食材から辿る / 新大陸(コロンブス交換)
キャッサバ 素材 時期 C検証済
キャッサバが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
アマゾン南縁(ブラジル西部アクレ/ロンドニア/マトグロッソ)で栽培化 前8000年ごろ(幅大 前10000〜6000)。栽培化=食材入手、毒抜き技術を伴い主食化
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 栽培化(マニオク Manihot esculenta)=アマゾン南縁(ブラジル西部) 前8000年ごろ(起源地はOlsen&Schaal1999で同定、年代は幅大)
- 調理技術ゲート
- 毒抜き(青酸配糖体除去:すりおろし・水さらし・搾汁・加熱)
- 場ゲート
- 原産地での主食化。食材入手と同年(毒抜き技術を伴う)
キャッサバはどこから広がったか
キャッサバ(マニオク Manihot esculenta)は南アメリカの原産で、アマゾン川流域の南の縁——いまのブラジル西部、アクレやロンドニア、マトグロッソのあたり——で栽培化された作物である。遺伝子の系統をたどったオルセンとシャールの1999年の研究は、この地域に自生する野生の亜種(M. esculenta ssp. flabellifolia)を、栽培キャッサバの祖先と突きとめた。栽培化がいつ始まったかについては、およそ紀元前8000年ごろ、いまから一万年ほど前と推定されているが、この年代には広い幅があり、確かにわかっているのはむしろ「どこで」のほうである。デンプンをたっぷり蓄える太い根は、南米の熱帯の低地で古くから人々の主食を支えてきた。
アフリカへ渡り、主食になる
キャッサバがアメリカ大陸の外へ出たのは、大西洋を越えた奴隷貿易の時代のことである。ポルトガル人は1558年ごろ、中央アフリカのコンゴ盆地にこの作物を持ち込んだ。これがアフリカへの最初の導入とされ、ここが新たな広がりの起点になった。奴隷船に積む食料として、キャッサバの根をすりおろして乾かした粉(ファリーニャ)がまず西アフリカ沿岸の拠点で作られ、16世紀後半から17世紀にかけて海岸沿いで栽培が始まった。内陸の村々にまで行きわたるのは18世紀から19世紀のことである(ジョーンズの1959年の古典的な研究、ならびに言葉の広がりからたどったブレンチの研究)。東アフリカへはやや遅れて、ポルトガルの交易拠点だったモザンビーク島やキルワ、モンバサ、ザンジバルを経由し、17世紀から18世紀に伝わった(ヒロックスらの研究)。毒を抜く手間はかかるものの、痩せた土でも実り、乾いた季節にも枯れにくいキャッサバは、アフリカの広い範囲で欠かせない主食に育っていった。新大陸生まれの作物が、旧大陸の一角で人々の腹を支える柱になったのである。
アジアへ
アジアへは、ポルトガル船とその後の植民地の交易路を通じて広がった。東南アジアには16世紀から17世紀に伝わり、本格的に畑へ広まるのは19世紀のことになる。大陸部の内陸、いまのラオスあたりまで達するのも19世紀半ばごろとされる(国連食糧農業機関=FAOの整理による)。安いデンプン源として、また飢饉に強い保険の作物として、キャッサバは熱帯アジアの農地にも根を下ろした。アマゾンの森に生まれた一本の芋は、こうして三つの大陸の熱帯を結ぶ、主要な食料のひとつになった。
各地への伝来 10
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前10000〜前6000頃 ブラジル 在来
- 前2000〜前500頃 コロンビア・ベネズエラ 在来
- 前1000頃 ガイアナ 在来
- 600〜900頃 ジャマイカ 在来在地栽培
- 1550〜1650頃 西アフリカ 新大陸交換
- 1558〜1700頃 中央アフリカ 植民地交易
- 1600〜1850頃 インドネシア 新大陸交換
- 1700〜1850頃 東アフリカ 植民地交易
- 1750〜1850頃 タイ 新大陸交換
- 1750〜1900頃 ラオス 新大陸交換
キャッサバの到来が成立を縛った料理 14
キャッサバが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。