食文化圏 / 西欧
南イタリア料理の成立史
西欧の食文化圏「南イタリア」に属する料理 37 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 前200 年〜最新 1944 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 1 外来 23
所属する料理 37
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定番 ブルスケッタ
イタリア ?–?
時C説B
「ブルスケッタはトマトを載せたイタリアの前菜」という広く知られたイメージは、料理の成り立ちからすると順序が逆になっている。古典のブルスケッタはトマトを使わない焼きパンで、角切りのトマトをのせる版は、何世紀もあとに加わった一つの食べ方にすぎない。
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定番 ミネストローネ
イタリア -200–1891
時C説B
真っ赤なトマトの野菜スープ、というイメージを剥がしてみると、ミネストローネには特定の発明者も発祥の年もないことがわかる。古代ローマの農民が鍋で煮ていた野菜入りの穀物粥に連なる、名前だけが近代についた連続的な伝統である。
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定番 フォカッチャ
イタリア -100–1400
時C説B
フォカッチャは小麦粉にオリーブ油と塩を効かせて焼く素朴な平パンで、その祖型は古代ローマのかまど焼きパン『panis focacius』にさかのぼる。前700年のエトルリアまで起源を引き上げる説もあるが、そこまで古いとする年代の根拠はない。
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定番 アランチーニ
シチリア(伊) 1000–1400
時B説C
シチリアの米のコロッケ、アランチーニ。米がアラブ支配期にこの島へ渡って初めて生まれえた一皿だが、衣をつけて揚げる今の姿がいつ整ったかは定まらず、名前すら島の東西で男性形と女性形に割れたまま決着していない。
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定番 ラビオリ
イタリア 1100–?
時B説B
マルコ・ポーロが中国からパスタやラビオリをイタリアへ持ち帰った、という有名な話は、20世紀アメリカの業界誌が広めた作り話で、史料の裏づけがない。ラビオリはポーロが帰国するより前から、中世イタリアの詰めパスタとして記録に現れている。
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定番 ラザニア
イタリア 1300–?
時B説B
ラザニアは古代ローマ生まれ――そう語られることがあるが、これは文献に名が出た年を、料理が生まれた年と取り違えた俗説である。生地とソースを層に重ねて焼く現代のラザニアが形になったのは中世、いまのミートソース仕立ては19世紀のボローニャで広まった。
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定番 ジェラート
イタリア 1550–1694
時C説C
牛乳と砂糖を、雪と塩がつくる氷点下の冷たさのなかでかき混ぜながら凍らせる、いまのジェラート。フィレンツェの建築家ブオンタレンティが1560年代の宮廷の宴で考案したという有名な発祥譚には同時代の史料がなく、「ブオンタレンティ」という味の名そのものが、1960年代末から70年代初めにかけてフィレンツェのジェラート職人たちが決めたものだった。
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定番 パネトーネ
イタリア 1599–?
時B説B
貴族に恋したパン職人トニが焼いた贅沢なパンがパネトーネの語源だ——というほほえましい恋物語は、後世に作られた民間語源である。実際のパネトーネは、ミラノの富裕層がクリスマスに食べた贅沢なパンに始まる。
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定番 コルネット
イタリア 1683–1750
時B説B
コルネットは、卵と砂糖を加えた生地が持ち味のイタリアの三日月形の菓子パンである。1683年のウィーン包囲戦の勝利を記念し、オスマン軍旗の三日月を象って作られた——という起源話は広く知られるが、史実の裏づけを欠く後世の作り話である。祖型の菓子は、その事件の数世紀も前から存在した。
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定番 カポナータ
シチリア(伊) 1700–1868
時B説C
シチリアのカポナータは、高級魚カポーネを買えない貧しい人々がナスで代用したのが名の由来、とよく語られる。だが、いま実物で確かめられるかぎり最も古い記載である1785年のシチリア語辞書は、その名をラテン語のカウポナ(居酒屋)に由来すると明記し、魚には一言も触れていない。
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定番 ニョッキ
イタリア 1750–?
時B説B
ニョッキという団子は古代ローマまで遡れる。だが、いま親しまれるジャガイモのニョッキは、ジャガイモが北イタリアで食用として広まった一八世紀以降のもの。古い名と形に、新大陸の素材が結びついた料理である。
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定番 メランザーネ・アッラ・パルミジャーナ
ナポリ 1750–1900
時B説C
揚げたナスをトマトソースとチーズで層に重ね焼きした南イタリアの一皿。名の「パルミジャーナ」はパルマ発祥の証のように聞こえるが、この料理はパルマではほとんど食べられてこなかった。名の由来は今も一つに定まらない。
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定番 アマトリチャーナ
イタリア 1770–?
時B説B
トマトがとろりとからむアマトリチャーナが、千年前の羊飼いにまでさかのぼる——観光地でよく語られるこの由緒は成り立たない。主役のトマトは新大陸の産で、イタリアの食卓に広まるのは17世紀末以降だからだ。
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定番 スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ
ナポリ 1773–1847
時B説B
最初のスパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレは1762年のクリスマスイブ、ブルボン朝の宮廷の晩餐に供された——ナポリの貝パスタにそう語られる有名な起源話は、それを支える同時代の記録を持たない。記録に残る最も古い一皿は、宮廷の饗宴ではなく、肉を断つ精進日の家庭の食卓にあった。
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定番 ナポリピッツァ
ナポリ 1780–1900
時B説B
「ピザは古代ローマから食べられていた」という話は広く知られるが、いま私たちがナポリピッツァと呼ぶトマトを乗せた一皿は、新大陸から来たトマトが南イタリアの庶民に広まった18世紀以降にナポリで生まれたものである。
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定番 トマトパスタ(ポモドーロ)
南イタリア 1790–1850
時A説B
トマトのパスタは、いかにもイタリアの古い味に思える。だがトマトは新大陸からの渡来作物で、イタリアの食卓にのぼるのは18世紀のこと。トマトパスタは、見た目よりずっと新しい料理である。
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定番 ペスカトーレ
ナポリ 1800–1960
時C説C
漁師が売れ残りの雑魚を持ち帰って作った賄いが始まり——魚介のパスタにそう語られる由来は、それを支える同時代の記録を欠いた後づけの説明である。19世紀前半のナポリの料理書が伝えているのは、まだこの名を持たない、あさりとパスタの一皿だった。
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定番 ナスのパルミジャーナ
イタリア 1837–1850
時B説C
名前が北イタリアのパルマや「パルメザン」を思わせるこの重ね焼きは、実際には南イタリアで生まれた家庭料理である。その名の由来をめぐっては、いまも三つの説が競い合って決着していない。
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定番 ピッツァ・マルゲリータ
ナポリ 1860–1900
時B説D
ナポリの定番ピッツァ。「1889年、王妃マルゲリータのために考案され、その名を冠した」という名高い物語は、史料の裏付けを欠く後世の作り話であり、同じ形のピッツァはその物語より前からナポリに記録されている。
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定番 カチョ・エ・ペペ
ローマ(伊) 1880–1929
時B説C
移牧の羊飼いが山道の道中でこしらえた貧しい牧夫の一皿——カチョ・エ・ペペにそえられるこの由緒は、同時代の記録に跡が残らない後世の作り話である。その名を持つローマの一皿が印刷に現れるのは、1929年になってからだ。
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定番 アラビアータ
ローマ(伊) 1900–1975
時C説C
トマトとニンニクと唐辛子だけで作る簡素なパスタは、いかにも古いローマの味に見える。だが19世紀末から続く伝統という説明を支える同時代の記録は見当たらず、この一皿がローマの食卓に根づく姿を確かめられるのは20世紀後半である。
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定番 プッタネスカ
ナポリ 1900–1961
時B説B
ナポリの娼館で客の合間に手早く作られたから「娼婦風」——広く知られたこの由来話を支える同時代の記録は見当たらない。料理そのものは19世紀のナポリにさかのぼり、プッタネスカという名だけが1961年に印刷物へ現れた新参である。
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定番 エスプレッソ/カプチーノ
イタリア 1901–1948
時B説B
表面に細かな泡の層クレマをまとう、いまのエスプレッソ。その姿が現れたのは、ガジアがレバー式の機械を世に送り出した1948年のことだった。一杯の濃いコーヒーの新しさは、豆の歴史ではなく、湯を高い圧力で押し通す機械の歩みとともにやってくる。
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定番 カプレーゼ
イタリア・カプリ島 1920–1950
時B説C
トマトの赤、モッツァレラの白、バジルの緑を並べたカプレーゼ。イタリア国旗を映した愛国の一皿という語り口は後付けで、ローマ皇帝に遡るという伝説に至っては成り立つ余地がない。
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定番 カルボナーラ
ローマ(伊) 1944–1955
時B説B
卵とグアンチャーレを絡めたローマのパスタ。山の炭焼き職人が生んだとも、ある料理人が1944年に発明したとも語られるが、どちらも後世の作り話で、記録がたどれるのは第二次大戦後のローマからである。
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Pasta con le sarde
シチリア(伊) 900–1154
時C説C
イワシと野生フェンネルに、干しブドウと松の実の甘みが同居するシチリアの一皿。その始まりを9世紀の将軍の料理人の即興に求める伝説が語り継がれてきたが、独立した史料の裏づけはない。実像は、アラブ支配下のシチリアで異なる出自の食材が結び付いた融合料理にある。
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カッサータ
イタリア 950–1873
時B説B
シチリアが誇る華やかな復活祭菓子カッサータ。羊乳のリコッタを主役にした「チーズ菓子」だから名もチーズに由来する——という素直な連想は言葉のうえで無理があり、より確からしいのは菓子を成形する円い鉢を指すアラビア語のほうだ。名も形も甘さも、地中海の島に砂糖がもたらされた時代の記憶をとどめている。
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ポルケッタ
イタリア 1300–?
時C説B
ポルケッタは、香草を詰めた豚を丸ごと焼き上げる中部イタリアの街頭食である。古代ローマの皇帝ネロが愛したという華やかな由緒がつきまとうが、骨を抜いて香草を詰める今の姿は、中世以降にラツィオやウンブリアの市や祭で切り売りされて広まったものだ。
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フリット・ミスト
イタリア 1500–?
時C説B
「混ぜ揚げ」を意味するイタリアの揚げ物料理。特定の発明者を持たず、余った魚や肉を無駄なく揚げて食べる各地の実用の知恵から生まれた。
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ポレンタ
イタリア 1530–1750
時B説B
黄色いポレンタは「古代ローマの昔から食べられてきた伝統食」と紹介されることが多い。だが、その鮮やかな黄色をつくるトウモロコシは新大陸の作物で、16世紀にイタリアへ渡ってくるまで、この一皿は生まれようがなかった。
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スフォリアテッレ
イタリア 1570–1847
時B説B
余ったセモリナを惜しんだ修道女が即興で考え出した——スフォリアテッレの有名な発案譚は、伝説の言う17世紀より数十年早い1570年の料理書に同じ名の菓子が並んでいることで崩れる。ナポリの貝殻型が文字として残るのは、そこからさらに下った1847年である。
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ピッツァ・ルスティカ
ローマ(伊) 1650–1837
時B説B
「ルスティカ(素朴・農民風)」の名を負いながら、その古い記録はブルボン期ナポリの貴族の厨房にさかのぼる、四旬節明けの復活祭に焼く塩味の詰めパイ。二重の生地のなかに、チーズと塩漬け豚肉と卵をぎっしり抱えている。
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パスタ・アッラ・ヴェスヴィアーナ
ナポリ 1700–1950
時C説C
南米のトマトがナポリに渡ったブルボン朝の時代に生まれた——ヴェスヴィオ山の名を冠したこのパスタにはそんな由来話がついてまわるが、同時代のナポリ料理書にこの名の一皿は現れない。alla vesuviana は発明者も発明年も持たない、「ヴェスヴィオ山麓の流儀の」という土地の名である。
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サルティンボッカ
イタリア 1800–1891
時B説C
サルティンボッカは、仔牛肉に生ハムとセージを重ねて焼くローマの一皿。名の由来どおり「口に飛び込む(サルタ・イン・ボッカ)」ほどの美味さを誇るこの料理は、北イタリアのブレシア発祥ともいわれるが、その説には確かな史料の裏づけがなく、はっきりした初出はローマにある。
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パスタ・アッラ・ノルマ
カターニア(シチリア、イタリア) 1800–1920
時B説C
素揚げしたナスとトマトソースをからめ、塩漬け熟成の羊乳チーズを削りかけたシチリア・カターニアのパスタ。作曲家ベリーニの歌劇《ノルマ》初演(1831年)のために生まれたという有名な話は、肝心の『ノルマ』という料理名が19世紀の文献に一度も出てこない、後の世の命名譚である。
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パッパルデッレ・イノシシ肉ソース
イタリア 1800–?
時C説B
トスカーナの森で仕留めたイノシシを赤ワインで長く煮込み、幅広の卵パスタに絡めた、グロッセート・マレンマ一帯の郷土料理。古い狩猟民の食のように見えるが、いま食卓に並ぶ赤いラグーの姿になったのは19世紀以降のことである。
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リングイネ・アッロ・スコーリオ
イタリア 1847–1975
時C説D
漁師が磯の小石を鍋に放り込み、貝の身を外して作った貧しい一皿——リングイネ・アッロ・スコーリオに添えられるこの由来話は、いつの話なのかも出どころも示されないまま、料理サイトを巡ってきたものである。19世紀ナポリの料理書には、何種類もの魚介を混ぜたパスタは載っていない。