タッブーレ 時期 C起源説 C検証済
確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→
暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。
お気に入りリスト
パセリとブルグル、レモンとオリーブ油で和えるレバントのサラダ。「何千年も昔から食べられてきた古代の料理」と語られることがあるが、トマトの入った今日の姿は、もっと新しい近代の標準形である。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- レバノン・シリアの山岳地帯起源とされ、トマトが伝わる以前から存在。トマトのレバント到来は文献上1756年(アレクサンダー・ラッセル『アレッポ博物…
- 判定
- 諸説あり(対立説を併記)
- 主な根拠
- 支持Alexander Russell『The Natural History of Aleppo, and Parts Adjacent』(London: A. Millar, 1756) p.29 ― アレッポ市街の小庭園(little gardens)で育てる植物の列挙にトマトが出る。逐語:「raife in thefe little gardens Guinea pepper (b), which they ufe as a pickle; and love apples (c), which are but little ate by any of the natives, except the Jews」(この小庭園ではギニア胡椒〔唐辛子〕を育てて漬物にする。またラブ・アップル〔トマト〕もあるが、ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない)。同ページ脚注(c)は「Lycoperficon Galeni Aug. 217.」=Lycopersicon(トマト)と同定し、直前の脚注(b)は Capficum(唐辛子)=両者が並記されている。著者はアレッポの英国商館付医師として1740-1753年在住し1754年帰国、1756年刊=観察窓1740-53年・レバントにおけるトマトの初出年は1756年。archive.org OCR全文 naturalhistoryof00russ_djvu.txt の1323-1325行(本文)と1342-1345行(脚注b・c)で確認重み5 支持Alexander Russell / rev. Patrick Russell『The Natural History of Aleppo』2nd ed. vol.1 (London: G.G. and J. Robinson, 1794)=18世紀アレッポ(オスマン領シリア)の博物誌/archive.org 全文OCR(アイテムID: naturalhistoryof01russ)重み5
史料が示すこと: 香草とブルグルを和えて食べる暮らしそのものは、たしかに古い。レバノンとシリアの山あい、ベカー高原の農村では、qadb(可食の野草)を挽き割り小麦と和える素朴な一皿が中世からあり、そこから現在のタッブーレへと連なっていく。語の根も古く、アラム語で『調味する・浸す』を意味するt-b-lにさかのぼる。だが、今日わたしたちが思い浮かべる標準的なタッブーレには、トマトが入っている。そのトマトは大西洋の向こう、新大陸からやってきた食材で、レバントの食卓にトマトが根づくのは十九世紀後半、一八六〇年前後のことだった。パセリをふんだんに使いトマトで仕上げる前菜の形は、その後に整えられた比較的新しい姿である。英語の文献にtabboulehという語が現れるのも一九五五年が最初で、決して大昔からのものではない。現存する最古のアラビア語の料理書、十世紀バグダードのアル=ワッラークが記した六百を超えるレシピをめくっても、今の形のタッブーレはどこにも見当たらない。古いのは『野草とブルグルを和えて食べる』という食のジャンルであって、トマトを含む現行のタッブーレそのものではない。ジャンルの古さと、一皿の完成した姿の古さを取り違えたところに、古代起源という物語は生まれた。 なお「『古代(3000–5000年前)から現行タッブーレが存在』とする俗説」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- パセリ・ミント・ブルグル(小麦)はレバント在来。律速は新大陸由来のトマトで、台帳のトマト@レバント=1756年(幅1694-1756・アレクサンダー・ラッセル『アレッポ博物誌』初版1756=一次史料)が下限を与える(判定下限は幅min の1694年)。1756年の記述ではトマトは「ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない」庭の植物で、1794年の第2版では畑で栽培されバザールに運ばれる市場野菜になる=到来(存在)は1756年、現地の食用としての定着は19世紀であり、下限を縛るのは前者。
- 調理技術ゲート
- ブルグルの加工(蒸し砕き)と生野菜の刻み和え
- 場ゲート
- 家庭・メッゼ(前菜)
成立年代と成立ゲート
食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い食材入手ゲート(1694年・在地/到来・トマト)が律速=成立の物理的な下限で、太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は律速以降にある。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
検証メモ: フムスやファラフェルとは主役食材(パセリ・ブルグル)が異なる独立した料理。現行形はトマトを含むため、新大陸のトマトがレバントに届いた後にしか成立しない。その到来は文献上1756年(早くとも1694年)まで遡り、旧来の「19世紀後半に到来」は到来ではなく普及の年だった。したがって成立の物理的な下限は18世紀以前まで開くが、パセリ主体・トマト入りの前菜形が標準化したのは19世紀とみられ、下限と実際の成立時期の間には幅が残る。現行形を直接記録するアラビア語の一次史料(ハリール・サルキースのベイルート1885年料理書など)は未確認で、年代窓の上限側にはさらなる史料確認の余地がある。
起源説
定説
レバント香草食(qadb)からの連続的発展説 B
レバノン・シリア山岳部(ベカー高原)の在来。中世アラブの食用香草qadbをブルグル(挽き割り小麦)と和える農村食が、現行のパセリ主体サラダ=タッブーレへ発展した。語源はレバント方言tabbūle←アラビア語tābil←アラム語根t-b-l『調味・浸す』。レバノンの国民料理。主役パセリ・ブルグルは旧世界在来で食材ゲートは緩い。
- 支持 Tabbouleh - Britannica 重み3
- 支持 tabbouleh, n. — Oxford English Dictionary (OED) 重み3
- 支持 A History of the Origin of Tabbouleh: Lebanon's National Food — Arab America (medieval qadb edible herbs of Bekaa valley eaten with bulgur evolved into tabbouleh; Lebanese national dish) 重み2
- 支持 Tabbouleh - Wikipedia 重み1
諸説併記
★主 レバント山岳起源・古層は野草とブルグルの素朴な料理(古い起源説) C
レバノン・シリアの山岳地帯起源とされ、トマトが伝わる以前から存在。トマトのレバント到来は文献上1756年(アレクサンダー・ラッセル『アレッポ博物誌』初版)で、現地の日常食材としての定着は19世紀=旧記述の「トマト導入は19世紀後半」は到来でなく普及の年を指していた。古層は野草(qaḍb)等の食用ハーブとブルグルを和えた素朴なもので、中世まで遡るとされる。語源はアラム語t-b-l(調味)。ベカー渓谷のサラムーニ小麦がブルグルに好適で19C半ばに栽培。
- 支持 Alexander Russell『The Natural History of Aleppo, and Parts Adjacent』(London: A. Millar, 1756) p.29 ― アレッポ市街の小庭園(little gardens)で育てる植物の列挙にトマトが出る。逐語:「raife in thefe little gardens Guinea pepper (b), which they ufe as a pickle; and love apples (c), which are but little ate by any of the natives, except the Jews」(この小庭園ではギニア胡椒〔唐辛子〕を育てて漬物にする。またラブ・アップル〔トマト〕もあるが、ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない)。同ページ脚注(c)は「Lycoperficon Galeni Aug. 217.」=Lycopersicon(トマト)と同定し、直前の脚注(b)は Capficum(唐辛子)=両者が並記されている。著者はアレッポの英国商館付医師として1740-1753年在住し1754年帰国、1756年刊=観察窓1740-53年・レバントにおけるトマトの初出年は1756年。archive.org OCR全文 naturalhistoryof00russ_djvu.txt の1323-1325行(本文)と1342-1345行(脚注b・c)で確認 重み5
- 支持 Tabbouleh - Britannica 重み3
- 支持 Gil Marks, Encyclopedia of Jewish Food (Wiley, 2010) 重み3
- 支持 Tabbouleh - Wikipedia 重み1
現在形(パセリ主体・トマト入りメッゼ)は近代の標準化という説 C
今日的なパセリ主体でトマトを加えた前菜形は新しく、トマトがレバントの日常食材として定着した19世紀以降に成立したとする説。トマト自体の到来はより早く、文献上は1756年(アレクサンダー・ラッセル『アレッポ博物誌』初版がアレッポの小庭園のトマトを記録。ただし「ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない」)、1794年の第2版では畑作されバザールに出る市場野菜になっている=到来と食用の一般化は別で、この説が根拠にするのは後者。1920年代ベカー渓谷の露天カフェがメッゼとして提供し、レバノンの国民食・象徴へと定着させた近代の標準化と捉える。英語初出も1939/1955年と新しい。
- 支持 Alexander Russell / rev. Patrick Russell『The Natural History of Aleppo』2nd ed. vol.1 (London: G.G. and J. Robinson, 1794)=18世紀アレッポ(オスマン領シリア)の博物誌/archive.org 全文OCR(アイテムID: naturalhistoryof01russ) 重み5
- 支持 Alexander Russell『The Natural History of Aleppo, and Parts Adjacent』(London: A. Millar, 1756) p.29 ― アレッポ市街の小庭園(little gardens)で育てる植物の列挙にトマトが出る。逐語:「raife in thefe little gardens Guinea pepper (b), which they ufe as a pickle; and love apples (c), which are but little ate by any of the natives, except the Jews」(この小庭園ではギニア胡椒〔唐辛子〕を育てて漬物にする。またラブ・アップル〔トマト〕もあるが、ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない)。同ページ脚注(c)は「Lycoperficon Galeni Aug. 217.」=Lycopersicon(トマト)と同定し、直前の脚注(b)は Capficum(唐辛子)=両者が並記されている。著者はアレッポの英国商館付医師として1740-1753年在住し1754年帰国、1756年刊=観察窓1740-53年・レバントにおけるトマトの初出年は1756年。archive.org OCR全文 naturalhistoryof00russ_djvu.txt の1323-1325行(本文)と1342-1345行(脚注b・c)で確認 重み5
- 支持 Anny Gaul (2022) Revolutionary Landscapes and Kitchens of Refusal: Tomato Sauce and Sovereignty in Egypt. Gender & History 34(3):789-809 — エジプト最古の言及候補は1680年代のエジプト方言諷刺詩(qūṭa・状況証拠)/1798年ナポレオン遠征の学者によるエジプト植物目録にラテン名とアラビア語名で記載/イスタンブル宮廷帳簿は1694年から(Tülay Artan)/1844年オスマン料理書で野菜煮のソースとして常用、その1878年アラビア語訳がエジプトで刊行 重み4
- 支持 tabbouleh, n. — Oxford English Dictionary (OED) 重み3
- 支持 Tabbouleh - Wikipedia 重み1
比率・系統の地域差(パセリ主体レバント vs ブルグル主体シリア系) C
伝統的レバント版はブルグルよりパセリ等のハーブが多いのに対し、シリア系ユダヤ人が伝えた版はブルグルを主とする。後者は1970年代にイスラエル・米国へ伝播し西洋ではブルグル多めの適応形が広まった。どの比率・系統を『本来』とするかで諸説。
- 支持 Tabbouleh - Wikipedia 重み1
レバノン国民料理説 C
タブーレをレバノンの(非公式)国民料理とする説。2001年以降「国民タブーレの日」(7月第1土曜)を祝うなど国家的アイデンティティと強く結合。ただしレバノン単独起源を史料で証明するものではなく、帰属の主張(culinary nationalism)として位置づく。
- 支持 Tabbouleh - Britannica 重み3
- 支持 Tabbouleh - Wikipedia 重み1
レバント共有起源説(レバノン・シリア両属) C
タブーレはレバノン・シリアの山岳・ベカー高原一帯に共通するレバント料理で、中世の可食ハーブ(qaḍb)+ブルグルを和える食習に由来する。いずれか一国の単独起源は史料上証明できず、両国(さらにヨルダン等)が自国料理として正当に主張しうる共有遺産。トマトを含む現行形は、トマト到来(文献上1756年・早くとも1694年)ののち現地に定着した19世紀以降の比較的新しい形。
- 支持 Alexander Russell『The Natural History of Aleppo, and Parts Adjacent』(London: A. Millar, 1756) p.29 ― アレッポ市街の小庭園(little gardens)で育てる植物の列挙にトマトが出る。逐語:「raife in thefe little gardens Guinea pepper (b), which they ufe as a pickle; and love apples (c), which are but little ate by any of the natives, except the Jews」(この小庭園ではギニア胡椒〔唐辛子〕を育てて漬物にする。またラブ・アップル〔トマト〕もあるが、ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない)。同ページ脚注(c)は「Lycoperficon Galeni Aug. 217.」=Lycopersicon(トマト)と同定し、直前の脚注(b)は Capficum(唐辛子)=両者が並記されている。著者はアレッポの英国商館付医師として1740-1753年在住し1754年帰国、1756年刊=観察窓1740-53年・レバントにおけるトマトの初出年は1756年。archive.org OCR全文 naturalhistoryof00russ_djvu.txt の1323-1325行(本文)と1342-1345行(脚注b・c)で確認 重み5
- 支持 Tabbouleh - Wikipedia 重み1
- 支持 Tabbouleh - Lebanon and Syria (the gourmet archaeologist) — medieval qaḍb edible herbs + bulgur, shared Lebanon/Syria heritage 重み1
反証
『古代(3000–5000年前)から現行タッブーレが存在』とする俗説 D
一部の通俗記事はタッブーレを古代レバントの民が数千年前から食べていたと主張する。香草+ブルグルという食のジャンルの古さは否定しないが、現行の標準レシピはトマト(新大陸原産で、レバントでの文献上の最古の記録は1756年のアレクサンダー・ラッセル『アレッポ博物誌』初版。現地の日常食材としての定着は19世紀)を含み、現行形が成立しうるのは早くとも17世紀末以降=数千年前ではありえない。これは「ジャンルの古さ」を「現行形の古さ」と取り違えた混同で、現行タッブーレの古代起源は史料が支えない俗説として区別する。トマトの到来を最も早い側(1694年・オスマン宮廷帳簿)に置いても、数千年前という主張とは両立しない。
- 反証 Alexander Russell / rev. Patrick Russell『The Natural History of Aleppo』2nd ed. vol.1 (London: G.G. and J. Robinson, 1794)=18世紀アレッポ(オスマン領シリア)の博物誌/archive.org 全文OCR(アイテムID: naturalhistoryof01russ) 重み5
- 反証 Alexander Russell『The Natural History of Aleppo, and Parts Adjacent』(London: A. Millar, 1756) p.29 ― アレッポ市街の小庭園(little gardens)で育てる植物の列挙にトマトが出る。逐語:「raife in thefe little gardens Guinea pepper (b), which they ufe as a pickle; and love apples (c), which are but little ate by any of the natives, except the Jews」(この小庭園ではギニア胡椒〔唐辛子〕を育てて漬物にする。またラブ・アップル〔トマト〕もあるが、ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない)。同ページ脚注(c)は「Lycoperficon Galeni Aug. 217.」=Lycopersicon(トマト)と同定し、直前の脚注(b)は Capficum(唐辛子)=両者が並記されている。著者はアレッポの英国商館付医師として1740-1753年在住し1754年帰国、1756年刊=観察窓1740-53年・レバントにおけるトマトの初出年は1756年。archive.org OCR全文 naturalhistoryof00russ_djvu.txt の1323-1325行(本文)と1342-1345行(脚注b・c)で確認 重み5
- 反証 Nawal Nasrallah (trans./ed.), Annals of the Caliphs' Kitchens: Ibn Sayyār al-Warrāq's Tenth-Century Baghdadi Cookbook (Kitāb al-Ṭabīkh), Brill 2007 — harīsa as pounded wheat-and-meat porridge in the oldest surviving Arabic cookbook 重み4
- 反証 The history of tomato sauce: Arab and Italian traditions — Pomì/Middle East (tomato Levant adoption 19C) 重み2
- 言及 Tabbouleh - Wikipedia 重み1
解説
山の香草料理から食卓の前菜へ
タッブーレは、レバノンやシリアのレバント地方で生まれた、刻んだパセリを主体に、ブルグル(挽き割り小麦)やミント、トマトを和え、レモンとオリーブ油で味付けするサラダである。前菜(メッゼ)として食卓に並び、レバノンでは国民的な料理として親しまれている。
その古層は、レバノン・シリアの山岳地帯、とりわけベカー高原にさかのぼる。中世のアラブの人々は、qadb(カドブ)と呼ばれる食用の香草をブルグルと和えて食べていた。この素朴な農村の香草料理が、時代を経て、パセリを主役にすえた今日のサラダへと育っていった。料理名の「タッブーレ」も、アラム語にさかのぼる「調味する・浸す」を意味する語根に由来すると考えられている。
主役のパセリもブルグルも、レバントの土地に根づいた古い食材で、早くから日々の食卓にあった。一方でトマトは新大陸からの渡来作物である。十八世紀半ばのアレッポでは、すでに市中の小庭園に植えられていたと記録されているが、当時それを口にする現地の人はごくわずかだった。畑の作物として市場に運ばれるようになるのは十八世紀の末、そして家々の日々の菜になるのは十九世紀のことである。トマトの赤を散らした今日のタッブーレが広まるのも、この赤い実が山あいの台所の常備品になってからのことだとみられる。
検証ストーリー
タッブーレをめぐっては、「三千年も五千年も昔から、古代レバントの人々がこのサラダを食べていた」という話が通俗的な記事に見られる。古さに権威を求めたくなる、魅力的な物語である。
だが、ここには二つの「古さ」の取り違えがある。香草とブルグルを和えて食べるという食のジャンルそのものは、確かに中世まで、あるいはそれ以前までさかのぼれるだろう。その古さは否定されない。しかし、今日わたしたちが思い浮かべるトマト入りのタッブーレは別の話である。トマトは新大陸の作物で、レバントに姿を見せたのは、どれほど早く見積もっても十七世紀の末である。三千年前のレバントの畑にも市場にも、この赤い実は無い。「ジャンルの古さ」を「今の一皿の古さ」と重ねてしまったところに、古代起源説のほころびがある。
赤い実がこの地に姿を見せた時期と、人々がそれを食べはじめた時期がずれている点も、この料理の来歴をややこしくしている。アレッポに駐在した英国人医師の博物誌は、初版(一七五六年)の時点で市中の小庭園にトマトが育つことを書きとめながら、ユダヤ人を除く現地の人々はほとんど食べない、と付け加えている。一七九四年の第二版では、鉢植えの草花あつかいだったトマトが近ごろ畑で作られ市場に出るようになったと改められ、現地の呼び名は「フランクのナス」——外から来た者の茄子、である。食材としての存在と、日々の食卓への定着とは、別の出来事だった。
たどれる道筋はこうなる。中世のベカー高原の香草料理が連続して受け継がれ、トマトが土地の野菜として根づいたのち、パセリ主体でトマトを加えた現在の形が広まっていった。その時期は十九世紀とみられ、二十世紀前半にはベカー渓谷の露天カフェが前菜として供して、レバノンの国民的な一皿として定着していく。古層は中世まで遡り、今日の姿は近代に整う——タッブーレの来歴は、この段階の差を抜きには語れない。
なお、どの比率を「本来」とするかには地域差もある。伝統的なレバント版はパセリなどの香草が多く、シリア系の人々が伝えた版はブルグルを多めにする。後者は二十世紀後半に欧米へ伝わり、西洋ではブルグルの多い形が広まった。
「本来」をめぐる差は、比率だけにとどまらない。レバノンでは二〇〇一年から七月の第一土曜を「国民タッブーレの日」として祝い、この一皿を国の顔として掲げてきた。一方で、同じ香草とブルグルの食は山を越えたシリアの村々にも古くからあり、ヨルダンをはじめ周辺の国々も自国の料理として名を挙げる。どの一国の単独起源も史料では証明できない、レバント一帯の共有の遺産だという見方があり、誰の料理かという帰属の主張と、どこで生まれたかという成立の話は、別の次元にある。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-06-25 | 支持 | C→C |
タブーリはレバント山岳起源で古層は野草とブルグルの素朴な料理、トマトは19C後半到来後の近代要素 出典:
Tabbouleh - Britannica 重み3
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polisher-1 |
| 2026-06-25 | 支持 | C→C |
トマトのレバント到来=19C後半(John Barker がアレッポに導入1799-1825、食用普及は数十年後の19C後半)。食材ゲート台帳にトマト×レバント=1860(幅1800-1900)を登録
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polisher-1 |
| 2026-06-27 | 支持 | C→C |
タッブーレはレバント(レバノン・シリア山岳/ベカー高原)起源で、中世アラブの食用香草qadbをブルグルと和える食から発展した連続的伝統 出典:
Tabbouleh - Britannica 重み3
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polisher-1 |
| 2026-06-27 | 反証 | D→D |
現行タッブーレが古代(3000-5000年前)から存在したという主張
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polisher-1 |
| 2026-06-27 | 支持 | C→C |
タブーレはレバノン・シリア共有のレバント料理で、中世のqaḍb(可食ハーブ)+ブルグルの食習に由来。単独国の起源は史料上証明できず、両国が正当に主張しうる共有遺産(culinary nationalism)。
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executor |
| 2026-06-27 | 支持 | C→C |
現行形タブーレ(トマト入り)は、トマトのレバント到来(19世紀後半・台帳#94=1860/幅1800-1900)以後にしか成立しえない=物理的下限。中世のハーブ+ブルグル古層とは別に、現行形の成立下限はトマトが律速。 出典:
Tabbouleh - Wikipedia 重み1
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executor |
| 2026-06-29 | 支持 | C→C |
「tabbouleh」の英語初出はOEDで1955年(J.Gulick)。語源はアラビア語tabbūla←tābil/tābal(調味)。文献初出が新しいことは現行メッゼ形の近代標準化説を補強(初出≠発祥として年代窓上限に使用)
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polisher-1 |
| 2026-06-29 | 支持 | B→B |
ベカー渓谷のサラムーニ小麦が19C半ばにブルグル用として好適と認知された(Gil Marks, Encyclopedia of Jewish Food 2010)。中世qadb香草からの連続的発展という骨格を専門事典級で補強
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polisher-1 |
| 2026-06-29 | 反証 | D→D |
現存最古のアラビア料理書(10C al-Warrāq, Kitāb al-Ṭabīkh, 600超の中世レシピ)に現行形タッブーレ/フムスは現れない。『古代(3000-5000年前)から現行タッブーレが存在』という俗説は、現行形(トマト含む)の物証が中世料理書にすら無いことで反証される
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polisher-1 |
| 2026-08-21 | 支持 | C→C |
トマトのレバント到来は1756年(幅1694-1756)=ラッセル『アレッポ博物誌』初版(London 1756) p.29 の直接記述であり、「19世紀後半(1860年前後)に到来」ではない。現行タッブーレ(トマト入り)の物理的下限はこれに従い1694年(判定下限=幅min)へ移る
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polisher-1 |
| 2026-08-21 | 支持 | C→C |
1794年の『アレッポ博物誌』第2版 p.90 脚注は、以前は鉢植えで観賞されるだけだったトマトが近ごろ畑で栽培されバザールに運ばれるようになり、現地では Frank Badinjan(フランクのナス)と呼ばれると記す=18世紀末のアレッポでトマトは市場野菜になっていたが、なお外来のものと認識されていた
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polisher-1 |
| 2026-08-21 | 反証 | D→D |
『古代(3000-5000年前)から現行タッブーレが存在』とする俗説は、トマトのレバント到来を1756年(早くとも1694年)に置き直しても反証される=現行の標準レシピが含むトマトは17世紀末以前のレバントに存在しない
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polisher-1 |
| 2026-08-28 | 不明 | —→— | — | polisher-1 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。