食文化圏 / 中東・北アフリカ
トルコ・アナトリア料理の成立史
中東・北アフリカの食文化圏「トルコ・アナトリア」に属する料理 36 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
成立年代の分布成立年代の分布(最古 前500 年〜最新 1980 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 1 外来 8
所属する料理 36
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定番 シシケバブ
トルコ 1071–1453
時B説B
中世の兵士が戦場で剣に肉を刺し、直火であぶったのがシシケバブの始まり——。よく語られるこの起源話は、トルコ語の şiş を「剣」と読んだ俗な語源説で、それを支える確かな史料はない。
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定番 キョフテ
アナトリア(トルコ) 1300–1600
時C説C
トルコの食卓に並ぶ無数の挽肉団子、キョフテ。羊の挽肉を搗いて成形するこの一皿は、特定の発明ではなく、地域ごとに二百を超える顔を持つ大きな料理の一族の総称である。
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定番 トルココーヒー
トルコ 1554–1600
時B説B
粉ごと水で煮出して澱を残す独特のトルココーヒーは、16世紀半ばのオスマン帝国で姿を整えた。1554年ごろイスタンブールに開いた、世界で最初とされるコーヒーハウスがその舞台である。
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定番 キュネフェ
トルコ 1800–1885
時B説C
カナーファはカリフの空腹を満たすために発明された、という起源伝説がある。だが発明地はエジプトともダマスカスとも語られて食い違い、それを支える同時代の史料はない。細い麺状の生地に無塩チーズをはさんで焼き、シロップをかけるいまのキュネフェは、19世紀のレバントに姿をあらわした比較的新しい温菓子である。
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メゼ
トルコ ?–?
時C説B
地中海東部の食卓に小皿を並べる食習慣メゼ。その名はペルシア語の「味見」にさかのぼり、単一の発明者も発祥の地も持たないまま、酒を酌み交わす社交の席とともにオスマン帝国期に一つの食文化として結ばれた。
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ケシケキ
トルコ -500–1360
時B説C
ケシケキは、挽き割り小麦と羊肉を大釜で長時間煮て搗き、粥状に仕上げるトルコの祝祭料理である。4世紀のアルメニアの聖人が生んだという起源伝説が知られるが、この麦と肉の搗き粥の系譜は、その聖人よりはるかに古い時代までさかのぼる。
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スジュク
トルコ 850–1073
時B説B
にんにくとスパイスを利かせた乾燥発酵ソーセージ、スジュク。アナトリアの名物として知られるが、その源流はオスマン帝国よりずっと古く、中央アジアを移動したテュルク系遊牧民が肉を持ち運ぶために磨き上げた保存食にさかのぼる。
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ラケルダ
トルコ 900–1566
時C説B
黒海のカツオを塩蔵したトルコの前菜ラケルダ。その名をスペイン語の La Querida(愛しい人)に結びつける有名な話は、1492年のイベリア追放よりも前から使われていたギリシャ語の語形と噛み合わない、音の似寄りから生まれた民間語源である。
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ジャジュク
トルコ 1000–1844
時C説C
ジャジュク(cacık)は、冷たいヨーグルトにキュウリとニンニクを和えたトルコの一皿である。よく似たギリシャのザジキと同じ料理に見えるが、そのザジキという名前こそトルコ語 cacık から借りたもので、この料理型はテュルク系遊牧民のヨーグルト文化にさかのぼる。
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アイラン
トルコ 1072–?
時B説B
アイランは、ヨーグルトを水で割り塩を溶かしただけの、素朴で塩気のある飲み物である。トルコの国民的飲料として知られるが、その源は中央アジアの草原を移動したテュルク系遊牧民にあり、11世紀の辞書にはすでにその名が刻まれている。
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ギョズレメ
トルコ 1100–1477
時C説C
薄い生地を鉄板で焼き、チーズや青菜を挟むトルコの街頭食ギョズレメ。その名の由来も、いつ生まれたのかも定まらないまま、遊牧民の携帯食の面影を残して今に続く。
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チョルバ(トルコ)
1300–?
時B説B
チョルバはトルコ語で「スープ」そのものを指す総称で、レンズ豆や麦を煮た一杯から羊肉の濃い汁物まで幅広い。発明者も発祥地もない——その正体は、古くからある煮込み汁の文化が、ペルシャ語由来の名と軍隊の象徴をまとってトルコの食卓に根づいたことにある。
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ピラヴ(トルコ)
アナトリア 1300–1700
時B説C
米がまだ高価な新参者だったアナトリアで、バターの香りをまとわせて炊き上げられたのがピラヴ。ペルシアのポロウから分かれた一派が、オスマンの食卓で根づいた姿である。
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ブルグルpilav(挽き割り小麦のピラヴ)
トルコ 1300–1700
時B説C
米で炊くピラヴの陰に、もう一つのピラヴがある。挽き割り小麦ブルグルで作るこの一皿は、内陸アナトリアの庶民が代々食べてきた在来の主食であり、宮廷の米ピラヴとは別々の道を長く歩んできた。
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マンティ
アナトリア(トルコ) 1300–1500
時C説C
ヨーグルトをまとうトルコの小さな餃子マンティ。トルコ料理の顔のように見えて、その来歴をたどると中央アジアの遊牧民の食にさかのぼり、最も古い記録はモンゴル帝国期の東の宮廷に残っている。
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ボレク
トルコ 1400–?
時C説B
トルコを代表する薄い生地の包み料理ボレクは、その源流を中央アジアの遊牧民にさかのぼる。紙のように薄いユフカ生地は、後にオスマン宮廷の厨房で磨き上げられた技だった。
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バクラヴァ
オスマン帝国(アナトリア・レバント) 1450–1600
時B説C
ナッツと蜜を、紙のように薄い生地で何十層にも重ねた菓子バクラヴァ。「紀元前8世紀のアッシリア人が生み出した」と広く語られるが、その古代起源には史料の裏づけがなく、今日の極薄多層の姿が完成したのは15〜16世紀のオスマン宮廷でのことだ。
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ピデ
トルコ 1502–?
時C説B
トルコの舟形の焼きパン「ピデ」。名前はギリシア語のピタにさかのぼり、古代アナトリアのフラットブレッドの系譜につながる。1502年のオスマン皇帝バヤズィト2世の法令がピデ生地の作り方を定めており、遅くともこの頃には規格化された一皿として存在していた。
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メシルマージュン
トルコ・マニサ 1522–1534
時B説C
マニサ名物の香辛料練り薬「メシルマージュン」は、1527年に侍医マルケズ・エフェンディがスュレイマン大帝の母ハフサ・スルタンの重病を治した礼として初めて調合したと語り継がれるが、その創始譚を支える同時代の記録は見当たらない。
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シミット
トルコ 1525–?
時B説B
ゴマをまぶした環状のパン、シミット。名が記録に初めて現れるのは1525年だが、それは「この年までには存在していた」という最古の証文であって、生まれた瞬間ではない。生まれたのはオスマン帝国のイスタンブル、16世紀の初めのことである。
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アダナケバブ
トルコ 1600–?
時B説B
アダナケバブは南トルコ・アダナの名を冠した挽肉ケバブで、赤唐辛子の辛さと手挽き肉の歯ごたえを身上とする。挽肉のケバブはオスマン期からの伝統だが、その辛さを生む赤唐辛子は新大陸から海を渡ってきた作物である。
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イマム・バユルドゥ
トルコ 1700–1844
時B説C
「妻の作ったナス料理があまりに美味しく、イマム(イスラムの宗教指導者)が恍惚として気絶した」——名前の由来として語られるこの逸話は、料理が生まれたあとに付いた民間の語源で、成立の歴史そのものは伝説に依らない。
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ジャー・ケバブ
トルコ 1700–?
時C説B
世界の街角でおなじみの、縦串で回る肉の塊ドネルケバブ。その祖型は、トルコ東部エルズルムで横串を炭火にかざして焼く『ジャー・ケバブ』にさかのぼる——有名なほうが、実は後から生まれた。
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ロクム
Turkey 1777–1900
時B説C
ロクム(ターキッシュ・ディライト)を「1777年にイスタンブールの菓子職人ハジ・ベキルが発明した」とする有名な起源話は、帰属の証拠を欠くと菓子史の研究が退ける、商業的につくられた発祥譚である。
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ヒュンカル・ベーンディ
トルコ 1839–?
時C説C
焼きナスのピュレにまろやかな白いソースを重ねたオスマン宮廷の一皿、ヒュンカル・ベーンディ。スエズ運河開通の宴でフランスのエウジェニー皇后のために作られたという有名な逸話は、同時代の史料に裏づけを持たない後世の作り話である。
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ドゥルム(ケバブラップ)
トルコ 1850–?
時B説B
薄焼きパンでドネル肉を巻いた携帯食、それがドゥルムである。特定の店や町で生まれたという発祥譚はなく、縦型の回転焼きという焼き方がアナトリアに現れて、はじめて姿を得た派生形態だ。
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ドネルケバブ
アナトリア(ブルサ) 1850–1870
時B説C
縦に積んだ肉が回りながら焼け、表面から削がれていく——この見慣れた光景が現れたのは、肉を縦軸に立てて回す垂直ロースターが19世紀中葉のアナトリアに登場してからのことだ。発明者を一人の名に帰す家伝はあるが、最古の写真に写る露天商はその名のどちらでもない。
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ラフマジュン
アナトリア 1850–1950
時B説C
トルコ料理ともアルメニア料理とも呼ばれる薄焼きの「ラフマジュン」だが、その名はアラビア語の「生地の肉」にさかのぼり、古層はレバントのアラブ世界にある。どちらか一国の発祥と言い切ることはできない。
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チェルケスタヴク
トルコ(オスマン宮廷)/コーカサス 1865–1900
時B説B
コーカサスのチェルケス人が伝えた、摺りつぶしたクルミと裂いた鶏を冷たいソースでまとめる料理。19世紀のオスマン宮廷の食卓にのぼった主菜が、やがてトルコの定番メゼになった。
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イスケンデルケバブ
トルコ 1867–?
時B説B
イスケンデルケバブは、1867年にブルサの職人イスケンデル・エフェンディが考案し、その名をそのまま料理名にしたトルコの一皿である。多くのケバブが発祥をたどりにくいのに対し、この料理は創始者・年・土地がそろって記録に残っている。
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トンビク・ドネル
トルコ 1867–1990
時C説B
削ぎたてのドネル肉を、薄いパンで巻かずに丸いパンへ挟む――それがトンビク・ドネルである。その名は考案者でも発祥の町でもなく、「まるまる太った」という意味のトルコ語で、挟むパンの丸い姿をそのまま呼んだ愛称にすぎない。
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メネメン
トルコ 1880–1930
時B説C
トマトと卵を炒り合わせるトルコの朝食メネメンを、オスマン帝国以来の古い料理とみる向きがある。だが主役のトマトも青唐辛子も新大陸の作物で、アナトリアの食卓に広まったのは19世紀の末以降だった。
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ベイラン・チョルバス
トルコ 1885–?
時C説C
ガズィアンテプの隊商宿で旅人に供された滋養スープに始まり、1885年に市場で最初の一軒が開いた——ベイランにまつわるこの由緒は、独立した史料の裏づけを欠く口碑にとどまる。
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チョケルトメ・ケバブ
トルコ 1900–?
時B説B
南西アナトリアの村の名を冠したこのケバブは、薄切り肉の下に細切りの揚げジャガイモを敷き、ニンニクヨーグルトとトマトバターソースを添える。いかにも古そうな一皿だが、この姿が整うのは、新大陸のジャガイモとトマトが西アナトリアに届いた1900年前後より後のことである。
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ベイティ・ケバブ
トルコ 1961–?
時B説B
「ベイティ」は地名でも古いトルコ語でもなく、一人の店主の名である。ラヴァシュで巻いた挽き肉ケバブとして親しまれるこの一皿は、イスタンブールの外食の場で二十世紀半ばに生まれた、作り手のはっきりした料理だ。
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クンピル
トルコ・イスタンブール 1980–?
時B説B
巨大な焼きジャガイモの果肉をバターとチーズで練り、その上に好みの具を山ほど盛りつけるクンピルは、イスタンブールの屋台がわずか数十年前に生み出した料理である。その素朴な名前は、遠くバルカン半島の言葉を経てこの街にたどり着いた。