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サルテーニャ 時期 B起源説 C検証済
確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→
暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。
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アルゼンチン・サルタ出身の亡命者フアナ・マヌエラ・ゴリティが、ポトシでサルテーニャを発明したという有名な話は、彼女自身の著作によって覆される後世の作り話である。汁の詰まったこのボリビアの焼きエンパナーダは、植民地時代のヨーロッパ由来のパイがアンデスの食材と出会って生まれた。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- La Pazの通説(民俗学者Antonio Paredes Candiaが広めた)で、19世紀にアルゼンチン・サルタ出身の亡命者Juana Ma…
- 判定
- 諸説あり(対立説を併記)
- 主な根拠
- 反証La "salteña" no es de Salta (Correo del Sur, 2023-12-31)重み2 None網羅リスト代表出典: Wikipedia「National dish」(URL は List of national dishes からの転送・網羅リスト取り込み時の共有代表出典・89料理が参照)重み1
史料が示すこと: 複数の史料が、この通説を支持しない(俗説として退けられる)。 なお「Juana Manuela Gorriti発明説」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 生地の小麦はスペイン植民地期(1550年代までにアンデス定着)に導入=外来律速。具のじゃがいも・ají(唐辛子)はアンデス在来。オリーブ・卵はスペイン導入。文献上の最古の記録は1776年の Escurrechea 写本。
- 調理技術ゲート
- パン窯での焼成(焼きエンパナーダ)=スペイン植民地期に導入された小麦パン焼成技術。汁(caldillo)を封じる包み・成形。
- 場ゲート
- Potosí/Sucre等の植民地都市の街頭・売り子(empanada de caldo売り)を担い手とする大衆の食。
成立年代と食材入手ゲート
食材入手(1535年・在地/到来)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
起源説
定説
植民地empanada de caldoからの変容説(定説) C
サルテーニャは、スペイン植民地期にボリビア(Potosí/Sucre)へ渡ったヨーロッパのempanada(焼き詰めパイ)に、アンデス在来のají(唐辛子)・papa(じゃがいも)と汁(caldillo)を加えて変容したもの。現行形に連なる最古の記録はPoto…続きを読む
サルテーニャは、スペイン植民地期にボリビア(Potosí/Sucre)へ渡ったヨーロッパのempanada(焼き詰めパイ)に、アンデス在来のají(唐辛子)・papa(じゃがいも)と汁(caldillo)を加えて変容したもの。現行形に連なる最古の記録はPotosíのJosepha de Escurrechea写本(1776年)で、これはボリビアで見つかった唯一の植民地期料理書(研究者Beatriz Rossells Montalvoが発見・検証)=TAQ 1776。1917年のSofía Urquidi料理書(Sucre)には8種のempanada de caldoレシピ(うち3種にají)が載る。1970年代までは『empanada de caldo』と呼ばれ、『salteña』の名はサルタ出身の女性売り子(Gorritiやコリーナ・プエイレドン ~1830頃)に由来する俗称が定着したもの。
反証
Juana Manuela Gorriti発明説(俗説・反証) D
La Pazの通説(民俗学者Antonio Paredes Candiaが広めた)で、19世紀にアルゼンチン・サルタ出身の亡命者Juana Manuela GorritiがPotosíでサルテーニャを発明したとする。反証: (1) Gorriti自身は料理をせ…続きを読む
La Pazの通説(民俗学者Antonio Paredes Candiaが広めた)で、19世紀にアルゼンチン・サルタ出身の亡命者Juana Manuela GorritiがPotosíでサルテーニャを発明したとする。反証: (1) Gorriti自身は料理をせず、自著『Cocina ecléctica』(1890)の序文で文学に傾倒し料理から離れたと告白、同書212レシピは友人からの寄稿。(2) 同書のempanadaレシピにはサルテーニャに必須のají(唐辛子)とpapa(じゃがいも)が無く、ボリビアのempanada de caldoとは無関係(研究者Beatriz Rossells)。Gorritiは名の由来(サルタの女=la salteña)に関わった可能性はあるが、料理そのものの発明者ではない。TAQ≠発祥。
解説
サルテーニャは、じゃがいもと唐辛子入りの具に汁(カルディージョ)をたっぷり封じ込め、パン生地で包んで焼いたボリビアのエンパナーダである。手に持つと中の汁がこぼれ出さないよう、閉じ口を上に立てて食べる。ポトシやスクレといった植民地都市の街頭で、売り子が朝の軽食として売り歩く大衆の食だった。
このパイの土台は、スペイン植民地期にヨーロッパから持ち込まれたエンパナーダ、すなわち小麦生地に具を詰めてパン窯で焼く詰めパイである。生地に使う小麦は新大陸には無かった作物で、スペイン人が海を渡って持ち込み、1550年代までにアンデスに根づいた。この小麦のパン焼き技術が届いてはじめて、焼きエンパナーダという器がボリビアで作れるようになった。
その器に詰められた具の中身は、土地のものだった。主役のじゃがいもとají(唐辛子)は、いずれもアンデスに古くからある在来の作物で、早くから日々の食卓にあった。ヨーロッパのエンパナーダに、これらアンデスの食材と、スープのような汁を封じ込める工夫が加わって、現地ならではの一皿へと姿を変えていった。
現行のサルテーニャに連なる最も古い記録は、ポトシのホセファ・デ・エスクレチェア写本(1776年)にさかのぼる。ボリビアで見つかった唯一の植民地期の料理書であり、ここには ají・じゃがいも・汁を伴う現行形のエンパナーダ・デ・カルド(汁入りエンパナーダ)が記されている。文献上は、この料理は20世紀後半(1970年代)まで「エンパナーダ・デ・カルド(汁入りエンパナーダ)」と記され続け、1917年のソフィア・ウルキディの料理書(スクレ)にも8種のエンパナーダ・デ・カルドが載っている。一方で「サルテーニャ」という呼び名は、サルタ出身の女性売り子にちなむ俗称として19世紀に定着し、正式な文献名と併存していった。
検証ストーリー
ラパスでは長らく、この料理の生みの親は一人の女性だと語られてきた。19世紀にアルゼンチンのサルタから亡命してきた文筆家フアナ・マヌエラ・ゴリティが、ポトシでサルテーニャを考案したという話で、民俗学者アントニオ・パレデス・カンディアが広めて通説になった。
だが、この逸話はゴリティ自身の著作と食い違う。彼女が晩年にまとめた料理書『折衷料理(Cocina ecléctica)』(1890年)の序文で、ゴリティは自分が文学に傾倒して台所から遠ざかったと打ち明けており、収録された212のレシピも大半は友人たちから寄せられたものだった。しかもその中のエンパナーダのレシピには、ボリビアのサルテーニャに欠かせない ají とじゃがいもが入っていない。研究者ベアトリス・ロッセルスが指摘するとおり、そこにあるのはサルテーニャとは別物のエンパナーダである。
もう一つ、時系列も合わない。ゴリティが生まれるより前、1776年のエスクレチェア写本の時点で、ají・じゃがいも・汁を備えた現行形のエンパナーダはすでにポトシに存在していた。したがって、この料理そのものをゴリティが発明したとは考えられない。
彼女の名が残ったのは、料理の由来ではなく呼び名の由来としてのようだ。サルタ出身の女性売り子、いわば「ラ・サルテーニャ(サルタの女)」がこのエンパナーダを売り歩いたことから、料理に名がついたと伝わる。誰が最初に生地をこねたかという物語は史実にそぐわないが、植民地時代のエンパナーダがアンデスの食材を取り込んで変わっていった経緯のほうは、一次史料が確かに示している。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-07-15 | None | —→— |
網羅リスト取り込み時の代表出典(研磨の出発点)
|
PDM |
| 2026-07-16 | 反証 | D→D |
亡命者Juana Manuela Gorritiがサルテーニャ(ボリビアのempanada de caldo)を発明した
|
polisher-1743 |
| 2026-07-16 | 支持 | D→C | polisher-1743 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。
関連する料理
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