真っ赤なキムチは古代から続く韓国の伝統と思われがちだが、その赤を生む唐辛子は新大陸原産で、朝鮮には遅くとも1614年までに日本から伝わった。いまの赤いキムチが姿を整えるのは18世紀以降とされ、唐辛子がキムチに入った年はまだ史料で決まっていない。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- 唐辛子は新大陸から大西洋を渡ってヨーロッパ・アジアへ広がった食材で、朝鮮へは日本を経て、あるいはポルトガル船の交易網を通じて入ったとする説。朝鮮…
- 判定
- 諸説あり
- 主な根拠
- 反証芝峰類説(李睟光, 1614成書・1633刊)巻二十 卉木部「木」条 — 唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記す条一次史料 不明山林經濟(洪萬選, 18世紀初)巻二 治膳「蔬菜」条 — 韓国古典綜合DB 古典翻訳書『산림경제』제2권 치선「남새[蔬菜]」(民族文化推進会 1982年訳)一次史料
史料が示すこと: 漬物そのものは確かに古い。唐辛子を使わない白い塩漬けの野菜(沈菜)は、はるか昔から朝鮮の食卓にあった。ところが、いまの赤いキムチを赤くしているあの唐辛子は、もともと中南米の植物である。アメリカ大陸からアジアへ運ばれ、朝鮮半島に届いたのは17世紀のこと。1614年の『芝峰類説』は唐辛子を『倭芥子』と呼び、しかも毒草として記している——まだ食べ物ですらなかったのだ。唐辛子を使ったキムチが料理書に現れるのは18世紀(1766年『增補山林經濟』)、いまのような丸ごと白菜の赤いキムチが定着するのは19世紀末(『是議全書』)まで下る。つまり、漬物の歴史は古くとも、赤いキムチそのものは数千年どころかせいぜい二、三百年の比較的新しい味であり、古代から続く赤いキムチという像は、古い漬物の伝統と新しい唐辛子の味とを取り違えたものだった。 なお「現行の赤いキムチは古代/高麗から続く説(唐辛子以前の形との混同)」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。
3つの成立条件
- 食材の条件
- 唐辛子(新大陸)がゲート
- 調理技術の条件
- ―
- 場の条件
- 家庭・保存食
成立年代と食材の条件
食材入手(1590〜1614年・在地/到来)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はその条件が揃った年になる。成立年代の帯は、その年以降にある。場の条件(料理が成立し広まった場)は年で表せないので、図には出さない。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場の条件(年で表せないので図には出さない)
検証メモ: 唐辛子が入る前のキムチは、唐辛子を使わない白い漬物だった。キムチに唐辛子を使うようになった年は、まだ史料で決まっていない。
起源説
諸説併記
★主 キムチ(唐辛子入り)の主要起源説 C
唐辛子は新大陸から大西洋を渡ってヨーロッパ・アジアへ広がった食材で、朝鮮へは日本を経て、あるいはポルトガル船の交易網を通じて入ったとする説。朝鮮側の同時代文献がこの経路を名指ししている=1614年『芝峰類説』(李睟光)巻二十・卉木部「木」条は唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記し、「始自倭國來。故俗謂倭芥子」(はじめ倭国=日本より来たる、それゆえ俗に倭芥子という)と述べる。俗称「倭芥子」そのものが、当時の朝鮮でこの植物が日本渡来と受け止められていたことを示す。ただし何年に誰の手で渡ったのか、ポルトガル船の関与がどこまで及ぶのかは同時代の史料から特定できておらず、経路の細部は定まっていない。
唐辛子は新大陸から日本を経て朝鮮へ入り、唐辛子入りのキムチは18世紀以降に成立したとする説 C
唐辛子は中南米原産の植物で、朝鮮へは日本を経て入り、それを使う赤いキムチは18世紀以降にできたとする説。朝鮮側で唐辛子を記す古い文献に、1614年の李睟光『芝峰類説』巻二十・卉木部「木」条がある。唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記し、「南蠻椒有大毒。始自倭國來。故…続きを読む
唐辛子は中南米原産の植物で、朝鮮へは日本を経て入り、それを使う赤いキムチは18世紀以降にできたとする説。朝鮮側で唐辛子を記す古い文献に、1614年の李睟光『芝峰類説』巻二十・卉木部「木」条がある。唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記し、「南蠻椒有大毒。始自倭國來。故俗謂倭芥子。今往往種之酒家。利其猛烈。或和燒酒以市之。飮者多死。」=大毒があり、はじめ倭国(日本)から来た、それゆえ俗に倭芥子と呼ぶ、今はしばしば酒家がこれを植え、その辛さを利して焼酒に混ぜて売り、飲んで死ぬ者が多い、と書く。この条は唐辛子が来た年を書かない。言えるのは、遅くとも1614年までに唐辛子が朝鮮に在り、植えられ、売られていたことまでである。そのときの使い道は酒で、漬物に使うとは書かれていない。18世紀初めの洪萬選『山林經濟』は、唐辛子を「南椒」、別名「倭椒」の名で畑の作物として載せるが、同じ書の訳本でキムチの作り方を集めた条には唐辛子が出てこない。1766年の柳重臨『增補山林經濟』が唐辛子を使ったキムチを初めて載せた料理書だとよく紹介されるが、その条の原文による裏付けはまだ得られていない。唐辛子入りの赤いキムチがいつできたかを決める史料は、まだ見つかっていない。丸ごとの結球白菜を漬ける、いまの形に近いキムチは、19世紀末の料理書『是議全書』に書かれているとされる。
- 支持 芝峰類説(李睟光, 1614成書・1633刊)巻二十 卉木部「木」条 — 唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記す条一次史料
- 言及 山林經濟(洪萬選, 18世紀初)巻二 治膳「蔬菜」条 — 韓国古典綜合DB 古典翻訳書『산림경제』제2권 치선「남새[蔬菜]」(民族文化推進会 1982年訳)一次史料
- 支持 山林經濟(洪萬選, 18世紀初)巻一 治圃「南椒」条 — 韓国古典綜合DB 古典翻訳書『산림경제』제1권 치포「남초(南椒)」(民族文化推進会 1982年訳)一次史料
- 反証 Kimchi throughout millennia: a narrative review on the early and modern history of kimchi (Journal of Ethnic Foods, Springer 2023)学術二次文献
- 支持 Kimchi (Wikipedia英語版) — 沈菜語源・三国/高麗期漬物記録・唐辛子17世紀導入ブログ・百科本文
- 言及 增補山林經濟(柳重臨, 1766)— 作品項目(Wikipedia英語版 Chŭngbo sallim kyŏngje)ブログ・百科本文
- 言及 Wikipedia『Baechu-kimchi』(白菜キムチの概説項目。旧題が名乗った是議全書への言及は項目本文に無い〔2026-09-11確認〕)ブログ・百科本文
反証
唐辛子=朝鮮在来種説(俗説) C
唐辛子は朝鮮在来で新大陸由来ではない、とする少数説。Kwon・Jang・Yang・Chung(2014、J. Ethnic Foods)はこの立場をとり、抄録で、韓国の唐辛子は辛さが穏やかで中南米などの唐辛子とは別物だとして、1592年の日本の侵攻のときに中米の唐辛子が来たという言い方を正しくないとし、朝鮮では1500年来唐辛子を育ててきたと書く。しかし唐辛子は新大陸原産の植物で、朝鮮の同時代の文献では、1614年の李睟光『芝峰類説』が唐辛子を南蛮椒の名で記し、はじめ日本から来た、それゆえ俗に倭芥子と呼ぶと書く。同時代の朝鮮の人々が外から来た植物として受け止めていたことと合わないので、史料が支えない説として区別しておく。
- 支持 Kimchi throughout millennia: a narrative review on the early and modern history of kimchi (Journal of Ethnic Foods, Springer 2023)学術二次文献
- 支持 Kwon, Jang, Yang & Chung, History of Korean gochu, gochujang, and kimchi, Journal of Ethnic Foods 1(1): 3-7 (2014), doi:10.1016/j.jef.2014.11.003(ScienceDirect)学術二次文献
現行の赤いキムチは古代/高麗から続く説(唐辛子以前の形との混同) C
現行の赤いキムチが高麗以前から続くとする混同。漬物(沈菜チムチェ)としての古さは確かだが、それは唐辛子を欠く白い前身。現行赤キムチ様式で最後に揃った食材は新大陸食材の唐辛子で、これが成立下限(17C以降)を縛る。漬物ジャンルの古さは否定せず、現行型の成立年代だけを切り分けて扱う。
解説
野菜を塩や発酵で漬ける保存食としてのキムチ(沈菜チムチェ)は古い。だが今日思い浮かべる赤いキムチは、その前身とは色も辛さも異なる。赤と辛さを生むのは唐辛子であり、唐辛子は中南米を原産とする新大陸食材だからである。
唐辛子が海を渡って朝鮮半島に届くまで、赤いキムチは生まれようがなかった。到来は一般に16世紀末から17世紀初めとされる。1614年の『芝峰類説』(李睟光)は、この植物を「南蠻椒」(南蛮=外国から来た椒)という見出しで掲げ、はじめ倭国(日本)から来たので俗に「倭芥子」と呼ぶ、と書きとめた。大毒があるとしながら、当時すでに酒家がこれを植え、その辛烈さを活かして焼酒に和して売っていた。飲んで命を落とす者も多かったという。売り物にはなっていたが、この条に書かれた用途は酒で、漬物の主材としては出てこない。
18世紀初めの洪萬選『山林經濟』は、唐辛子を「南椒」、別名「倭椒」の名で畑の作物に数え、乾いた土地に2月に種をまき、4〜5月の雨のあとに植え替えると育て方を記している。日本から来たものという呼び名のまま、唐辛子は朝鮮の畑で育てられる作物になっていた。1766年には柳重臨がこの書を増補した『增補山林經濟』が出て、チョンガッキムチをはじめ多くの種類のキムチを記している。19世紀末の『是議全書』には、結球白菜を丸ごと漬けた、今日の姿に近い白菜キムチが現れる。白菜(バエチュ)が朝鮮に入ったのは19世紀末で、これに合わせていまの形が定まっていった。
唐辛子を漬物に使う赤いキムチができたのは、一般に18世紀以降とされる。ただ、その年を決める史料はまだ見つかっておらず、はっきりしているのは、遅くとも19世紀末には白菜を丸ごと漬けたいまの形に近いキムチが在ったことである。漬物そのものの古さはこの歩みと矛盾しない。唐辛子を欠く白い前身の歴史は、赤いキムチよりずっと古い。
検証ストーリー
キムチの赤さをめぐっては、根強い説が二つある。ひとつは唐辛子を朝鮮在来の植物とし、新大陸から来たのではないとする説、もうひとつはいまの赤いキムチを高麗や古代から連綿と続くものとする説である。
在来説は、韓国の唐辛子は辛さが穏やかで中南米のものとは別物だとし、朝鮮では1500年来唐辛子が育てられてきたと説く。だが唐辛子は新大陸原産の植物で、1614年の『芝峰類説』は、これをはじめ日本から来た植物として書きとめている。同じ時代の朝鮮の人々は、唐辛子を外から来たものと受け止めていた。古代からの連続を説くもう一方の説は、漬物(沈菜)としての確かな古さと、唐辛子を前提とする赤いキムチの年代とを取り違えている。漬物のジャンルが古いことと、赤いキムチがいつ生まれたかは別の話なのである。
唐辛子が朝鮮へ届いてから赤いキムチが整うまでのあいだは、年代の違う史料がところどころを照らすだけである。1614年の『芝峰類説』は、南蛮渡りの椒として唐辛子を書きとめ、その用い道を酒としている。18世紀初めの『山林經濟』は唐辛子を「倭椒」の別名で畑の作物に数えるが、民族文化推進会の1982年の訳本で読むと、キムチの作り方を集めた「蔬菜」の条に唐辛子は出てこない。山芥のキムチの辛みは山芥そのものの辛さで、大根やねぎを一緒に漬けると和らぐと書かれている。この書には写本が複数あり、ほかの写本の記述は、この訳本からは分からない。1766年の『增補山林經濟』は、唐辛子を使うキムチを初めて載せた料理書としてよく紹介されるが、唐辛子入りのキムチを増補前の『山林經濟』に帰する紹介もあり、どちらの本のどの条なのかは紹介によって食い違う。19世紀末の『是議全書』には、結球白菜を丸ごと漬けた、いまの姿に近いキムチが現れる。赤いキムチが古代から続いてきたことを示す史料は見つかっていないが、唐辛子がキムチに入った年を決める史料も、まだ見つかっていない。
唐辛子がいつ、どの経路で朝鮮へ渡ったかも、細部まで定まっていない。『芝峰類説』は「はじめ倭国より来たる」と伝来元を名指しし、「倭芥子」という俗称も、当時の朝鮮がこの植物を日本渡来と受け止めていたことを映している。けれども、この条は渡った年を書いていない。16世紀末の壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)のころとする見方が一般的で、日本を経て、あるいはポルトガル船の交易網を通じて入ったとする説が広く知られている。それでも、渡った年や担い手、ポルトガル船がどこまで関わったのかは同時代の史料からたどれず、諸説が並んだままである。
検証ログ 17 件・押すと開く
| 日付 | 結果 | 確からしさの変化 | 主張 / 出典 |
|---|---|---|---|
| 2026-06-19 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 唐辛子は新大陸産で16C末〜17C初に日本経由で朝鮮到来、1614年芝峰類説が倭芥子として初記録、現行赤キムチは18C成立・白菜キムチ定着は19C末〜20C初
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| 2026-06-19 | 反証 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 唐辛子は朝鮮在来種で新大陸由来ではない(在来種俗説)
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| 2026-06-19 | 反証 | C→C |
現行の赤いキムチは高麗/古代から続く(漬物の古さと現行赤キムチ成立を混同)
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| 2026-06-29 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 唐辛子をキムチ(沈菜)に用いる料理書初出=1766年『增補山林經濟』(柳重臨)。唐辛子諸種のキムチ(チョンガッキムチ等)を記載。1614年芝峰類説の唐辛子初出(毒草・食用前)と現行赤キムチの間を埋める中間初出年。文献初出≠成立で、これは『遅くともこの年に唐辛子キムチが存在』の上限点であり、広範普及・白菜キムチ標準化は19C。
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| 2026-06-29 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 白菜(結球バエチュ)は19C末に朝鮮へ導入され、現行形に近い丸ごと白菜キムチは19C末の料理書『是議全書』に記載される。これが白菜キムチ様式標準化の初出年。唐辛子キムチ(18C料理書初出)→唐辛子普及(19C)→白菜キムチ標準化(19C末)という二段の成立過程を、料理書史料で裏づけ。
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| 2026-09-11 | 支持 | C→C |
🚫 この行の文は、後の行で書き直した(→ 該当行へ) |
| 2026-09-11 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 結球白菜(バエチュ)が朝鮮へ入ったのは19世紀末で、いまの姿に近い丸ごと白菜を漬けたキムチは、同じころに書かれた料理書『是議全書』に現れる=遅くとも19世紀末には白菜キムチの形が存在していた。唐辛子を使うキムチが料理書に現れる1766年『增補山林經濟』、唐辛子が広く行きわたる19世紀、白菜キムチが定まる19世紀末という段階を裏づける。
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| 2026-09-12 | 支持 | C→C |
🚫 この行の文は、後の行で書き直した(→ 該当行へ) |
| 2026-09-12 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 1614年『芝峰類説』巻二十・卉木部「木」条は、唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記し、「始自倭國來。故俗謂倭芥子」=はじめ倭国(日本)から来た、それゆえ俗に倭芥子と呼ぶ、と述べる。「倭芥子」は見出し語ではなく、日本から来たことに由来する俗称である。同じ条は大毒があるとし、当時すでに酒家がこれを植え、辛烈さを利して焼酒に和して売っていた(飲んだ者に死ぬ者が多い)と記す=1614年の時点で栽培も売買もあったが、用途は酒であって漬物の主材ではない。唐辛子が新大陸産で16世紀末から17世紀初に日本経由で朝鮮へ到来したこと、現行の赤いキムチが18世紀に成立し、白菜キムチの定着が19世紀末から20世紀初であることは、Journal of Ethnic Foods の二つの総説(Surya & Nugroho 2023/Kwon ほか 2014)が支えており変わらない。
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| 2026-09-12 | 支持 | C→C |
唐辛子が日本を経て朝鮮へ入ったとする説を、朝鮮側の同時代文献が直接述べている。1614年『芝峰類説』巻二十・卉木部「木」条は、唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記したうえで「始自倭國來。故俗謂倭芥子」=はじめ倭国(日本)から来た、それゆえ俗に倭芥子と呼ぶ、と伝来元を名指しする。俗称「倭芥子」そのものが、当時の朝鮮でこの植物が日本渡来と受け止められていたことを示す。ただしこの記述から分かるのは伝来元が日本と考えられていたことまでで、渡った年・担い手や、ポルトガル船の交易網がどこまで関わったのかは特定できない。経路の細部が定まらない点は変わらない。
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| 2026-10-24 | 支持 | C→C |
Kwon・Jang・Yang・Chung(2014、J. Ethnic Foods 1巻3〜7頁)は、唐辛子が朝鮮で古くから育てられてきたとする在来説を唱える論文である。抄録は、1592年の日本の侵攻のときに中米の唐辛子が朝鮮へ来たという言い方を正しくないとし、朝鮮の人々は1500年来唐辛子を植えて収穫してきたと結ぶ。この論文は在来説を唱える側の文献で、在来説を退ける根拠にはならない。在来説を史料と合わないとする判断は、唐辛子をはじめ日本から来たと書く李睟光『芝峰類説』(1614年)に拠る。
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| 2026-10-24 | 支持 | C→C |
1614年『芝峰類説』巻二十・卉木部「木」条は、唐辛子を「南蠻椒」の見出しで記し、はじめ日本から来た、それゆえ俗に倭芥子と呼ぶ、と述べる。同じ条は大毒があるとし、当時すでに酒家がこれを植え、辛さを利して焼酒に混ぜて売っていたと記す。1614年の時点で栽培も売買もあったが、用途は酒で、漬物の主材としては書かれていない。この条は唐辛子が朝鮮へ来た年を書いていない。
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| 2026-10-24 | 反証 | C→C |
Surya と Nugroho の総説(2023、Journal of Ethnic Foods)は、唐辛子が新大陸から日本を経て入ったとする説を採らない。Kimchi polemics の節は、赤いキムチが1592年の壬辰倭乱のとき唐辛子の到来とともに生まれたという言い方を誤りとし、韓国の唐辛子は2000年前から朝鮮半島に在ったと書き、唐辛子は数千年前からキムチに使われてきたと結ぶ。この総説はこの料理の説のうち、唐辛子を朝鮮在来とする説と、赤いキムチを古代から続くとする説の側に立つ。
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| 2026-10-24 | 不明 | C→C |
洪萬選(1643〜1715)の『山林經濟』の訳本では、野菜の漬け方を集めた「蔬菜」の条に、山芥沈菜(산갓김치)などキムチの作り方が並ぶが、どの作り方にも唐辛子は出てこない。辛みの話は山芥そのものの辛さで、大根やねぎを一緒に漬けると辛みがやわらぐと書く。この訳本の範囲では、この書が唐辛子入りのキムチを記すとは言えない。ただし山林經濟には写本が複数あり、ほかの写本の記述はこの訳本からは分からない。
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| 2026-10-24 | 支持 | C→C |
同じ『山林經濟』は、畑の作物を並べる「治圃」の巻に唐辛子を「南椒」の名で立て、別名を倭椒(日本の椒)と書き、乾いた土地に2月に種をまき4〜5月に植え替える育て方を記す。18世紀初めまでに、唐辛子は日本から来たものという呼び名のまま、朝鮮で畑に植える作物になっていた。食べ方や漬物への使い方はこの条には書かれていない。
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| 2026-10-24 | 不明 | C→C |
英語版ウィキペディアの『增補山林經濟』の項目は、洪萬選『山林經濟』を柳重臨が1766年に増補した書であるという書誌だけを書き、キムチにも唐辛子にも触れない。この出典では、1766年のこの書が唐辛子をキムチに使った最初の料理書だとは言えない。
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| 2026-10-24 | 支持 | C→C |
結球する白菜が朝鮮に入ったのは19世紀末で、いまの形に近い丸ごとの白菜のキムチは、同じころの料理書『是議全書』に書かれている。遅くとも19世紀末には、白菜のキムチの形が在った。同じ箇所は1766年の『增補山林經濟』が多様なキムチを載せると書くが、そこで唐辛子には触れていない。
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構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。
- 素材唐辛子
- 素材白菜成立史は準備中
関連する料理
系統 家族・前史・変種
同じ食材を共有(唐辛子)
- ビビンバ韓国
- スンドゥブチゲ韓国
- 回鍋肉中国(四川)
- 担々麺四川(成都)
- 麻婆豆腐四川(中)
- 宮保鶏丁中国(四川)
- トッポッキ朝鮮半島
- ラクサペナン(海峡植民地)
- ムハンマラシリア・アレッポ
- ペペスープナイジェリア(西アフリカ)
ほか 46 品。 唐辛子の食材ページで一覧を見る →