食材から辿る / 新大陸(コロンブス交換)
インゲン豆 素材 時期 B検証済
インゲン豆が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
アンデス(ペルー)での栽培化(前2400年頃・直接放射性炭素年代)=原産地での食材入手と食用成立が同年。メソアメリカでも独立に前500年頃栽培化
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 栽培化=食材入手。新大陸在来。アンデス(ペルー・グアヒタレロ洞窟の直接年代)で前2400年頃、メソアメリカ(メキシコ・テワカン)で前500年頃に独立して二重栽培化(Bitocchi et al. 2013)。到来台帳: 在来@ペルー -2400(幅-3000〜-2000)/@メキシコ -500
- 調理技術ゲート
- 乾燥豆の水戻し・煮る調理。豆の栽培化と同時に成立(可食化に特殊技術を要さない)
- 場ゲート
- 在地の食として成立=食材入手と同年。栽培化=食用が自明の豆で場ゲートは退化(捏造しない)
インゲン豆はどこから広がったか
インゲン豆(Phaseolus vulgaris)は南北アメリカの原産で、いまでは世界じゅうで食べられる豆だが、その始まりは一か所ではない。アンデスとメソアメリカという遠く離れた二つの土地で、別々の人々の手によって、たがいに独立に畑の作物になった。
二つのふるさと
ひとつのふるさとは南米アンデスである。ペルーのグアヒタレロ洞窟から出た豆を放射性炭素で直接測ると、栽培型のインゲン豆がおよそ4400年前——紀元前2400年ごろ——までにはこの地に存在していたことがわかる。もうひとつのふるさとは、はるか北のメソアメリカ、いまのメキシコである。メキシコのテワカン渓谷では、栽培型の豆がおよそ2500年前——紀元前500年ごろ——までに育てられていた。この二つは、どちらか一方から広まったのではない。遺伝子を調べた研究(ビトッキらの2013年の報告)は、アンデスの系統とメソアメリカの系統が別々に分かれて栽培化された、二重の起源であることを示している。栽培の始まりそのものは、分子系統からの推定ではさらに古くさかのぼる可能性も指摘されているが、確実な直接の年代を手がかりにするなら、少なくともこれらの時期には、それぞれの土地で豆はすでに作物になっていた。
大西洋を越えて
インゲン豆が旧大陸へ渡るのは、コロンブス以後の大西洋を越えた作物のやりとり——いわゆるコロンブス交換——とともにである。旧大陸への玄関口となったのはイベリア半島だった。16世紀の前半、スペインを経由してヨーロッパに導入され、最初期にうまく根づいたのはアンデス由来の品種だったと見られている(ピサロが北ペルーへ遠征する1529年以降のことである)。ヨーロッパの記録に確実な姿を現すのは16世紀の半ばで、当時の植物図譜(本草書)に描かれた図がその証拠となる(ゼーヴェンベルヘンらの2022年の研究)。理屈のうえではコロンブスの戻った1493年が最も早い到来の候補になるが、はっきりと裏づけられるのは、この16世紀半ばのことである。
旧大陸各地への定着
スペインに入ったインゲン豆は、そこからさらに旧大陸の各地へと広まっていった。黒海沿岸のジョージアや、西アジアのイランには、およそ17世紀ごろに達している(ビトッキらの2023年の研究)。ヨーロッパに入ったのちの豆は、在来の系統どうしが交わったり、土地の環境に合わせて選び直されたりしながら、それぞれの土地の品種へと姿を変えていった。アフリカ東部の高地の畑で、新大陸のインゲン豆が広く一般的な作物になるのは、さらに遅く、19世紀から20世紀にかけてのことだったとされる。
二つの大陸で別々に生まれたこの豆は、こうして大航海時代を境に旧大陸へ渡り、数百年のうちに世界じゅうの食卓の常連となった。
各地への伝来 14
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前7000〜前4000頃 メソアメリカ 在来
- 前3000〜前2000頃 ペルー 在来在地栽培
- 前1500〜1500頃 チリ 在来
- 前1000〜1600頃 ニューイングランド 在来
- 前1000〜前200頃 メキシコ 在来在地栽培
- 前500頃 ブラジル 在来在地栽培
- 前500頃 プエルトリコ 在来在地栽培
- 1500〜1700頃 ジョージア 新大陸交換
- 1500〜1550頃 ポルトガル 新大陸交換
- 1506〜1550頃 スペイン 新大陸交換
- 1530〜1650頃 バルカン半島 新大陸交換
- 1590〜1700頃 イラン 新大陸交換
- 1700〜1920頃 ケニア 新大陸交換
- 1718〜1800頃 ニューオーリンズ 植民地交易
インゲン豆の到来が成立を縛った料理 8
インゲン豆が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
- ペイシーニョス・ダ・オルタ ポルトガル1500年ごろ
- ゴルメ・サブジ イラン1600年ごろ
- ファソラダ ギリシャ1600年ごろ
- ボブ・チョルバ ブルガリア1600年ごろ
- マニストラ クロアチア1600年ごろ
- ロビオ ジョージア1650年ごろ
- レッドビーンズ・アンド・ライス 米国ルイジアナ1718年ごろ
- ムキモ ケニア1880年ごろ
インゲン豆を使う料理 16
- ポロトス・グラナードス チリ1000年ごろ
- タク・タク ペルー1550年ごろ
- ライス・アンド・ピーズ Jamaica1681年ごろ
- アロス・エ・フェイジョン ブラジル1700年ごろ
- パエリア スペイン・バレンシア1750年ごろ
- ベイクドビーンズ 米国ニューイングランド1750年ごろ
- ガジョ・ピント コスタリカ/ニカラグア1774年ごろ
- アロス・マンポステアオ プエルトリコ1800年ごろ
- ブランズウィックシチュー 米国南部1828年ごろ
- ラ・バンデーラ Dominican Republic1844年ごろ
- チリコンカン 米国・テキサス1850年ごろ
- バニーチャウ 南アフリカ・ダーバン1860年ごろ
- カサード コスタリカ1900年ごろ
- バンデハ・パイサ コロンビア1900年ごろ
- チャカラカ 南アフリカ1950年ごろ
- ミッションブリトー 米国・サンフランシスコ1960年ごろ