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サルテーニャ 時期 C起源説 B検証済

確からしさは2つ: 成立時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確からしさとは?→

通説に誤りあり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

ボリビア ・ スペイン植民地期のPotosí/Sucreで、ヨーロッパのエンパナーダにアンデス在来の ají・papa と汁(caldo)が加わって成立した。生地の小麦がアンデスに根づいた1535年より前には作れない。1776年のJosepha de Escurrechea写本に載るエンパナーダはまだ papa・ají を欠く祖型(エンパナーダ・フラメンカ)で、1917年のソフィア・ウルキディの料理書(スクレ)には、汁入りのエンパナーダ(empanada de caldo)の作り方が6つを超えて載る。名称『salteña』の定着は20世紀で、それ以前は empanada de caldo と呼ばれた。 ・ 成立年代 1535–1917 ・ 最後に揃った食材 小麦

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説の確からしさB・検証済B

アルゼンチン・サルタ出身の亡命者フアナ・マヌエラ・ゴリティがポトシでサルテーニャを発明したという有名な話は、彼女自身の料理書の中身と食い違う。汁を封じ込めたこのボリビアの焼きエンパナーダは、植民地時代にヨーロッパから渡ったエンパナーダが、アンデスの食材と汁を取り込んで姿を変えたものである。

史料が示すこと 起源・発祥は?

俗説「La Paz の通説(民俗学者アントニオ・パレデス・カンディアが広めた)で、19世紀にアルゼンチン・サルタ出身の亡命者フアナ・マヌエラ・ゴリティ…」は、史料の検証で退けられている。

サルテーニャは、スペイン植民地期にボリビア(Potosí/Sucre)へ渡ったヨーロッパのエンパナーダ(焼き詰めパイ)に、アンデス在来の ají(唐辛子)・papa(じゃがいも)と汁(caldo)が加わって変容したもの。1776年のPotosí・Josepha de Escurrechea写本はボリビアで見つかった唯一の植民地期料理書で、研究者ベアトリス・ロッセルスが校訂し2021年に復刻した。ロッセルス自身の論考(Nueva Sociedad 311号・2024年)によれば、同写本のエンパナーダは小麦生地・砂糖・ラード・香辛料で味つけした挽肉という『エンパナーダ・フラメンカ』で、papa と ají はまだ無く、両者は後に加えられてボリビアの『サルテーニャ』になった。1917年のソフィア・ウルキディの料理書(スクレ)には、汁入りのエンパナーダ(empanada de caldo)の作り方が6つを超えて載る。1970年代までは empanada de caldo と呼ばれ、salteña の名はサルタ(アルゼンチン)から移り住んだ家族に由来する偶然の呼称。 なお「Juana Manuela Gorriti発明説」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。

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3つの成立条件

食材の条件
生地の小麦はスペイン植民地期にアンデスへ導入され1550年代までに定着(幅1535-1560)=外来の律速食材。具のじゃがいも・ají(唐辛子)はアンデス在来、オリーブ・卵はスペイン導入。1776年のPotosí写本のエンパナーダはまだ papa と ají を欠き、この2つが加わって現行のサルテーニャになった。
調理技術の条件
パン窯での焼成(焼きエンパナーダ)=スペイン植民地期に導入された小麦パン焼成技術。汁(caldillo)を封じる包み・成形。
場の条件
Potosí/Sucre等の植民地都市の街頭・売り子(empanada de caldo売り)を担い手とする大衆の食。

成立年代と食材の条件

食材入手(1535〜1560年・在地/到来)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はその条件が揃った年になる。成立年代の帯は、その年以降にある。場の条件(料理が成立し広まった場)は年で表せないので、図には出さない。

成立年代と成立条件成立 1535–1917食材入手・最後に揃った 1535〜1560年(小麦)14971955
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場の条件(年で表せないので図には出さない)

検証メモ: 『サルテーニャ』の名の由来とされる亡命者フアナ・マヌエラ・ゴリティの発明譚は、彼女自身の料理書『Cocina ecléctica』(1890)の原文が崩す(同書のエンパナーダ3品はいずれも唐辛子・じゃがいも・汁を含まない)。実体は植民地期ポトシのエンパナーダが唐辛子・じゃがいも・汁を得て変容したもので、1776年のエスクレチェア写本のエンパナーダはまだ唐辛子とじゃがいもを欠く祖型(校訂者ロッセルスによる)。

起源説

定説

植民地empanada de caldoからの変容説(定説) B

サルテーニャは、スペイン植民地期にボリビア(Potosí/Sucre)へ渡ったヨーロッパのエンパナーダ(焼き詰めパイ)に、アンデス在来の ají(唐辛子)・papa(じゃがいも)と汁(caldo)が加わって変容したもの。1776年のPotosí・Josepha…続きを読む

サルテーニャは、スペイン植民地期にボリビア(Potosí/Sucre)へ渡ったヨーロッパのエンパナーダ(焼き詰めパイ)に、アンデス在来の ají(唐辛子)・papa(じゃがいも)と汁(caldo)が加わって変容したもの。1776年のPotosí・Josepha de Escurrechea写本はボリビアで見つかった唯一の植民地期料理書で、研究者ベアトリス・ロッセルスが校訂し2021年に復刻した。ロッセルス自身の論考(Nueva Sociedad 311号・2024年)によれば、同写本のエンパナーダは小麦生地・砂糖・ラード・香辛料で味つけした挽肉という『エンパナーダ・フラメンカ』で、papa と ají はまだ無く、両者は後に加えられてボリビアの『サルテーニャ』になった。1917年のソフィア・ウルキディの料理書(スクレ)には、汁入りのエンパナーダ(empanada de caldo)の作り方が6つを超えて載る。1970年代までは empanada de caldo と呼ばれ、salteña の名はサルタ(アルゼンチン)から移り住んだ家族に由来する偶然の呼称。

反証

Juana Manuela Gorriti発明説(俗説・反証) D

La Paz の通説(民俗学者アントニオ・パレデス・カンディアが広めた)で、19世紀にアルゼンチン・サルタ出身の亡命者フアナ・マヌエラ・ゴリティが Potosí でサルテーニャを発明したとする。1890年の彼女の著書『Cocina ecléctica』の原文(…続きを読む

La Paz の通説(民俗学者アントニオ・パレデス・カンディアが広めた)で、19世紀にアルゼンチン・サルタ出身の亡命者フアナ・マヌエラ・ゴリティが Potosí でサルテーニャを発明したとする。1890年の彼女の著書『Cocina ecléctica』の原文(全文PDF)がこれを崩す。同書の『Empanadas』の節は3品(Emparedados a la rosarina/Empanada de fiambre/Empanaditas a la coquetuela)だけで、いずれも ají も papa も汁も含まない乾いた詰め物(ハムと黒オリーブ、あるいはクミン・玉ねぎ・アーモンド・レーズンの挽肉)であり、寄稿者もアレキパ・ブエノスアイレス・ロサリオの女性たちである。同書で salteña の語が出るのはサルタ風のパン・チーズ・チョリソのスープ『Sopa salteña』と『cocinera salteña』の2箇所のみで、エンパナーダを指す用例は無い。さらに序文でゴリティ自身が、書物に身を投じて料理を顧みなかったと告白し、収録レシピは友人たちから寄せられた材料だと明言している。ゴリティは名の由来(サルタの女=la salteña)に関わった可能性はあるが、料理そのものの発明者ではない。

解説

サルテーニャは、じゃがいもと唐辛子の入った具に汁(カルディージョ)を封じ込め、小麦の生地で包んで焼くボリビアのエンパナーダである。ポトシやスクレといった植民地都市の街頭で、汁入りエンパナーダの売り子が担ってきた大衆の食べものだった。

このパイの土台は、スペイン植民地期にヨーロッパから持ち込まれたエンパナーダ、すなわち小麦の生地に具を詰めてパン窯で焼く詰めパイである。生地に使う小麦はもともとアメリカ大陸に無かった作物で、スペイン人が海を渡って持ち込み、1550年代までにアンデスに根づいた。小麦のパンを窯で焼く技術もスペイン人とともに植民地へ入り、ボリビアでも焼きエンパナーダが作れるようになった。

具の中身は土地のものだった。じゃがいもとají(唐辛子)は、アンデスに古くからある在来の作物である。ヨーロッパのエンパナーダに、これらアンデスの食材と、スープのような汁を封じ込める工夫が加わって、この土地ならではの一皿へと姿を変えていった。

その途中の姿を伝えるのが、ポトシのホセファ・デ・エスクレチェア写本(1776年)である。ボリビアで見つかった唯一の植民地期の料理書で、研究者ベアトリス・ロッセルスが校訂して2021年に復刻した。ロッセルスによれば、この写本に載るエンパナーダは、小麦の生地、砂糖、ラード、香辛料で煮た挽き肉の具からなる「エンパナーダ・フラメンカ」で、じゃがいもと ají はまだ入っていない。二つはのちに加わってボリビアのエンパナーダをいまのサルテーニャへと変えたが、それがいつのことかは分かっていない。スクレのソフィア・ウルキディが1917年に出した料理書には、汁入りのエンパナーダ(エンパナーダ・デ・カルド)の作り方が6つを超えて載っている。スクレとポトシでは、この料理は1970年代まで「エンパナーダ・デ・カルド」と呼ばれていた。

検証ストーリー

ラパスでは、この料理の生みの親は一人の女性だと語られてきた。19世紀にアルゼンチンのサルタから亡命してきたフアナ・マヌエラ・ゴリティが、ポトシでサルテーニャを考案したという話で、民俗学者アントニオ・パレデス・カンディアが広めた。

だが、この話はゴリティ自身が1890年に出した料理書『折衷料理(Cocina ecléctica)』の中身と食い違う。同書のエンパナーダの節に載るのは3品だけで、ハムと黒オリーブ、あるいはクミンや玉ねぎ、アーモンド、レーズンを合わせた挽き肉を詰めた、汁気のないエンパナーダである。どれにも ají もじゃがいもも汁も入っていない。同書に「サルテーニャ(salteña)」の語が出てくるのは、サルタ風のスープ「ソパ・サルテーニャ」と「サルタの料理女(cocinera salteña)」の2か所だけで、エンパナーダを指す使い方は無い。序文ではゴリティ自身が、書物に打ち込んで料理を顧みなかったと打ち明け、収めたレシピは友人たちから寄せられたものだと書いている。

この料理の移り変わりを伝えるのは、ゴリティの本の外にある二つの料理書である。1776年のポトシの写本に載るエンパナーダには、まだじゃがいもも ají も入っていない。1917年のスクレの料理書には、汁入りのエンパナーダの作り方が6つを超えて並ぶ。サルテーニャは、植民地期にヨーロッパから渡ったエンパナーダが、アンデスの食材と汁を取り込みながら変わっていったものと考えられている。

ゴリティの名が関わりうるのは、料理ではなく呼び名のほうである。「サルテーニャ」は「サルタの女」の意味にもなる語で、彼女が名の由来に関わった可能性は残る。一方で、この呼び名はサルタから移り住んだ家族にちなんで、たまたま付いたものだともされる。いずれにしても、この一皿を生んだのはゴリティではない。

検証ログ 6 件・押すと開く

日付結果確からしさの変化主張 / 出典
2026-07-16 反証 D→D
亡命者Juana Manuela Gorritiがサルテーニャ(ボリビアのempanada de caldo)を発明した
2026-07-16 支持 D→C
サルテーニャは植民地期empanadaにají・papa・汁を加えた変容で、現行形の最古記録はPotosíのJosepha de Escurrechea写本(1776年)=初出年
2026-08-24 反証 D→D
ゴリティの『Cocina ecléctica』(1890)にはサルテーニャに当たるエンパナーダのレシピが無く、序文で本人が料理から離れていたと告白している(発明者説の反証)
2026-08-24 支持 C→B
1776年のEscurrechea写本のエンパナーダは papa と ají を欠く『エンパナーダ・フラメンカ』で、両者は後に加えられてサルテーニャになった(=1776年は現行形の記録ではなく祖型の記録)
2026-08-24 支持 B→C

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

成立窓の是正: 下限は小麦のアンデス定着(1535年)、右端は ají入り汁エンパナーダが載る1917年のウルキディ料理書。従来の下限1776年は祖型の記録に基づく過剰な精度だった
2026-10-19 支持 B→C
サルテーニャが成り立った年代の幅を直した。早い側の端は小麦がアンデスに根づいた1535年(食材の到来の記録による。この論考の主張ではない)、遅い側の端は、汁入りのエンパナーダ(empanada de caldo)の作り方が6つを超えて載る1917年のソフィア・ウルキディの料理書(スクレ)。1776年の写本のエンパナーダはじゃがいも(papa)と唐辛子(ají)を欠く祖型で、いまの形の記録ではないので、早い側の端には使わない

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構成素材

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