とんかつは、フランス由来のカツレツを日本で作り替えた洋食で、厚い豚肉をたっぷりの油で揚げ、切り分けて箸で食べる。「銀座の煉瓦亭がポークカツレツを発明した」という有名な発祥譚は、明治の新聞を読んだ研究が示す年代と合わず、近代食文化研究会はこれを戦後に生まれた言い伝えとみている。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- 煉瓦亭説(売り出した年は1894年・1895年・1899年などと出典で揃わず、発祥の店とする点は退けられる)/ポンチ軒1929年説
- 判定
- 諸説あり
- 主な根拠
- 支持西洋料理通 巻上 仮名垣魯文編・河鍋暁斎画・明治5年(1872)刊 — 早稲田大学古典籍総合データベース全文スキャン一次史料 反証永井荷風「銀座」(明治四十四年七月の日付。底本は『荷風随筆集(上)』岩波文庫 1986年。青空文庫の電子テキスト)一次史料
史料が示すこと: ところが明治の記録をたどると、この物語は成り立たない。前坊洋の論文『鹿鳴館前後の西洋料理屋』(1989年)は、1890年(明治23年)5月4日の『時事新報』の連載『東京案内』を読み、大抵の料理屋にある品の一つにポークカトレツトが挙がっていると書いている。さらにさかのぼる明治18年(1885年)の『東京流行細見記』にも、西洋料理店の品に「かつれつ」がある(どの店の品か、何の肉かは書かれていない)。煉瓦亭が売り出したとされる年は、明治27年(1894年)・28年(1895年)・32年(1899年)などと本によって揃わず、どの年にもその年の記録は見つかっていないが、どの年を取っても1890年の紙面より後になる。1953年(昭和28年)の日置昌一『ものしり事典 飲食篇』は、明治27年に開いた煉瓦亭がカツレツの元祖だと「いわれている」と伝え聞きの形で書き、豚肉とは書いていない。近代食文化研究会は、この本が発明の話を活字にした最初のもので、拠りどころは歴代の店主の言葉だけだと書く。煉瓦亭はポークカツレツを出してきた古い店の一つではあっても、発祥の店ではなかった。厚切りの豚肉をたっぷりの油で揚げ、切り分けて箸で食べるいまのとんかつの形は1929年(昭和4年)前後に固まり、上野の「ポンチ軒」はその頃に分厚い豚肉を揚げたとんかつを売り出したとされる。1932年頃には上野の楽天や浅草の喜田八が相次いでとんかつを売り出し、上野・浅草にとんかつ屋がつぎつぎに現れた。 なお「煉瓦亭ポークカツレツ発祥説」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。
3つの成立条件
- 食材の条件
- 豚肉(明治の肉食解禁)
- 調理技術の条件
- 仏カツレツを厚切り・多油で和風化
- 場の条件
- 洋食店
成立年代と食材の条件
食材入手(1872年・在地/到来)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はその条件が揃った年になる。成立年代の帯は、その年以降にある。場の条件(料理が成立し広まった場)は年で表せないので、図には出さない。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場の条件(年で表せないので図には出さない)
検証メモ: 成立を左右する材料は豚肉で、明治の肉食解禁(1872年)により入手できるようになった。厚切りの豚肉をたっぷりの油で揚げ、切り分けて箸で食べる現行のとんかつの様式は、1929年のポンチ軒前後に固まり、1932年頃には上野の楽天・浅草の喜田八が相次いでとんかつを売り出した(岡田哲『とんかつの誕生』2000)。最初にとんかつを売り出した店は、どの店についても同時代の記録が見つかっておらず、一つに絞り込めないため、起源については諸説ありとする。1929年に上野のポンチ軒で島田信二郎が分厚い豚肉を揚げたとんかつを売り出したとされるが、ポンチ軒が最初の店だったと示す同時代の記録はない。1921年に神楽坂で開いた王ろじを、厚切りのロースのとんかつを初めて売り出した店とする説もあるが、これを書くのは百科事典の記事と店の言い伝えだけで、開店当時の資料は見つかっていない。いまの店主は2022年の紹介記事でロースを叩いて薄くしてから揚げると話し、『トンカツ』の語も1911年の永井荷風の随筆『銀座』に露店の品としてすでに出る。とんかつ定食に味噌汁が付く習慣がいつ始まったかは、明らかでない。一方、『煉瓦亭がポークカツレツを発明した』という通説は史料により退けられる。売り出した年は1894年・1895年・1899年などといわれて出典で揃わず、どの年にもその年の記録は見つかっていない。前坊洋の論文(1989年)によれば、明治23年(1890年)5月4日の時事新報の連載『東京案内』は、大抵の料理屋にある品の一つにポークカトレツトを挙げており、どの年よりも早い。明治18年(1885年)の『東京流行細見記』も、西洋料理店の段に『かつれつ』を挙げる。煉瓦亭を元祖とする1953年の日置昌一『ものしり事典 飲食篇』も『いわれている』と伝え聞きの形で書き、近代食文化研究会は、この話の拠りどころは歴代の店主の言葉だけだと書く。煉瓦亭はポークカツレツを出してきた古い店の一つだが、発祥店ではない。
起源説
諸説併記
★主 とんかつの主要起源説 C
煉瓦亭説(売り出した年は1894年・1895年・1899年などと出典で揃わず、発祥の店とする点は退けられる)/ポンチ軒1929年説
- 言及 西洋料理通 巻上 仮名垣魯文編・河鍋暁斎画・明治5年(1872)刊 — 早稲田大学古典籍総合データベース全文スキャン一次史料
- 支持 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ, 2000学術二次文献
- 支持 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ179, 講談社, 2000(国立国会図書館デジタルコレクション PID 13884351 コマ90・館内限定・全文検索の抜粋で照合)学術二次文献
- 言及 洋食のルーツ 日本人の肉食事情 | Plenus 米食文化研究所専門事典・公的機関
- 支持 レファレンス協同データベース(国立国会図書館)「とんカツ」「ミソカツ」の歴史専門事典・公的機関
- 言及 豚カツ - Wikipediaブログ・百科本文
ポンチ軒とんかつ1929説 C
1929年(昭和4)、東京上野御徒町のポンチ軒で、島田信二郎がとんかつを売り出したとする説。岡田哲『とんかつの誕生』(2000年)は、島田は元宮内省の大膳部で西洋料理の経験があり、豚肉の厚さを2.5〜3センチと分厚くし、ナイフやフォークを使わずにすむよう庖丁で切っておいて箸で食べられるようにし、刻んだ生のキャベツを添えたと書く。ただしこの本も『売り出したとされている』と伝え聞きの形で書き、ポンチ軒が最初の店だったと示す同時代の記録は見つかっていない。
- 支持 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ, 2000学術二次文献
- 支持 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ179, 講談社, 2000(国立国会図書館デジタルコレクション PID 13884351 コマ86・館内限定・全文検索の抜粋で照合)学術二次文献
- 支持 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ179, 講談社, 2000(国立国会図書館デジタルコレクション PID 13884351 コマ89・館内限定・全文検索の抜粋で照合)学術二次文献
- 言及 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ179, 講談社, 2000(国立国会図書館デジタルコレクション PID 13884351 コマ101・館内限定・全文検索の抜粋で照合)学術二次文献
- 言及 洋食のルーツ 日本人の肉食事情 | Plenus 米食文化研究所専門事典・公的機関
- 支持 レファレンス協同データベース(国立国会図書館)「とんカツ」「ミソカツ」の歴史専門事典・公的機関
- 支持 豚カツ - Wikipediaブログ・百科本文
反証
煉瓦亭ポークカツレツ発祥説 D
銀座の煉瓦亭が豚肉を揚げたポークカツレツを初めて売り出し、これがとんかつの元になったとする通説。売り出した年は出典で揃わない。日置昌一『ものしり事典 飲食篇』(1953年)は、明治27年(1894)2月に銀座で開いた煉瓦亭がカツレツの元祖だと『いわれている』と…続きを読む
銀座の煉瓦亭が豚肉を揚げたポークカツレツを初めて売り出し、これがとんかつの元になったとする通説。売り出した年は出典で揃わない。日置昌一『ものしり事典 飲食篇』(1953年)は、明治27年(1894)2月に銀座で開いた煉瓦亭がカツレツの元祖だと『いわれている』と書き、仔牛のカツレツを天ぷらのように揚げたのが始まりとして、豚肉とは書かない。岡田哲『とんかつの誕生』(2000年)は富田仁『舶来事物起原事典』(1987年)を引いて1895年(明治28)とし、日本語版ウィキペディアは店の主張として1899年(明治32)とし、近代食文化研究会は日露戦争(1904〜05年)の後と書く。どの年にも、その年の記録は見つかっていない。一方、前坊洋の論文『鹿鳴館前後の西洋料理屋』(1989年)は、明治23年(1890)5月4日の『時事新報』の連載『東京案内』が、大抵の料理屋にある品の一つとしてポークカトレツトを挙げていると書く。明治18年(1885)の『東京流行細見記』も、西洋料理店の段に『かつれつ』を挙げる(店の名と肉の種類は書かない)。どの年を取っても1890年より後なので、煉瓦亭が最初にポークカツレツを売り出した店だったとは言えない。近代食文化研究会は、煉瓦亭が発明したという話は戦後になって活字に現れ、拠りどころは歴代の店主の言葉だけだと書く。煉瓦亭はポークカツレツを出してきた古い店の一つだが、発祥の店ではない。
- 反証 西洋料理通 巻上 仮名垣魯文編・河鍋暁斎画・明治5年(1872)刊 — 早稲田大学古典籍総合データベース全文スキャン一次史料
- 言及 登亭逸心著・清水市次郎編『東京流行細見記』明治18年(1885)7月刊(国立国会図書館デジタルコレクション PID 768129・インターネット公開)一次史料
- 支持 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ179, 講談社, 2000(国立国会図書館デジタルコレクション PID 13884351 コマ87・館内限定・全文検索の抜粋で照合)学術二次文献
- 反証 前坊洋「鹿鳴館前後の西洋料理屋」『近代日本研究』第5巻, 慶應義塾福沢研究センター, 1989年3月, 97–146頁(国立国会図書館デジタルコレクション PID 4423946・送信サービス資料)学術二次文献
- 支持 日置昌一『ものしり事典 飲食篇』河出書房, 1953年(国立国会図書館デジタルコレクション PID 2933534・送信サービス資料)一般書・報道
- 支持 豚カツ - Wikipediaブログ・百科本文
- 反証 近代食文化研究会「ぽん多はポークカツレツを発明していない」(note, 2022) — Kindle自己出版『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』の無料公開抜粋。二代目島田忠彦自身が発明話を否定していること、および『東京流行細見記』(明治18=1885, 富士見軒の「かつれつ」)・『時事新報』明治23年5月4日「東京案内」(ポークカトレツト=豚肉揚物が一般メニュー)を引き、ポークカツレツが1899年より前に普及していたと論証する(引用される一次史料は同記事の孫引きで、原本の影印は含まない)ブログ・百科本文
- 反証 近代食文化研究会「煉瓦亭をめぐる証言の不可解さ」(note, 2022) — Kindle自己出版『なぜアジはフライでとんかつはカツか? カツレツ/とんかつ、フライ、コロッケ 揚げ物洋食の近代史』(2022)の無料公開抜粋その3。煉瓦亭ポークカツレツ発明説の初出は昭和27年『ものしり事典 飲食篇』(日置昌一)=発明時期(明治37-38年頃)の約45年後で、戦前の食べ歩き本(『主婦の友』昭和11年9月号「東京の新名物料理」/白木正光『大東京うまいもの食べ歩き』/狩野近雄『食いもの旅行』ほか)には発明の記述が無い、と指摘ブログ・百科本文
未確定
王ろじ1921年説 D
1921年(大正10年)に神楽坂で開いた王ろじ(1946年に新宿へ移った)を、とんかつを初めて売り出した店の一つとする説。日本語版ウィキペディアは、王ろじが厚切りのロースを揚げて食べやすく切り分けた『とんかつ』を初めて売り出したと書き、1987年と1995年の本を引く。ただし店主は2022年の紹介記事で、ロースを叩いて薄くしてから揚げると話し、2012年の紹介記事もとんかつの形を太い円柱のようだと書く。『厚切り』はこの店のとんかつの書き方として合わない。店は先代が『とんかつ』という名を付けたと伝えるが、『トンカツ』の語は1911年の永井荷風の随筆『銀座』にすでに出る。1921年当時の品書きや記事は、見た範囲では見つかっていない。
発祥の店・広めた店
王ろじ1921年説 D
- 王ろじ 東京都新宿区 発祥の店 1921年創業豚カツ - Wikipedia
解説
とんかつの主役は豚肉である。日本では長く肉食が避けられてきたが、明治政府が1872年(明治5)に肉食を解禁すると、豚肉が市場に出回り、揚げ物の素材として手に入るようになった。
フランス由来のカツレツも、同じ1872年に刊行された料理書『西洋料理通』の頃には、すでに日本に紹介されていた。とんかつは、このカツレツを厚い豚肉で作り、たっぷりの油で揚げ、揚げてから切り分けて出す料理に作り替えたものである。
その一皿を出したのは、東京の盛り場の洋食店だった。店は市場で仕入れた豚肉を使い、町の大勢の客を相手にした。厚い豚肉を揚げて切り分け、箸で食べるいまの形は、1929年(昭和4)前後に固まったとみられる。東京・上野のポンチ軒で島田信二郎がとんかつを売り出したとされるのがこの年である。岡田哲『とんかつの誕生』(2000)によれば、宮内省の大膳部で西洋料理を手がけたことのある島田は、豚肉の厚さを2.5〜3センチと分厚くし、ナイフやフォークを使わずにすむよう庖丁で切っておいて、和食と同じように箸で食べられるようにした。添えたのは刻んだ生のキャベツだった。
1932年(昭和7)頃には上野の楽天と浅草の喜田八が相次いでとんかつを売り出し、上野や浅草にとんかつ屋がつぎつぎに現れた。この経緯と年代は、主に岡田哲の同書の記述に拠る。いまのとんかつ定食にはシジミの味噌汁かとん汁が付きものだが、同じ本は、それがいつ頃からの習慣かは明らかでないとしている。どの店が最初にとんかつを売り出したのかも、いまのところ定まっていない。
検証ストーリー
とんかつの発祥としてもっとも広く語られてきたのは、銀座の洋食店・煉瓦亭が豚肉を揚げた『ポークカツレツ』を初めて売り出した、という話である。売り出した年は、伝える本や記事によって揃わない。日置昌一『ものしり事典 飲食篇』(1953)は、明治27年(1894)に開いた煉瓦亭をカツレツの元祖とする。岡田哲『とんかつの誕生』は店が開いたのと同じ1895年(明治28)とするが、この年は富田仁『舶来事物起原事典』(1987)の記述を引いたもので、同じ本の別の箇所では『初めて売りだしたとされる』と伝え聞きの形で書いている。オンライン百科事典は店の主張として1899年(明治32)を挙げ、近代食文化研究会は日露戦争(1904〜05年)の後とみる。どの年についても、その年の記録は見つかっていない。そしてこの発祥譚は、史料をたどると成り立たない。
カツレツは、それより早くから東京の料理屋の品書きにあった。前坊洋の論文『鹿鳴館前後の西洋料理屋』(1989)は、明治23年(1890)5月4日の『時事新報』の連載『東京案内』を読み、大抵の料理屋にある品の一つにポークカトレツトが挙がっていると書いている。この紙面の日付は、煉瓦亭が売り出したとされるどの年よりも早い。さらにさかのぼる明治18年(1885)の『東京流行細見記』にも、西洋料理店の品として『かつれつ』の名がある。ただしこちらは、どの店の品か、何の肉かまでは書いていない。
では煉瓦亭の発明話はどこから来たのか。先に挙げた『ものしり事典 飲食篇』は、煉瓦亭がカツレツの元祖だと『いわれている』と伝え聞きの形で書き、始まりは仔牛のカツレツを天ぷらのように揚げたものだったとして、豚肉とは書いていない。近代食文化研究会は、この本が発明の話を活字にした最初のもので、戦前に東京の食べ歩きを案内した本には発明の話が出てこないと書き、拠りどころは歴代の店主の言葉だけだとみる。煉瓦亭はポークカツレツを出してきた古い店の一つではあるが、とんかつの発祥の店ではない。
それなら、最初の店はどこか。これにも同時代の記録がなく、一つには定まらない。名の挙がる店の一つが、1921年(大正10)に東京の神楽坂で開き、1946年に新宿へ移った王ろじである。オンライン百科事典の記事は、この店が厚切りのロースを揚げて食べやすく切り分けた『とんかつ』を初めて売り出したと書く。ところが、いまの店主は2022年の紹介記事で、ロースを叩いて薄くしてから揚げると話している。百科事典の記事が典拠に挙げる2012年の紹介記事も厚切りとは書かず、とんかつの形を太い円柱のようだと伝える。店には先代が『とんかつ』と名付けたという言い伝えもあるが、王ろじが開く10年前、1911年(明治44)の永井荷風の随筆『銀座』に、露店の立ち食いの品として『トンカツ』の名がすでに出てくる。王ろじを最初の店とする話を書いているのは百科事典の記事と店の言い伝えで、開店当時にどんな品をどんな形で出していたかを伝える品書きや記事は、いまのところ見つかっていない。
もう一つが、1929年(昭和4)に東京・上野のポンチ軒で、島田信二郎が分厚い豚肉を揚げた『とんかつ』を売り出したという話である。岡田哲『とんかつの誕生』もこの話を取り上げるが、その書き方は『売りだしたとされる』という伝え聞きの形である。ポンチ軒が最初の店だったと示す同時代の記録はない。
いま言えるのは、明治の半ばにはカツレツが東京の西洋料理店の品になっており、昭和の初めには厚い豚肉を揚げて切り分けるいまの形が固まっていたことである。そのあいだのどこで、誰が最初に『とんかつ』を出したのかは、記録の上ではまだつかめていない。
検証ログ 31 件・押すと開く
| 日付 | 結果 | 確からしさの変化 | 主張 / 出典 |
|---|---|---|---|
| 2026-06-19 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 煉瓦亭が1899年に豚肉ディープフライの『ポークカツレツ』を発祥させた 出典:
豚カツ - Wikipediaブログ・百科本文
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| 2026-06-19 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1929年ポンチ軒が厚切り・多油・和定食の現行とんかつ様式を確立した 出典:
豚カツ - Wikipediaブログ・百科本文
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| 2026-06-19 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1921年王ろじが厚切り切り分けの『とんかつ』を先駆けた 出典:
豚カツ - Wikipediaブログ・百科本文
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| 2026-06-25 | 不明 | C→C |
とんかつ発祥は煉瓦亭1899/王ろじ1921/ポンチ軒1929と諸説あり一意特定不可(主説の出典裏取り) 出典:
洋食のルーツ 日本人の肉食事情 | Plenus 米食文化研究所専門事典・公的機関
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| 2026-06-29 | 反証 | C→D |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 煉瓦亭が1899年にポークカツレツを『発明』した(発祥店)
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| 2026-06-29 | 反証 | D→D |
煉瓦亭の多数の洋食発明譚は客観的根拠を持つ
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| 2026-06-29 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1929年ポンチ軒の島田信二郎が厚切り・多油の『とんかつ』様式を確立した 出典:
岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ, 2000学術二次文献
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| 2026-06-29 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 『とんかつ』という呼称・現行様式の成立は1929前後で、1932年に上野・浅草でとんかつ専門店ブーム
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| 2026-07-03 | 支持 | D→D |
明治5年(1872)刊『西洋料理通』(仮名垣魯文編)の実物全文スキャン(早稲田大学古典籍DB)を反証説に一次史料として紐付け。西洋カツレツ料理は明治初期の料理書段階で既に日本へ紹介されており、煉瓦亭1899発明説を弱める下限年古層を原典側から示す
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| 2026-07-23 | 不明 | C→C |
🚫 この行の文は、後の行で書き直した(→ 該当行へ) 出典:
岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ, 2000学術二次文献
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| 2026-08-10 | 反証 | D→D |
source#1103/#1104(近代食文化研究会・note)の実体と、煉瓦亭1899発明説の反証がどの重みに支えられているか
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| 2026-10-19 | 不明 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1929年ポンチ軒の現行様式確立は成立年の単一考案点でなく、王ろじ1921〜ポンチ軒1929という様式確立の年代の幅の最遅点(発祥店は一次史料を欠き一意特定不能) 出典:
岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ, 2000学術二次文献
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| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
地域の確認: 日本→東京都。発祥の店は一つに絞れないが、起源説に並ぶ店はどれも東京の店で、土地は出典どうしで東京に揃う。国立国会図書館レファレンス協同データベースの回答は岡田哲『とんかつの誕生』p.164を引き、1929年に東京上野のポンチ軒の島田信二郎がとんかつを売り出したと書く。王ろじ(1921年・新宿)の説は Wikipedia のみ、反証済みの煉瓦亭(1899年・銀座)も東京。都道府県より狭い地域名: 上野(御徒町)・新宿・銀座 出典:
レファレンス協同データベース(国立国会図書館)「とんカツ」「ミソカツ」の歴史専門事典・公的機関
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| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1929年のポンチ軒に続き、1932年(昭和7)頃に上野の楽天・浅草の喜田八が相次いでとんかつを売り出し、上野・浅草にとんかつ屋がつぎつぎに現れた
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| 2026-11-05 | 反証 | C→C |
王ろじのとんかつは厚切りのロースを揚げたものだ、という説の書き方は、この店のとんかつの形と合わない。2022年の紹介記事で店主は、脂身を除いたロースを叩いて薄くしてから揚げると話し、写真の説明も薄く叩いたロースを巻いて揚げると書く
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| 2026-11-05 | 不明 | C→C |
日本語版ウィキペディアが王ろじの説の典拠に引く2012年の紹介記事は、厚切りとは書かない。店員の話として、先代が『とんかつ』という名を付けたと伝え、とんかつの形を太い円柱のようだと書く。1921年の創業や当時の品書きには触れない
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| 2026-11-05 | 反証 | C→D |
王ろじの先代が初めて『とんかつ』と名付けたという店の伝えは、語の記録と食い違う。王ろじが開いた1921年より10年前、明治44年(1911年)7月の日付のある永井荷風の随筆『銀座』に、露店の立ち食いの『トンカツ』がすでに出る。説を支えるのは百科事典の記事と店の伝えだけで、1921年当時の記録は見た範囲で無く、独立した裏づけが無い
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| 2026-11-05 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1929年(昭和4)に東京上野のポンチ軒で島田信二郎が、分厚い豚肉を揚げた『とんかつ』を売り出したとされる。岡田哲『とんかつの誕生』もこれを『とされる』と書く。ポンチ軒が最初の店だったと示す同時代の記録は見つかっていないので、発祥の店とは決めない
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| 2026-11-05 | 不明 | C→C |
1929年のポンチ軒は、厚切りの豚肉を揚げるいまのとんかつの様式が固まった年代の遅い側の端として扱い、成立年の一点とはしない。それより前にどの店がどんな形で始めたかは、同時代の記録が見つかっておらず定まらない。1921年に開いた王ろじを厚切りの先駆けとする説は、百科事典の記事と店の言い伝えにしか無いので、年代の早い側の端には置かない 出典:
岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ, 2000学術二次文献
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| 2026-11-05 | 不明 | D→D |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 煉瓦亭がポークカツレツを初めて売り出したとされる年は、出典どうしで揃わない。岡田哲『とんかつの誕生』は1895年(明治28)とし、煉瓦亭が開店した年と同じ年に置く(コマ86では富田仁『舶来事物起原事典』の同じ年の記述を引く)。この本の全文検索で1899年(明治32)は0件。日本語版ウィキペディアは1899年とし、店がそう主張していると書くが、典拠の本を挙げない。近代食文化研究会は発明の時期を日露戦争(1904〜05年)の後とする。どの年にも、その年の同時代の記録は見つかっていないので、年は不明として扱う。どの年を取っても、明治23年(1890年)の時事新報が東京の大抵の料理屋にポークカツレツがあったと書くことより後なので、煉瓦亭が発祥の店だという説を退ける判断は変わらない
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| 2026-11-05 | 不明 | D→D |
日本語版ウィキペディア『豚カツ』は、煉瓦亭が1899年(明治32)にポークカツレツの名で豚カツを発明したと店が主張している、と書く。別の段でも1899年に煉瓦亭が品書きに載せたと書くが、そこに付く注は本の名を挙げない。1899年という年を、店の外の資料で確かめる手がかりはこの記事に無い 出典:
豚カツ - Wikipediaブログ・百科本文
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| 2026-11-05 | 支持 | C→C |
岡田哲『とんかつの誕生』は、1929年(昭和4)に島田信二郎が上野御徒町のポンチ軒で初めてとんかつを売り出したとされている、と書き、続けて、島田は元宮内省の大膳部で西洋料理の経験があり、火が通りやすい加熱のしかたを考えて、豚肉の厚さを2.5〜3センチと分厚くし、ナイフやフォークを使わずにすむよう庖丁で切っておいて箸で食べられるようにし、刻んだ生のキャベツを添えた、と書く。説64の説明の『元宮内省』と『2.5〜3cm』はこの本の記述で支えられる。ただし書き出しは『とされている』で、店の出し方を同時代の記録で示したものではない
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| 2026-11-05 | 不明 | C→C |
説64の説明にある、ポンチ軒が飯・味噌汁・漬物の和定食として出した、という細部は出典で支えられない。岡田哲『とんかつの誕生』は、とんかつ定食にシジミの味噌汁か豚汁が付くのがいつ頃からの習慣かは明らかでない、と書く。同じ本のポンチ軒の段(コマ86・89)も、箸で食べられるようにしたとまでは書くが、飯・味噌汁・漬物を添えたとは書かない。説明からこの細部を外す
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| 2026-11-05 | 支持 | C→C |
1929年(昭和4)に東京上野のポンチ軒で島田信二郎が、分厚い豚肉を揚げた『とんかつ』を売り出したとされる。岡田哲『とんかつの誕生』もこれを『とされる』と書く。ポンチ軒が最初の店だったと示す同時代の記録は見つかっていないので、発祥の店とは決めない
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| 2026-11-05 | 支持 | C→C |
1929年のポンチ軒に続き、1932年(昭和7)頃に上野の楽天・浅草の喜田八が相次いでとんかつを売り出し、上野・浅草にとんかつ屋がつぎつぎに現れた
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| 2026-11-05 | 反証 | D→D |
明治23年(1890)5月4日の『時事新報』の連載『東京案内』は、東京の大抵の料理屋にある品の一つにポークカトレツトを挙げている。煉瓦亭が開いたとされる明治27年(1894)・28年(1895)より前に、豚のカツレツは東京の料理屋の品だった。これは前坊洋(1989)がこの連載を読んで書いたもので、近代食文化研究会の note とは別に、33年早く同じ記事を示している
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| 2026-11-05 | 不明 | D→D |
明治18年(1885)の『東京流行細見記』は、西洋料理店の段に料理名として『かつれつ』を挙げる。カツレツという料理は煉瓦亭が開いたとされる年より前から東京の西洋料理店にあった。ただしこの本はどの店の品かも肉の種類も書かず、豚のカツレツを誰が最初に売り出したかには答えない。近代食文化研究会の要約にある『富士見軒の「かつれつ」』という結びつきは、この段からは読み取れなかった
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| 2026-11-05 | 支持 | D→D |
日置昌一『ものしり事典 飲食篇』(1953)は、明治27年(1894)2月に銀座で洋食店を開いた煉瓦亭がカツレツ(とんかつ)の元祖だと言われている、と書く。伝え聞きの形で、典拠は挙げない。豚肉とは書かず、仔牛のカツレツを天ぷらのように揚げて生のキャベツを添えたのが始まりとする
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| 2026-11-05 | 不明 | D→D |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 岡田哲『とんかつの誕生』(2000)が煉瓦亭のポークカツレツを1895年(明治28)とする根拠は、同時代の記録ではない。本はこの年を富田仁『舶来事物起原事典』(1987)の『カツレツの考案者は明治二十八年に銀座で開業した煉瓦亭の主人である木田元次郎』という記述で示し、別の箇所では『初めて売りだしたとされる』と伝え聞きの形で書く。明治28年の品書き・新聞などは挙げていない
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| 2026-11-05 | 不明 | D→D |
岡田哲『とんかつの誕生』(2000)が煉瓦亭のポークカツレツを1895年(明治28)とする根拠は、同時代の記録ではない。本はこの年を富田仁『舶来事物起原事典』(1987)の『カツレツの考案者は明治二十八年に銀座で開業した煉瓦亭の主人である木田元次郎』という記述で示し、別の箇所では『初めて売りだしたとされる』と伝え聞きの形で書く。明治28年の品書き・新聞などは挙げていない
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| 2026-11-05 | 不明 | D→D |
煉瓦亭がポークカツレツを初めて売り出したとされる年は、出典どうしで揃わない。日置昌一『ものしり事典 飲食篇』(1953)は明治27年(1894)2月に開いた煉瓦亭を元祖と『いわれている』と書く。岡田哲『とんかつの誕生』(2000)は1895年(明治28)とし、その根拠は富田仁『舶来事物起原事典』(1987)の記述で、同時代の記録ではない。日本語版ウィキペディアは店の主張として1899年(明治32)とし、典拠の本を挙げない。近代食文化研究会は日露戦争(1904〜05年)の後とする。どの年にも、その年の記録は見つかっていないので、年は不明として扱う。どの年を取っても、前坊洋(1989)が読んだ明治23年(1890)5月4日の『時事新報』の連載『東京案内』が、大抵の料理屋にある品の一つにポークカトレツトを挙げていることより後なので、煉瓦亭が発祥の店だという説を退ける判断は変わらない
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