食文化圏 / ラテンアメリカ
カリブ料理の成立史
ラテンアメリカの食文化圏「カリブ」に属する料理 63 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 前3000 年〜最新 1996 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 2 外来 44
所属する料理 63
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マウンテンチキン
ドミニカ -3000–?
時B説B
ドミニカ国の国民料理「マウンテンチキン」は、名前とは裏腹に鶏肉を一切使わない。正体は、ドミニカとモンセラートにしかいない在来の大型カエル、クラポー(Leptodactylus fallax)である。
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ペッパーポット(ガイアナ)
-500–?
時C説B
ガイアナの国民料理ペッパーポットは、苦味の強いキャッサバから作る濃縮ソース「カサリープ」で肉を煮込む、先住民由来の保存食である。カリブ海の各地に同じ名を持つ料理があるが、それらは中身の異なる別の一皿だ。
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バミー
ジャマイカ 600–900
時C説B
バミーは、コロンブス到来より前からジャマイカで食べられてきたキャッサバのフラットブレッドで、先住民タイノ族の主食カサベをそのまま受け継ぐ、島でもっとも古い食べ物のひとつである。
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グアニメ
プエルトリコ 1200–?
時C説B
バナナの葉に包んで茹でるプエルトリコの無詰めタマル、グアニメ。タイノ族の時代からそのまま変わらず伝わってきた古料理という見方があるが、いま食卓にのぼる一皿は、先住民の芯に植民地期の重ね着をした産物である。
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ペルニル
プエルトリコ 1505–1900
時C説C
ペルニル=プエルトリコのクリスマスに欠かせないアドボ漬けの豚肩ロースト。「スペインのロースト豚がそのまま海を渡っただけ」という話は半分しか当たっていない。語も焼き方はイベリアから来たが、いまの味の芯は島で生まれた。
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マニッシュ・ウォーター
ジャマイカ 1509–1968
時C説C
ジャマイカのヤギの頭とモツを大鍋で煮込んだスープ。逃亡奴隷の子孫マルーンが三百年来受け継いできた祝祭料理だと広く語られてきたが、その古さを示す同時代の記録は残っておらず、文字の上で確かにたどれる最も古い姿は二十世紀に入ってからである。
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ブティファラ
キューバ 1511–?
時C説B
キューバのブティファラは、1955年にハバナ近郊で『エル・コンゴ』が売り出した名物として知られるが、その一皿はソーセージの起源ではなく、スペイン移民が持ち込んだカタルーニャの製法がこの島に根づいたものである。
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ブニュエロ
キューバ 1511–?
時C説B
キューバのブニュエロは、クリスマスイブの食卓を彩る揚げ菓子である。生地の主役はタイノの時代から島にあった根菜ユカ(キャッサバ)で、地中海生まれの揚げ菓子がカリブ海を渡り、土地の食材をまとって根づいた一皿だ。
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ビステク・デ・パロミージャ
キューバ 1512–?
時C説C
カリブの先住民タイノ族が、この牛肉料理の漬けだれを先コロンブス期に編み出した——という話がある。だが牛肉もライムもニンニクも大西洋を渡ってきた素材で、島に牛が上陸したのは1512年。この一皿はそれより前には存在しようがなかった。
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ピカディージョ
キューバ 1512–1900
時C説B
刻んだ肉をソフリートで甘く鹹く煮込む、キューバの家庭の定番ピカディージョ。その名も仕立ても海を渡ってきたスペインの系譜を宿しているが、「本当の発祥はどこか」は誰にも一点で言い当てられない。
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ボリチェ
キューバ 1512–1950
時C説B
ボリチェは、牛の赤身のかたまりに腸詰やハムを詰め、弱火でじっくり煮込むキューバの家庭料理である。派手な発祥伝説はなく、スペインが牛を島へ持ち込んだ植民地期に、本国の詰め肉料理を島の台所へなじませて生まれた一皿だ。
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アルカプリア
プエルトリコ 1516–?
時C説C
アルカプリアはプエルトリコの街頭を代表する揚げ物で、先住タイノの古い料理に遡るという話が根強い。だが生地の要をなすプランテンも、詰め物の豚肉も、コロンブス以後に海を渡って来た食材だった。
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トストーネス
プエルトリコ 1516–?
時C説C
トストーネスは、青いプランテンを揚げて潰し、もう一度揚げたカリブの惣菜である。プエルトリコをはじめ各地が自国の発祥を名乗るが、最初に生んだ一国を特定するのは難しい。
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パステーレス
プエルトリコ 1516–1900
時C説D
クリスマスのプエルトリコに欠かせない葉包み蒸し。「タイノー先住民が生み出したままの料理」という誇り高い言い伝えがあるが、いま食卓に並ぶパステーレスの姿は、大西洋を越えて三つの文化が出会ったのちに生まれたものである。
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エスコビッチ・フィッシュ
ジャマイカ 1530–?
時C説C
エスコビッチ・フィッシュは、揚げた魚をスコッチボネットの効いた香味酢に玉ねぎやニンジンごと漬け込む、ジャマイカの食卓の定番だ。「セファルディ系ユダヤ人が持ち込んだ」とよく語られるが、それは確かめきれない諸説の一つにすぎず、この酢漬けの技はもっと古い地中海—ペルシアの系譜に連なっている。
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テンブレケ
プエルトリコ 1549–1900
時C説B
型から外すとぷるんと震える、ココナッツミルクの白いプリン——プエルトリコのテンブレケである。その名はスペイン語の「震える」に由来し、正体は中世ヨーロッパの乳プディングがカリブ海のココナッツに姿を変えたものだ。
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アソパオ
プエルトリコ 1550–?
時B説B
プエルトリコの食卓に欠かせない、米と肉や魚介がとろりと溶け合った国民的スープ、アソパオ。土地に根ざした素朴な一皿に見えるが、その主役の米はカリブ海に古くからあったものではなく、大西洋を越えて運ばれてきた食材だった。
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アロス・コン・ポジョ
キューバ 1550–?
時C説B
「中南米の郷土料理」として親しまれるアロス・コン・ポジョだが、鍋の主役である米も鶏も、新大陸にはもともとなかった素材である。イスラム期のスペインで定着した米料理が、植民地期に大西洋を越えて根づいた一皿だ。
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アロス・コン・レチェ
キューバ 1550–?
時C説B
キューバの家庭で親しまれる米のミルク粥、アロス・コン・レチェ。だがこの一皿はキューバで生まれたのではなく、すでに形を整えたスペインの菓子として大西洋を渡ってきた。そのスペインの姿じたいが、ムーア支配下のイベリアから受け継いだものである。
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シチュー・ピーズ
ジャマイカ 1550–?
時C説B
「シチュー・ピーズは第二次世界大戦の配給から生まれた」という話が料理サイトで繰り返されてきた。だが赤インゲン豆と塩漬け肉をココナッツミルクで煮るこの一皿は、大戦の数世紀前、奴隷制下のジャマイカの台所で形をとっている。
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フリカッセ・チキン
ジャマイカ 1550–?
時C説B
フランス生まれの煮込みの技法が、カリブ海の島の台所で鶏と結びついてできた一皿。華やかな発祥譚を持たず、植民地期のジャマイカにゆっくりと根づいたクレオール料理である。
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モロス・イ・クリスティアノス
Cuba 1550–1850
時B説B
「ムーア人とキリスト教徒」という物々しい名は、スペインが数百年をかけたレコンキスタ(国土回復戦争)を思わせる。だがこの黒豆と白米の一皿が生まれたのは、中世のイベリア半島ではなく、大西洋を越えた植民地キューバでのことだった。
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カルド・サント
プエルトリコ 1600–1900
時C説B
カルド・サント(「聖なるスープ」)は、プエルトリコの聖金曜日に食卓へのぼる魚介と根菜のココナッツ煮込みである。カトリックの精進食という表向きの顔の下に、西アフリカから運ばれた煮込みの技と、奴隷制に起源をもつ海辺の町ロイサの共同体史が畳み込まれた、アフロ・プエルトリコのクレオール料理だ。
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コーンミール・プディング
ジャマイカ 1600–1900
時C説B
トウモロコシの粉をココナッツミルクと甘く練り、温かい香辛料を効かせて蒸し焼きにするジャマイカの家庭菓子。ひとりの考案者も発祥の逸話も持たず、島へ流れ込んだいくつもの系譜が台所で一皿に落ち合って生まれた、クレオールの合成菓子である。
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バカライート
プエルトリコ 1600–?
時C説B
プエルトリコの浜辺で揚がる塩ダラのフリッター、バカライート。誰か一人の発明でも、どこか一点の発祥でもなく、スペイン・タイノ・アフリカの三つの食文化が植民地カリブで溶け合ってできた大衆スナックである。
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モフォンゴ
プエルトリコ 1600–1900
時C説C
揚げた青バナナをニンニクと豚脂とともに搗き臼で搗きかためる、プエルトリコの一皿。西アフリカのフフがそのまま名を変えただけ、という通説がしばしば語られるが、これは搗く技法と食材の来歴を取り違えた見立てで、実際は三つの文化が島の上で出会って生まれた料理である。
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ロパ・ビエハ
キューバ 1600–1900
時B説C
『古着を裂いて煮たら肉になった』——スペイン語で『古い服』を意味するロパ・ビエハには可憐な民話がつきまとうが、それは料理の起源ではなく名の由来を説く作り話である。実像は、海を越えてきた煮込みの系譜にある。
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ケシ・イェナ
アルバ・キュラソー 1634–?
時C説C
輸入した玉チーズの空洞の皮に、香辛料をきかせた肉やレーズン、オリーブを詰めて焼く。アルバとキュラソーの国民料理ケシ・イェナは、「17世紀に奴隷が残りチーズの皮から編み出した」という物語で親しまれるが、その年代も担い手も同時代の記録には残っておらず、オランダの交易チーズが各地に生んだ料理の一つとする見方も並び立つ。
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アロス・コン・ガンドゥーレス
プエルトリコ 1650–?
時C説B
米とキマメを炊き込む、プエルトリコの食卓を代表する一皿。16世紀にはもう今の姿だったと語られることがあるが、主役のキマメ(ガンドゥーレス)がカリブ海に届いたのは17世紀で、この米料理はそれより前には今の形になりようがなかった。
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ククー・アンド・フライングフィッシュ
バルバドス 1650–?
時B説B
バルバドスの食卓を代表するこの一皿には、名を挙げられる発明者がいない。西アフリカから連れてこられた人々の炊いて練る技と、大西洋を越えてきた作物、そして島の近海を飛ぶ魚が、プランテーションの日常で一つに溶け合ってできた料理である。
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クラックコンク
バハマ 1650–1953
時C説C
バハマの国民食クラックコンクを「1953年にマイリス家が考案した」とする話は、一家の回想録だけが伝える起源伝説で、この揚げ物はもっと古くから離島の自家用食として作られていた。
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クークーとトビウオ
バルバドス 1650–1950
時B説B
バルバドスの国民料理。オクラでとろみをつけたコーンミールの粥に、揚げたトビウオを添える一皿である。ありふれた島の家庭料理に見えて、その粥の作り方は大西洋を越えて西アフリカへとつながっている。
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ファンジー
アンティグア・バーブーダ 1650–1750
時B説B
アンティグア・バーブーダの国民食フンジー(cou-couのリーワード諸島での呼び名)は、西アフリカのコーンミール練り粥が大西洋奴隷貿易とともに海を渡り、カリブの地で受け継がれてきた一皿である。
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フィッシュ・ティー
ジャマイカ 1650–1900
時C説C
ジャマイカのフィッシュ・ティーは『ティー』と名がつくが飲み物ではなく、安い魚を数時間かけて煮出した澄んだ薄いスープである。特定の発明者も発祥の年もなく、奴隷制下の島で複数の食文化が溶け合って生まれた。
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ポム
スリナム 1650–1917
時C説B
スリナムの家庭料理『ポム』は、名の由来こそフランス語で『ジャガイモ』を意味するpomme de terreだが、鍋の中身にジャガイモは入っていない。ポルトガル系ユダヤ人の厨房で生まれ、そこで働くアフロ・スリナム人の料理人の手で仕立て直された、二つの食文化が交わる一皿である。
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ダックヌー
ジャマイカ 1655–1800
時C説B
ジャマイカの茹で菓子ダックヌーの、どこか愛嬌のある名は英語生まれに見える。だが名も作り方も、実は大西洋の向こう側——ガーナのアカンの人々が海を越えて運んできた、西アフリカのものだ。
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フライド・ダンプリング
ジャマイカ 1655–1900
時C説C
フライド・ダンプリングは、小麦粉の生地を油で揚げたジャマイカの揚げ団子で、ジョニーケーキとも呼ばれる。この名は旅の携行食『ジャーニーケーキ(旅のパン)』が訛ったものだとよく言われるが、確かな文献初出はなく、語源は今も定まっていない。
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ライス・アンド・ピーズ
Jamaica 1681–?
時C説B
ジャマイカの日曜の食卓を彩る、米と豆をココナッツ乳で炊き込んだ一皿。西アフリカのワーキェがそのまま海を渡って伝わったという通俗説がよく語られるが、実際はプランテーションの菜園で生まれた、まぎれもないアフロ・カリブのクレオール料理である。
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ランダウン
Jamaica 1681–?
時C説B
ココナッツミルクを煮詰め、塩漬けの魚をほぐし込むジャマイカの家庭料理ランダウン。先住民の時代から島に伝わる古い一皿だと語られることもあるが、主役のココナッツが海を越えてこの島に根づいたのは植民地期のことで、料理はそれより古くへはさかのぼれない。
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ジュムー(スープ)
ハイチ 1697–1804
時C説C
毎年元日にハイチの人々が食べるジュムーは、1804年の独立で自由の象徴となったスープである。ただし『独立の日に初めて生まれた』『奴隷は口にすることを禁じられていた』という語りは、料理の成り立ちとは別の物語で、スープそのものは植民地時代の台所に既にあった。
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カラルー
トリニダード・トバゴ 1700–1900
時B説C
タロ芋の葉とオクラをとろりと煮込むカリブの一皿カラルー。その名と味は、大西洋を越えてきた西アフリカの葉野菜煮込みの記憶を、いまもトリニダード・トバゴの食卓に伝えている。
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ジャークチキン
ジャマイカ 1700–1850
時C説C
ジャークチキンの燻し焼きは、逃亡奴隷マルーンがアフリカから持ち込んだ独自の発明として語られがちだ。だが技法の源流は、それ以前から島にいた先住民タイノの燻し肉にあり、マルーンがそれを継承して発展させた——というのが史料の支える像である。
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セレナータ
プエルトリコ 1700–?
時C説B
「セレナータ(小夜曲)」という詩的な名前には、若者が恋人に捧げた求婚のセレナーデに由来するという言い伝えがある。だが一次史料の裏づけはなく、この冷製サラダの実際の来歴は、大西洋を渡った塩ダラ交易という、もっと地味で確かな歴史のなかにある。
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ブラウン・シチュー
ジャマイカ 1700–1900
時C説C
ジャマイカのブラウン・シチューは、鶏肉を黒く焦がした砂糖で色づけて煮込むクレオール料理。その要となる褐変技法の起源は、アフリカ由来か欧州由来かで語られてきたが、実際はどちらか一方に帰せない融合の産物である。
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ペッパーポット(ジャマイカ)
1700–1900
時C説C
ジャマイカの葉野菜スープ『ペッパーポット』を、そのままコロンブス以前の先住民料理とみなす説がある。だが現在の一皿の中核をなすオクラも塩漬け肉も新大陸の外から渡ってきた食材で、その姿が先住民の時代にさかのぼることはない。
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レッド・ピーズ・スープ
Jamaica 1700–1900
時C説B
ジャマイカのレッド・ピーズ・スープには、これを発明した一人も、生まれた一日もない。英領プランテーション期のアフリカ系共同体の台所で、アフリカ・ヨーロッパ・新大陸の素材がひとつの鍋に集まり、時をかけて一皿になったクレオール料理である。
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フンチェ
プエルトリコ 1750–1840
時C説B
フンチェはプエルトリコのトウモロコシ粥で、コーンミールを湯で練り上げたポレンタに近い一皿。青バナナを潰した料理としばしば取り違えられてきたが、その実体は名前だけがアフリカから渡り、土台となる穀物は島に古くから根づいたトウモロコシだった。
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アキー&ソルトフィッシュ
ジャマイカ 1780–1900
時B説C
ジャマイカの国民食。「植民地の貧しい人々の代用食」という出自はおおむね正しい。だが「いつ誰が始めたか」を指す確かな一点は史料に見当たらず、「国民食」と呼ばれるようになったのは料理が生まれてから一世紀以上あとの出来事だった。
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オイルダウン
グレナダ 1793–?
時B説B
パンの実と塩漬け肉、そしてココナッツミルクを一つの鍋に重ね、汁気がすっかり飛ぶまで煮込むオイルダウンは、グレナダの国民食である。主役のパンの実がタヒチから大西洋を越えてカリブの島々に根づいてはじめて、この一鍋料理はいまの姿をとった。
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アロス・マンポステアオ
プエルトリコ 1800–?
時C説C
アロス・マンポステアオは、前日の米と豆を塩豚とソフリートで炒め合わせた、プエルトリコの残り物料理である。名の由来には石工の仕事になぞらえる語源説もあるが、確かなのは、残り物を無駄にしない庶民の工夫から生まれたという成立だ。
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ライトラム
Cuba 1841–?
時B説C
「キューバン・ライトラムは、1862年にファクンド・バカルディが単独で作り出した」という有名な創業譚は、バカルディ社自身が語り継いできた企業起源の物語であり、史実としての裏付けを欠く。清澄でまろやかな今日のスタイルは、1841年に導入された活性炭濾過という技術を起点に、19世紀半ばを通じて徐々に磨き上げられていったものである。
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ラ・バンデーラ
Dominican Republic 1844–?
時C説B
白い米と赤いインゲン豆を国旗の色になぞらえた、ドミニカ共和国の国民食「ラ・バンデーラ(旗)」。だが皿を「旗」と呼ぶこの愛称は、料理そのものよりずっと後、国旗が生まれてから広まった後付けの名である。
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ジャマイカン・パティ
ジャマイカ 1845–1930
時B説B
ターメリックで黄色く染まった折りパイに、カレーで香り立つ挽肉を詰めるジャマイカン・パティ。街角のベーカリーで誰もが知るこの一皿を「十七世紀のコーンウォール水夫が完成させた」という話が語られることがあるが、その味を決定づけるカレー風味そのものが十七世紀にはまだジャマイカに存在しなかった。
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ブラソ・ヒタノ
キューバ 1850–?
時C説C
キューバの名物ロールケーキ、ブラソ・ヒタノには、中世にエジプトの修道院から伝わったという古い由緒を語る起源伝説がある。だが菓子そのものは19世紀ヨーロッパのロールスポンジで、その伝説を支える史料はない。
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ライス・アンド・ビーンズ
Belize 1857–1960
時C説B
ベリーズの国民料理ライス・アンド・ビーンズを、古来から受け継がれた伝統食で一八九五年に始まると語る話は、史料の裏づけを欠く。この一皿が記録に現れるのは一九五〇年代であり、国民食の座は二〇世紀後半に築かれた比較的新しいものだった。
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キューバサンド(キューバ)
1860–1900
時C説C
キューバサンドはどの街で生まれたのか——タンパかマイアミか。米国で長く続くこの発祥地論争に対し、食物史の研究がたどり着いた答えは『着想はハバナ、仕上げはタンパ』だった。ルーツはキューバ本国にさかのぼり、現行の姿はフロリダで磨かれた。
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コキート
プエルトリコ 1900–1950
時B説B
プエルトリコのクリスマスに欠かせないココナッツ風味の濃厚な飲み物コキートを、島の先住民タイノ族が儀礼で飲んでいた古い一杯とする話は、史料の裏づけを欠く後世の作り話である。この飲み物は、スペインが持ち込んだ乳と卵のポンチェが、カリブの素材と近代の缶詰に出会って生まれた。
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メディアノーチェ
Cuba 1900–1950
時C説C
メディアノーチェは、深夜のハバナのカフェ文化のなかで生まれたと広く語られるサンドイッチである。だが実際には米フロリダ州タンパのキューバ移民街を発祥とする対抗説もあり、キューバ・サンドの起源論争と同じ構図でいまも決着していない。
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フリータ
キューバ 1920–1935
時C説B
フリータは、20世紀前半のハバナの街頭で生まれたキューバ流のハンバーガーである。スパイスを利かせた牛肉のパティに、細く切ったじゃがいもを重ねてキューバパンで挟む。だが誰が最初に焼いたのかをたどると、特定の店にも一人の発明者にも行き着かない。
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エレナ・ルス
キューバ 1927–1932
時B説B
ハバナの社交界の女性が繰り返し注文した特注サンドが、やがて彼女の名を冠して店の定番になった。エレナ・ルスは、発祥の逸話がそのまま成立の物語になっている珍しい一皿である。
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ダブルス
トリニダード・トバゴ 1936–?
時B説B
トリニダード・トバゴの朝を代表する屋台料理。「バラを二枚に」という客の一言から名がついたという1936年の発祥譚は、長らく一族の口伝だったものが、食の記録によって具体的な来歴として定説の位置に落ち着いた。
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ベイク・アンド・シャーク
トリニダード・トバゴ 1944–?
時C説B
揚げた鮫を揚げパンに挟んだ、トリニダード・トバゴの国民的ストリートフード。マラカス湾の漁師の浜の軽食が、戦時に米軍が通した一本の道をきっかけに、週末の海水浴客が列をなす名物へと育った。
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ヒバリート
プエルトリコ 1996–1996
時B説B
パンの代わりに、青いプランテンを二度揚げして潰した円盤を使うサンドイッチ「ヒバリート」。生まれた場所はプエルトリコではなく、1996年のシカゴだった。