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パラタ 時期 B起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

インド ・ 遅くとも12世紀(Manasollasa, 1130年頃)に重層/詰め物の小麦パンとして記録される在来料理。小麦は南アジア在来(前3000年) ・ 成立年代 1000–1130 ・ 主役食材 小麦

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

「パラタはパンジャブ生まれ」、あるいは「シルクロードを渡ってきたパン」という広く聞かれる見方は根拠が弱い。実際には、遅くとも12世紀の南アジアに書き残された、生地を折り重ねて焼く在来の小麦パンである。

3ゲート

食材入手ゲート
小麦(アッタ全粒粉)=南アジア在来(前3000年・Achaya)。ギー/油
調理技術ゲート
生地を折り重ね層状にし(parat=層+atta=粉)、ギー/油でタワ焼き(在来技術)
場ゲート
在来の日常/祝祭パン。大衆・在来

成立年代と成立ゲート

主役食材は在来で、到来による制約がない。下限の縦線は無く、帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 1000–11309871143

起源説

定説

南アジア在来の重層小麦パン説(12世紀 Manasollasa 初出) B

小麦は南アジア在来(前3000年・Achaya)。生地を折り重ね層状にしギー/油でタワ焼きする重層小麦パンで、語源も Sanskrit parat『層/折り』+atta『粉』。遅くとも12世紀の Manasollasa(Someshvara III, カルナータカ)に各種 paratha が記録される。パンジャブ料理起源とも言われるが近代の連想で、シルクロード/ペルシア系 waraki の影響説もあるが確証は弱い。

解説

パラタは、小麦の全粒粉(アッタ)でこねた生地を何度も折り重ねて層をつくり、ギーや油を塗りながら平らな鉄板(タワ)で焼く平焼きパンである。焼き上がりは薄い層が幾重にも重なり、ぱりっとした食感と香ばしさが持ち味になる。じゃがいもや大根、挽き肉などを詰めた具入りのものも各地で親しまれている。

主役の小麦は、南アジアでは前3000年ごろから育てられてきた古い穀物で、ギーや油とともに早くから台所にあった。この一皿を形づくるのは、生地を折り畳んで層をこしらえ、鉄板で油を含ませながら焼くという手わざである。名前もその作り方を映していて、サンスクリットの parat(層・折り)と atta(粉)を組み合わせた語だと考えられている。

文献に姿を現すのは、遅くとも12世紀である。南インド・カルナータカのソーメシュヴァラ3世が編んだ百科全書『マナソッラーサ』(1130年ごろ)に、さまざまなパラタが記録されている。ただしこれは今に伝わるもっとも古い記録であって、パラタそのものはそれ以前から作られていたとみてよい。

検証ストーリー

パラタというと、北インドのパンジャブ地方の名物、あるいはシルクロードを渡ってきたペルシア系の重層パン(waraki)の流れをくむもの、といった説明を耳にすることがある。だが前者は近代になってからの結びつきにすぎず、後者も、影響を示す確かな手がかりには乏しい。

今に残るもっとも古い記録は、12世紀に南インドのカルナータカで編まれた『マナソッラーサ』にある。すでに各種のパラタが並んでいることからは、この時点でパラタが南アジアに広く根づいていたことがうかがえる。北の一地方の名物という後世のイメージとは裏腹に、最初の記録はむしろ南に残っていた。語源をたどっても外来語には行き当たらず、サンスクリットの「層」と「粉」に素直につながる。

食物史家 K・T・アチャーヤの研究は、パラタを南アジア在来の重層小麦パンとして扱っており、これがいまの定説である。1130年ごろという年代は、遅くともそのころには各地でパラタが作られていたことを物語るのであって、パラタが生まれた年ではない。もっとも古い記録がどこに残ったかと、どこで生まれたかは、分けて考える必要がある。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-07-15 None —→—
網羅リスト取り込み時の代表出典(研磨の出発点)
PDM
2026-07-16 支持 D→B polisher-1

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構成素材

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