食文化圏 / 西欧
北イタリア料理の成立史
西欧の食文化圏「北イタリア」に属する料理 19 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 1100 年〜最新 1973 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 0 外来 6
所属する料理 19
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定番 トルテッリーニ
ボローニャ(伊・エミリア=ロマーニャ) 1300–1570
時B説C
女神ヴィーナスの臍を模して生まれた、という有名な逸話をもつ小さな詰めパスタ。だがこのロマンチックな発祥譚は史実ではなく、20世紀初めに一人の詩人が書いた戯詩から広まった後世の作り話である。
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定番 タリアテッレ
ボローニャ(伊・エミリア=ロマーニャ) 1400–1549
時B説B
「金髪の美女ルクレツィア・ボルジアの髪に見立てて1487年にタリアテッレが生まれた」という有名な逸話は、史料の裏づけを欠く後世の作り話で、実際には20世紀の風刺画家が案出したものである。
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定番 バーニャ・カウダ
ピエモンテ(伊) 1600–1900
時C説C
海のないピエモンテの冬に、アンチョビとニンニクを油で煮溶かした熱いディップ。この一皿の主役は「塩税をごまかす密輸の産物」として語られてきたが、その物語は中世の帳簿の前で崩れる。
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定番 タリアテッレ・ボロネーゼ
ボローニャ(伊・エミリア=ロマーニャ) 1780–1891
時B説B
トマトの効いた挽き肉ソースをスパゲッティに絡めた「スパゲッティ・ボロネーゼ」が本場ボローニャの伝統料理だ、という国際的な通念は史実に反する。ボローニャの一皿は、卵の生タリアテッレに、トマトをほとんど使わない肉の煮込みソースを合わせたものだ。
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定番 ボロネーゼソース
ボローニャ(伊・エミリア=ロマーニャ) 1790–?
時B説B
『スパゲッティ・ボロネーゼ』はボローニャの伝統料理——という国際的な思い込みは、地元の食卓には当てはまらない。本場のラグーは複数の肉を煮込んだソースで、細いスパゲッティではなく平打ちのタリアテッレに合わせるのが伝統である。
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定番 オッソブーコ
ミラノ(伊・ロンバルディア) 1800–1900
時C説C
骨からとろりと髄がのぞく、ミラノの煮込み。「最初に載った料理書はアルトゥージだ」と言われてきたが、実はそれより12年古い一冊が残っている。
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定番 ペスト・ジェノベーゼ
ジェノヴァ(伊・リグーリア) 1800–1863
時C説C
ペストが古代ローマから同じ姿で受け継がれてきた料理だという話は、史料の裏づけを欠く。緑のバジルソースとして活字に現れるのは19世紀で、しばしば「最初のレシピ」とされる1852年版は、そもそも実在しない幻の本である。
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定番 ペスト・アッラ・ジェノヴェーゼ
ジェノヴァ(伊・リグーリア) 1850–1900
時C説C
松の実とバジルを搗いた鮮やかな緑のソースには「古代ローマ生まれ」という壮麗な由来話がある。だが現行のペストがバジルを主役に据えて記録されるのは19世紀中葉のジェノヴァであり、2000年を遡る直系伝承は史料に裏づけられない。
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定番 ティラミス
イタリア・トレヴィーゾ(ヴェネト) 1960–1990
時B説C
ティラミスは「いつからあるとも知れない古い伝統菓子」ではない。エスプレッソとマスカルポーネを冷たく層に重ねるこの現代の菓子は、おおむね1960年代から80年代にかけて、北イタリア・トレヴィーゾの店で形になった。しかも、どの店が最初だったかは、いまも争われている。
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コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ
ミラノ(伊・ロンバルディア) 1100–1900
時C説C
ミラノの仔牛のパン粉衣カツレツ。「ラデツキー将軍がミラノから持ち帰り、ウィーンのシュニッツェルになった」という有名な逸話は、後世にこしらえられた作り話だとされている。どちらが先かは、いまも史料では決着していない。
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タヤリン(アルバ産白トリュフ)
ピエモンテ(伊) 1465–1854
時C説C
卵黄をふんだんに使った生地を極細に手切りし、削りたての白トリュフをのせるピエモンテの卵麺タヤリン。「15世紀の農家に始まる」と語り継がれるが、その名を記した当時の記録は残らず、名物としての姿が文献にはっきり現れるのは近世から19世紀にかけてである。
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イカスミのリゾット
イタリア・ヴェネツィア(ヴェネト) 1500–1891
時C説B
ヴェネツィアの看板として知られる真っ黒なリゾットだが、記録にさかのぼれる最も古い一皿は潟ではなくフィレンツェにある——1891年の料理書に載る「フィレンツェ風の黒いリゾット」が、いまのところこの料理の最古の姿である。
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リゾット・アッラ・ミラネーゼ
ミラノ(伊・ロンバルディア) 1500–1809
時B説C
サフランで黄金色に染めた、ミラノの米料理リゾット・アッラ・ミラネーゼ。一五七四年、ステンドグラス職人の娘の婚礼でこの料理が生まれたという有名な逸話があるが、肝心の料理を指す記録は十九世紀まで一切現れない。これは後の世に作られた伝説である。
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カチュッコ
イタリア・トスカーナ 1750–1864
時B説C
『1693年、トルコ人のアフメトがリヴォルノでこの魚介煮込みを始めた』という起源話は、それを示す同時代の史料がなく、トマト仕立ての現行の形とも年代が合わない後世の作り話である。カチュッコはトスカーナの港が生んだ、売れ残りの魚を無駄なく使い切る漁民の一皿である。
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ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ
イタリア・トスカーナ 1800–1900
時B説B
フィレンツェの祝宴で焼き肉を目にした英国人が「ビーフステーキ!」と叫び、それが名の由来になった——愛されてきたこの逸話は、語の記録と噛み合わない後世の作り話である。実際のビステッカ・アッラ・フィオレンティーナは、トスカーナの骨付き牛を炭火で豪快に焼いた飾らない一皿だ。
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ポルチーニ茸のリゾット
北イタリア 1809–?
時B説B
秋の北イタリアで親しまれるポルチーニのリゾットは、華やかな発祥伝説を持たない。リゾットにまつわる有名な1574年のサフラン婚礼譚はじつは別の料理のもので、しかもその伝説自体、料理としての記録が現れるのは19世紀に入ってからだった。
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レッコ風チーズフォカッチャ
ジェノヴァ(伊・リグーリア) 1885–?
時B説C
レッコの薄いチーズフォカッチャには、サラセン海賊から逃れた中世の避難民が焼いた、あるいは古代ローマのチーズ菓子に連なる、という古い由緒がまとわりつく。だが史料でたしかに辿れるのは、19世紀後半のレッコで名物として売り出された姿だけである。
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トルタ・トレ・モンティ
サンマリノ 1942–?
時B説B
世界最古の共和国サンマリノの紋章、モンテ・ティターノにそびえる三つの塔(三峰)の名を冠した、ウエハースを重ねる層状のチョコレートケーキ。古い由緒を思わせるその名とはうらはらに、生まれは1942年、戦時下の一軒の製菓所が売り出した近代の市販菓子である。
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牛肉のタリアータ
イタリア・トスカーナ 1973–1995
時B説B
マレンマの牛追いが焚き火で焼いた肉塊から切り取って食べた慣習に始まる——タリアータにそんな古い牧畜の由緒を語る話は、公式な記録を欠いた後世の飾りである。実際には1973年、ピサの一軒の店で料理人セルジョ・ロレンツィがビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを薄切りに読み替えて生んだ、新しいトスカーナ料理だ。