食材から辿る / 新大陸(コロンブス交換)
落花生 素材 時期 B検証済
落花生が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
先土器時代の南米で栽培化・食用成立(約7840 BP)
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 栽培化(南米原産=南ボリビア〜北西アルゼンチンで A.duranensis×A.ipaensis 交雑起源の落花生を栽培化=入手)
- 調理技術ゲート
- 焙煎・煮る(可食化は単純加熱、栽培化と同時に食用)
- 場ゲート
- 食材入手と同年=南米原産地で栽培化とともに食用成立(ペルー北部ニャンチョク谷 先土器期)
落花生はどこから広がったか
落花生(ラッカセイ Arachis hypogaea)は南アメリカの原産で、いまの南ボリビアから北西アルゼンチンにかけての一帯で栽培化された作物である。この地域に自生していた二種類の野生のラッカセイ属(A. duranensis と A. ipaensis)が自然に交雑して生まれたのが、私たちの食べる落花生の祖先にあたる。栽培された落花生の最も古い痕跡は、原産地からやや北に離れたペルー北部のニャンチョク谷で見つかっており、先土器時代の遺跡から出土した実の遺物は、放射性炭素の年代測定でいまから八千年ほど前——紀元前六千年紀にまでさかのぼる(ディレヘイらの2007年の報告)。地中に実を結ぶこの変わった豆は、こうして早くから南米で育てられ、やがて新大陸各地の畑に広がっていった。
大西洋を越え、アフリカに根づく
原産地の外へ出るのは、コロンブス以後の大西洋を越えた作物のやり取りを待ってのことだった。ポルトガル人が南米のブラジルから落花生を持ち出し、16世紀末には西アフリカの海岸へ運んでいる(1570年ごろブラジルのバイーアで書きとめられたのち、17世紀初頭までに西アフリカへ達した)。中央アフリカのコンゴやアンゴラでも17世紀半ばには畑で育てられており、この地に長く滞在した宣教師カヴァッツィがその様子を記録に残している。落花生はアフリカの土と食にことのほかよく合い、煮込みに溶かし、あるいは粉にひいて使う素材として深く根を下ろした。大西洋を渡ってアフリカの食文化に溶け込んだ落花生は、やがてこの地を新たな出発点として、さらに各地へと運ばれていくことになる。
東アジア・東南アジアへ
アジアへの道はいくつも重なっていた。中国では早くも1538年、長江下流域の常熟県の地方誌に落花生の記録が現れる。これは新大陸作物の中国伝来を各地の地方誌からたどった歴史家ホー・ピンティの1955年の研究が突きとめたもので、原産地から旧大陸に渡ってまもない時期にあたる。東南アジアへはスペインのガレオン貿易が種を運び、インドネシアには1600年ごろ、フィリピンには17世紀初頭(1620年ごろ)に達した(アマノらの2021年の研究)。さらに19世紀には、実の大きなアメリカ産の品種が中国へあらためて持ち込まれ、それまでの小粒の落花生に取って代わっていく。南米の一粒の豆は、こうして大西洋と太平洋の両側から旧大陸に入り、アフリカとアジアの食卓を支える油と滋養の源になった。
各地への伝来 10
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前5890〜前3000頃 ラテンアメリカ 在来
- 1516〜1560頃 中国 新大陸交換
- 1550〜1650頃 中央アフリカ 新大陸交換
- 1565〜1700頃 フィリピン 新大陸交換
- 1570〜1650頃 インドネシア 新大陸交換
- 1570〜1650頃 マレーシア 新大陸交換
- 1570〜1650頃 西アフリカ 新大陸交換
- 1600〜1724頃 台湾 新大陸交換在地栽培
- 1600〜1850頃 東アフリカ 新大陸交換
- 1650〜1800頃 米国 植民地交易在地栽培
落花生の到来が成立を縛った料理 16
落花生が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。