食文化圏 / 東アジア
日本料理の成立史
東アジアの食文化圏「日本」に属する料理 63 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 400 年〜最新 2001 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 4 外来 33
所属する料理 63
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定番 とんかつ
日本 ?–1929
時B説C
とんかつは、フランス由来のカツレツを日本で厚切り・多油・切り分けの定食料理へ作り替えた洋食である。「1899年に銀座の煉瓦亭がポークカツレツを発明した」という有名な発祥譚は、明治期の一次史料が示す事実とは食い違う、戦後に生まれた言い伝えである。
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定番 唐揚げ
日本 ?–1932
時C説C
江戸時代の料理書に載る「唐揚」こそ鶏の唐揚げの始まりだ、という話が広く流布している。だがその項をひらくと、そこにあるのは豆腐を揚げて醤油と酒で煮た精進料理で、鶏はどこにも出てこない。
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定番 団子
日本 ?–1052
時B説C
団子は遣唐使が持ち帰った唐菓子「団喜」から生まれた——広く語られるこの由来話がたどっているのは、菓子の作り方ではなく名前の系譜である。米粉を丸めて蒸し、あるいは茹でるあの丸い菓子がどこから来たのかは、いまも一つに定まっていない。
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定番 おにぎり
日本 713–?
時B説B
**おにぎり**は稲作の伝来とともに約2000年前の弥生時代に生まれた、とよく語られる。だがその根拠とされる出土品は蒸し固めて焼いたチマキ状の塊で、塩をして手で握る現在のおにぎりとは別物である。文献にはっきり姿を見せる最古のおにぎりは、奈良時代の「握飯(にぎりいい)」(713年頃)にさかのぼる。
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定番 味噌汁
日本 1185–1400
時B説B
味噌そのものは奈良や平安のころから記録に残る古い食べ物だが、その味噌を湯に溶いた汁物「味噌汁」が生まれたのは、鎌倉時代に中国からすり鉢が伝わってからである。
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定番 刺身
日本 1399–?
時B説B
生魚を切って食べる刺身は、いかにも遠い昔から変わらない日本の味に見える。だが醤油につけて食べる今の形は江戸後期にすぎず、この料理には劇的な発祥話もない。室町期の膾(なます)から連続して育った、地味な生い立ちを持つ一皿である。
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定番 そうめん
日本 1400–1600
時B説C
奈良・三輪の地で神託を授かって始まったという素麺発祥の言い伝えは、産地の由緒を飾る創始神話であって、いま食べているあの細い麺の姿がととのったのは、それよりずっと後の室町期のことである。
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定番 そば
日本 1574–?
時B説C
そばは、そばの実の粉を麺状に切った「そば切り」を指す日本の料理。木曽の定勝寺や中山道の本山宿など各地が発祥を名乗るが、どこが最初かを確かめる史料はなく、現存最古の記録は1574年にとどまる。
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定番 うどん
日本 1600–?
時B説C
小麦粉を練って太く切った麺、うどん。弘法大師・空海が唐から製法を持ち帰ったという讃岐の伝承は、空海と麺を結ぶ同時代の記録を欠くうえ、伝説そのものが1970年代前後に広まった新しい物語だとされる。
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定番 ラフテー
日本・沖縄 1623–1800
時C説C
蘇東坡が考案した東坡肉が琉球へ渡ってラフテーになった——そう語られることがあるが、「東坡肉」という名そのものが蘇軾の没後500年ほどのちに現れた後付けである。琉球が豚と煮込みの技を受け取った窓口も、杭州ではなく福建だった。
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定番 焼き鳥
日本 1643–?
時B説B
鶏を一口大に串へ刺して直火であぶる、日本の大衆的な焼き物。焼き鳥の語は江戸初期の料理書にまでさかのぼるが、いま思い浮かべる「鶏を焼く専門店の焼き鳥」は比較的新しく、江戸の焼き鳥はむしろスズメなどの野鳥が主役だった。
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定番 薄口醤油
日本(関西・龍野) 1666–1809
時C説C
寛文六年(1666)、龍野の円尾孫右衛門が甘酒を諸味に加えて淡口醤油を発明した——兵庫県も地元業界も語るこの有名な発祥譚は、業界みずからが編んだ沿革史をひらくと、約百四十年へだたった二つの出来事をひとつに縮めたものである。
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定番 茶碗蒸し
日本 1689–?
時B説B
出汁を利かせた卵液を茶碗で蒸す茶碗蒸しは、鎖国期の長崎で、中国から伝わった蒸し卵の技法が和華蘭折衷の宴席料理「卓袱料理」に取り込まれて生まれた。長崎の老舗が掲げる「元祖」の看板は店の創業を指すもので、料理そのものの誕生ではない。
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定番 あん肝
日本 1697–?
時B説B
「海のフォアグラ」と呼ばれるあん肝は、フォアグラを模して生まれた新顔ではない。日本近海のアンコウの肝を蒸した在来の珍味で、元禄期の料理書にすでにその姿が記されている。
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定番 照り焼き
日本 1697–1813
時B説B
アメリカでは「テリヤキはハワイ生まれ」と長く信じられてきたが、「海老の照焼」という一語は1813年の江戸の滑稽本にすでにある。ハワイ発祥の物語の出所は、1950〜60年代にアメリカで打たれた商業宣伝だった。
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定番 うなぎ蒲焼
日本 1700–1830
時B説C
土用の丑の日に鰻を食べる習わしは平賀源内の思いつきに始まる——広く知られたこの話を、源内と同時代の記録は伝えていない。『蒲焼』という名も1399年までさかのぼるが、それは開かずに丸ごと焼いた別物で、今の甘辛いタレの蒲焼が姿を整えたのは江戸の中期から後期にかけてである。
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定番 天ぷら
日本 1750–1850
時B説B
ポルトガル人が16世紀の長崎に伝えた南蛮の揚げ物が、いまの天ぷらの遠い祖である。よく語られる『天は揚げる、麩羅は薄い小麦粉——山東京伝の命名』という逸話のほうは、後付けの語呂合わせにすぎない。
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定番 卵焼き
日本 1770–1783
時B説B
江戸・王子の扇屋は、慶安元年(1648)の創業以来この玉子焼を名物としてきたと伝える。だが四角い卵焼きが「近頃の新趣」として書き留められるのは、それから百三十年あまりのちの天明三年(1783)である。
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定番 にぎり寿司
江戸(日本) 1804–1850
時B説C
「江戸の華屋与兵衛がにぎり寿司を発明した」という有名な話は、一人の天才の発明譚というより、安価な酢が江戸に行き渡り、早すし(押し寿司)が握りへと姿を変えていった漸進的な様式進化の物語である。
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定番 マグロの握り寿司
日本 1830–?
時B説B
マグロ、とりわけトロはいまや寿司の花形だが、江戸で握り鮨が生まれたころ、マグロは「下魚」と見下され、脂ののったトロにいたっては長く捨てられていた。現在のマグロ握り(赤身のヅケ)が姿を現すのは、天保のマグロ大漁を機とする。
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定番 おでん
日本 1848–1887
時B説B
「おでんは1200年以上前から続く料理」と語られることがある。だが煮込み料理としてのおでんが立ち上がるのは江戸末期で、その古さは「田楽」という言葉と田楽舞の古さを、料理の年齢と取り違えたものだ。
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定番 カレーライス
日本 1870–1900
時B説B
カレーライスはインドから直に伝わったのではなく、英国が植民地インドの料理を西洋風シチューへ作り替えた「カレー」を、明治の日本海軍が艦内食として全国へ広めたものである。脚気予防のために軍医・高木兼寛がカレーを海軍に導入したという話は、史料の裏づけを欠く後付けの物語である。
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定番 すき焼き
日本 1872–?
時B説B
「すき焼き」という名は江戸時代からあったが、それは魚や鴨を焼く料理を指した。牛肉のすき焼きが生まれたのは、日本が牛肉を食べるようになった明治以降のことである。
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定番 肉じゃが
日本 1880–1910
時B説C
東郷平八郎が英国仕込みのビーフシチューを再現させて肉じゃがが生まれた——海軍ゆかりのこの逸話は、史料の裏付けを欠き、1988年のテレビ番組と1995年の町おこしから広まった創作である。
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定番 親子丼
日本 1884–?
時B説C
親子丼は東京・人形町の軍鶏料理店「玉ひで」が明治20年代に生んだ——最も広く知られたこの発祥譚は、それより数年早い1884年(明治17年)神戸の新聞広告の前に、「最初の考案」としては成り立たない。
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定番 牛丼
日本 1890–1923
時B説B
牛丼は1899年(明治32)に東京・日本橋の吉野家で生まれ、創業者が名付けた——という話は広く語られてきたが、吉野家自身の沿革が「当時流行っていた牛めしに目をつけ」て店を出したと記している。甘辛く煮た牛肉を丼の飯にかけた一杯は、その創業より前から東京の街で売られていた。
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定番 ちゃんぽん
日本・長崎 1899–1907
時B説C
福建語の挨拶「シャポン」「セッポン」(ご飯を食べる)が転じてちゃんぽんになった——長崎の老舗が語り継ぐこの由来譚は、料理が広まったあとに付いた民間語源とみられる。決め手は音ではなく年代で、「ちゃんぽん」という言葉はこの麺料理が生まれる百年以上前から日本語のなかにあり、創案とされる年の8年後の長崎でも、なお意味の知れない隠語のままだった。
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定番 ピラフ(日本の洋食)
日本 1900–1960
時C説C
喫茶店や家庭の食卓でおなじみの洋食ピラフ。その名はペルシアのポロウにさかのぼるが、日本のピラフは西洋の作り方をそのまま受け継いだのではなく、明治以降の洋食文化が日本人の口に合わせて作り変えた一皿である。
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定番 オムライス
日本 1903–1925
時B説C
大阪・心斎橋の北極星が1925年(大正14)にケチャップライスを薄焼き卵で包んだのがオムライスの始まり——広く語られてきたこの発祥譚は、同じ1925年に東京で出た家庭向けの洋食書にトマトケチャップを使う飯と卵の料理がすでに載っていることと噛み合わない。国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開・全文検索できる資料を通覧しても、一店の発明を示す同時代の史料は出てこない。この一皿は明治末から大正の洋食受容のなかで各地に並行して現れた和製洋食である。
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定番 ラーメン
日本 1910–1958
時B説C
水戸黄門・徳川光圀が1697年に「日本初のラーメン」を食べたという話は今も語られるが、これは学術的に反証された俗説である。しかも光圀より約200年早い室町時代に、すでに中華麺の記録が残っていた。いまの一杯の確かな起点は、明治末1910年に浅草の中華料理店「来々軒」で供された汁そばにある。
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定番 カツ丼
日本 1913–1926
時C説C
カツ丼の発祥店は早稲田・甲府・福井の各店が名乗りをあげ、いまも決着していない。だが大正15年(1926)の暮れ、東京市の役所が市中の食堂をまわって書き取った献立の栄養分析表には、「カツレツ丼」が天丼や親子丼と同じ列にすでに並んでいる。
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定番 ジンギスカン
日本・北海道 1926–1955
時B説D
羊肉を専用の鉄鍋で焼く北海道の名物料理ジンギスカン。その名がモンゴルの英雄チンギス・ハンに由来するという話は広く知られるが、モンゴルにこの料理は存在せず、命名は20世紀の日本で生まれた後付けの由緒である。
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定番 お好み焼き
日本 1930–?
時B説C
お好み焼きのルーツは千利休が作らせた茶菓子「麩の焼き」——安土桃山まで遡るこの由緒書きは、水で溶いた粉を焼く古い系譜と、キャベツをソースで食べる今の姿とを取り違えている。「お好み焼」という語だけなら大正7年(1918年)の東京の屋台の暖簾に写っているが、それでもこの一皿がキャベツ主体の今の形になるのは戦後である。
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定番 ドリア
日本(横浜) 1930–1940
時B説B
米にホワイトソースを重ねて焼く**ドリア**は、西洋料理のようでいて西洋には無い。横浜の洋食店で生まれた日本発祥の一皿である。
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定番 白くま
日本・鹿児島 1932–1950
時C説C
練乳をたっぷりかけた鹿児島名物のかき氷「白くま」。だれがいつ名づけたのかには有名な言い分が二つあり、どちらも当の店や企業の自称にとどまって決着していない——この宙づりこそが白くまの成立史である。
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定番 冷やし中華
日本 1933–1955
時C説C
仙台か東京か——冷やし中華の発祥はそう語られてきた。だが両店が掲げる考案年に同時代の記録は見あたらず、この料理を論じた食文化研究者は、昭和10年前後に仙台・東京・京都の中華料理専門店から始まったと書いている。
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定番 たこ焼き
日本・大阪 1935–1940
時A説B
鉄板にうがった半球のくぼみで、たこ焼きは焼かれる。この丸い菓子が大阪の屋台に生まれたのは昭和10年、それほど古い食べ物ではない。
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定番 ナポリタン
日本 1945–1955
時B説C
喫茶店の定番ナポリタンは戦後の発明だと思われがちだが、『ナポリタン』という名そのものは戦前の横浜・東京の洋食メニューに既にあった。ただし当時のそれはトマトソースの付け合わせで、いま国民食として知られるケチャップ味の一皿の祖型ではない。
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定番 焼き餃子
日本 1945–1955
時B説B
「餃子のまち宇都宮こそ焼き餃子の発祥地」という話は、一九九〇年に家計調査で購入額日本一が判明したことから始まった町おこしであって、料理の生まれた土地を指してはいない。もう一つの通説「戦後、満洲からの引揚者が日本に焼き餃子をもたらしたのが始まり」も、敗戦の十九年前に東京で出た日本語の料理書がその前半を覆す。
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定番 焼肉
日本 1945–?
時B説B
卓上の七輪や網で牛肉や内臓を各自焼く「焼肉」は、明治の文明開化とともに生まれた——そう語られることがあるが、これは名前の一致が生んだ取り違えである。いまの焼肉店の様式は、第二次大戦後に大阪や東京の在日コリアンの店から立ち上がった、比較的新しい外食文化だ。
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定番 しゃぶしゃぶ
日本 1947–1952
時B説C
薄切りの肉を煮立った湯にくぐらせるしゃぶしゃぶの祖型は、中国の羊肉鍋・涮羊肉である。これを元のクビライ・ハンが戦場で生み出したという有名な起源話は、モンゴルに滅ぼされる前の南宋の料理書がすでに同じ食べ方を書き留めており、後世の作り話にすぎない。
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定番 日本式担々麺(汁あり担々麺)
日本 1950–2000
時B説B
本場四川では汁のない麺だった担々麺を、戦後の日本で胡麻の効いたスープ仕立てに作り替えた一杯。「担々麺=汁あり」という日本の常識は、一人の料理人の翻案から生まれた。
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定番 海鮮丼
日本 1956–?
時C説C
函館や男鹿の食堂が「1956年、うちが海鮮丼の発祥だ」と名乗るが、いずれも店が自ら語り伝えるところで、同時代の記録からその年号に届いた例は見当たらない。海鮮丼は戦後の港町の食堂が観光客向けに整えた一杯で、全国どこでも通じる名物になったのは1990年代以降という、意外に若い丼である。
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定番 日本式回鍋肉
日本 1967–2000
時B説B
日本の食卓でおなじみの、甘い味噌でキャベツと豚肉を炒めた回鍋肉。これは本場・四川の辛い回鍋肉とは主役も味付けも違う、日本で作り直された別物である。生みの親は四川出身の料理人・陳建民だった。
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定番 スフレチーズケーキ
日本 1969–1969
時B説B
ふわふわのジャパニーズチーズケーキは、1969年に神戸のモロゾフでドイツ菓子から着想して生まれた、とされる。ただしその由来は主に会社側の伝承で、同時代の一次史料はまだ見つかっていない。
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定番 スープカレー
日本・札幌 1971–1993
時B説B
鶏肉や大振りの野菜を、香辛料の効いたさらりとしたスープで味わう札幌のご当地料理スープカレー。一皿として親しまれるまでには、原型が生まれた時期と、その名が定まった時期という、二つの段階があった。
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定番 横浜家系ラーメン
日本 1974–1974
時B説B
濃厚な豚骨醤油に鶏油が照る横浜家系ラーメンは、発祥の店も年も創始者もはっきり分かっている数少ないラーメンである。1974年9月、横浜・新杉田の一軒の店で、九州の豚骨と関東の醤油が一杯の中で出会った。
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そば米
徳島(日本) ?–?
時C説C
そば米は、ソバの実を塩茹でして殻をむき、乾かした粒である。徳島・祖谷では米の代わりに雑炊や汁に使う。この味を平家の落人が12世紀に持ち込んだという郷土の言い伝えは、ソバがそれ以前から日本で作られていた事実と合わない。
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ヤツマタ団子
徳島(日本) ?–?
時C説B
徳島の山深い祖谷で、ヤツマタと呼ばれる赤褐色の雑穀を石臼で挽き、団子に丸めて甘く食べる。その畑は1970年代までにほぼ姿を消し、2016年になって種と栽培法が拾い直された一皿である。
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雑穀餅
徳島(日本) 400–?
時C説C
雑穀餅は、稲を植えられない急斜面でアワやキビを育ててきた徳島・にし阿波の山村で、貴重なもち米に雑穀を混ぜて搗くハレの日の餅。徳島の古名「阿波」が粟に由来することから縄文以来の食と語られてきたが、アワもキビも大陸から渡ってきた作物で列島に着いたのは縄文の終わりぎわであり、餅を蒸すための道具が伝わったのは五世紀のことである。
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ひらら焼き
徳島(日本) 1183–?
時C説B
徳島の祖谷に伝わるひらら焼きは、河原の平たい大石を鉄板に見立て、味噌で土手を築いてあめごや石豆腐を焼く郷土料理である。特定の発明者も起源伝説も持たず、山あいの暮らしのなかから自然に生まれた在来の野外料理だ。
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寺納豆
日本 1185–1450
時C説C
寺納豆は鎌倉時代に禅僧が中国から伝えた——広く紹介されてきたこの由来は、製品そのものが平安時代の書物にすでに現れることと合わない。黒く塩辛いこの粒は、律令国家の役所が扱っていた古い発酵食品が、中世に禅寺の台所へ移ったものである。
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祖谷そば
徳島(日本) 1574–?
時C説C
祖谷そばは、四国山地の深い谷で打たれる、つなぎを使わない太く短いそば。源平合戦に敗れた平家の落人が始めたと郷土に語り継がれてきたが、そばの実はそれ以前から日本各地で育てられており、麺のかたちのそばが12世紀にあったことを示す記録も残っていない。
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どじょう豆腐(地獄鍋)
日本 1600–1900
時C説D
熱がったどじょうが、冷たい豆腐のなかへ自分から潜り込む——地獄鍋という名の由来として語られてきたこの光景には、それを見たと記した同時代の記録がなく、伝えられた通りの条件では再現もされていない。
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近江牛の味噌漬
滋賀県 1687–?
時B説B
近江牛の味噌漬は、江戸期の彦根藩が薬として仕立てた牛肉の味噌漬「反本丸(へんぽんがん)」に始まる。由来としてくり返し引かれる「天明元年(1781)、将軍徳川家斉へ献上」という一節は、家斉が将軍職に就く六年も前を指しており、年代が噛み合わない。
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長崎角煮(卓袱料理)
日本・長崎 1689–1800
時C説C
「東坡煮」という名から、長崎の角煮は北宋の詩人蘇東坡が考案した料理がそのまま渡ってきたものだと語られてきた。だが「東坡肉」という呼び名そのものが蘇軾の在世期の史料には見えず、長崎の一皿は江戸期の長崎で形づくられている。
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でこまわし
徳島(日本) 1860–?
時C説C
徳島・祖谷の郷土料理でこまわしを「平家の落人がじゃがいもを伝えて生まれた」とする話は、じゃがいもが日本に届くより約400年も前に平家が滅んでいる以上、成り立たない。
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近江牛ステーキ
日本 1872–1951
時B説B
「近江牛は江戸時代からすでに食べられていた日本最古のブランド和牛」——その語りをそのまま近江牛ステーキの起源に読み替える説がある。だが彦根藩が江戸前期に仕込んだ牛肉は、味噌に漬けた「養生薬」であって、厚切りの肉を焼き上げる西洋料理ではない。
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中村屋純印度式カリー
日本・東京 1927–1927
時B説C
新宿中村屋の「純印度式カリー」は、1927年、喫茶部の開店と同じ日に売り出された、小麦粉のとろみに頼らずバターと香辛料で仕上げる一皿である。いまでは「日本初のインドカレー」の枕詞とともに語られるが、この最上級は報道の側の言い回しで、中村屋自身の商品史はそれを名乗っていない。
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室蘭やきとり
日本・室蘭 1933–1939
時B説C
「豚肉なのに『やきとり』なのは、戦後に鶏が手に入らず豚で代用したから」——広く語られるこの説明は、室蘭の実際と噛み合わない。この街の屋台で豚の串が焼かれていたのは戦前、昭和一桁のうちからで、そもそも当時の「やきとり」は鶏に限らない言葉だった。
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盛岡冷麺
日本・盛岡 1954–1965
時B説B
盛岡冷麺は南部の土地に古くから伝わる郷土めんだ——そんな印象は、実像とはずれている。この一杯は、咸興(現・北朝鮮)出身の在日一世が1954年に故郷の味を盛岡で作り直した、海を渡って生まれ直した料理である。
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ベスビオ
日本・群馬 1968–2020
時C説B
イタリアにも同じ名のパスタがあるため、高崎の「ベスビオ」もその日本版だと受け取られやすい。だが真っ赤な辛口の魚介トマトソースをまとったこの一皿は、群馬県高崎市のイタリアンレストラン「シャンゴ」が生んだ創作で、名の一致は同じ火山を見上げた別々の命名にすぎない。
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広島式汁なし担々麺
日本・広島 2001–2001
時B説B
広島のソウルフード「汁なし担々麺」には、はっきりした発祥店と年がある。1999年に広島市中区で開いたラーメン店「きさく」が2001年1月に出したのが元祖で、清末の四川に生まれた担々麺の、日本の一都市で枝分かれした地域変種である。