食文化圏 / サブサハラ
南部アフリカ料理の成立史
サブサハラの食文化圏「南部アフリカ」に属する料理 26 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 700 年〜最新 1976 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 2 外来 15
所属する料理 26
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食用シロアリ(羽アリ)
ナミビア ?–?
時C説B
ナミビアをはじめ南部アフリカの農村では、雨季になると大型のキノコシロアリ(Macrotermes属)が一斉に空へ飛び立つ。この有翅虫、いわゆる羽アリを地面や灯りの下で大量に集め、生のまま、あるいは軽く揚げたり天日に干したりして食べる。特定の考案者を持たない、先史以来の季節の採集食である。
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セスワ
ボツワナ 700–1900
時C説B
セスワは、硬くなった牛の肉を塩と水だけで長く煮て搗きほぐす、ボツワナの祝宴料理である。誰がいつどこで始めたという物語を持たず、それを書き記した最初の文献よりはるかに古くから、ツワナの牧畜社会に受け継がれてきた。
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ピリピリチキン
モザンビーク(ポルトガル植民地圏) 1500–?
時C説C
アルガルヴェの小さな村が「ピリピリチキンの首都」を名乗り、1964年にここで生まれたと語られてきた。だが小粒で辣烈なこの唐辛子は、それよりはるか昔、海を越えてアフリカに根づいた一粒だった。
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ビルトン
南アフリカ 1650–1700
時C説C
酢と塩、コリアンダーやクローブで味付けして干す南アフリカの干し肉ビルトン。だがオランダ人開拓者が馬の鞍の下に肉を挟んで生み出したという有名な逸話は、史料の支えを欠く創作である。
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ウォーターブロメチー・ブレディー
南アフリカ・ケープ 1652–1815
時B説B
ケープの春先、水辺に咲く在来の水生植物ウォーターブロメチーの蕾を羊肉とともに煮込んだ一皿。「ヨーロッパ人到来以前からの先住コイコイの伝統料理」としてしばしば紹介されるが、この料理の形が整ったのは、古くからの採集の知恵に、植民地期のケープに伝わった羊肉の煮込みの技が結びついてからのことである。
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クックシスター
南アフリカ 1652–1891
時C説B
細く編んだ生地を油で揚げ、冷たい砂糖シロップにくぐらせて仕上げる南アフリカの菓子クックシスターは、実は一つの名前のもとに二つの系譜が並んで生きている。オランダ入植者の揚げ菓子伝統から編まれたアフリカーナー版と、マレー系の丸い香り高い生地から生まれたケープマレー版である。
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ドロウォース
南アフリカ 1652–1700
時C説C
ドロウォースは、牛肉や猟肉を香辛料とともに腸詰めにして乾かした南アフリカの乾燥ソーセージで、ビルトングの姉妹にあたる。19世紀の大移動(グレート・トレック)で生まれたと語られることが多いが、この保存肉はそれより二世紀ほど前のケープ植民地ですでに作られていた。
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フェットクック
南アフリカ 1652–1900
時B説B
脂で揚げた発酵パン生地、フェットクック。南アフリカの屋台から食卓までを彩るこんがりと膨らんだ揚げパンには、海を越えてきた小麦と、内陸をゆく移住の暮らしが重なって生まれた成立の物語がある。
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ボボティ
南アフリカ・ケープ 1652–1800
時B説C
ボボティの名は、ジャワ語 bebotok に由来する——カレー粉が訛ったのではない。長く信じられた語源も「最古のレシピは1609年の蘭料理書」という逸話も、近年の研究が崩した。
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ポチェコス
南アフリカ 1652–1846
時B説B
南アフリカの戸外料理ポチェコス。1573年のライデン包囲戦で生まれたという古めかしい起源話は、鍋の共同煮込みという技法の遠い祖先と、料理そのものの成立とを取り違えたもので、学術文献はこれを支持しない。
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ウムンクショ
南アフリカ 1655–1800
時B説B
ネルソン・マンデラの好物として知られるコーサ族の伝統料理、ウムンクショ。だがその主役であるトウモロコシ粒と砂糖豆は、いずれも大西洋を越えて届いた新大陸の作物であり、「古代アフリカの土着料理」という素朴な印象とは裏腹に、この一皿が生まれたのは早くても17世紀のことだった。
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パパ
レソト 1655–?
時C説B
レソトの食卓を毎日支える、硬く練り上げたトウモロコシ粥パパ。いかにも太古から続く伝統食に見えるが、鍋を満たすトウモロコシ自体は新大陸生まれの後発の穀物で、いまの姿になったのは南部アフリカにトウモロコシが届いた十七世紀後半より後のことである。
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イエローライス
南アフリカ 1660–1900
時C説B
南アフリカの「イエローライス(geelrys)」は、ターメリックで鮮やかに染めた甘い炊き込み米。世界各地の同名料理と混同されがちだが、これはVOCの奴隷交易が運んだ香辛料からケープマレー社会が育てた独自の一皿で、料理書に載るよりずっと前から家庭の食卓に根づいていた。
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ソサティ
南アフリカ 1680–1833
時B説B
ソサティは、東南アジアから連れてこられたケープマレーの人々が伝えた串焼きの技と、南アフリカ在来の羊肉、そして交易で届いたカレースパイスやアプリコットが一本の串の上で出会って生まれた、ケープの甘辛い串焼き肉である。
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パップ
南アフリカ 1700–1900
時B説B
南部アフリカの食卓に欠かせないトウモロコシの練り粥パップは、先住民が太古から食べてきた古来の主食だと思われがちだが、主役のトウモロコシは新大陸からもたらされた作物で、現行のパップは植民地交易以降にしか生まれえなかった。
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ロマザヴァ
Madagascar 1700–?
時C説B
「ロマザヴァの牛肉はフランス植民地化がもたらした」という料理ブログの語りは、事実に反する。国民食を支えるゼブ牛は、フランスが島に来るより千年近くも前から、マダガスカルの威信の動物だった。
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ンシマ
Malawi 1700–1900
時B説B
マラウイやザンビアの食卓を毎日支える練り粥ンシマ。その主役メイズ(トウモロコシ)は新大陸生まれの作物で、いまの一杯は「太古から続く古来の主食」ではなく、外から来たメイズが在来の雑穀を押しのけて成立した近世以降の主食である。
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ブルボス
南アフリカ 1800–1900
時C説B
渦巻き状に長く巻いた一本のソーセージ、ブルボス。南アフリカの炭火を囲む食卓に欠かせないこの一皿には、確かな発明者も誕生の年もない。アフリカーナーの農場で代々受け継がれるうちに、いつのまにか国民食になっていた。
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トマト・ブレディー
南アフリカ・ケープ 1830–1889
時B説B
トマトと羊肉をとろりと煮込んだケープの一皿。「奴隷に下げ渡された端肉と余り野菜から生まれた」という起源話がよく語られるが、それを支える同時代の記録はなく、実際には被奴隷者が伝えた煮込みの技に新大陸のトマトが結びついた十九世紀の料理である。
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ダーバンカレー
南アフリカ・ダーバン 1860–?
時B説B
ダーバンカレーは、大英帝国のサトウキビ農園へ年季奉公で渡った南インドの人びとが、遠いインド洋の対岸で少しずつ作り替えていった一皿である。英雄的な発祥伝説を持たないかわりに、いつ・誰が海を渡ったのかがはっきり記録に残る、移民の暮らしそのものから生まれたカレーだ。
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バニーチャウ
南アフリカ・ダーバン 1860–1940
時B説C
バニーチャウは、くり抜いたパンにカレーを詰めるダーバンの携行食である。よく語られる『アパルトヘイト下でインド人がレストランに入れず、パンに詰めて持ち帰った』という起源譚は、できごとの順番が合わない作り話だ。
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マルヴァ・プディング
南アフリカ・ケープ 1924–1978
時C説C
南アフリカ・ケープの温かいアプリコットジャム入りスポンジ、マルヴァ・プディング。「17世紀のオランダ植民者が持ち込んだ」という由緒も、「マルヴァ=○○に由来する」という名の説明も、たしかな史料をたどると、どれも決め手を欠いたまま並び立っている。
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ブラーイ
南アフリカ 1930–1938
時B説C
南アフリカの国民的社交行事「ブラーイ」――薪と炭の直火で肉を焼き、人が集うこの文化を、先住民コイサンから連綿と続く太古の伝統だと語る話は多い。だが「ブラーイ」という名を持つ国民的伝統が結晶したのは、20世紀、それも1930年代のことである。
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チャカラカ
南アフリカ 1950–1970
時B説C
チャカラカは、缶詰のトマトと豆を唐辛子で辛く煮た南アフリカの常備菜。「ズールー語で〈ごちゃ混ぜ〉の意」とよく言われる名の由来は、辞書の調査では裏づけを欠く後付けの説明だった。
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コタ
南アフリカ 1959–1960
時C説C
コタは、くり抜いた食パンに揚げたてのポテトや加工肉を詰めて片手で頬張る、南アフリカのタウンシップ生まれの大衆食。その発祥をめぐっては「本家はソウェトか、ダーバンか」という論争が、いまも決着していない。
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ギャツビー
南アフリカ 1976–1976
時B説B
腕ほどの長さの丸パンにフライドポテトと加工肉を詰め、くさび切りにして分け合う――南アフリカ・ケープタウンの名物サンドイッチ「ギャツビー」は、1976年のテイクアウト店で生まれ、居合わせた労働者が映画『華麗なるギャツビー』になぞらえた一言からその名を得たとされる。