食文化圏 / ラテンアメリカ
アンデス・ペルー料理の成立史
ラテンアメリカの食文化圏「アンデス・ペルー」に属する料理 30 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 1532 年〜最新 1950 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 1 外来 26
所属する料理 30
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定番 ピスコサワー
ペルー(リマ) 1916–1930
時A説B
リマのバーで生まれたブドウ蒸留酒のカクテル、ピスコサワー。ペルーとチリがその発祥を競い合うが、チリに古くから伝わる『1872年イキケ考案』の物語は、典拠をたどると別の酒の話だった。
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アヒ・デ・ガジーナ
ペルー(リマ) 1532–?
時B説B
ペルーの国民食のひとつアヒ・デ・ガジーナ——ほぐした鶏を、パンと在来の黄唐辛子アヒ・アマリージョのソースでとろりと和えたこの一皿は、じつは中世イベリアの甘い鶏料理マンハル・ブランコを祖にもつ、植民地生まれのクレオール料理である。
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アロス・タパード
ペルー(リマ) 1532–?
時C説C
アロス・タパードは、型で二層の米に肉のピカディーリョを挟んで抜いた、ペルー・リマのクリオージョ家庭料理。「突然の来客に、家の残り物で即席に作ったのが始まり」という有名な発祥話は、独立した史料の裏づけを欠く後世の起源伝説である。
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アンティクーチョ
ペルー(アンデス高地) 1532–1700
時B説C
ペルーの串焼きアンティクーチョ。串に刺した肉を直火で焼く慣習はインカ以前のアンデスに遡るが、いま屋台で焼かれる牛心臓のアンティクーチョは、牛がスペインとともに海を渡って届くまで生まれようがなかった、植民地期の新しい料理である。
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エスカベチェ・クリオージョ
ペルー(太平洋岸) 1532–1900
時B説B
ペルーの食堂で愛されるエスカベチェ・クリオージョは、先住民の古い郷土料理と思われがちだが、その骨格をなす酢マリネの技法は、ペルシアからアンダルシアを経てスペインが海の向こうから持ち込んだものである。
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オコパ
ペルー 1532–?
時B説C
インカの飛脚が「オコパ」という袋にアヒや落花生、香草を詰めて運んだのが始まり——ペルーの前菜オコパはそう語り継がれてきた。だが、いまのオコパに欠かせないチーズはスペイン人が海を渡って持ち込んだもので、古代インカにさかのぼる話は史実と合わない。
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カウカウ
ペルー 1532–?
時C説C
牛のハチノス(モツ)とジャガイモを、黄色い着色料パリージョとミントで炒め煮にするペルーの家庭料理カウカウ。奴隷が捨てられた牛の臓物から生んだという説が広く知られるが、その名はスペイン以前の魚卵の煮込みにさかのぼるという見方もあり、発祥は定まっていない。
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カウサ・リメーニャ
ペルー(リマ) 1532–1883
時C説C
カウサ・リメーニャは、黄ジャガイモを潰してライムとアヒ(黄唐辛子)で練り、冷たく供するペルー・リマの一皿である。名が独立戦争の「大義(la causa)」に由来するという愛国的な逸話が広く語られるが、料理そのものはその戦争より前から食卓にあった。
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カラプルクラ
ペルー 1532–1700
時C説B
乾燥ジャガイモと豚肉を土鍋で煮込むペルーの古い一皿カラプルクラは、しばしば「インカ以来変わらぬ先住民料理」と語られる。だが豚肉の入った今の姿は、征服者とともに海を渡ってきた家畜が土に根づいてはじめて生まれた、植民地期のクリオージョ料理である。
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サンコチャード
ペルー 1532–1883
時C説C
サンコチャードは、牛肉とじゃがいも、ユカ、トウモロコシをことこと茹でるペルーの煮込み。「インカ時代から続く古代料理」と語られることがあるが、牛肉を主役にした今日の姿が生まれたのは、スペイン征服後の植民地期のペルーである。
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タク・タク
ペルー 1532–1900
時C説B
タク・タクは、前日の残り飯と煮豆をラードで炒め、一枚に練り固めるペルー沿岸の家庭料理。植民地期のアフロ・ペルーの厨房で倹約から生まれた一皿だが、二度くり返すその名の由来はいまも定まっていない。
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チュペ・デ・カマロネス
ペルー 1532–?
時B説B
アレキパを代表する川エビのチャウダー、チュペ・デ・カマロネス。インカの昔からそのままの料理だという語りがあるが、乳とチーズがとろりと溶けた今の一皿は、スペイン人が牛を連れて海を渡ってくるまで、この土地には生まれようがなかった。
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パパ・ア・ラ・ワンカイーナ
ペルー 1532–1897
時C説C
ワンカイオ行きの鉄道で乗客に売られたから、あるいは1908年の鉄道全通を記念して名付けられた——ペルーの前菜パパ・ア・ラ・ワンカイーナに広く語られてきたこの由来は、料理の名がすでに19世紀のうちに確認できることで成り立たない。ただし、誰が最初にこの一皿を考え出したのかは、いまも分かっていない。
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ロコト・レジェーノ
ペルー(アンデス高地) 1532–?
時C説C
アレキパ名物の詰めロコトを、料理人マヌエル・マシアスが亡き娘を取り戻すために悪魔と取引して生み出した——という妖しくも美しい起源譚は、後世の作家が紡いだ文学的な創作であって、史実の裏づけをもたない。実際の姿は、アンデス在来の唐辛子ロコトにスペインが持ち込んだ肉と乳が出会って生まれた、植民地期アレキパの混血(メスティーソ)料理である。
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サルテーニャ
ボリビア 1535–1917
時C説B
アルゼンチン・サルタ出身の亡命者フアナ・マヌエラ・ゴリティが、ポトシでサルテーニャを発明したという有名な話は、彼女自身の著作によって覆される後世の作り話である。汁の詰まったこのボリビアの焼きエンパナーダは、植民地時代のヨーロッパ由来のパイがアンデスの食材と出会って生まれた。
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セビーチェ
ペルー(太平洋岸) 1535–1900
時A説C
セビーチェはインカ、あるいはそれより前まで遡る——そう語られることは多い。だが、ライムで魚を締めるいまのセビーチェに限れば、その柑橘がスペイン人とともに新大陸へ渡った16世紀より前には生まれようがなかった。
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セビーチェ・ミクスト
ペルー(太平洋岸) 1535–?
時B説B
セビーチェ・ミクストは、白身魚に土地の魚介を合わせて酸で締めるペルー沿岸の一皿である。海辺の古い伝統に見えるが、手早く締めるいまの「ミクスト」の形が定まったのは、20世紀リマの日系セビチェリアでのことだった。
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ピカロネス
ペルー(リマ) 1535–1700
時B説B
かぼちゃとさつまいもを練り込んだ生地を輪の形に揚げ、サトウキビの黒蜜をたっぷりかけるペルーの揚げ菓子ピカロネス。その正体は、スペインから来た揚げ菓子が植民地リマの街角でアンデスの在来作物をまとい、姿を変えて生まれた criollo(土地化した)菓子である。
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チチャロン
ペルー/中南米 1550–1700
時C説B
豚を自身の脂で揚げた、中南米でおなじみの一皿。だが豚が海を渡って届くまで、この料理は新大陸の地に存在しようがなかった。「ある農夫の豚が偶然これを生んだ」という起源譚は、語よりも後に生まれた作り話である。
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チリウチュ
ペルー(クスコ) 1550–1600
時C説C
「千年前のインカから続く料理」としばしば語られるクスコの冷製盛り合わせチリウチュ。だが今日の一皿は、植民地期のコルプス・クリスティ(聖体祭)の祝祭のなかで、欧州由来の食材を取り込みながら結晶化したものだった。
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クイ・チャクタード
ペルー 1560–1900
時C説B
モルモット(クイ)を石で押さえて揚げ焼きにするペルー南部の名物、クイ・チャクタード。「五千年前の先スペイン期から受け継がれた古来料理」という語り口が付いて回るが、それはクイを食べる習わしの古さを、揚げ焼きという今の姿の古さへ取り違えた“創られた古さ”である。
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フアネ
ペルー 1600–1900
時C説C
ペルー・アマゾンのフアネは、ビハオの葉で握りこぶし大の球に包んで茹でた米と鶏の料理で、その名は洗礼者ヨハネ(サン・フアン)の斬られた頭に由来すると言われる。米と鶏を使う今の姿がスペイン到来より前へ遡れないことは確かだが、葉で球状に包んで茹でるという作り方の核そのものが在来の技法なのか、外から持ち込まれたタマルの作り変えなのかは、いまなお決着していない。
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アロス・コン・パト
ペルー(太平洋岸) 1800–1860
時B説B
ペルー北部を代表する鴨の炊き込みご飯。シラントロで深い緑に染まったご飯と、酢とニンニクでマリネしてじっくり煮えた鴨の取り合わせは、この土地に古くからいる水鳥と、海を越えて根づいた米とが19世紀の海岸の台所で出会って生まれた一皿である。
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パパ・レジェーナ
ペルー 1850–1935
時C説C
**パパ・レジェーナ**は、茹でたジャガイモの生地で味付けした肉などの具を包み、油で揚げるペルー生まれの一皿である。太平洋戦争でペルー兵が携行食として考え出したという語りが広く流布しているが、戦争の十数年前と戦時に書かれたリマの都市誌もペルー語彙集も、この料理に一言も触れていない。
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ロモサルタード
ペルー(リマ) 1850–1900
時B説C
ペルーを代表する牛肉炒め、ロモサルタード。リマの中華系食堂チーファで、広東からの移民が中華鍋をふるった十九世紀後半に、この一皿は姿をあらわした。
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ビステク・ア・ロ・ポブレ
ペルー・チリ 1870–1900
時C説B
「貧者風ステーキ」を名乗り、いまはペルーとチリの大衆食堂の定番になっているこの一皿は、貧しい台所から出てきたのではない。生まれたのは19世紀末サンティアゴの、ウニやロブスターを出す高級フランス料理店だった。
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レチェ・デ・ティグレ
ペルー(太平洋岸) 1900–2000
時B説C
ペルー太平洋岸の「虎の乳(レチェ・デ・ティグレ)」は、セビーチェで白身魚を締めた柑橘マリネ液を、そのまま一杯の冷たい飲み物に仕立てたものだ。素材の条件は柑橘が伝わった16世紀までさかのぼるが、この名を持つ独立の一品が現れたのは20世紀のことで、しかも「虎の乳」という奇妙な名がどこから来たのかは、今もはっきりしない。
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ペルー風ローストチキン
ペルー(リマ) 1950–1950
時B説B
いまではペルーの国民食のように語られる炭火ローストチキンだが、その始まりは1950年、リマ近郊で一人のスイス移民と一台の回転ロースターが生んだ、日付のはっきりわかる新しい料理である。
成立年不明 2
成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。