一覧 / 東アジア / 日本料理

オムライス 時期 B起源説 C検証済

確からしさは2つ: 成立時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確からしさとは?→

通説に誤りあり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

日本 ・ 明治末~大正(1900年代~1920年代)に和製洋食として成立。ケチャップライスを薄焼き卵で包む現行形は大正末には成立しており、1925年の家庭向け洋食書『速席家庭洋食の仕方』にトマトケチャップを用いる「ライス、オムレツ」、1927年の放送料理書『季節のお料理』に「オムライス」の調理法が載る ・ 成立年代 1908–1925 ・ 最後に揃った食材 ケチャップ

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説の確からしさC・検証済C

大阪・心斎橋の北極星が1925年(大正14)にケチャップライスを薄焼き卵で包んだのがオムライスの始まり——広く語られてきたこの発祥譚は、同じ1925年に東京で出た家庭向けの洋食書にトマトケチャップを使う飯と卵の料理がすでに載っていることと噛み合わない。国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開・全文検索できる資料を通覧しても、一店の発明を示す同時代の史料は出てこない。この一皿は明治末から大正の洋食受容のなかで各地に並行して現れた和製洋食である。

オムライスの実写写真
実写(装飾) 出典: Wikimedia Commons(Omurice by Taimeiken.jpg)(CC BY・Kanesue, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons)

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
『一店が発明した』という発祥譚は煉瓦亭・北極星・銀座数店の共同開発説・松本楼のチャブ屋説など複数併存し互いに独立の裏づけを欠く。オムライスは明治…
判定
諸説あり
主な根拠
支持東京女学会 編『速席家庭洋食の仕方 : 附・家庭の心得』有教社 1925(国立国会図書館デジタルコレクション PID 924833・第十二章 即席料理の献立(三)「ライス、オムレツ」=トマトケチャップを材料に挙げる家庭向け調理法)一次史料 支持日本放送協会東海支部 編『季節のお料理』創生社 1927(国立国会図書館デジタルコレクション PID 1055841・七月の部 229頁「オムライス」=ケチャップで炒めた白飯を薄く流した卵で仕上げる調理法)一次史料

史料が示すこと: 『一店が発明した』という発祥譚は煉瓦亭・北極星・銀座数店の共同開発説・松本楼のチャブ屋説など複数併存し互いに独立の裏づけを欠く。オムライスは明治末~大正の洋食受容とトマトケチャップの国産化(1908年にカゴメが商品化)を背景に都市の洋食店で並行的に成立した和製洋食であり、厳密な単一発祥店は特定できない(ハンバーガー型)。この見立ては当時の印刷物で裏づけられる=1925年の家庭向け洋食書『速席家庭洋食の仕方』(東京)にトマトケチャップを用いる「ライス、オムレツ」、1927年の放送料理書『季節のお料理』(名古屋)にケチャップ飯を薄焼き卵で仕上げる「オムライス」、1925年の茨城県女教員会の家事調査に農村家庭の洋食として「オムレツライス」が現れ、大正末には東京・名古屋・地方家庭にまたがって流通していた(射程=国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料での照合)。有力2店は混ぜ焼き/包みの別スタイルを指し、各自の形については両立しうる なお「大阪・北極星「ケチャップライス包み」起源説」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。

検証ログをすべて見る ↓

有名なのに諸説ある起源・創られた伝統の一覧へ →

3つの成立条件

食材の条件
トマトケチャップが律速(国産品の商品化は1908年・カゴメ。同社の1903年はトマトピューレ)。鶏卵・米・鶏肉は在来。ケチャップ入手が現行のケチャップライス包み形の下限を規定
調理技術の条件
オムレツ等の洋食調理技術。明治の文明開化による洋食受容で都市洋食店に定着
場の条件
都市部の洋食店(明治末~大正の東京・銀座、大阪・心斎橋等)。和製洋食を供する洋食文化の場

成立年代と成立条件

食材入手と調理技術の各条件を同じ時間軸に並べた(流通は独立した条件でなく、食材の条件の経路として含め、場の条件は料理が成立し広まった場のことで、年で表せないので図には出さない)。最も遅い食材の条件(1908年・在地/到来・ケチャップ)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はこの条件が揃った年になる。この条件を太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は、その条件が揃った年以降にある。

成立年代と成立条件成立 1908–1925食材入手 前1000〜前801年(米)食材入手 前381〜前204年(鶏肉)食材入手・最後に揃った 1908(ケチャップ)前12922217
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場の条件(年で表せないので図には出さない)

起源説

諸説併記

銀座・煉瓦亭「ライスオムレツ」起源説 C

東京・銀座の洋食店煉瓦亭が1900年(明治33)頃に賄い料理として溶き卵に米飯と具を混ぜ焼いたものを起源とし、1901年に『ライスオムレツ』としてメニュー化したと主張。現在も『元祖オムライス』として提供。ただし溶き卵に飯を混ぜ焼く混合スタイルで、ケチャップライスを薄焼き卵で包む現行形とは別形。発祥店の自称であり単一発祥の独立裏づけはない。当時のメニュー現物や同時代の独立史料は確認できず(射程=国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料)、また『ライスオムレツ』の語は1925年の家庭向け洋食書に一般的な料理名として現れ、1934年の料理書も『御飯に玉子を割りほどいてオムレツを拵へます』と定義しており、店固有の名称であることの根拠にはならない

通説を否定したが起源不明

★主 単一発祥店は特定不能(和製洋食としての並行成立) A

『一店が発明した』という発祥譚は煉瓦亭・北極星・銀座数店の共同開発説・松本楼のチャブ屋説など複数併存し互いに独立の裏づけを欠く。オムライスは明治末~大正の洋食受容とトマトケチャップの国産化(1908年にカゴメが商品化)を背景に都市の洋食店で並行的に成立した和製…続きを読む

『一店が発明した』という発祥譚は煉瓦亭・北極星・銀座数店の共同開発説・松本楼のチャブ屋説など複数併存し互いに独立の裏づけを欠く。オムライスは明治末~大正の洋食受容とトマトケチャップの国産化(1908年にカゴメが商品化)を背景に都市の洋食店で並行的に成立した和製洋食であり、厳密な単一発祥店は特定できない(ハンバーガー型)。この見立ては当時の印刷物で裏づけられる=1925年の家庭向け洋食書『速席家庭洋食の仕方』(東京)にトマトケチャップを用いる「ライス、オムレツ」、1927年の放送料理書『季節のお料理』(名古屋)にケチャップ飯を薄焼き卵で仕上げる「オムライス」、1925年の茨城県女教員会の家事調査に農村家庭の洋食として「オムレツライス」が現れ、大正末には東京・名古屋・地方家庭にまたがって流通していた(射程=国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料での照合)。有力2店は混ぜ焼き/包みの別スタイルを指し、各自の形については両立しうる

反証

大阪・北極星「ケチャップライス包み」起源説 D

大阪・心斎橋の北極星が1925年(大正14)に胃の弱い常連客のため店主北橋茂男がケチャップライスを薄焼き卵で包んで供したのを発祥とする主張。現行の一般的なオムライス(薄焼き卵で包む形)に一致するため普及源とされてきたが、発祥店の自称であり独立の裏づけがない。むしろ同じ1925年に刊行された家庭向け洋食書『速席家庭洋食の仕方』(東京女学会編・有教社)に、トマトケチャップを材料に挙げる「ライス、オムレツ」の調理法が既に載る。書籍の刊行には執筆・製版の先行期間があるため、1925年の店内での発明が現行形の起源だとは言えない(射程=国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料での照合。同店が独自にこの料理を供していたこと自体は否定しない)

発祥の店・広めた店

銀座・煉瓦亭「ライスオムレツ」起源説 C

解説

オムライスは、トマトケチャップで味つけした米飯を薄焼き卵でくるむ和製洋食である。米も鶏卵も鶏肉も日本の食卓に古くからある素材で、早くから日々の台所に並んでいた。残るトマトケチャップが国産の品として売り出されるのは明治末のことで、のちのカゴメとなる蟹江一太郎が、1903年(明治36)にまずトマトピューレを手がけて西洋料理店に卸し、1908年(明治41)にケチャップを商品化している。ケチャップが国産の瓶として町に出回るまで、この一皿は生まれようがなかった。

洋食を出す場のほうは、文明開化ののち都市に広がっていた。東京・銀座や大阪・心斎橋といった街の洋食店ではオムレツをはじめとする西洋の調理が根づき、そこに日本人の口へ寄せる工夫が重ねられる。卵で飯を包むという思いつきも、そうした厨房から出てきている。

もっとも、オムライスと呼ばれるものの姿はひとつではない。溶き卵に米飯と具を混ぜて焼き上げる形と、ケチャップライスを薄焼き卵で包む形とがあり、前者は「ライスオムレツ」の名で古い層をなす。ケチャップで味つけした飯と卵を組み合わせる洋食そのものは、大正末の印刷物のなかにすでにいる。東京女学会が編んだ家庭向けの洋食書『速席家庭洋食の仕方』(有教社・1925年)は、即席料理の献立として「ライス、オムレツ」を挙げ、材料にトマトケチャップ・玉子十個・御飯・玉葱・青豆を並べる。ただしこの本が書きとめているのは材料までで、卵で包むのか、溶き卵に混ぜて焼くのか、仕上げの形までは読み取れない。

国立国会図書館デジタルコレクションのうちインターネット公開・全文検索ができる資料を通覧した範囲では、今日ひろく知られる包み形をはっきり読める最も古い例は、日本放送協会東海支部が編んだ放送料理書『季節のお料理』(創生社・1927年)の七月の部229頁である。「オムライス」という名そのものを直接読める最も古い例も、同じ範囲ではこの本になる。ただしこの範囲の外にはまだ候補が残っていて、名称の初出候補として挙がる1926年の料理書『支那料理と西洋料理』(小林定美・文僊堂)はデジタル化されておらず、本文は照合できていない。1927年の『季節のお料理』にもどると、白飯をヘットで炒めてケチャップを大匙十杯と青豌豆を加え、別に小卵二個を薄く流し焼いて仕上げる、という手順は今日のオムライスとほとんど変わらない。ラジオの料理番組が家庭に届ける献立として載っている点も含めて、昭和のはじめには特別な一皿ではなくなっていたことがうかがえる。

検証ストーリー

オムライスには「元祖」を名乗る店がいくつもある。よく知られるのは大阪・心斎橋の北極星で、1925年(大正14)に店主の北橋茂男が胃の弱い常連客のためにケチャップライスを薄焼き卵で包んで出した、と伝える。今日ひろまっている包み形にそのまま一致するため、長らく普及の源とみなされてきた。東京・銀座の煉瓦亭も、1900年(明治33)頃の賄いを起こりとし、1901年に「ライスオムレツ」として品書きに載せたとして「元祖オムライス」を掲げている。

このうち北極星の1925年発祥説は、同じ1925年に東京で刊行された家庭向けの洋食書と噛み合わない。東京女学会編『速席家庭洋食の仕方』の即席料理の献立には、トマトケチャップを材料に挙げる「ライス、オムレツ」の作り方がすでに載っている。本が世に出るまでには原稿を書き、版を組む時間が要る。心斎橋の店内で1925年に生まれたものが、同じ年に東京の家庭向け料理書へ調理法として印刷されるまでの道筋は成り立たない。ただし目の届く範囲には限りがある——国立国会図書館デジタルコレクションのうちインターネット公開・全文検索が可能な資料に照らした話であり、同店が独自にこの料理を供していたこと自体を否定するものではない。

煉瓦亭のほうは、1901年の品書きの現物も、それを伝える同時代の記録も同じ範囲では見つからない。加えて「ライスオムレツ」は店の固有名ではなかった。1925年の家庭向け洋食書はこの語をふつうの料理名として使っているし、1934年の料理書も「御飯に玉子を割りほどいてオムレツを拵へます」と一般名として説明している。名前そのものが一店に帰属しない以上、命名の年をもって単一の発祥を言うことはできない。

いま主説に置かれているのは、単一の発祥店は特定できないという見立てである。支えているのは性格の違う三つの印刷物だ。東京の家庭向け洋食書(1925年)、名古屋のラジオ料理書(1927年)、そして茨城県女教員会研究会『家事科研究録』(1925年)——最後の一つは農村家庭の「西洋料理ヲ食スル家」の調査で、フライやカツレツと並んで「オムレツライス」が挙がっている。銀座の洋食店だけでなく、放送局が家庭へ配る献立にも、茨城の農家の食卓にも、大正末の時点で飯と卵の洋食が及んでいた。共同開発説やチャブ屋起源説も含め、どの発祥譚も互いに独立した根拠を欠いたまま並んでいる。煉瓦亭の混ぜ焼きと北極星の包みは別の形を指すので、それぞれの店がそれぞれの一皿を出していたこと自体は両立する。誰が最初かは決着しない——大正末の日本には、すでにあちこちの厨房と台所にオムライスがあった。

検証ログ 12 件・押すと開く

日付結果確からしさの変化主張 / 出典
2026-07-15 支持 —→C
煉瓦亭(銀座)が1900頃賄いで発祥・1901『ライスオムレツ』メニュー化と主張
2026-07-15 支持 —→C
北極星(大阪心斎橋)が1925に店主北橋茂男がケチャップライスを薄焼き卵で包み発祥と主張
2026-07-15 支持 —→B
オムライスは単一発祥店を特定できず和製洋食として明治末~大正に並行成立
2026-07-15 支持 —→—
トマトケチャップの日本国産化は1903(清水屋横浜)/1908(カゴメ蟹江一太郎)=現行ケチャップ包み形の食材下限
2026-08-07 支持 B→A
国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料の範囲では、東京女学会編『速席家庭洋食の仕方』(有教社1925)第十二章 即席料理の献立(三)に「ライス、オムレツ」が載り、材料にトマトケチャップ・玉子十個・御飯・玉葱・青豆を挙げる=遅くとも1925年には家庭向け印刷物にケチャップを用いる飯+卵料理が存在した(初出年・初出≠発祥)
2026-08-07 支持 A→A
同コーパス(NDLデジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料)の範囲で名称「オムライス」を直接確認できる最古例は、日本放送協会東海支部編『季節のお料理』(創生社1927)七月229頁で、白飯をヘットで炒めケチャップ大匙十杯と青豌豆を加え、別に小卵二個を薄く流し焼いて仕上げる=現行のケチャップライス+薄焼き卵の形が1927年の放送料理書に載る
2026-08-07 支持 A→A
同コーパスの範囲で、茨城県女教員会研究会『家事科研究録』(1925)の農村家庭調査「西洋料理ヲ食スル家」の項に「オムレツライス」がフライ・カツレツ・カレイ等と並んで挙がる=1925年時点で飯と卵の洋食は都市の洋食店に限らず地方の家庭にも及んでいた
2026-08-07 反証 C→D
大阪・北極星が1925年に現行形(ケチャップライスの薄焼き卵包み)を創出したという発祥譚は、同じ1925年刊の家庭向け洋食書『速席家庭洋食の仕方』にトマトケチャップを用いる「ライス、オムレツ」の調理法が既に載ることと整合しない(書籍の刊行には執筆・製版の先行期間があるため、店内での1925年の発明が現行形の起源だとは言えない)。射程=NDLデジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料での照合であり、同店が独自にこの料理を供していたこと自体は否定しない
2026-08-07 不明 C→C
煉瓦亭が1901年に「ライスオムレツ」としてメニュー化したという主張について、当時のメニュー現物・同時代の独立史料は確認できなかった(NDLデジタルコレクションのインターネット公開・全文検索可能資料の範囲)。同名称は1925年の家庭向け洋食書に一般的な料理名として現れており、店固有の名称であることや単一発祥であることの裏づけにはならない
2026-10-09 不明 C→C
オムライスは明治末から大正にかけて都市の洋食店で並行して形をなした和製洋食で、どの一店が始めたかは決められていない
2026-10-25 支持 B→B
オムライスの成立下限はトマトケチャップの国産化に縛られる。出典3979が国産トマトケチャップの商品化として書く年は1908年(カゴメ)で、1903年は同社のトマトピューレ。これまでの下限1903(清水屋1903)は付いている出典に無い。成立年の幅を1908〜1925年とする
2026-10-31 不明 A→A
地域の確認: 日本のまま。主説は、単一の発祥店は特定できず、明治末から大正に都市の洋食店で並行して成り立った和製洋食とする説で、生まれた土地を一つに絞らない。当時の印刷物も土地が分かれる=大正14年の家庭向け洋食書『速席家庭洋食の仕方』(東京の東京女学会編)の『ライス、オムレツ』、昭和2年の放送料理書『季節のお料理』(日本放送協会東海支部編・名古屋)の『オムライス』、大正14年の茨城県女教員会の家事調査の『オムレツライス』。生きている店の説の銀座の煉瓦亭(東京都)は、溶き卵に飯を混ぜて焼く前の形の話で、包む形の発祥を言わない。反証済みの大阪・心斎橋の北極星の説は数えない。狭い地域名の手がかり: 銀座(煉瓦亭・東京都)・心斎橋(北極星・大阪府・反証済み)・名古屋(『季節のお料理』・愛知県)・茨城(農村家庭の調査)

このページの誤り・修正を報告

構成素材

この料理を構成する素材の成立史へ。

関連する料理

系統 家族・前史・変種

近い料理 地域・年代・食材の伝来元の近さ

食べられる店