食材から辿る / その他・調査中
ココナッツミルク 素材 時期 C検証済
ココナッツミルクが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- ココヤシ栽培(島嶼東南アジア/メラネシア原産・数千年前)
- 調理技術ゲート
- 果肉の摩り下ろし・加水搾汁
- 場ゲート
- 東南アジアの家庭食(食材入手と同年)
ココナッツミルクはどこから広がったか
ココナッツミルクは、実を割れば出てくるものではない。割ったときに流れ出る透明な液は果汁のほうで、料理に使う白く濃い液は、内側にへばりついた固い胚乳を削り取り、水を加えて揉み、布で絞ってはじめて得られる。動物の乳のように搾るのではなく、果肉からつくり出す乳である。だからこの素材は、ヤシの木がある場所ではなく、その手仕事がある場所に存在する。
原料になるココヤシは、島嶼部の東南アジアからメラネシアにかけての熱帯を故郷とし、数千年前から人とともにある。実そのものはインド洋と太平洋の島々に早くから行き渡っていた。けれども、削って絞るという工程がいつ始まったのかは分かっていない。
削り台のある台所
この加工が暮らしの一部として据わっていることを確かめられるのは、東南アジアの島々である。マレー半島やスマトラ、ジャワの台所では、削ったココナッツから取った濃い乳が、煮ものにも菓子にも使われてきた。16世紀のマラッカでは、ココナッツミルクと卵と砂糖を長く煮つめた甘い練りもの——のちにスリカヤ、カヤと呼ばれるもの——が作られ、ポルトガル人を通じて西へ伝わっている。太平洋の側でも同じ手つきが働いた。ハワイでは紀元400年ごろにはココヤシとともにこの加工が届いており、削った実から取った乳を葛でとろめかせた菓子が土地の食になっている。
大西洋を渡ったヤシ
新大陸へは、ヤシそのものが人の手で運ばれた。ブラジルには1553年、ポルトガル人がインドからカーボベルデ島を経由してサルバドール港へ実を持ち込んだと伝えられる。バイーアの海岸に植えられたヤシはそこから北東部一帯へ広がり、この地方はブラジルでもココナッツを日常に使う土地になった。ヤシが根づけば、削って絞る手つきもそこに根づく。
削り、揉み、絞る。このひと続きの手つきが働くところで、硬い実は料理の素材になる。
各地への伝来 3
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 400頃 ハワイ 在来
- 1553〜1587頃 ブラジル 植民地交易在地栽培
- 時期不明 マレーシア 在来
ココナッツミルクの到来が成立を縛った料理 2
ココナッツミルクが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
ココナッツミルクを使う料理 23
- プト フィリピン前1500年ごろ
- アッパ(ホッパー) スリランカ1000年ごろ
- キリバット スリランカ1000年ごろ
- パリップ(ダル・カレー) スリランカ1000年ごろ
- ナシクニン インドネシア1300年ごろ
- スリカヤ マレーシア1400年ごろ
- グドゥッ インドネシア1587年ごろ
- ナシパダン インドネシア・西スマトラ1800年ごろ
- フィッシュ・アモック カンボジア1800年ごろ
- トムカーガイ タイ1890年ごろ
- ナシカンダー ペナン1900年ごろ
- ナシ・レマ マレーシア1900年ごろ
- フィッシュヘッドカレー シンガポール1949年ごろ
- ソト・ブタウィ インドネシア1971年ごろ
- 楊枝甘露 中国・広東省1984年ごろ
成立年不明 8
成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。