一覧 / (未分類) / 中国・広東華南料理

叉焼 時期 C起源説 C検証済

確からしさは2つ: 成立時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確からしさとは?→

通説に誤りあり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

中国・広東省 ・ 清代〜近代(広東焼味として定着) ・ 成立年代 1600–1900 ・ 主役食材 豚肉

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説の確からしさC・検証済C

叉焼は三千年前、周王朝の宮廷レシピ書に載っていた——広く語られるこの由緒はその書の名を示しておらず、周代の宮廷料理を伝える『禮記』の八珍にある豚料理(炮)も、叉に刺して焼くものではない。いま確かめられる叉焼の名は、清代の作とされる広東語の小説や二十世紀初めの書物に出てくるもので、三千年の由緒は、後から古さを盛った起源話とみられる。

叉焼の実写写真
実写(装飾) 出典: Wikimedia Commons(Char siu pieces.jpg)(パブリックドメイン・Michael)

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
『叉焼は3000年前の周代の宮廷レシピ書に登場する』とする説(報道・料理ブログが流布)。だが(1)その周代の書を具体的に示した出典は見当たらない…
判定
諸説あり
主な根拠
支持徐珂『清稗類鈔』飲食類(1917年刊/維基文庫全文・巻105)=便宜坊と燒鴨の記載は同巻の別々の条に分かれる(一続きに読まないこと)。①「京師食品」条『填鴨之法,南中不傳。其製法有湯鴨、爬鴨之別,而尤以燒鴨為最,以利刃割其皮,小如錢,而絕不黏肉』=京師の燒鴨(填鴨)の描写。店名は挙げない。②同条の次項『金陵有便宜坊桶子雞,京師米市胡同亦有之,雖與燒鴨並稱,而鴨則不如他肆,惟雞獨勝,色白而味嫩,嚼之,無渣滓』=便宜坊の名はこの桶子雞(鶏)の記載に現れ、鴨は他肆に及ばないと評される。③「京師宴會之肴饌」条(光緒己丑・庚寅=1889〜90年頃の京官の宴)『…致美齋之紅燒魚頭…,便宜坊之燒鴨,某回教館之羊肉,皆適口之品也』=便宜坊の燒鴨はこの別条に記録される。④「小酌之消夜」条『廣州酒樓之肴,有所謂消夜者…冷者為香腸、叉燒、白雞、燒鴨之類』=広州の酒楼の消夜に燒鴨が並ぶ記録一次史料 支持邵紀棠『俗話傾談』卷1 — 維基文庫(zh.wikisource)翻刻(番邑黃從善堂本)一次史料

史料が示すこと: だが、その周代の史料を具体的に挙げた出典はどこにも示されていない。これは中国で『肉を炙る』という技法一般が古いことと、広東の焼味料理としての固有料理『叉焼』が定まったことを取り違えた語りである。叉焼という名が文献に確かに現れる初出は一九五二年(英語の辞書が採る用例)で、レシピとしての言及も陳夢因の『食經』(二十世紀半ば)にたどれるにとどまる。周代までさかのぼる独立した史料は一つもない。広東の焼味店文化のなかで漸進的に定着し、一九五〇年代に香港へ移った料理人が蜜だれ仕立てなどの技を洗練させた、というのが史料の描く姿であり、三千年という古さは裏づけを欠く作り話である。 なお「叉焼は3000年前の周代の宮廷レシピ書に載るとする説」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。

検証ログをすべて見る ↓

有名なのに諸説ある起源・創られた伝統の一覧へ →

3つの成立条件

食材の条件
豚肉・麦芽糖・醤油・紅麹いずれも中国在来。律速となる外来食材なし
調理技術の条件
叉(フォーク)に刺して吊るし炙り焼く焼味技法
場の条件
広東の焼味店(焼臘)・家庭の惣菜として普及

成立年代と成立条件

主役食材(豚肉)の到来データが未登録(不明)のため、到来による下限(縦線)は表示していない。帯は成立年代を示す。

成立年代と成立条件成立 1600–190015701930

検証メモ: 焼味文化の成立時期や叉焼の初出、蜜だれの配合については、さらなる史料での確認が望まれる。

起源説

諸説併記

広東の焼味(siu mei)文化のなかで成立した焼き豚とする説 C

叉焼は広東の焼味(焼臘)の店文化のなかで成立した、叉(フォーク状の串)に刺して吊るし炙り焼く焼き豚。豚肉・麦芽糖・醤油・紅麹はいずれも中国在来で外来食材の到来に縛られない。叉に刺して焼く技法は18世紀末の『隨園食單』に鴨・羊の焼き方として記録される。叉燒の名は…続きを読む

叉焼は広東の焼味(焼臘)の店文化のなかで成立した、叉(フォーク状の串)に刺して吊るし炙り焼く焼き豚。豚肉・麦芽糖・醤油・紅麹はいずれも中国在来で外来食材の到来に縛られない。叉に刺して焼く技法は18世紀末の『隨園食單』に鴨・羊の焼き方として記録される。叉燒の名は、清代の広東語小説『俗話傾談』に切り売りされる調理済みの肉として、吳趼人『發財秘訣』(1908年)に酒の席の肴として、1917年刊の『清稗類鈔』に広州の酒楼の夜食の冷菜として現れる。英語の char siu は OED によれば1952年、レシピは陳夢因『食經』(20世紀半ば)に載る。1950年代に香港へ移った焼味料理人が技法を洗練し蜜だれ(蜜汁叉焼)化が進んだとされる。成立年を単一発祥に還元する史料はなく、日常食として漸進的に定着したもので、文献に現れる年をそのまま成立年とはみなせない。

反証

叉焼は3000年前の周代の宮廷レシピ書に載るとする説 D

『叉焼は3000年前の周代の宮廷レシピ書に登場する』とする説(報道・料理ブログが流布)。だが(1)その周代の書を具体的に示した出典は見当たらない。(2)周代の宮廷料理を伝える記録としてよく知られる『禮記』內則の八珍の豚の料理(炮)は、子豚に棗を詰め粘土で包んで焼き、揚げてから三日三夜煮る料理で、叉に刺して焼く叉燒とは作り方が違う。(3)中国で肉を炙る技法一般の古さと、広東の焼き物としての叉焼の成立を混同している。叉に刺して焼く技法は18世紀末の『隨園食單』(鴨・羊)に、叉燒の名は清代の広東語小説『俗話傾談』や1917年刊の『清稗類鈔』(広州の酒楼の夜食)に現れ、周代まで遡る記録は今回当たった範囲には無い。古い時代に起源をさかのぼらせる起源譚とみられる。

解説

叉焼は、豚肉をたれに漬け込み、叉(フォーク状の串)に刺して吊るし、炭火で炙り焼いた広東の焼き豚である。名の「叉」はこの串を、「焼」は炙り焼くことを指す。表面をつややかな赤茶色に染めるのは紅麹、甘い照りは麦芽糖、旨みの土台は醤油——いずれも古くから中国の台所にあった素材である。

この一皿が「叉焼」という一つの料理として姿を整えたのは、広東で焼臘(焼味)と呼ばれる焼き物屋の文化のなかでのことである。叉に刺して火で焼く技法そのものは、十八世紀末に袁枚が著した料理書『隨園食單』に、鴨や羊の焼き方として書きとめられている。町の店先に鴨や豚を吊るして炙り、切り分けて売る——この商いのなかで、漬けだれの配合や吊るし焼きの火加減が磨かれていった。焼き物屋の店文化が広州で成熟したのは清の末から近代にかけてと見られ、叉焼もその流れのなかで日々の惣菜として少しずつ根を下ろした。

一九五〇年代には、香港へ移った焼き物屋の職人たちが技法を洗練させ、蜜のように甘く照る蜜汁叉焼が広まっていったとされる。叉焼は、ある年に誰かが発明した料理ではなく、店の軒先で少しずつ育った家常の味である。

検証ストーリー

叉焼には、三千年前の周王朝の宮廷レシピ書にすでに登場していた、という壮大な由緒がしばしば添えられる。料理の記事や報道でも見かける話だが、その周代の書物を具体的に指し示したものは見当たらない。周代の宮廷料理を伝える記録としてよく知られるのは、儒教の経典『禮記』の内則篇に並ぶ八珍、つまり八つのごちそうである。そこにある豚の料理「炮」は、子豚の腹に棗を詰め、葦で包んで粘土を塗って焼き、米粉の衣をつけて油で揚げてから、鼎で三日三夜煮るという手の込んだもので、叉に刺して吊るし焼く叉焼とは作り方が違う。

この由緒は、中国で肉を火で炙る調理そのものが古いことと、広東の焼き豚である叉焼がまとまった料理として成立したことを、いつのまにか一つに重ねてしまったものだ。肉を炙る営みは確かに古い。だが叉焼という名を持つこの料理が古いことにはならない。

叉焼の名そのものは、清代の作とされる広東語の小説『俗話傾談』に出てくる。女が夫を急かして叉焼を切ってもらいに行かせ、鹵味(たれで煮た肉)と一緒に蓮の葉に包んでもらう場面で、叉焼は店で切り分けて売られる、できあがった肉として描かれている。年のはっきりした書物では、一九〇八年の吳趼人『發財秘訣』が酒の席に腸詰めや叉焼の類を並べ、一九一七年刊の徐珂『清稗類鈔』は、広州の酒楼が出す夜食の冷たい皿として、腸詰め・白切りの鶏・焼き鴨と並べて叉焼を挙げている。

周王朝の書物に叉焼が出るという話は、拠り所の書物を示さないまま語られてきた。三千年の宮廷起源は、実際より遥かに古い由緒をまとわせた起源話とみられ、叉焼の素顔は広東の焼き物屋の店の味である。ただし書物に名が見える年を、そのまま生まれた年と読むわけにもいかない。叉焼の誕生を一つの年に結びつける記録は知られておらず、広東の焼き物屋の文化が熟していった清代から近代にかけての幅のなかで、叉焼はゆっくりと形をなした——そう見るのが、いまのところ最も穏当な線である。

検証ログ 6 件・押すと開く

日付結果確からしさの変化主張 / 出典
2026-07-02 反証 C→D

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

叉焼は3000年前の周代の宮廷レシピ書に登場する(深い古層起源説)
2026-07-02 支持 C→C

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

叉焼は広東の焼味(siu mei)文化に成立した焼き豚で、文献初出は20世紀
2026-10-24 支持 C→C
徐珂『清稗類鈔』(1917年刊)飲食類は、広州の酒楼の夜食(消夜)の冷たい肉の皿として叉燒を香腸・白雞・燒鴨と並べて挙げる。漢語の叉燒は遅くともこの刊本に、広州の酒楼で出る焼き物として記録されている。英語の char siu(OED で1952年とされる)や陳夢因『食經』(20世紀半ば)より前に、中国語の文献に叉燒が現れる。
2026-10-24 支持 C→C
広東語で書かれた清代の勧善小説、邵紀棠『俗話傾談』卷1「橫紋柴」に、夫に叉燒を切ってもらって買いに行かせ、鹵味と一緒に蓮の葉で包む場面がある=叉燒が店で切り売りされる調理済みの肉として清代の広東語の文章に出る。
2026-10-24 支持 C→C
袁枚『隨園食單』(1792年刊)は燒鴨の作り方として雛鴨を叉に掛けて焼くと記し、羊肉も鉄の叉で火にかけて焼くと記す。叉に刺して火で焼く技法は18世紀末に記録されているが、豚の叉燒という料理名はこの本に出ない。
2026-10-24 反証 D→D
周代の宮廷料理を伝える記録としてよく知られる『禮記』內則の八珍にある豚の料理(炮)は、子豚の腹に棗を詰め、葦で包み粘土を塗って焼いてから、米粉の衣を付けて油で揚げ、鼎で三日三夜煮る料理で、叉に刺して焼く叉燒とは作り方が違う。叉に刺して焼く技法の記録は18世紀末の『隨園食單』(鴨・羊)、叉燒の名は清代の『俗話傾談』と1917年刊の『清稗類鈔』で確かめられる。周代の書に叉焼が出るという説を支える記録は、今回当たった範囲には無い。

このページの誤り・修正を報告

構成素材

この料理を構成する素材の成立史へ。

  • 素材豚肉
  • 素材紅麹成立史は準備中
  • 素材麦芽糖成立史は準備中

関連する料理

同じ食材を共有(豚肉)

ほか 40 品。 豚肉の食材ページで一覧を見る →

近い料理 地域・年代・食材の伝来元の近さ