食材から辿る / 在来

サフラン 素材 時期 B検証済

成立年代 前1700〜

サフランが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

3ゲート

食材入手ゲート
栽培化(三倍体不稔品種・ギリシャ/アッティカ・野生 Crocus cartwrightianus 由来・~前1700年)
調理技術ゲート
柱頭(めしべ)の手摘み・乾燥(1花3本の柱頭を採取乾燥)=食材入手と同年
場ゲート
香辛料/染料として利用成立=食材入手と同年(青銅器ミノア文明で確立)

サフランはどこから広がったか

サフランは、クロッカスの一種(Crocus sativus)の花の赤いめしべを乾かした香辛料である。この植物は種子をつくらない。染色体を三組もつ不稔の株で、球根を分けることでしか殖えない。つまり野生には存在せず、人が選び出して以来ずっと、人の手だけで代を重ねてきた作物である。

その選抜がおこなわれたのは、青銅器時代のギリシャだった。栽培種と野生のクロッカス(Crocus cartwrightianus)の遺伝的な関係を調べ、同時代の壁画に描かれた花の形と突き合わせた研究(ナバヴィらの2022年の報告)は、紀元前1700年ごろのギリシャ、アッティカの一帯を栽培化の場としている。エーゲ海の島々に残るミノア文明の壁画には、サフランの花を摘む人の姿が繰り返し描かれている。イランの高原でもサフランは古くからその土地の作物として扱われ、起源をこちらに求める見方は根強い。それでも、遺伝と図像の両面から支えられているのはギリシャのほうである。

一グラムのために

サフランが高価なのは、採るところに手がかかるからである。一つの花から採れる赤い柱頭は三本しかない。それを咲いた日のうちに手で摘み取り、乾かす。畑を広げても、摘む人手が足りなければ収量は増えない。この性質は、栽培の場が別の土地へ移っても変わらなかった。

地中海を越えて

サフランは香辛料としても染料としても求められ、地中海の交易を通じて西へ運ばれた。イタリア中部、アブルッツォの高原にあるナヴェッリには、13世紀にスペインからドミニコ会の修道士が球根を持ち込んだと伝えられる。以後この一帯はサフランの産地となり、ラクイラの町は中世を通じてサフランを商う市場になった。標高の高い乾いた土地はこの球根に合い、産地は南欧の高原づたいに広がっていく。ギリシャの丘で選び出された不稔の一株は、球根のまま人の手で分けられながら、地中海のあちこちの畑に根を下ろしていった。

各地への伝来 3

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 前1700〜前1500頃 ギリシャ 在来在地栽培
  • 1200〜1400頃 イタリア 交易路
  • 時期不明 イラン 在来

サフランを使う料理 21

成立年不明 1

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

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