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照り焼き 時期 B起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

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日本 ・ 江戸中後期(17世紀末〜遅くとも1813年) ・ 成立年代 1697–1813 ・ 主役食材 濃口醤油

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

アメリカでは「テリヤキはハワイ生まれ」と長く信じられてきたが、「海老の照焼」という一語は1813年の江戸の滑稽本にすでにある。ハワイ発祥の物語の出所は、1950〜60年代にアメリカで打たれた商業宣伝だった。

史料が示すこと 起源・発祥は?

照り焼きは、醤油・みりん(・砂糖)の甘辛だれを塗り重ねながら魚を直火で焼き、糖分で表面につや(照り)を出す技法として江戸期の日本で成立したとするのが定説(石毛直道 2001, The History and Culture of Japanese Food, p.116)。語の文献初出は1813年、式亭三馬『四十八癖』二編の「海老の照焼」(石毛直道が2007年書簡でShurtleffに示した用例。日本国語大辞典系のレファレンスが挙げる1874年『東京新繁昌記』の「光沢焼(テリヤキ)」より61年早い)。英語圏でも1889年12月8日 Detroit Free Press の東京の会席記録が「醤油…

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3ゲート

食材入手ゲート
醤油(濃口)+みりん(+砂糖)の甘辛だれが必須。関東の濃口醤油醸造は17世紀末に確立(人見必大『本朝食鑑』1697に醸造法)、みりんは16世紀末に成立し江戸期に調味料化。つや(照り)を出す糖分源=みりん/砂糖の常用化が下限を律速する
調理技術ゲート
たれを塗り重ねながら直火で焼き、糖分の焦げでつやを出す掛け焼き(蒲焼と同系)。特殊な器具を要さず在来技術
場ゲート
江戸の魚屋・料理屋の惣菜から家庭へ。1889年には東京の料亭の会席で外国人に供され、1898年の和英辞典に一般語として立項される程度に定着

成立年代と食材入手ゲート

食材入手(825年・在地/到来)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。

成立年代と成立ゲート成立 1697–1813食材入手・律速 825(在地/到来/砂糖)7261912
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

起源説

定説

★主 江戸期日本で濃口醤油とみりんの普及とともに成立した魚の掛け焼き B

照り焼きは、醤油・みりん(・砂糖)の甘辛だれを塗り重ねながら魚を直火で焼き、糖分で表面につや(照り)を出す技法として江戸期の日本で成立したとするのが定説(石毛直道 2001, The History and Culture of Japanese Food,…続きを読む

照り焼きは、醤油・みりん(・砂糖)の甘辛だれを塗り重ねながら魚を直火で焼き、糖分で表面につや(照り)を出す技法として江戸期の日本で成立したとするのが定説(石毛直道 2001, The History and Culture of Japanese Food, p.116)。語の文献初出は1813年、式亭三馬『四十八癖』二編の「海老の照焼」(石毛直道が2007年書簡でShurtleffに示した用例。日本国語大辞典系のレファレンスが挙げる1874年『東京新繁昌記』の「光沢焼(テリヤキ)」より61年早い)。英語圏でも1889年12月8日 Detroit Free Press の東京の会席記録が「醤油に漬けて焼き冷やして食べる鮭。これをテリヤキという」と伝え、1898年の Brinkley 編『An Unabridged Japanese-English Dictionary』は「Teriyaki: 醤油・みりん・砂糖のたれで焼いた魚肉」と定義する=19世紀末には日本の一般語。下限は甘辛だれの材料側にあり、関東の濃口醤油醸造の確立(『本朝食鑑』1697年に醸造法の記載)とみりんの調味料化が揃う17世紀末以降。初出年=発祥年ではないため、成立は1697年頃〜1813年の窓に置く。

反証

テリヤキ=ハワイ/アメリカ発祥説(1950-60年代のマーケティング伝説) D

米国では照り焼き(teriyaki)がハワイ生まれの料理と広く信じられてきた。出所は戦後の商業宣伝で、1950年10月の全米フードエディター会議で Dole がハワイから持ち込んだ「Teriyakis」(牛肉とパイナップルの串焼き)を紹介したのが早い例、196…続きを読む

米国では照り焼き(teriyaki)がハワイ生まれの料理と広く信じられてきた。出所は戦後の商業宣伝で、1950年10月の全米フードエディター会議で Dole がハワイから持ち込んだ「Teriyakis」(牛肉とパイナップルの串焼き)を紹介したのが早い例、1965年にホノルル酒造(Honolulu Sake Brewery & Ice Co.)が初の市販テリヤキソース Diamond Teriyaki Sauce を発売、1968年5月にキッコーマンが『Kikkoman Hawaiian Teriyaki Sauce』をLife誌全面広告『the fun flavor of Hawaii』で全米展開した。しかし語の初出は1813年の江戸の戯作『四十八癖』であり、1889年 Detroit Free Press・1898年 Brinkley和英辞典も「醤油・みりん・砂糖のたれで焼いた魚」を日本の料理として記録している=ハワイ起源説は文献初出と矛盾する。Shurtleff & Aoyagi (2022) も『キッコーマンはテリヤキソースをハワイの産物として提示しているが、実際には日本起源の日本の産物である』と明記。ハワイで新たに生まれたのは、みりんの代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け大蒜を加えて牛肉・鶏に用いる『米国式テリヤキ』(#2262)の方で、これも日系移民の手で遅くとも1940年には現地紙に『Teriyaki Steak』として現れている(1950年の本土紹介、1965-68年の瓶詰めソース、1976年シアトルの Toshi's Teriyaki 以降の専門店文化はその普及段階)。いずれにせよ照り焼きそのものがハワイで生まれたのではない。

解説

照り焼きは、醤油とみりん(しばしば砂糖も)を合わせた甘辛いたれを、焼いている魚に何度も塗り重ねていく焼き方である。たれの糖分が火に当たって焦げ、表面に飴色のつやが乗る。この「照り」がそのまま料理の名になった。うなぎの蒲焼と同じ手つきで、串と直火のほかに変わった道具は要らない。ぶりやさわら、鮭のように脂の乗った魚が主役である。

塗り重ねるためのたれには、二つのものが要る。焦げてもなお香る濃い醤油と、つやを生む甘味である。関東で濃い口の醤油が醸されるようになったのは17世紀の末で、人見必大『本朝食鑑』(1697年)には、その醸造法が書き留められている。みりんは16世紀の末に生まれ、江戸の世を通じて飲み物から調味料の側へ移っていった。濃い醤油と甘味が台所に並んで初めて、塗っては焼き、塗っては焼くというこの仕事が成り立つ。

語としての照り焼きが文献に姿を見せるのは、式亭三馬の滑稽本『四十八癖』二編(1813年)の「海老の照焼」が今のところ最も早い。江戸後期には、説明を添えずに通じる料理名になっていたことになる。もっとも、書き留められた年がそのまま生まれた年ではない。成立は17世紀末から1813年までのどこか、と幅を持たせて置くのが実際に近い。作られる場所も、料理屋の板場と町家の台所の両方にまたがっていた。

19世紀の末には、この語は日本を訪れた外国人が書き留めるほど日常のものになっている。1889年12月8日のデトロイト・フリー・プレスに載った東京の会席の記録は、「醤油に漬けて焼き、冷まして食べる鮭。これをテリヤキという」と伝えた。1898年に出たブリンクリーらの和英辞典は、テリヤキを「醤油・みりん・砂糖のたれで焼いた魚肉」と定義している。魚を甘辛いたれで焼くという輪郭は、この時点ですでに今と変わらない。

検証ストーリー

アメリカで照り焼きは、長いあいだハワイ生まれの料理として通っていた。そう思わせたのは戦後の売り込みである。1950年10月の全米フードエディター会議で、ドールがハワイから牛肉とパイナップルの串焼き「Teriyakis」を持ち込んで披露した。1965年にはホノルル酒造が初の市販テリヤキソース「ダイヤモンド・テリヤキソース」を売り出す。1968年5月、キッコーマンは「Kikkoman Hawaiian Teriyaki Sauce」をライフ誌の全面広告に掲げ、「ハワイの楽しい味」と謳って全米へ広げた。常夏の島のイメージと甘辛いたれが分かちがたく結びつき、味の来歴までハワイのものとして受け取られていった。

だが言葉のほうが、はるかに古い。日本語側の初出として長く引かれてきたのは、服部誠一『東京新繁昌記』二編(1874年)が「光沢焼」にテリヤキとルビを振った例だった。その61年前、式亭三馬は『四十八癖』二編(1813年)にすでに「海老の照焼」と書いている(この用例は、テリヤキの文献を年代順に集めた食物史の目録が、石毛直道の教示として伝えるものである)。ドールの串焼きより137年、キッコーマンの広告より155年早い。英語の側でも、1889年のデトロイトの新聞が東京の料亭のテリヤキを、1898年の和英辞典が「醤油・みりん・砂糖のたれで焼いた魚肉」を、どちらも日本の料理として記録している。ハワイの串焼きが本土で披露されるはるか前に、この言葉は江戸の町でも東京の会席でも通じていた。

とはいえ、20世紀のハワイとアメリカ本土に何も生まれなかったわけではない。みりんを外し、大蒜やパイナップルの果汁で甘みを足し、魚ではなく牛肉に絡める米国式のテリヤキソースは、まさにそこで新しく形をとった味である。1976年にシアトルで開いた Toshi's Teriyaki に始まるテリヤキ店の文化も、同じ土地で育った実在の食文化である。生まれたのはその味と店であって、照り焼きという焼き方そのものではない。480件の文献をたどった食物史の目録も、ハワイの産物として売られたテリヤキソースについて、実際には日本起源の日本の産物であると注記している。

甘辛いたれを塗り重ねて魚を焼くこの焼き方は、太平洋を渡るよりもずっと前に、江戸の台所で形を得ていた。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-07-15 None —→—
網羅リスト取り込み時の代表出典(研磨の出発点)
PDM
2026-07-26 支持 D→B polisher-1
2026-07-26 支持 B→B
19世紀末には照り焼きが「醤油・みりん・砂糖のたれで焼いた魚」として日本の一般語だった: 1889-12-08 Detroit Free Press(Frederick Stearns「A Japanese dinner」東京の料亭の会席で『醤油に漬けて焼き冷やして食す鮭。これをteriyakiという』)、1898 Brinkley他編『An Unabridged Japanese-English Dictionary』(Teriyaki: Flesh of fish baked with a kind of sauce composed of soy, mirin, and sugar)
polisher-1
2026-07-26 支持 B→B polisher-1
2026-07-26 反証 D→D
「テリヤキはハワイ/アメリカ生まれ」説は成立しない。1950年 Dole がフードエディター会議に持ち込んだ牛肉+パイナップル串「Teriyakis」、1965年 Honolulu Sake Brewery の初の市販 Diamond Teriyaki Sauce、1968年キッコーマン『Hawaiian Teriyaki Sauce』のLife誌全面広告『the fun flavor of Hawaii』という商業宣伝が出所で、語の初出1813年(江戸)および1889/1898年の英語史料が先行する
polisher-1
2026-08-01 反証 D→D
ハワイで新たに生まれたのは米国式テリヤキ(#2262)の方で、その成立は『1950年代以降』ではなく遅くとも1940年(ホノルルの新聞に Teriyaki Steak)
polisher-1

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構成素材

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