ものがたり / 食材前夜

観賞用だった赤 ―― トマトが地中海の顔になるまでの三世紀

食材前夜 登場する料理 21品

マルゲリータもガスパチョもトマトソースのパスタも、いかにも地中海の太古からの味に見える。だがトマトは新大陸メソアメリカの作物で、旧世界の港に着いてからも百五十年ほどのあいだ「美しいけれど食べない観賞用の草」として庭に飾られ、ナス科ゆえに毒を疑われてすらいた。赤い地中海が生まれるのは、驚くほど新しい。

トマトが旧世界に届く前から、地中海の食卓はよく実り、豊かに色づいていた。ただしその色は赤ではなかった。ナポリのピッツァは、小麦を薄く延ばしてオリーブ油とニンニク、ラードやチーズ、香草をのせて焼く白い平焼きだった。アンダルシアのガスパチョは、固くなったパンをニンニク・酢・オリーブ油・水とともに擂り潰した、白く冷たいスープだった。プロヴァンスでは夏野菜を油で煮込み、レバントではパセリと挽き割り小麦(ブルグル)をたっぷり刻んで和えていた。地中海の味の骨格はオリーブ油とニンニク、香草とチーズ、そしてパンにあって、そこに赤はまだ描き込まれていなかった。

その赤をもたらしたのは、大西洋を渡ってきた新大陸原産のトマトである。メソアメリカでトマトル(tomatl)と呼ばれていたこの実を、スペインの船が旧世界へ運んだ。ところがヨーロッパは、この鮮やかな実をすぐには口に入れなかった。イタリアへの初到来を確証するのは、1548年にコジモ・デ・メディチの領地からフィレンツェの大公家へトマトを一籠届けた書簡で(食物史家ジェンティルコーレ)、それは食材としてではなく、美しさゆえの観賞用として迎えられている。スペインでも1592年、グレゴリオ・デ・ロス・リオスの園芸書『Agricultura de jardines』が庭を飾る草として記すにとどまり、ナス科の見慣れぬ実は毒を疑われ、長く食卓から遠ざけられた。観賞から食用へ渡るのに、およそ百五十年がかかっている。転機を今に伝える最古の記録は、ナポリの宮廷料理人アントニオ・ラティーニが著書『Lo scalco alla moderna』(ナポリ、1692年)に載せた「スペイン風トマトソース(salsa di pomodoro alla spagnuola)」で、ヨーロッパで現存する最古のトマトソースにあたる。その名にスペインと刻まれているとおり、赤はまずスペインからナポリへ、海沿いの港町から食卓へと上がっていった。

港に根づいた赤は、そこから旧世界へ広がっていく。南イタリアではトマトソースのパスタが18世紀後半に姿を現し、ナスを重ねて焼くメランザーネ・アッラ・パルミジャーナも同じころ赤をまとった。アンダルシアの白いスープは18世紀以降に赤く塗り替えられ、ガスパチョもサルモレホも現在の姿になった。プロヴァンスの夏野菜煮込みがトマトを得てラタトゥイユとなるのは1790年ごろ、ハンガリーのレチョもパプリカとトマトの近代料理として立ち上がる。北インドには17世紀初頭にトマトが届き、チャナマサラのような料理がその赤を取り込んでいった。海から遠い土地へは、赤の足取りはやや遅れた。19世紀に入ってから、セネガルのティエブジェンや西アフリカのジョロフライス、モロッコのハリラ、中東・北アフリカのシャクシュカ、レバントのタッブーレ、ジョージアのチャホフビリ、ギリシャのホリアティキが、それぞれ赤い現行形を得ていく。

そして、いま永遠の伝統のように感じられる赤い名物ほど、実は驚くほど新しい。ピッツァ・マルゲリータが1889年に王妃のために名づけられたという有名な話は、モッツァレラとバジルをのせた同じ形のピッツァを命名より前に記録するデ・ブールカール『Usi e costumi di Napoli』(1866年)などによって退けられ、形のほうが名より先にあったことが分かっている。トマトとモッツァレラを並べるカプレーゼが文献に現れるのは1926年、カプリ島で開かれた未来派の宴の献立が最古で、ローマ皇帝ティベリウスに遡るという伝説はトマト到来より前で成り立たない。デリーのバターチキンは1947年前後、ブルガリアのショプスカ・サラダにいたっては1950年代に国営観光公社バルカントゥリストが売り出した新しい料理で、赤・白・緑が国旗を表すという通説は後から付けられた物語にすぎない。ポルトのフランセジーニャも、南アフリカのチャカラカも、みな20世紀の生まれである。

こうして並べてみると、「トマトは昔からこの土地にあった」「赤いソースは地中海の太古の味だ」という思い込みが、いかに新しい記憶違いかがよく見える。1548年に観賞用として迎えられた一籠、1692年にようやく書き留められた最初のソース、19世紀を待って赤くなった各地の名物。新大陸から来た一粒の実は、庭を飾る観賞用として百五十年を過ごしたのち、わずか二、三世紀のうちに旧世界の食卓を赤く塗り替えた。まず海沿いの港から、遅れて内陸へ。祖を古く見せかける物語よりも、この染まっていく順番をたどるほうが、ずっと確かで面白い。

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