食文化圏 / 東アジア

韓国・朝鮮料理の成立史

東アジアの食文化圏「韓国・朝鮮」に属する料理 24 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。

  • 全圏平均の約 4.97 倍・4 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。
  • 全圏平均の約 4.32 倍・3 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。

成立年代の分布成立年代の分布(最古 683 年〜最新 1960 年)。

  • 中世 3
  • 近世 7
  • 近代 2
  • 現代 11

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 4 外来 10

所属する料理 24

  • 定番 トッポッキ 朝鮮半島 ?–1953 時B説C

    屋台の赤くて辛いトッポッキを「朝鮮古来の伝統料理」と思うのは、じつは間違いだ。辛さのもとである唐辛子は16世紀末以降に海を渡って朝鮮半島へ来た新大陸の作物で、赤いコチュジャン味のトッポッキは1953年にソウルの新堂洞で広まった、ごく新しい料理である。

  • 定番 テンジャンチゲ 韓国 683–1766 時B説B

    テンジャンチゲには、華々しい発祥譚も、名の知れた発明者もいない。三国時代から作られてきた土着の発酵大豆ペーストを汁に溶いただけの、民衆が代々受け継いできた日常食である。

  • 定番 ユッケ 韓国 1300–1800 時C説C

    晋州で語り継がれる壬辰倭乱起源の由来話は、史料の裏づけを欠く近代の郷土伝説にすぎない。細切りの生牛肉を薬味で和えるこの一皿がいつどこで生まれたかは、モンゴル経由説と、それよりはるか古い東アジア以来の膾の系譜という説のあいだで、いまなお答えが出ていない。

  • 定番 スンドゥブチゲ 韓国 1600–? 時C説C

    スンドゥブチゲの真っ赤で辛いスープは、唐辛子が朝鮮半島に広まってからの姿である。柔らかい純豆腐そのものは李朝期から食べられていたが、赤い辛味のチゲに明確な発明者はおらず、江陵の草堂村を発祥とする有名な伝承も、料理ではなく主材の豆腐についての半ば伝説的な話にとどまる。

  • 定番 チヂミ 韓国 1600–? 時B説B

    日本でおなじみのチヂミを、韓国で「チヂミ」と頼んでも通じにくい。この名は韓国のある地方の方言で、人の移動とともに海を渡り、日本に根づいた呼び名である。

  • 定番 冷麺 朝鮮半島 1600–1643 時B説B

    高麗時代に平壌の婿が編み出したという冷麺の始まりの話は、20世紀後半以降の再話のなかにしか跡がない。韓国古典翻訳院が公開する漢籍のデータベースでいま全文検索できる範囲では、「冷麪」の語が載る最も古いものは、伝説の語る年代より250年以上あとの1643年に刊行された詩文集である。

  • 定番 キムチ(唐辛子入り) 韓国 1700–1850 時A説C

    真っ赤なキムチは古代から続く韓国の伝統と思われがちだが、その赤を生む唐辛子は新大陸原産で、朝鮮に届いたのは17世紀である。現行の赤いキムチが姿を整えるのは18世紀以降だった。

  • 定番 ビビンバ 韓国 1700–1900 時B説C

    ご飯に山菜や肉を彩りよく載せ、ひと匙のたれで混ぜて食べる韓国の一皿。だが、誰もが思い浮かべるあの赤いコチュジャンの色は、料理そのものよりずっと若い。

  • 定番 海鮮チヂミ 韓国 1900–1946 時B説B

    釜山名物の東萊(トンネ)パジョンは朝鮮王への献上品だった——広く語られるこの由緒は、王朝の記録のどこにも姿を見せない。ネギと魚介を生地ごと焼き上げるこの一皿の名が文献に現れるのは、ようやく1946年のことである。

  • 定番 チャジャンミョン(韓国式ジャージャー麺) 韓国 1905–1950 時B説C

    黒く甘い餡をからめた韓国の国民的中華料理。そのルーツは、開港期の仁川に渡った山東省の華僑が持ち込んだ炸醤麺にあり、現地でカラメルを加えた黒く甘いチュンジャンへと姿を変えた一皿である。

  • 定番 チャプチェ 韓国 1919–1930 時B説C

    いまのチャプチェは春雨が主役だが、その名で17世紀の宮廷に供されたのは、春雨も肉もない野菜の和え物だった。「李冲がチャプチェを発明した」という有名な逸話も、実は宮廷で野菜料理を献じて官位を得た記録を取り違えたものである。

  • 定番 プルコギ 朝鮮半島(韓国) 1920–1960 時B説B

    甘辛く漬け込んだ薄切りの牛肉を焼くプルコギを、高句麗の貊炙(メクジョク)から続く古代の料理だとする話は、よく耳にする割に原典の裏づけを欠く。今あるプルコギは、二十世紀に入ってから整った新しい料理である。

  • 定番 カルビ 韓国 1940–? 時B説B

    カルビは、骨付きの牛あばら肉を醤油だれに漬けて直火で焼く韓国の焼き肉である。約2000年前の貊炙(メクジョク)にさかのぼるとしばしば語られるが、現在の漬け焼きカルビが形をとったのは20世紀、水原の市場だった。

  • 定番 プデチゲ 韓国 1953–1970 時A説C

    米軍のスパムとソーセージを、キムチやコチュジャンとともに鍋で煮込む——プデチゲは朝鮮戦争の窮乏から生まれた鍋だが、『どこの誰が最初に作ったか』は今も決着しない。

  • 定番 サムギョプサル 韓国 1960–? 時B説B

    炭鉱夫が「豚の脂が喉にたまった炭塵を洗い流す」と信じて食べたのがサムギョプサルの始まりだ、という健康発祥説がある。だが脂に粉塵を洗う働きはなく、この健康効果の部分は俗説である。今の卓上豚バラ焼きは、1960〜70年代の工業化のなかで大衆の外食として広まった。

  • 定番 タッカルビ 韓国 1960–? 時B説B

    「鶏のカルビ」を名乗りながら、あばら肉(カルビ)は一切使わない。タッカルビは、朝鮮戦争後の春川の飲み屋で、豚肉の代わりに安い鶏肉を焼いたことから生まれた20世紀の庶民料理である。

  • ソルロンタン 韓国 1400–? 時C説C

    王が先農壇(ソンノンダン)の祭りで屠った牛を煮て民に振る舞い、その「先農湯(ソンノンタン)」がなまってソルロンタンになった——韓国で広く語られるこの起源話は、同時代の記録にその跡がなく、後世につくられた語呂合わせである。名の本当の来歴は、いまも一つに定まっていない。

  • 平壌冷麺 朝鮮半島 1600–1807 時B説B

    平壌冷麺という名の国民食が古来続いてきた、という物語は、1980年代半ば以降に北朝鮮が組み上げたものである。蕎麦の冷たい麺そのものは平壌で数百年食べられてきたが、その名と「朝鮮民族を代表する一皿」という地位は新しい。

  • コングクス 韓国 1680–? 時B説B

    コングクス(콩국수)は、すりつぶした大豆の冷たい豆乳に小麦の麺を沈めた韓国の夏の麺料理である。誰が考えたという発祥譚は伝わっておらず、朝鮮後期の民衆のあいだで自然に生まれた食べ方だったというのが、いま広く受け入れられている見方である。

  • スンデ 韓国 1809–? 時C説C

    豚の腸に血と穀物を詰めて蒸す韓国の腸詰めスンデは、13世紀にモンゴルから伝わったのか、それとも高麗の時代から半島で育った在来の食べ物なのか、今も決着していない。今日おなじみの屋台のスンデが、春雨を詰めた20世紀の姿であることもあまり知られていない。

  • カルビタン 韓国 1890–1899 時B説B

    牛カルビを長い時間かけて煮出した、澄んだスープ。19世紀末の宮廷宴会の献立に名を残すこの一皿が、婚礼や名節を彩る庶民の祝い膳へ下りてくるまでには、さらに一世紀近くの隔たりがあった。それを隔てていたのは食材ではなく、骨付きのカルビに手が届く身分であった。

  • 咸興冷麺 韓国 1900–1953 時C説B

    咸興に古くからある冷麺の名が、そのまま南へ運ばれてきた——「咸興冷麺」をめぐるこの理解は、史料の側から崩れる。現地でこの麺を指す名は「冷麺」ではなく、『함흥냉면』という呼び名は朝鮮戦争のあと、南へ逃れた咸鏡道の人々が開いた店を起点に定着したものである。

  • 参鶏湯 韓国 1917–? 時B説B

    鶏一羽の腹にもち米と高麗人参を詰めて煮こむ参鶏湯は、いかにも古い宮廷の薬膳に見える。だが鶏を丸ごと、人参を丸ごと使う今の姿がかたちになったのは20世紀のこと――高価な薬だった人参が、食べ物として台所に降りてきた後だった。

  • 釜山ミルミョン 韓国(釜山) 1951–1970 時C説B

    釜山の夏の名物ミルミョン(밀면)には、1925年に慶尚南道庁が晋州から釜山へ移ったとき、晋州の小麦の冷麺が一緒に運ばれてきたのが始まりだ、という戦前起源の説がある。だが小麦粉が屋台の麺になるのは朝鮮戦争のあとのことで、この麺は北から逃れてきた人々が身を寄せた釜山の街で生まれている。

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