食文化圏 / ラテンアメリカ
ブラジル料理の成立史
ラテンアメリカの食文化圏「ブラジル」に属する料理 28 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 前1000 年〜最新 1958 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 2 外来 15
所属する料理 28
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定番 カイピリーニャ
ブラジル 1834–1920
時C説C
ブラジルの国民的カクテル、カイピリーニャは1918年にスペイン風邪の薬として一人の農夫が考案したという逸話で知られるが、これは半世紀ものちに語られ始めた後付けの起源話である。
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定番 コシーニャ
ブラジル 1850–1900
時C説C
コシーニャは、鶏のほぐし身を涙滴形の生地で包んで揚げるブラジルの定番軽食(サルガード)。宮廷から隠された王女の息子のために創られたという有名な発祥譚は、帝室の記録と食い違う後世の作り話である。
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定番 パォン・デ・ケージョ
ブラジル 1880–1950
時C説C
小麦を使わないブラジルのチーズパン。18世紀の金鉱の町でアフリカ系の奴隷の女性たちが編み出したという名高い起源話には、それを伝える同時代の記録が見当たらない。
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タピオカ
ブラジル ?–1618
時C説B
ブラジル北東部の朝の食卓に欠かせない、キャッサバの澱粉を薄く焼いたガレット。その名は、はるか昔にこの土地の先住民が編み出した澱粉づくりの技を、そのまま今に伝えている。
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パモーニャ
ブラジル -1000–1500
時C説B
甘くとろけるパモーニャはブラジル植民地時代に生まれた菓子――そんな印象とは裏腹に、生のトウモロコシをすりつぶして葉に包み蒸すその原理は、ポルトガル人が渡ってくるはるか前から、トゥピ系の先住民が営んでいた古い料理である。
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ファロファ
ブラジル -500–1550
時B説B
ファロファは、キャッサバの粉を香ばしく炒ったブラジルの粉もの。空になった亀の甲羅で焙るうちに甲羅の脂と混ざって生まれた、という起源譚が語られるが、それは後から加わった脂や具の由来を語る昔話であって、炒り粉そのものは先住民トゥピ・グアラニが古くから食べてきた常食である。
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タカカ
ブラジル 1500–1900
時B説B
舌の先がぴりぴりとしびれる、熱いスープ。アマゾンの街角で立ち売りされるパラー州の名物タカカは、近代の都市が生んだ屋台食のようでいて、その正体は先コロンブス期の先住民スープにさかのぼる古層の一皿である。
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パト・ノ・トゥクピ
ブラジル 1500–1900
時C説B
ベレンの祭を彩る鴨のトゥクピ煮、パト・ノ・トゥクピ。植民地時代に生まれた異文化融合の一皿のように語られてきたが、その芯はヨーロッパ人がアマゾンに現れるより前の先住民の台所にある。
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フェイジョアーダ
ブラジル 1500–1800
時B説B
「奴隷が主人の捨てた屑肉を黒豆と煮込んで生まれた」——フェイジョアーダの最も有名な起源譚は、史料の裏付けを欠く近代の都市伝説である。源流はポルトガル北部の豆と豚の煮込みにあった。
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トヘズモ
ブラジル 1532–1700
時B説B
ブラジルの大衆酒場(ボテコ)に欠かせない、豚皮と脂身をカリカリに揚げたトヘズモ。いかにも土地に根ざした味に見えるが、その正体は最初の豚とともに大西洋を渡ってきた、イベリアの豚脂加工法である。
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ガリニャーダ
ブラジル 1550–?
時C説B
鶏を米とともに一つの鍋で炊き上げる、ブラジル内陸の郷土食である。金鉱を追う開拓者が焚き火で作り上げた、という勇壮な起源話は郷土色の濃い脚色で、実像はポルトガルの鶏飯が内陸の道中で土着化していった、作者を持たない集合的な料理である。
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ドセ・デ・レイテ
ブラジル 1550–?
時B説C
牛乳と砂糖を煮詰めたブラジルの甘味ドセ・デ・レイテには、1829年にアルゼンチンの女中が偶然こしらえたという有名な起源話がある。だが、それより古い記録がいくつも残り、一人の失敗から生まれたという物語は成り立たない。
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アカラジェ
ブラジル・バイーア州サルバドール 1600–1800
時B説C
ブラジル・バイーアの街頭でバイアーナの女性が売る、ササゲ豆を揚げた一品。海を渡ってきた西アフリカの豆フリッターが、奴隷貿易の終着地で新たな料理として根づいた。
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カルル
ブラジル・バイーア州サルバドール 1600–?
時B説B
「双子の神が雷神の食物から生まれた」というカンドンブレの神話は、カルルの起源として名高い。だがそれは祭りの作法を説明する信仰の物語であって、この一皿が実際に生まれた歴史そのものではない。
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トゥトゥ・デ・フェイジョン
ブラジル 1600–1800
時C説B
トゥトゥ・デ・フェイジョンは、煮た豆を炒めつぶし、キャッサバ粉でぽってりとろみをつけたブラジル・ミナスジェライスの家庭料理である。その名「トゥトゥ」はアンゴラのバントゥ系言語にさかのぼり、植民地期の奴隷の台所から生まれた一皿だ。
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ボボ・デ・カマロン
ブラジル 1600–?
時C説B
ブラジル・バイーアの、エビとキャッサバを濃厚に練り込みデンデ油で仕立てた煮込み、ボボ・デ・カマロン。この一皿には「誰がいつ発明した」という発祥譚がない。西アフリカから渡ってきた儀礼の練り粥と、土地に根づいたキャッサバと沿岸のエビ、そして奴隷交易が運んだ赤いパーム油が、植民地期バイーアで一つに溶け合って生まれた料理である。
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モケカ
ブラジル・バイーア州サルバドール 1600–1800
時B説C
ブラジル・バイーアの魚介煮込みモケカ(モケッカとも綴る)。その名の由来をめぐっては、トゥピ語起源説と西アフリカのキンブンド語起源説が、いまも決着のつかないまま並び立っている。
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モケカ・カピシャーバ
ブラジル・エスピリトサント州 1600–1900
時B説B
ブラジル・エスピリトサント州の魚介煮込み。「モケッカ」とも綴られる同じモケカでも、隣のバイーア州がアフリカ由来のデンデ油とココナッツミルクで仕立てるのに対し、こちらはオリーブ油と在来のアナトーで仕上げる別系統の郷土料理である。
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コステラ(骨付き牛リブ)
ブラジル 1634–1800
時C説B
コステラは、牛の骨付きリブを炭火で数時間かけて焼き上げるブラジル南部の名物である。先住民が太古から受け継いできた土着の肉料理だと語られることがあるが、その主役の牛はイベリア人とともに海を渡ってきた家畜であり、この一皿は植民地期の牧畜文化のなかで生まれた。
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シュラスコ
ブラジル 1634–1900
時B説B
炭火の上でじりじりと焼ける大きな牛肉の塊、シュラスコ。その名がイタリア語の網目模様(キアロスクーロ)に由来するという洒落た説をどこかで聞いたことがあるかもしれないが、それは後世に生まれた民間語源にすぎない。この料理の芯にあるのは、南米のパンパを馬で駆けた牧童たちの、飾り気のない焚き火である。
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エスコンジジーニョ
ブラジル 1690–?
時C説C
エスコンジジーニョは、ほぐした干し肉をマンジョッカ(キャッサバ)のピュレで覆って焼くブラジル北東部の料理で、名は「小さな隠しもの」を意味する。土くさく古めかしい響きに反して、この重ね焼きの姿は昔ながらの料理書に見当たらない近代の産物であり、ポルトガル由来ともアフリカ由来ともいう起源話はどれも裏づけを欠いている。
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アロス・エ・フェイジョン
ブラジル 1700–?
時B説B
ブラジルの国民食アロス・エ・フェイジョン(米と豆)に、たった一人の発明者や華やかな起源譚はない。植民地期に食材の巡り合わせがそろい、日々の食卓で少しずつ形になった組み合わせである。
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ピカーニャ
ブラジル 1700–?
時C説B
ピカーニャは、ブラジル南部の牧童ガウーショが炭火で焼いてきた牛の尻の三角部位である。シュハスコの花形として広く知られるが、その名の由来としてよく語られる牛追い棒の話は、確かなものではない。
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ボロ・デ・フバ
ブラジル 1700–1900
時B説B
ブラジル各地の家庭で焼かれる素朴な菓子ボロ・デ・フバには、誕生を彩る逸話も特定の作り手もいない。ポルトガルの焼き菓子技術と在来のトウモロコシ粉、そして奴隷として連れてこられた人々の言葉が、植民地の台所でひとつに重なってできた菓子である。
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バイオン・デ・ドイス
ブラジル 1800–?
時C説B
米と豆を煮汁ごと一鍋で炊き合わせる、ブラジル北東部の素朴な家庭料理。「2つのバイアォン」というその名は、牛追いたちが乾季の残り物から生んだ一皿を指し、のちに一曲の流行歌に乗って全国へ運ばれた。
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ベイジーニョ
ブラジル 1940–?
時B説B
ベイジーニョ(「小さなキス」)は、練乳とココナッツを練り上げて丸めたブラジルの定番ボンボン菓子である。チョコレート味のブリガデイロと対をなすココナッツ版の姉妹菓子として、20世紀なかばのブラジルで広まった。
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ブリガデイロ
ブラジル 1945–1946
時B説B
練乳とココアを煮詰めて丸めた一口菓子ブリガデイロは、1945年の大統領選のためにある女性が考案した——という語りは、菓子そのものはそれ以前からあり、選挙が与えたのはレシピではなく「名前」だったという事実の前で揺らぐ。
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サコレ(フルーツアイス)
ブラジル(リオデジャネイロ) 1958–?
時C説C
サコレは、砂糖を加えた果汁を細長い薄手のポリ袋で凍らせただけの、ブラジルの街角にあふれる素朴な氷菓である。第二次大戦のアメリカ水兵が持ち込んだという有名な起源話は、その袋がこの国に広まった時期とまるで噛み合わない、記録のない作り話である。