食文化圏 / サブサハラ
西アフリカ料理の成立史
サブサハラの食文化圏「西アフリカ」に属する料理 58 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 前3000 年〜最新 1900 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 13 外来 33
所属する料理 58
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定番 マアフェ
セネガル 1600–1900
時B説C
西アフリカの落花生シチュー、マアフェ。「セネガルで生まれた料理で、そこから持ち込まれるまでマリでは知られていなかった」という言い切りが広く出回っているが、その一文には出典がなく、料理の名そのものはマリのマンディンカ/バンバラの言葉に発している。
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アンペシ
ガーナ ?–?
時C説B
アンペシは、ガーナのアカンの人々がヤムやプランテンを茹でただけの日常の主食。特別な発明者も華々しい起源譚もないまま、土地に根づいた古いイモ農耕とともにあり続けてきた一皿である。
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クース
ガーナ ?–?
時C説C
クースは、西アフリカに古くからあるササゲ豆(黒目豆)を挽いて揚げた、ガーナ北部の朝食フリッター。ガーナへ伝わった道筋がハウサ経由かヨルバ経由か、どちらが先かは口承文化ゆえ今も決着していない。
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ダンブー
ニジェール ?–?
時C説B
モリンガの葉をあわせた雑穀のクスクス、ダンブー。華やかな発祥の逸話を持たず、乾いたサヘルの土地とそこに根づいた作物から静かに育った、ニジェール南西部の在来食である。
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チャクリ
セネガル ?–?
時C説B
粟を細かく蒸してヨーグルトで和えるセネガルの甘味チャクリは、サヘルの牧畜民フラニの食卓に生まれたと広く語られる。だが、その筋を伝える古い記録は見つかっておらず、最初の一皿がいつ誰の手で形をとったのかは分かっていない。
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トゥウォン・シンカファ
ナイジェリア(ハウサ圏) ?–?
時C説B
トゥウォン・シンカファは、ハウサ語で「米のトゥオ」を意味する北ナイジェリアの日常食である。誰がいつ考え出したのかを語る発祥譚は伝わらないが、その米を育てるハウサ圏の畑のほうは、16世紀の地誌にすでに書き留められている。
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トゥオ・ザーフィ
ガーナ ?–?
時C説B
トゥオ・ザーフィは北ガーナの家々でつくられる熱い練り生地の主食で、誰がいつ考え出したのかを語る話は伝わっていない。トウモロコシ粉の生地は後から加わった近代の代替で、もとの白い生地はサヘルに古くからあるミレットのものである。
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バーセ・ネベ/ティオポル(ササゲのクスクス)
セネガル ?–1890
時C説B
トウジンビエのクスクスにササゲを合わせた、セネガル川流域の一皿。いつ生まれたかを教える手がかりは残っておらず、確かなのは1890年の宣教師の辞書に topor という固有の名で載っていたことである。
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レッドレッド
Ghana ?–?
時C説B
ガーナの家庭料理レッドレッドは、黒目豆を赤パーム油で煮て、こんがり揚げた完熟プランテンを添えた一皿。名の「赤」はトマトの赤――と思われがちだが、実際は赤パーム油と揚げプランテンの赤に由来する。
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ワアチェ
Ghana ?–?
時C説B
ワアチェは、北ガーナで生まれたハウサ系の米豆料理が、女性行商とともに南の大都市へ運ばれ、いまやガーナ全土の屋台を代表する一皿になったもの。名前じたいが、ハウサ語で「豆」を指す言葉に由来する。
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アマラ
ナイジェリア -3000–?
時D説C
ヨルバの主食アマラには、11世紀にひとりの女性が編み出したという逸話が伝わる。だが、いつ・誰がこの料理を始めたかを一つの物語に帰することはできず、確かなのはこれを支えるヤムが土地に何千年も前から根づいていたという事実だけである。
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バンガスープ
ナイジェリア -3000–1900
時C説B
バンガスープは、ナイジェリア南部ニジェール・デルタの人々が油ヤシの果実から炊き出す、赤みを帯びた濃いスープである。よく似たイボ族の ofe akwu と取り違えられがちだが、これはデルタ諸民族に受け継がれてきた別の一皿だ。誰がいつ考えついたのかを示す記録は残っていない。
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エウェドゥスープ
ナイジェリア -2500–1900
時D説B
とろりと糸を引くエウェドゥスープは、ナイル河畔で愛されるモロヘイヤがアフリカの西の端まで渡ってきた料理と見られることがある。だが同じ葉を使うというだけで、ヨルバのこの一皿はエジプトから伝わったものではなかった。
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フライドヤム
ガーナ -2000–?
時C説B
ガーナの屋台で揚げられるフライドヤムには、誰が考案したという発祥話がない。主役のヤムは西アフリカに古くから根づいた作物で、近年のゲノム解析はその栽培化の故郷をガーナ東部一帯と突き止めた。
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パームナッツスープ
ガーナ -1600–?
時C説B
パームナッツスープ(アカン語でアベンクワン)は、特定の発明者も華やかな発祥譚も持たない、西アフリカに古くから根づいた在来のスープである。主役のアブラヤシの実を使う暮らしはガーナで約3600年前まで確かめられる一方、スープそのものがいつ生まれたかを伝える記録は残っておらず、正確な成立年代はわからない。
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スープ・カンジア
セネガル -1000–1700
時C説B
セネガルをはじめ西アフリカ一帯で、米やフフに添えて食べる、オクラとパーム油で魚を煮込んだとろみのある一皿。ルイジアナのガンボの祖型の一つが、この家庭料理にさかのぼる。
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ドド
ナイジェリア(西アフリカ) -1000–?
時C説B
ドドは、南西ナイジェリアのヨルバ語で「熟したプランテンの揚げ物」を指す、ナイジェリア全土に広がる日常食。特定の発明者も由来話も持たない、土地に根づいた素朴な家庭料理である。
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ビサップ
セネガル -1000–?
時C説B
ビサップは、赤いロゼル(ハイビスカスの一種)の萼を煮出して作る、セネガルの国民的なハーブ飲料である。原料のロゼルを東南アジア渡りの外来種とみなす話がしばしば流れるが、この草はもともとアフリカの植物で、話はむしろ逆さまだった。
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オモトゥオ
ガーナ -800–?
時D説C
オモトゥオは16世紀にポルトガル商人が米を持ち込んだことに始まる——ガーナの米だんごをめぐる有名なこの起源話は、西アフリカが二千年以上前から自前の米を育てていたという事実の前に、根拠を失う。
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アブム
ガーナ 1000–1900
時C説B
ガーナ・アカンの台所には、同じココヤムの葉から生まれた二つの料理がある。煮込まずに蒸して搗き、熱したパーム油を回しかけるだけの簡素なほうが、アシャンティのアブムである。
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コントミレスープ
ガーナ 1000–1863
時C説B
ガーナのアカンの台所で葉ものシチューといえばコントミレスープ。ココヤムの葉を刻んでパーム油とともに煮込むこの一皿は、西アフリカに広く分布する「パラバソース」系の料理の中でも、ガーナ・アカンの帰属がはっきりしている一角である。
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バッシ・サルテ
セネガル 1000–?
時C説B
セネガルのバッシ・サルテは、粒状に蒸したトウジンビエ(パールミレット)に、羊肉の団子や肉と野菜のソースを合わせた一皿である。クスクスと聞いて思い浮かぶ北アフリカの小麦料理とは別に、サヘルの在来穀物から立ち上がった蒸し穀物の料理として受け継がれてきた。
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アカラ
ナイジェリア(ヨルバ圏) 1400–1600
時B説C
ナイジェリアのヨルバ圏に古くから根づく豆フリッター、アカラ。神話の女神が起源だと語られることもあるが、それは信仰が後から重ねた縁起であり、この団子はもっと素朴な台所の食べものとして始まった。
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エグシスープ
ナイジェリア(西アフリカ) 1500–1900
時C説C
ナイジェリアのエグシスープは、ウリ科の種をすり潰してとろみと旨味を出す、西アフリカの古い家庭料理だ。特定の民族や誰か一人が生み出したという語りがしばしば聞かれるが、種子をめぐる考古・遺伝・言語の証拠は、もっと広く深い土地の食の上に立っている。
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オファダライス
ナイジェリア 1500–?
時C説C
オファダライスは、ナイジェリア南西部ヨルバ地方の在来米に、緑唐辛子とパーム油、発酵ロカストビーンで作る濃いソース「アヤマセ」を添える一皿である。ソースの名を不幸な女性の物語に結びつける言い伝えは、独立した裏づけのない民間の語源にとどまる。
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ソンビ
セネガル 1500–2025
時C説B
セネガル南部カザマンス地方で、祭りの席や子どものおやつとして炊かれる甘いココナッツ米粥がソンビ。土地に根づいた米に、海を越えて届いたココナッツが重なって、いまの甘い一皿ができあがった。
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モイモイ
ナイジェリア(西アフリカ) 1500–1900
時C説C
ナイジェリアの蒸し豆プディング、モイモイ。ヨルバの人々を起源とする見方が広く受け入れられているが、いつ生まれたかを古い記録が証明しているわけではない。確かめられる古さと、確かめられない年代が隣り合う一皿である。
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アスン
ナイジェリア 1550–?
時C説C
アスンは、燻したヤギ肉を辛いペッパーソースで和えるナイジェリア・ヨルバの祝祭料理。南西部オンド地方の祝いの席に由来するとされるが、特定の発祥地を持たずヨルバ諸都市で広く生まれたとする見方もあり、故地は一つに定まっていない。
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カチュッパ
カーボベルデ 1550–?
時C説C
カチュッパは大西洋のカーボベルデの国民食で、ホミニーにしたトウモロコシとインゲン豆を肉や魚とともに一鍋で長く煮込む。新大陸の作物と奴隷交易の時代が交わって生まれた大西洋クレオールの料理で、その名の由来はアフリカの言葉かクレオール語かで、いまも定まっていない。
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ケレウェレ
ガーナ 1550–?
時C説C
ケレウェレは、熟したプランテンを唐辛子や生姜でぴりりと利かせて揚げる、ガーナ南部の屋台スナックである。だれか一人が考え出した料理ではなく、ぴりりと辛い今の姿は、唐辛子が大西洋を越えて西アフリカに届いてはじめて成り立った。
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バンク
ガーナ 1550–?
時B説B
バンクはガーナの食卓に古くから根づいた定番に見えるが、その姿を決めるトウモロコシとキャッサバはどちらも新大陸の作物で、16世紀にポルトガル交易で西アフリカ沿岸へ届いてはじめて現れた一皿である。
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フフ
西アフリカ・中央アフリカ 1550–1900
時B説C
「フフは16世紀、ポルトガルがキャッサバを持ち込んだ後にガーナで生まれた」という話が一般書や報道で広く語られる。だが搗いて作る粘りのある主食は、それよりはるか昔から土地のヤムで食べられてきた。キャッサバは古い形に後から加わった素材である。
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アクプレ
ガーナ 1600–?
時C説B
アクプレはガーナ南部・エウェ族が日々口にする素朴な練り主食だが、そのトウモロコシとキャッサバでできた姿は、大西洋を越えて新大陸の作物が届いた後にしか生まれえなかった、意外に新しい一皿である。
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アッチェケ
コートジボワール 1600–1900
時B説B
発酵させたキャッサバをすりおろし、蒸してクスクス状に仕上げるコートジボワールの主食。国民料理として2024年にUNESCO無形文化遺産に登録されたこの一皿は、大西洋交易でキャッサバが西アフリカに渡って以降に生まれた、比較的新しい料理である。
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カルドゥ
セネガル(カザマンス) 1600–1900
時C説C
セネガル南部カザマンスの魚と米の料理カルドゥ。その名はポルトガル語の「スープ(caldo)」に由来するという説が知られるが、語源を支える当時の記録はまだ見つかっておらず、料理そのものは土地のジョラの人々が古くから育ててきた在来の一皿である。
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カルド・デ・マンカーラ
ギニアビサウ 1600–?
時C説B
ギニアビサウの国民食カルド・デ・マンカーラは、落花生を搗いてペーストにし、鶏や魚とともに煮込んだ一皿である。料理名の「マンカーラ」は落花生を指すが、この呼び名はもともと、新大陸の落花生が届くより前からこの土地で食べられてきた別の豆の名だった。
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キリシ
ナイジェリア 1600–1900
時C説C
キリシを環サハラ交易の時代からの古い携行食とする話は、この乾燥肉を特徴づける落花生ペーストが新大陸生まれの落花生を必要とする以上、成り立たない。北ナイジェリアの牧畜民が育てた保存肉の、見かけより新しい成立史。
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クリクリ
ベナン 1600–?
時C説C
クリクリは、落花生の搾りかすを香辛料で練り固めてカリッと揚げた、西アフリカの素朴なスナックである。英語版ウィキペディアが載せる「1920年発明」という年号は、出典を欠いたまま独り歩きした数字にすぎず、実際にはそれよりはるかに古くから北ナイジェリアの人々が作り続けてきた保存食だ。
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グラウンドナッツスープ
ガーナ 1600–?
時C説B
グラウンドナッツスープ(ンカテンクワン)は、落花生のペーストで肉や鶏を煮込むガーナ・アカンの国民的スープである。「誰がいつ発明した」という発祥譚を持たず、南米生まれの落花生が西アフリカに根づくなかで各地に並行して育った地域料理で、その出発点をたどると大西洋を越えた一粒の豆にたどり着く。
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ケンケ
ガーナ 1600–1900
時B説C
ガーナのコースト都市で市場食として親しまれる発酵メイズの主食。だが「昔ながらの穀物団子」という素朴なくくりの奥には、大西洋を渡ってきた新大陸の穀物が土地の食卓を作り変えた、四百年ほどの物語がある。
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ココンテ
ガーナ 1600–?
時C説C
ガーナの主食ココンテを「1980年代の飢饉が生んだ食」とみる連想は、順序が逆である。これは乾燥させたキャッサバから作る古くからの保存食で、飢饉はそれを新しく作り出したのではなく、『貧者の食』という不名誉なあだ名を刻みつけただけだった。
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ダンボイ
リベリア 1600–?
時C説B
リベリアの国民食ダンボイは、臼と杵で搗いた澱粉を汁物で流し込む西アフリカ古来のフフの流儀をまとう。だがその主役キャッサバは大西洋を越えてきた新大陸の作物で、この一皿はキャッサバが西アフリカ沿岸に根づいてはじめて姿を現した。
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ドモダ
ガンビア 1600–?
時C説C
ガンビアの国民食ドモダは、いかにも太古から続く西アフリカの一皿に見える。だが、とろみの主役である落花生は大西洋を渡ってきた新大陸の作物で、いまの形のドモダは見た目ほど古くはない。
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ペペスープ
ナイジェリア(西アフリカ) 1600–1900
時B説C
肉や魚を香辛料で煮出したナイジェリアの滋養スープ。名前のとおり唐辛子で辛いこの一皿を「太古から変わらぬ料理」と語るのはたやすいが、その辛さの主役は大西洋を越えてきた新参者で、スープ自体はもっと古い香りの記憶をまとっている。
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ンガラック
セネガル 1600–1900
時C説B
セネガルの復活祭に大鍋で炊かれ、器に取り分けてムスリムの隣人へ配られる甘い粥。「数百年来の伝統」として、キリスト教が根づく前の在来の儀礼食にまで遡らせる紹介が繰り返されるが、粥の名を七つも書き留めたウォロフ語の辞典に、この菓子の名は無い。
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スヤ
ナイジェリア(ハウサ圏) 1700–1900
時B説C
ナイジェリアのハウサ圏で生まれた串焼き肉スヤ。「1852年に発明された」という年つきの起源説が事典の類で広く出回るが、これを支える同時代の記録は見当たらない。
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アタヤ
セネガル 1800–?
時B説B
グラスとポットの間で高く注ぎ返して泡を立て、甘く煮出した緑茶を三度いれ替えて回し飲む、セネガルの茶の時間「アタヤ」。土地に古くから根づいた習わしに見えるが、その主役である緑茶は、中国からモロッコを経てサハラ砂漠を越えて届いた、19世紀の新参者だった。
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ジョロフライス
西アフリカ 1800–1950
時A説C
「いまの赤いジョロフは中世のウォロフ帝国で生まれた」とよく語られる。だが赤さの源であるトマトが西アフリカに届くのは19世紀のこと——帝国や名前の古さが、料理そのものの古さに取り違えられてきた一皿である。
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リ・グラ
Burkina Faso 1800–1950
時A説C
リ・グラは、米をトマトと油でこっくり炊きあげるブルキナファソの国民食。西アフリカの稲作には数千年の歴史があるが、この一皿をそのまま「古来の料理」とみる話は、主役のトマトが海を渡ってきた時期と食い違う。
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ンダンベ
セネガル 1820–?
時C説B
セネガルの朝を支える豆の煮込みサンド。国民食と呼ばれるこの一皿は、西アフリカ古来のササゲに新大陸のトマトとサツマイモが重なり、植民地時代に根づいたバゲットに挟まれて姿を整えた。
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エバ
ナイジェリア 1830–1900
時B説B
エバがナイジェリア古来の太古食だという、よく語られる話は成り立たない。この一皿の唯一の主原料であるキャッサバが海を渡って西アフリカへ届くのは16世紀で、それ以前に土地でエバを練ることはできなかった。
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チェブ・ギナール
セネガル 1850–1900
時B説B
チェブ・ギナールは、セネガルの国民食ティエブジェン——ウォロフ語で「魚の米」を、魚から鶏に替えた一皿である。名が変われば来歴も変わりそうなものだが、この鶏の一皿は自前の発祥譚を持たず、生まれた時代も土地も魚の一皿とそのまま重なる。
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チェブ・ヤップ
セネガル 1850–1950
時B説B
チェブ・ヤップは、セネガルの国民食である米と魚の一鍋料理ティエブジェンの、魚を羊や牛の肉に置き換えた一皿である。肉の版だけを名指す発祥の物語は伝わっておらず、その始まりは十九世紀の港町サンルイで魚と米が一つの鍋に収まったところにさかのぼる。
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チキンヤッサ
セネガル 1850–1950
時B説C
セネガルを代表するチキンヤッサは、レモンと玉ねぎで鶏をマリネして焼き煮込む一皿である。その故郷と名前の由来は、いまも一つに決まっていない。
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ティエブジェン
セネガル 1850–1900
時B説C
セネガルの国民食ティエブジェンは、魚と米を一つの鍋で炊き上げる料理である。赤い味の核をなすトマトが海をこえて西アフリカに届き、植民地の経済が安い砕き米を港町へ流し込んだ十九世紀、その港町サンルイで生まれた。西アフリカ各地へ広まったジョロフライスの祖型でもある。
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ファタヤ
セネガル 1880–?
時B説B
セネガルの街角で揚がる、魚や挽き肉を包んだ三日月形のパイ「ファタヤ」。南米のエンパナーダを思わせる姿だが、その名も形も、はるか中東の詰めパイ「ファタイル(fatayer)」から海と砂漠を越えて伝わったものである。
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ギズドド
ナイジェリア 1900–?
時B説C
砂肝と揚げプランテンを、トマトと唐辛子のソースで和えたギズドドは、ラゴスのパーティに欠かせない一皿だ。これほど親しまれながら、いつ誰が最初に作ったのかを記した記録はどこにもない、生まれの分からない新しい都市料理である。
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ケジェヌ
コートジボワール 1900–1960
時C説B
コートジボワール中部のバウレ族が伝える鶏の蒸し煮ケジェヌは、密閉した土鍋を炭火の上で揺すり続ける動作にその名を負う。バウレ族の移住とともに同じ姿で運ばれてきたように語られるが、いま食卓にのぼるトマト色の煮込みは、新大陸の野菜が西アフリカに根づいてから整った後年の様式である。