食文化圏 / 南アジア

北インド料理の成立史

南アジアの食文化圏「北インド」に属する料理 36 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。

  • 全圏平均の約 6.0 倍・3 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。
  • 全圏平均の約 2.4 倍・2 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。
  • 全圏平均の約 1.87 倍・3 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。
  • 全圏平均の約 1.66 倍・2 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。
  • 全圏平均の約 1.23 倍・2 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。

成立年代の分布成立年代の分布(最古 前1300 年〜最新 1950 年)。

  • 先史・古代 3
  • 中世 9
  • 近世 13
  • 近代 4
  • 現代 6

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 6 外来 13

所属する料理 36

  • 定番 プーリー 北インド 800–1200 時B説B

    北インドの食卓を彩る揚げパン、プーリー。叙事詩の英雄が生んだという華やかな起源伝説がしばしば語られるが、そこに新大陸のジャガイモが紛れ込む時点で、この話は史実たりえない。プーリーの本当の来歴は、もっと静かで、もっと古い。

  • 定番 パラタ インド 1000–1130 時B説B

    「パラタはパンジャブ生まれ」、あるいは「シルクロードを渡ってきたパン」という広く聞かれる見方は根拠が弱い。実際には、遅くとも12世紀の南アジアに書き残された、生地を折り重ねて焼く在来の小麦パンである。

  • 定番 ナン 北インド 1200–1300 時B説B

    インド料理に欠かせないナンは、実は名前も技法もペルシア由来で、イスラーム勢力とともに中世の北インドへ伝わったパンである。

  • 定番 サモサ インド亜大陸(デリー・スルタン朝) 1300–1400 時B説B

    インドの国民食サモサは、実はインド土着の発明ではない。語源も最古の記録も中央アジア/ペルシアを指し、デリー・スルタン朝の宮廷を通じて南アジアへ持ち込まれた外来の包み揚げである。

  • 定番 ジャレビ 北インド 1450–1600 時B説B

    インド生まれの渦巻き菓子と思われがちなジャレビは、もとをたどれば中世イスラム圏の揚げ菓子ザラービヤにゆきつく。10世紀のアラビア料理書にすでにその姿が記されている。

  • 定番 コルマ インド 1700–1800 時B説B

    コルマを16世紀の大帝アクバルの宮廷料理とし、勅撰の記録『アイーニ・アクバリー』にその名が載ると語る話が、食メディアには繰り返し現れる。だが初期ムガルの文献にコルマ(qorma)の記述はなく、この由緒は料理を実際より数百年古く見せかけたものだ。

  • 定番 タンドリーチキン 北インド(パンジャブ/デリー) 1900–1950 時B説C

    「タンドリーチキンは古代インダス文明に遡る」という壮大な前史譚は、窯で鶏を焼く調理そのものの古さを語るにすぎない。赤いマリネをまとった現行型は、新大陸の唐辛子が北インドへ渡って以降のもので、20世紀前半のパンジャブで形を整えた、ごく近代の一皿である。

  • 定番 バターチキン インド・デリー 1947–1960 時A説C

    デリーの名店モティ・マハルで、一人の料理人が考え出した——バターチキンの誕生はそう語られてきた。だが、その料理人の名も正確な年も同時代の記録を欠き、いまもデリーの裁判所で誰が生みの親かが争われている。

  • 定番 バターガーリックナン 北インド 1950–2000 時B説B

    バターガーリックナンは、焼きたてのナンにバターとニンニクを塗った、インド料理店でおなじみの一皿である。窯焼きパンのナン自体は中世まで遡るが、このバター・ニンニクを塗る派生が広まったのは20世紀のレストランでのことで、特定の発明者や起源譚は持たない。

  • キール 北インド ?–? 時C説C

    米を乳でとろりと甘く煮た南アジアの乳粥、キール。オディシャの寺院が二千年前に生んだという説も語られるが、この菓子はそれ以前から古代インドの各地に記録されており、ひとつの発祥地を持たない。

  • チャパティ インド -1300–? 時C説B

    チャパティは、全粒粉を水で練って鉄板で薄く焼く南アジアの無発酵パンである。「チャパティ」という名が文献に現れるのは16世紀だが、こうした無発酵パンそのものは、この地に小麦が根づいた古代にまで連なる。

  • ダヒワダ インド・デリー -500–1130 時B説B

    豆の揚げ団子をヨーグルトに浸したダヒワダは、特定の考案者を持たない古いインドの家庭料理である。十二世紀の宮廷百科にすでにその姿が記されており、暑い季節をしのぐ涼やかな一皿として、長く食卓に根づいてきた。

  • キチュリ インド -300–? 時B説B

    キチュリは、米とムング豆(割挽ダル)をギーとともに一鍋で炊き合わせるインド亜大陸の粥である。特定の発案者も起源譚も持たず、その名を記した最古の文献よりはるか昔から、家庭の日々の食卓にあった。

  • パコラ インド 1130–? 時C説B

    ひよこ豆の粉をまとわせて揚げるパコラは、大航海時代にポルトガル人が衣揚げの技法を持ち込んで生まれた――という話が語られることがある。だが実際には、それより千年以上前の古代インドにさかのぼる土着の揚げ物である。

  • パラーター インド・デリー 1130–1200 時B説B

    旧デリーの名店街で知られるパラーターは、近代生まれの街頭食のように見えて、じつは十二世紀の書物にすでに幾種も書き留められていた、古い日常のパンである。

  • プラオ(南アジア) 北インド 1200–1600 時B説C

    プラオは古代インドで生まれた——そんな説が長く語られてきたが、食物史はこれを退ける。同名の古語をたどった末の取り違えで、実際にはペルシアの炊飯法が中世のムガル宮廷を経て南アジアに根づいた米料理である。

  • ゴラブジャムン インド亜大陸 1300–1800 時C説C

    コヤ(煮詰めた乳)を丸めて揚げ、バラの香りのシロップに浸す南アジアの甘菓子。ムガル皇帝シャー・ジャハーンの料理人が偶然生んだという有名な逸話は、同時代のムガル年代記に痕跡のない後世の作り話である。

  • カチョリ インド(ラジャスタン/北インド) 1500–1800 時C説C

    スパイスを効かせた豆餡を小麦の皮で包んで揚げた、北インドの軽食。「7世紀のジャイナ教文献に登場する」とよく言われるが、その記述は原典をたどれず、語が確かに姿を現すのは17世紀のことである。

  • クルチャ 北インド(パンジャブ) 1500–1900 時C説C

    小麦を発酵させ、タンドール(土窯)の高温で焼き上げる円盤形のパン——それがパンジャブのクルチャである。アムリトサルの名物として知られるこの一皿を古代インダス文明にまで遡らせる話があるが、それは窯焼きという技法の古さを料理名の古さと取り違えたもので、「クルチャ」の名はペルシア語の円盤パンに由来する。

  • サグパニール 北インド(パンジャーブ) 1500–1900 時C説C

    サグパニールは、パンジャーブ在来のからし菜と凝乳(パニール)を合わせた菜食料理である。ほうれん草で作るパラクパニールとは、主役の青菜が違う同祖の姉妹料理にあたる。

  • ビリヤニ 南アジア(デカン/ムガル) 1500–1750 時B説C

    「皇妃ムムターズが、やつれた兵士たちを見かねて肉飯を作らせた」——ビリヤニ誕生のロマンチックな逸話には、これを支える当時の記録がまるでない。発祥を一人の人物に帰すこの種の物語は、たいてい後から生まれた創作である。

  • ロガンジョシュ カシミール(北インド) 1550–1750 時B説C

    鮮やかな赤色で知られる、カシミールの羊肉煮込み。その赤はかつて唐辛子の色だと思われがちだが、古い形は唐辛子を使わず、紅花に似た草根や鶏頭の花で染められていた。

  • ラジマ 北インド 1578–? 時B説B

    ラジマ(赤インゲン豆の煮込み)を古代インド以来の郷土料理とみなす言説は根強い。だが主役の赤インゲン豆は新大陸生まれの作物で、大航海時代より前のインドには存在しようがなかった。

  • クルフィ インド 1590–? 時B説C

    「クルフィはムガル帝国が発明し、その記録が『アイーニ・アクバリー』に残る」という有名な話は、二つの別物を取り違えている。この書物が記すのは、料理そのものではなく、氷を作る技術のほうである。

  • チャナマサラ 北インド(パンジャブ) 1600–1900 時B説C

    チャナマサラを「インド古来の伝統料理」と一括りにするのは半分だけ正しい。ヒヨコ豆を香辛料で煮る料理の古層は確かに古いが、トマトと唐辛子で真っ赤に煮込む現行の姿は、その二つが海を渡って北インドへ届くまで生まれようがなかった。

  • チャート インド 1650–? 時C説C

    北インドの屋台を彩る酸っぱ辛い軽食の総称チャートには、ヤムナー川の水対策として宮廷が勧めたのが起こり、という起源話が伝わる。だがその逸話は伝説の色が濃く、いつ一つの料理群として束ねられたのかには今も二つの見方が並ぶ。

  • ニハリ 北インド(デリー/アワド) 1700–1900 時B説C

    南アジアに古くからある牛肉や羊肉を、夜を徹してとろ火で煮込んだ濃厚なシチュー。「ムガル皇帝の御典医が考案した薬膳」という有名な逸話があるが、それを支える同時代の記録は見当たらず、実際の姿は18世紀後半アワドの宮廷で整えられた朝の一皿だった。

  • ガロウティ・ケバブ 北インド(ラクナウ/アワド) 1722–1856 時C説B

    歯を失った老ナワーブのために片腕の料理人が生みだした——ガロウティ・ケバブには、そんな有名な発祥譚がついてまわる。だが特定の発明者を名指すその逸話は史料の裏づけを欠く後世の作り話で、確かなのは、この極柔のケバブがアワド宮廷の厨房で磨きあげられたという事実の方である。

  • アルー・カチョリ(ジャガイモ餡カチョリ) インド(ラジャスタン/北インド) 1800–1900 時C説C

    豆餡のカチョリの中身を、スパイス和えのジャガイモに替えた北インドの揚げ軽食。主役のジャガイモは新大陸の作物で、この一皿は海を越えた芋がインドに広まったのちに生まれた。

  • アムリトサリ・クルチャ 北インド(パンジャブ) 1850–? 時C説C

    「ムガル皇帝シャー・ジャハーンの宮廷料理人が考案した」という有名な起源話は、ジャガイモが北インドに広まるより前の時代を舞台にした、成り立たない伝説である。アムリトサリ・クルチャは、茹でジャガイモを詰めてタンドールで焼く、パンジャブの街頭パンだ。

  • アルーゴビ インド 1850–1900 時B説B

    アルーゴビは、じゃがいもとカリフラワーをスパイスでからりと炒め煮にした北インドの家庭料理。土地に根づいた古い一皿に見えるが、主役の二つの野菜はどちらも海を渡って届いた外来種で、この料理が姿を現すのは19世紀の英領期である。

  • パニプリ 北インド 1850–1950 時B説C

    北インドの街頭で、一口大の揚げ殻にスパイス水を満たして頬張る軽食。叙事詩マハーバーラタの花嫁ドラウパディーが作ったのが起こりだという話が広く語られるが、これは近年ネットで生まれた作り話で、史実とは噛み合わない。

  • パニールティッカ インド 1947–? 時C説C

    **パニールティッカ**は、インドの生チーズ・パニールをヨーグルトと香辛料でマリネし、串に刺してタンドールで焼いた菜食料理である。ムガル帝国の宮廷が肉ケバブの菜食版として生み出したという話が語られるが、この串焼きの手法そのものが20世紀半ばの外食レストランの発明だった。

  • ダルマカニ 北インド(パンジャブ/デリー) 1950–? 時B説B

    濃厚なバターと生クリームで一晩煮込むダルマカニは、いかにもパンジャブに昔から伝わる家庭料理に見える。だが実際は、1947年の印パ分離独立のあとデリーのレストランで生まれた、20世紀半ばの一皿である。

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