食文化圏 / 西欧

ドイツ語圏料理の成立史

西欧の食文化圏「ドイツ語圏」に属する料理 46 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。

  • 全圏平均の約 1.95 倍・4 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。

成立年代の分布成立年代の分布(最古 77 年〜最新 1950 年)。

  • 先史・古代 1
  • 中世 7
  • 近世 17
  • 近代 12
  • 現代 6

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 3 外来 10

所属する料理 46

  • 定番 シュペッツレ ドイツ・シュヴァーベン ?–1725 時C説C

    シュペッツレは、南ドイツ・シュヴァーベンの、粉と卵の生地を沸き立つ湯に掻き落として作る麺。痩せた土地の貧しい農民が卵も使えずにこしらえた粗食から生まれた、という有名な語りは史料の裏づけを欠いており、記録に残る最初のシュペッツレは、湯治場の湯守が台所で語った「酸っぱい湧き水で打つと軽く仕上がる」という一言だった。

  • 定番 プレッツェル ドイツ ?–1100 時C説B

    生地を結び目の形に編んで焼く、ドイツを代表するパン菓子。「610年にイタリア人修道士が祈る腕を模して作った」という有名な由来話は、20世紀アメリカの業界宣伝のなかで育った作り話で、史料が届くのは11世紀の修道院の語彙集までである。

  • 定番 ザワークラウト ドイツ・バイエルン 77–? 時B説B

    「ザワークラウトはチンギス・ハンの軍勢が東アジアから持ち帰った」という話が語られることがある。しかし塩漬けキャベツを発酵させる製法は古代ローマにすでにあり、この酸っぱいキャベツはヨーロッパで独自に育った保存食である。

  • 定番 マジパン ドイツ 1400–1530 時C説B

    アーモンドと砂糖を練った菓子マジパンには、1407年の飢饉でリューベックのパン屋がこれを発明し市民を救った、という勇ましい起源譚がついてまわる。だが「マジパン」という語は、その七十年ほど前の東地中海の商業手引にすでに書きとめられている。

  • 定番 シュトレン ドイツ・ドレスデン 1491–? 時B説B

    シュトレンの細長く白い姿は、布に包まれた幼子キリストを象ったもの——そう語られることが多い。だがこれは後世に添えられた意味づけで、始まりは中世の質素な断食パンだった。豊かな菓子パンへ変わったのは、教皇がバターを許してからである。

  • 定番 チーズフォンデュ スイス(アルプス) 1700–1900 時B説C

    白ワインで溶かしたチーズを共用の鍋でつつくチーズフォンデュ。アルプスの農民が何世紀も食べてきた素朴な郷土食という通念は、史実とは逆で、もとは低地の都市住民の料理だった。

  • 定番 ポテトサラダ ドイツ 1770–1850 時B説B

    素朴で古めかしく見えるポテトサラダは、じつはジャガイモがヨーロッパの日々の食卓に根づいた18世紀後半以降に生まれた、単一の考案者も発祥地も持たない料理である。

  • 定番 ザッハトルテ オーストリア・ウィーン 1832–1840 時B説B

    15歳の宮廷見習いが1832年に焼いた、という有名な誕生譚は、同時代の記録を欠く。その物語を世に広めたのは、半世紀のちに看板を売り込もうとした息子だった。

  • 定番 ミューズリー スイス 1900–? 時B説B

    ミューズリーは素朴な山の伝統食のように受け取られがちだが、実際には1900年頃にスイスの医師が療養所で考案した食事療法の一皿である。

  • 定番 ブラックフォレストケーキ ドイツ・シュヴァルツヴァルト 1915–1930 時B説C

    「この菓子の名は1915年2月、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル市の条例で初めて活字になった」という話が広く語られてきた。だが条例の原文も、載ったとされる紙面も示されたことはなく、いま実際にたどれる最も古い活字は1930年10月のカールスルーエの新聞である。

  • ヴァイスヴルスト Germany ?–1814 時B説B

    ミュンヘンの白ソーセージ、ヴァイスヴルストには『1857年、肉屋のゼップ・モーザーが腸を切らして焼き損なった失敗作から生まれた』という、日付も店も人物の名もそろった有名な誕生譚がある。だが、その伝説より43年も古い一枚の銅版画が、この物語を後から作られた由緒として覆した。

  • クヌーデル ドイツ・バイエルン 1200–? 時B説B

    クヌーデルは、硬くなったパンを湯の中でひとつの塊に生き返らせる中欧の団子で、「クヌーデルの故郷」を名乗る土地は複数あるが、どこか一点に発祥を絞り込むことはできない。

  • ザワーブラーテン ドイツ・ラインラント 1200–? 時C説C

    ユリウス・カエサルが酢漬けの牛肉をケルンへ送った、シャルルマーニュが残り肉のために酢マリネを発明した——ザワーブラーテンにまつわるこうした華々しい起源話は、いずれも一次史料の裏づけを欠く。

  • レープクーヘン ドイツ 1200–1300 時B説B

    ニュルンベルクのレープクーヘンには「中世の修道士が発明した」「古代エジプト以来の蜂蜜菓子の直系子孫だ」という二つの由緒がつきまとうが、どちらも史料の裏づけを欠く。この香辛料入り蜂蜜菓子が形になったのは中世盛期の中央ヨーロッパ、東方の香辛料が交易路をたどって届いてからのことである。

  • ブラートヴルスト ドイツ・バイエルン 1313–? 時B説C

    中世ドイツの焼きソーセージ、ブラートヴルスト。その名が確かに書き留められた最古の史料は、2000年に見つかった1404年の修道院会計簿の一行だった。

  • アイスバイン ドイツ・ベルリン 1500–1900 時C説C

    「アイスバイン(Eisbein=氷の脚)」——この不思議な名前は、豚の脚の骨を氷上を滑る原初のスケートの刃に使ったからだとよく語られる。だが、その語源には座骨の古い専門語だとする有力な対抗説もあり、決着はついていない。料理そのものは、塩漬けにした豚のすねをことこと茹でるだけの、ベルリンの居酒屋に根づいた庶民の一皿である。

  • シュヴァイネハクセ ドイツ・バイエルン 1500–1900 時C説C

    こんがり飴色に焼けた分厚い皮、その下でほろりと崩れる肉——バイエルンのビアホールを代表するこの豚すねの塊焼きには、実は「誰が最初に作ったか」を語る発祥譚が存在しない。安い硬い部位を食べ尽くすための郷土の知恵が、名も年も残さぬまま育った一皿である。

  • バーゼル・レッカリー スイス 1550–? 時B説C

    バーゼル・レッカリーは、蜂蜜と木の実に香辛料と砂糖漬けの柑橘皮を練り込んで硬く焼くスイス北西部の香辛料菓子。「1431年のバーゼル公会議のために創られた」という中世由来の逸話が知られるが、これは史料の裏付けを欠く後世の作り話で、実際の菓子が生まれたのは2世紀ほど後の近世である。

  • ラクレット スイス(アルプス) 1574–? 時B説B

    ラクレットという名の料理が定まったのは19世紀後半だが、火でチーズの断面をあぶり、溶けた部分を削って食べる習慣そのものは、中世アルプスの牧夫にまでさかのぼる。

  • アップルシュトルーデル オーストリア・ウィーン 1650–1696 時B説B

    ウィーンを代表する菓子アップルシュトルーデルの決め手は、紙のように薄く引き伸ばした生地にある。この生地の技術は、オスマン帝国のバクラヴァに連なる薄生地の系譜に由来し、ハンガリーを経てウィーンに伝わったものである。

  • リンツァートルテ オーストリア 1653–? 時B説B

    リンツァートルテを19世紀の菓子職人フォーゲルが考案したという話が、長く語られてきた。だが、それより約150年も前、1653年の料理帳にすでにこの菓子のレシピが記されている。名は考案者ではなく、菓子で名高い都市リンツに由来する。

  • ケースクヌップフレ リヒテンシュタイン 1700–? 時B説B

    とろけるアルプスチーズと揚げ玉ねぎをまとった小麦の生地団子――リヒテンシュタインの国民食ケースクヌップフレは、隣接する南ドイツ・シュヴァーベンからアルプス一帯へ広まったシュペッツレ料理が、この山あいの小国でチーズと出会って根づいた地域変種である。

  • ケーゼシュペッツレ オーストリア 1700–1783 時B説B

    オーストリアからスイスにかけてのアルプス山麓で愛される、チーズを何層にも重ねた素朴なパスタ料理ケーゼシュペッツレ。その土台は、痩せた土地でも育つ小麦を粉にして湯に削り込むだけの、シュヴァーベンの農民の台所から生まれた一皿である。

  • ゼンメルクヌーデル オーストリア 1700–1800 時B説B

    南チロルの城に残る12世紀のフレスコが、白パン団子ゼンメルクヌーデルの起源を描いている——しばしば語られるこの話は、団子一般の古い絵姿を、特定の白パン団子の誕生とすり替えたものである。ゼンメルクヌーデルは、日の経った白パンを無駄なく蘇らせる中欧の始末料理である。

  • マウルタッシェン ドイツ・シュヴァーベン 1700–? 時C説C

    四旬節に肉食を戒められた修道士が、肉を刻んで生地に隠し「神様の目をごまかした」——マウルタッシェンにまつわるこの愛らしい起源伝説は、当時の記録を欠く後世の語りである。名も修道院ゆかりとされるが、実際は「口」と「袋」を重ねた素直な合成語らしい。

  • レバーケーゼ ドイツ・バイエルン 1700–1874 時C説C

    「肝臓のチーズ」を意味する名を持ちながら、バイエルンの現行品には肝臓もチーズも入っていない――この矛盾した名の由来には二つの説が競い合い、「1776年に宮廷の肉屋が発明した」という有名な起源話のほうも、年代のずれと単一発明者への帰属ゆえに食物史家が首をかしげる、南ドイツの焼き肉塊である。

  • バックヘンドル オーストリア 1719–? 時B説B

    バックヘンドルは、鶏にパン粉の衣をつけ、たっぷりの脂で揚げたウィーンの名物料理である。いまでこそ気軽な揚げ鶏に見えるが、かつては一皿が富の証しで、19世紀前半のウィーンには「揚げ鶏の時代(Backhendlzeit)」という言葉さえ生まれた。

  • ケーニヒスベルガー・クロプセ ドイツ 1750–? 時B説B

    バルト海の港町ケーニヒスベルクの名を冠した肉団子は、牛と豚の挽肉を丸めて茹で、ケッパーとアンチョビとレモンを利かせた白いソースで仕立てる。誰か一人の発明譚が伝わっているが、それを確かな同時代の記録は見当たらず、実際には18世紀後期の東プロイセンの市民料理として少しずつ形になっていったとみられる一皿である。

  • カルトッフェルクヌーデル ドイツ・バイエルン 1770–1880 時B説C

    ジャガイモ団子を16世紀のマイニンゲンに起源づける郷土伝説は、主役のジャガイモがまだドイツの畑に広まっていない時代に料理を置くため成り立たない。実際は、ジャガイモが主食となった18世紀後半以降に中欧各地で並行して生まれた、比較的新しい様式変種である。

  • パペ・ヴォードワ スイス 1770–1900 時B説B

    ポロ葱とじゃがいものピュレに、キャベツを練り込んだ太いソーセージを添えるヴォー州の郷土料理。九世紀の王にちなむという起源伝説が語られるが、それは添えるソーセージの昔話にすぎず、じゃがいもを主役とするこの一皿そのものが姿を現すのは十九世紀のことである。

  • Matjessalat ドイツ 1800–? 時C説B

    塩で熟成させた若いニシン「マチェス」に、リンゴと玉ねぎ、クリームのドレッシングを和えた北ドイツのサラダ。土台になるニシン加工は中世までさかのぼるが、和えたサラダとしての姿は、ニシン交易が栄えた19世紀の食卓で形をとった比較的新しい一皿である。

  • アプリコットクヌーデル オーストリア 1800–1858 時B説B

    「余は皇帝であり、団子が欲しい」——皇帝フェルディナント1世が季節外れの団子をねだったという逸話は、いかにも由緒ありげに語られながら、実は同時代の記録に裏づけを持たない後世の言い伝えにすぎない。アプリコットクヌーデルの本当の成り立ちは、ボヘミアの果物団子の伝統が家庭料理としてオーストリアに根づいていく、もっと地味で確かな道のりだった。

  • ウィンナーシュニッツェル オーストリア・ウィーン 1800–1900 時B説C

    ウィーンを代表する仔牛のカツレツ。「ラデツキー将軍がミラノからこの料理を持ち帰った」という有名な伝来譚は、20世紀になって書かれた創作で、史料の裏づけを欠く。

  • ターフェルシュピッツ オーストリア・ウィーン 1800–1893 時B説D

    「ターフェルシュピッツは皇帝フランツ・ヨーゼフのために創られた」「ホテルザッハーのアンナ・ザッハーが考案した」という発祥譚は名高い。皇帝がこの煮牛肉を好んだのは史実だが、それは料理を有名にした出来事であって、生みの親を示すものではない。

  • ハンブルクステーキ ドイツ・ハンブルク 1800–1873 時B説B

    挽き肉を成形して焼くハンブルクステーキは、ドイツ最大の出移民港ハンブルクの名を冠してアメリカへ渡り、のちにハンバーガーへとつながった一皿である。アメリカでの最古記録を1834年まで遡らせる有名な逸話は、偽物のメニューに依った誤りだった。

  • ルーラーデン Germany 1800–? 時B説C

    ルーラーデンが上シレジアの厨房で、あるいはライン地方で三百年前に生まれたという起源話は、どちらも一次史料の裏づけを欠く。薄切り肉を巻いて煮込む料理はヨーロッパ各地に広く分かれており、ドイツ語の名前じたいフランス語からの借り物である。

  • ボックヴルスト ドイツ 1827–? 時B説B

    仔牛肉を主にした、白っぽく上品なドイツの茹でソーセージ。1889年にベルリンのレストランで学生が名づけたという発祥譚が広く語られるが、この名は60年以上前のバイエルンの記録にすでに現れていて、ベルリン誕生説は年代が合わない。

  • カイザーシュマーレン オーストリア・ウィーン 1835–? 時B説C

    カイザーシュマーレン(皇帝のシュマーレン)は皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が考案・命名したという逸話で知られるが、この名は皇帝の即位より前から記録に現れており、後世に付けられた命名譚である。

  • セルヴェラ スイス 1850–1900 時B説B

    スイスの国民食として年間1億6千万本が焼かれる茹でソーセージ、セルヴェラ。その名がルネサンスの管楽器にちなむという話が流れているが、順序は逆で、楽器のほうが腸詰めから名を借りている。

  • パラチンケン オーストリア・ウィーン 1850–1900 時B説B

    ウィーンの家庭とカフェを代表する薄焼きクレープ、パラチンケン。古代ローマの菓子に発するという由緒はもっぱら「名前」の旅路の話であって、鉄板で薄く焼く一皿そのものは中欧に古くからあった。

  • ゲルムクヌーデル オーストリア 1879–1897 時B説B

    ゲルムクヌーデルがボヘミア(チェコ)生まれだという話は、それを示す独立した史料が見あたらない、後付けの呼び名である。ふっくら蒸したイースト生地に甘いスモモジャムを詰めたこの団子は、ウィーンの市民の台所で育った粉物の菓子だった。

  • ビルヒャーミューズリー スイス 1900–1900 時B説B

    スイスの朝食を代表する一皿として世界に広まったビルヒャーミューズリーは、素朴な山村の伝統食に見えて、その実は1900年頃、チューリッヒの療養所で医師が患者のために考案した食事療法の献立から生まれた。

  • チューリヒ風細切り肉 スイス 1947–? 時B説B

    チューリヒ風細切り肉は、細切りの仔牛を白ワインとクリームで仕上げるチューリヒの名物として知られる。だが地名を冠したこの一皿が料理書に姿を現すのは20世紀半ばで、発明者も由緒ある起源話も伴わない、見た目より新しい近代の名物である。

  • カリーヴルスト ドイツ・ベルリン 1949–1949 時A説B

    焼きソーセージにトマトの効いたソースとカレー粉をかけた、ベルリンの軽食。瓦礫の街角の屋台で、一人の女性が出した一皿から始まった。

  • フォンデュ・シノワーズ スイス 1950–1970 時B説C

    フォンデュ・シノワーズ(中国風フォンデュ)は、名に「中国風」を冠しながら中国から伝わった料理ではなく、20世紀半ばのスイスで生まれたフォンデュの変種である。着想の源が中国の火鍋というだけで、料理そのものはスイスの創案だ。

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