむね1947〜1960年)の独立期のデリーで、レストランの外食料理として広まった。時期の固さは高く、時期確度はAにあたる。

成立を支えた条件は一つではない。食材の面では、グレービーの色と酸味を担うトマト律速になる。トマトは新大陸原産で、ポルトガル経由で16〜17世紀にインド亜大陸へ到来したため、北インドでの利用はそれ以降に限られる。台帳上の北インド到来は1600年で、料理の成立下限1947年とは矛盾しない。鶏肉と乳製品(バター・クリーム)は在来で、こちらは下限を縛らない。

技術の面では、タンドール(窯)で焼いた鶏の残り肉を、トマトとバター・クリームのグレービーで再調理するという手法が核になる。焼き物の残りを煮直して救うこの工夫が、乾きがちなタンドリーチキンを濃厚な煮込みへ転じさせた。

場の面では、独立期デリーのレストランという外食の現場が舞台だった。都市の中間層に向けた商業提供を通じて、パンジャーブ系の店から大衆食へと広がっている。なお英国側ではこれを客向けに薄めた姉妹料理としてチキン・ティッカ・マサラ(#10)が派生した。

研磨ストーリー

バターチキンの発祥といえば、独立期デリーのモティ・マハルでクンダン・ラール・グジュラルがタンドリーチキンの残りをトマト・バター・クリームで再調理して考案した、という筋がもっとも広く流布している。だが、この『一人の発明者・特定の年』を確定させる一次史料は乏しい。

帰属は現在も係争中である。1947年デリー開業のレストランを共同創業したクンダン・ラール・ジャギの系譜(現在のレストランDaryaganj)は、同店でグジュラルと共同考案したと主張し、1949年登録の手書き共同経営文書を証拠として提出した。モティ・マハル側とダリヤガンジ側のどちらに発明を帰すかは、デリー高裁の判断にゆだねられている(報道、重み2)。

したがって、本DBはこの料理の発祥譚を定説(B)に格上げしていない。揺籃がデリーのレストラン圏であったという大枠は揺らがない一方、『誰が最初に作ったか』は確定していないため、起源説は諸説併記(C)にとどめてある。食材ゲートの検証では、トマトの北インド到来(1600年・ポルトガル経由、大衆食化は1950〜70年代)が下限1947年と整合することが確かめられた(確度A)。

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