食材から辿る / その他・調査中

オリーブ油 素材 時期 B検証済

成立年代 前5600〜

オリーブ油が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

南レバント(東地中海)原産のオリーブから搾油。搾油が実証される最古はカルメル海岸沖の水没遺跡クファル・サミルで、約7600–7000 BP=暦年で前5650〜前5050年ごろ

3ゲート

食材入手ゲート
オリーブの栽培化・採取(南レバント・約7600–7000 BP=前5650〜前5050年ごろ)
調理技術ゲート
搾油(オリーブ破砕・圧搾)。カルメル海岸沖の水没遺跡クファル・サミルで、砕けたオリーブ核の大量集積・石製盤・漉し器状の編組品が搾油かすとして出土=約7600–7000 BP、放射性炭素年代で約7000 BP(暦年で前5650〜前5050年ごろ)。これは搾油が実証された最古の年であって、これ以前に搾油が不可能だったことを示す物証ではない
場ゲート
食用/灯火油として利用成立=加工(搾油)成立と同年

オリーブ油はどこから広がったか

オリーブ油は、実がなる木の下にひとりでに溜まるものではない。実を砕き、押し潰し、にじみ出た液から水と分けて、はじめて油になる。この搾るという手当てが整った土地と時期が、そのまま油の始まりになる。

木のふるさとは南レバント——いまのイスラエルからパレスチナにかけての一帯で、野生のオリーブが自生し、紀元前5000年ごろまでには畑の木として育てられていた。そして油を搾った跡が残っているのも、同じ海岸である。イスラエル北部のカルメル海岸の沖、いまは水没しているクファル・サミル遺跡から、砕かれたオリーブの核が積もった層と搾油の設備の痕跡が見つかっている。年代はおよそ7600年前から7000年前——紀元前5650年から紀元前5050年ごろにあたり、油を採る営みの証拠としては世界でも最古級である(ガリリらの1997年の報告)。

油は、この地で食べるためだけのものではなかった。灯火の燃料としても使われ、明かりと食事の双方を支える品として暮らしに入り込んだ。実そのものは傷みやすく遠くへ運びにくいが、油なら壺に詰めて船に積める。オリーブが地中海じゅうの産物になっていく道は、この一段の加工が開いたものだった。

イベリアの油とニンニク

地中海の西の端でも、オリーブ油は早くから土地の産物になっている。ローマ期のイベリア半島では紀元前1世紀にはオリーブと油が恒常的な産物になっており、大プリニウスの『博物誌』は、潰したニンニクを油で和える調味を書き留めている。のちにアイオリと呼ばれる乳化ソースの遠い祖型にあたる調味である。東の地中海の岸辺でも、紀元前後には油が日々の食事の中心にあり、パンに浸し、煮炊きに使い、料理の仕上げに回しかける使い方が続いてきた。

船荷として大西洋へ

オリーブの木が育つ土地は、地中海とその周りの限られた範囲にとどまる。だから油は、木の広がりとは別に、商品として遠くへ運ばれることになった。ポルトガルが南アメリカへ渡った16世紀、ブラジルへ入ったオリーブ油は畑の産物ではなく、本国から船で届く輸入品だった。移り住んだ人々は、木を持っていけない代わりに、油の入った壺と、それを使う料理の作法を運んだのである。

各地への伝来 3

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 前5600〜前5000頃 レバント 在来在地栽培
  • 前100頃 スペイン 在来
  • 1500〜1600頃 ブラジル 植民地交易流通

オリーブ油を使う料理 66

成立年不明 8

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

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