食文化圏 / ラテンアメリカ
南米南部料理の成立史
ラテンアメリカの食文化圏「南米南部」に属する料理 48 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 前4000 年〜最新 1950 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 1 外来 25
所属する料理 48
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定番 チミチュリ
アルゼンチン(ラプラタ地域) 1800–1900
時B説C
アイルランド移民ジミー・マッカリーが名を残した——チミチュリの語源をめぐる英語由来の逸話は複数あるが、いずれも同時代の記録を欠く後世の作り話である。緑のソースそのものは、19世紀アルゼンチンの炭火焼き文化のなかで育った。
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定番 チョリパン
アルゼンチン(ラプラタ地域) 1850–1920
時B説C
焼いたチョリソーをパンに挟むだけのアルゼンチンの屋台料理。「ガウチョが草原の焚き火で生んだ」という素朴な起源話は語り継がれてきたが、それを支える当時の文字記録は残っていない。
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テレレ
パラグアイ ?–?
時B説B
テレレは、乾いたイェルバマテに冷たい水を注ぎ金属ストローで飲む、パラグアイの日常の飲みものだ。「チャコ戦争の塹壕で兵士が編み出した」という語り草がよく知られるが、冷たいマテはそれより数世紀前からこの土地で飲まれていた。
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パイラ・マリーナ
チリ ?–?
時C説C
パイラ・マリーナは、チリ沿岸のアサリやムール貝、魚介を浅い土器で煮込んだ海鮮スープ。先住民の古い海鮮料理に遡るのか、スペイン植民期に名を得た料理なのか、その始まりは今も二つの説の間で揺れている。
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マテ茶
アルゼンチン ?–?
時C説B
マテ茶は、南米パラナ川流域の先住民グアラニーがスペイン人の来る前から飲んでいた在来の飲み物である。月の女神が授けた木という美しい伝説も語られるが、その来歴は伝説よりも素朴で、土地に根づいた暮らしそのものの中にある。
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ロクロ
アルゼンチン ?–?
時C説B
アルゼンチンの独立記念日に欠かせない国民食ロクロ。だがこの濃い煮込みは、アルゼンチンという国よりもはるかに古い——スペイン征服以前のアンデス先住民が生んだ一皿である。
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クラント
チリ -4000–1550
時B説B
熱した石で蒸す料理は、海を渡ってきたポリネシア人がチリ南部に伝えた——そんな話がある。だがチロエ島の海辺では、彼らが太平洋の島々へ広がるよりも数千年前から、石を敷いた穴が湯気を上げていた。
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ポロトス・グラナードス
チリ 1000–?
時B説B
ポロトス・グラナードスはスペイン語の名を冠したチリの豆煮込みで、一見すると植民地時代に生まれた混血料理のように見える。だがその正体は、インゲン豆・トウモロコシ・カボチャという南米在来の「三姉妹」を一緒に煮る、先コロンブス期の農耕にまで根をたどれる一皿である。
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アルファホール
アルゼンチン(ラプラタ地域) 1300–?
時B説B
ドゥルセ・デ・レチェを2枚のクッキーで挟んだアルファホールは、アルゼンチンを代表する国民的な甘い菓子である。だが、その形と名前のルーツは、イスラム期イベリア半島のアラブ系菓子にまでさかのぼる。
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チャルキカン
チリ 1400–1500
時C説B
牛肉と玉ねぎで煮込み、じゃがいもをつぶして仕上げるチャルキカンは、一見すると植民地時代に生まれた家庭料理のようにも映る。だがその名前そのものが、干し肉と在来の野菜を煮た先住民の古い一皿であることを告げている。
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アサード・チレーノ
チリ 1540–?
時B説B
アサード・チレーノは、9月18日の独立記念祭を彩るチリの国民的な炭火焼きだ。だが「どこの誰が始めたのか」を探しても行き着く先はない——先住民の焚き火とスペインがもたらした牛が溶け合って育った、発祥地も発明者も持たない食習俗である。
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アロジャード・デ・チャンチョ
チリ 1540–?
時C説B
巻いて縛った豚肉を、燻製唐辛子やクミンを利かせた汁で煮るチリの郷土料理。華やかな発祥伝説を持たない代わりに、植民地期にスペインから渡ってきた豚肉ロールの技が土地の唐辛子と結びついて根づいた、由来のはっきりした一皿である。
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パステル・デ・チョクロ
チリ 1540–1900
時B説C
チリを代表する、甘いトウモロコシ生地の蓋で覆ったオーブン料理。1608年のクスコの宴ですでに供されたという有名な逸話は、それを記したのが200年あまり後の文学であって同時代の記録ではなく、史料の裏付けを欠く。
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仔羊の串焼き
チリ 1540–1880
時C説B
羊を一頭まるごと鉄十字に開き、野外の炉で直火にかざしてゆっくりあぶる、チリ・パタゴニアの祭りの一皿。先住民から連綿と続く古来の料理として語られることも多いが、主役の羊は1540年にスペイン人が船で持ち込んだ外来の家畜で、それ以前のこの土地にはいなかった。
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エンサラーダ・チレーナ
チリ 1541–?
時C説C
トマトの赤と玉ねぎの白がチリ国旗の色を映すから「チリ風サラダ(エンサラーダ・チレーナ)」と呼ばれる——広く語られるこの命名話には、実は古い史料の裏づけがない。
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カスエラ
チリ 1541–?
時B説B
チリの国民食カスエラは、肉と野菜を素焼きの土鍋で一鍋に煮込んだ滋味深いスープである。この一皿は、先住民マプチェの汁物とスペインの煮込みが植民地期に溶け合って生まれた、二つの食文化の混じり合いそのものだ。
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カルディージョ・デ・コングリオ
チリ 1541–?
時C説C
チリの長い海岸に暮らす漁民が生んだ、アナゴの仲間コングリオを主役にした煮込みスープ。詩人ネルーダの名高いオードで生まれた料理と誤解されがちだが、詩はすでにあった郷土料理を讃えたにすぎない。
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カルネ・メチャーダ
チリ 1541–?
時C説C
刺した肉の断面が鉱山の発破の導火線に似ているから「メチャーダ」——チリの国民食カルネ・メチャーダのこの名の由来話は民間語源で、mechada はもともと肉に脂身や野菜の細片を刺す、ヨーロッパ古来の料理用語である。
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コネホ・エスカベチャード
チリ 1541–1900
時C説B
エスカベチェという名は世界各地で魚や鶏の酢漬けを指すが、チリの「コネホ・エスカベチャード」は主役がウサギ。獲物も酢漬けの技も、どちらもスペイン植民期に海を渡って届いた、新旧大陸の出会いから生まれた一皿である。
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エンパナーダ
アルゼンチン(ラプラタ地域) 1550–1800
時B説C
アルゼンチンのエンパナーダは「7世紀の西ゴート期ガリシアで生まれた」としばしば語られるが、その時代を示す史料は一つも残っていない。語もレシピも、現存最古の記録は13世紀末までしか遡れない。
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チャパレレ
チリ 1550–?
時C説B
チャパレレは、チリ南部チロエ諸島の団子。土地に根づいた古いジャガイモに、海を越えて届いた小麦粉を少しだけ練り込んで生まれた、島の家庭の自給食である。
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チュペ・デ・ロコス
チリ 1550–?
時B説B
チリ沿岸の名物ロコ貝を土鍋で焼き上げるチャウダー「チュペ・デ・ロコス」を、貝を食べてきた歴史が八千年を超えるからと先住民の古来料理そのままだと思う人は少なくない。だが牛乳とチーズ、小麦のパンで濃く仕上げる現行の一皿は、大西洋の向こうから食材が渡ってきて初めて形になった、混血の料理である。
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チンチュリネス
アルゼンチン 1550–1890
時B説B
牛の小腸を編んで炭火で炙るチンチュリネスは、アルゼンチンのアサード(炭火焼き)に欠かせない前菜だ。名前は「腸」を指すケチュア語の古い言葉に遡るのに、この一皿そのものは、牛が海を渡ってラプラタの草原に放たれた後にしか生まれようがなかった。
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パントルカス
チリ 1550–1830
時C説C
チリの家庭で親しまれるパントルカス——牛肉やじゃがいものスープに小麦の生地片を煮込んだ庶民料理は、インディヘナ由来の名を持つ。だがその名の古めかしさとは裏腹に、生地の主役である小麦はスペインがもたらした旧大陸の穀物で、料理そのものは植民地期以降に育ったメスティソの食である。
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ボリボリ
パラグアイ 1556–2025
時C説C
ボリボリ(vori vori)は、トウモロコシ粉とチーズを練った小さな団子を鶏のスープで煮込む、パラグアイの家庭料理である。二度重ねて呼ばれるこの名の由来には、グアラニー語とスペイン語の二つの説があり、いまも決着していない。
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トゥクマン風エンパナーダ
アルゼンチン 1565–1900
時B説B
スペインが持ち込んだ包み焼きのエンパナーダが、アルゼンチン北西部トゥクマンで、牛肉を包丁で刻み土の窯で焼く郷土の一皿へと姿を変えた。発祥をめぐる作り話は見あたらず、この土地への根づきかたそのものが読みどころになる。
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ソパ・パラグアジャ
パラグアイ 1573–?
時C説C
「ソパ・パラグアジャ(パラグアイのスープ)」はスープではなく、しっとりと密度のあるトウモロコシのコーンブレッドである。19世紀のロペス大統領の料理人が失敗から偶然生んだという有名な起源話は、料理そのものより数世紀新しい後付けの逸話にすぎない。
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ミルカオ
Chile 1600–1913
時C説B
ミルカオは小麦粉を使わないのに「パン」と呼ばれる一品である。チロエ諸島で先住民が育ててきたジャガイモが、海を隔てた入植地で小麦粉が乏しくなる中、日々のパン代わりとして今の姿になった。この成り立ちの経緯こそが読みどころだ。
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モルシージャ
アルゼンチン 1611–?
時B説B
モルシージャはグアラニー語由来とされる呼び名「mbusia」で親しまれ、アルゼンチン固有の発明だと語られることがある。だが豚の血を腸に詰めるという食べ物そのものは、スペイン植民地期にイベリアから海を渡ってきたものだった。
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モテ・コン・ウエシージョ
Chile 1780–1872
時C説B
モテ・コン・ウエシージョは、煮た小麦と煮戻した乾燥桃を甘いシロップに沈めた、チリの夏の街頭飲料。いかにもチリらしいこの一杯は、小麦も桃もスペインが持ち込んだ旧大陸の作物で、植民地の時代に生まれた混血(メスティソ)の飲み物である。
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アサード
ラプラタ地域(アルゼンチン/ウルグアイ) 1800–1900
時B説C
南米パンパの牛肉炭火焼きアサードは、土地に古くからあった伝統ではない。スペイン人が持ち込んだ牛が野に放たれて野生化し、その牛を追う牧畜民ガウチョが塩と直火だけで焼いた——そこから生まれた料理である。「最初の牛が来た年に成立した」という話も、「アルゼンチンとウルグアイ、どちらが先か」という争いも、史料は支えない。
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ドゥルセ・デ・レチェ
アルゼンチン(ラプラタ地域) 1800–1870
時C説C
1829年の和平会談で女中が偶然作ったという甘い伝承を持つドゥルセ・デ・レチェは、実際にはスペイン植民地期にラテンアメリカ全域へ伝わり各地で育った乳菓で、ただ一つの発祥地は定まらない。
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マタンブレ
アルゼンチン 1800–1900
時B説B
「空腹を殺す」を意味する言葉がそのまま料理名になった一皿がある。19世紀アルゼンチンの食肉処理場労働者やガウチョが、皮と肋の間から取れる薄い一枚肉を焼いて空腹をしのいだという成り立ちを、マタンブレという名前は今も伝えている。
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マラケタ
チリ 1810–1900
時B説B
チリの国民的パン「マラケタ」には、バルパライソに住んでいたフランス人パン職人「マラケット兄弟」がこのパンを考案し、その姓が名前の由来になったという発祥譚が広く語られてきた。だが、その姓を名乗る人物がチリに渡った記録は史料のどこにも見当たらず、実証を欠いたまま流布した話である。
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ロモ・ア・ロ・ポブレ
Chile 1850–1882
時B説C
チリの「ロモ・ア・ロ・ポブレ」は、ステーキに山盛りのフライドポテト、目玉焼き、炒めたタマネギをのせた豪快な一皿。「a lo pobre=貧者風」というその名を、フランス語の boeuf au poivre(胡椒風味の牛肉)が訛ったものだと説く語源話が根強いが、スペイン語のまま「貧者風」と読めるこの名前に、わざわざフランス語を持ち出す裏づけはない。
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タルタ・パスクアリーナ
アルゼンチン 1880–1930
時B説B
アルゼンチンとウルグアイの食卓に欠かせない、ホウレンソウとゆで卵の入ったイースターパイ。じつは海の向こう、イタリア北部リグーリアの復活祭料理が、移民とともに大西洋を渡ってきたものである。
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パスタフローラ
アルゼンチン 1880–1920
時B説B
アルゼンチンの食卓に欠かせない、格子模様のジャムタルト。マルメロ煮をたっぷり包んだこの家庭菓子は、その名も姿も、海を渡ってきたイタリアの練り生地から受け継いでいる。
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ファイナ
アルゼンチン 1880–1915
時C説B
ひよこ豆の粉を薄く焼いたアルゼンチンの一皿、ファイナ。ピザの一切れにそのまま載せて頬張る「ピザ・ア・カバージョ」で親しまれる土地の名物だが、その名は海の向こう、ジェノヴァの方言の響きをそっくり残している。
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ファクトゥーラ
アルゼンチン 1880–1900
時B説B
アルゼンチンの朝食に欠かせない三日月形やクリーム入りの菓子パン、それらをまとめて「ファクトゥーラ」と呼ぶ。菓子そのものは欧州移民の製菓職人がブエノスアイレスに運んだものだが、「修道士の睾丸」「警官」「大砲」といった挑発的な菓子名の数々は、この街のアナキスト製パン労働者が権力への揶揄として付けたものである。
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ボンバ/ボラ・デ・フライレ
アルゼンチン 1880–1900
時B説C
「修道士の玉(ボラ・デ・フライレ)」「爆弾(ボンバ)」というアルゼンチンの揚げ菓子の名は、1888年のパン職人ストライキで職人たちが教会と軍をからかって付けた——というのが毎年語られる由来話である。だが修道女に引っかけた揚げ菓子の名は、その145年前、1743年に出たフランスの辞書にすでに載っている。
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ミラネサ
アルゼンチン 1880–1920
時B説B
牛肉に卵とパン粉の衣をつけて揚げたアルゼンチンの国民食ミラネサには、その源流が12世紀のミラノにまで遡るという由緒書きがしばしば添えられる。だが薄切り牛肉のこのカツレツ自体は、19世紀末に大西洋を渡ったイタリア移民が現地で生んだ、新しい料理である。
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メディアルナ
アルゼンチン(ラプラタ地域) 1880–?
時C説C
「メディアルナ(半月)の名は、1683年のウィーン包囲を撃退した記念に生まれた三日月菓子に由来する」という有名な話には同時代の裏づけがない。実際は、19世紀末にアルゼンチンへ渡った欧州移民がクロワッサン系の折り込みパン菓子を在地化した菓子である。
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ビフェ・デ・チョリソ
アルゼンチン(ラプラタ地域) 1900–1935
時C説B
「チョリソ」の名を負いながら、この一皿にソーセージは一切入らない。厚く切ったアルゼンチンの牛ロースを炭火で焼き上げたステーキで、名は肉の断面がチョリソに似ることに由来する。
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コンプレート
チリ 1920–1925
時B説C
コンプレートは、ホットドッグにトマト・アボカド・ザワークラウト・マヨネーズを山盛りにしたチリの国民的軽食である。有名店フエンテ・アレマナが生んだという通説があるが、その店の創業は料理の成立より十年以上あとで、発祥の店とは言えない。
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チャカレロ
チリ 1930–1970
時C説C
チリの国民的サンドイッチ、チャカレロを「ある人物が発明した」とする話が広まっているが、その人物は2000年代に料理を米国へ持ち込んだ紹介者にすぎず、料理そのものは20世紀半ばからチリの街角で食べられてきた。
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プロボレータ
アルゼンチン 1940–?
時B説B
鉄板の上でふちを焦がしながらとろけていく、厚切りのチーズ一枚——アルゼンチンの前菜プロボレータは、イタリア移民が携えてきたプロヴォローネを、炭火の直火でも溶け崩れないチーズへと作り替えたところから生まれた、二十世紀の移民料理である。
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ポジョ・アル・ディスコ
アルゼンチン 1950–?
時C説B
アルゼンチンのパンパで愛される**ポジョ・アル・ディスコ**は、農地で使い古した鋤の円盤(ディスコ)を鍋がわりに転用したことから生まれた一皿で、道具の名前がそのまま料理名になっている。
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マチャス・ア・ラ・パルメサーナ
チリ 1950–1960
時B説B
マチャ・ア・ラ・パルメサーナは、名前が謳う「パルメザン風」の本場イタリアには存在しない、20世紀半ばのチリ生まれの創作料理である。