食材から辿る / 旧大陸
酢 素材 時期 C検証済
酢が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 律速はここ。酢の原料はアルコール性液体(ワイン/ビール/ナツメヤシ酒・果実酒)で、酒が無い所には酢は存在し得ない=酒造の成立が酢の物理的下限。近東〜南コーカサスでは前6000年ごろに葡萄酒醸造(McGovern et al. 2017 PNAS)、メソポタミアでは前4千年紀に大麦ビール・ナツメヤシ酒が確立。原料は在来で、入手経路は加工(自前の酒を酢酸発酵させる)。食材ゲート台帳: 酢=中東・北アフリカ・前4000年(幅 前6000–前200)・在来/加工
- 調理技術ゲート
- 酢酸発酵(酢酸菌 Acetobacter がエタノールを酸化して酢酸にする好気発酵)。開放容器の酒の液面に酢酸菌が自然に膜(mother of vinegar/種酢)を張って自発的に進むため、発明も装置も要さない。菌の正体の解明はBoerhaave(1732)→Lavoisier(1789)→Kützing(1837)→Pasteur(1864)まで下るが、原理を知らずとも生産は可能で、種酢の継代・木桶での静置表面発酵という伝統法は古代から近代まで連続する(Mas et al. 2014)
- 場ゲート
- 酒を造る場(家庭・醸造所・宮廷の酒庫)と同一で、入手と同時。酢は当初『酸くなった酒』=酒造の副産物・失敗物として生じ、そこから調味・食品保存・薄めた飲料(後世ローマの posca)・医薬へ転用された。特定の階層・接面・共同体に限定されない汎用の在来素材
酢はどこから広がったか
酢は、誰かが発明した食べものではない。酒を造れば、酢は勝手にできる。ワインでもビールでもナツメヤシの酒でも、器の口を開けたまま置いておけば、空気中の酢酸菌が液面に白い膜を張り、アルコールを酸に変えていく。この膜は各地で「酢の母」と呼ばれた。つまり酢の始まりは酒の始まりに随伴していて、酒を造る文明にはどこにでも、放っておいても酢があった。
だから酢には発祥地がない。南コーカサスのガダチリリ・ゴラでは紀元前6000年ごろの葡萄酒醸造の痕跡が確認されており(マクガヴァンらの2017年の研究)、メソポタミアでは紀元前4千年紀に大麦のビールとナツメヤシ酒が確立している。近東でも地中海でも南アジアでも東アジアでも、それぞれの土地の主要な酒を原料に、酢は別々に生まれた。中国では穀物から造る酢が独立に成立している。
紀元前5000年のバビロニアという話
酢の紹介にはしばしば「紀元前5000年のバビロニアの巻物に酢の使用が記されている」という一文が添えられる。これは年代が合わない。楔形文字による文字記録そのものがシュメールで成立するのが紀元前3600年から前3500年ごろ、ウルクで体系化されるのが前3200年ごろで、紀元前5000年に「文書」は存在しえない。書かれた媒体も、尖筆で押しつけた粘土板であって巻物ではない。加えてバビロンは紀元前2千年紀の初めに現れる都市で、紀元前5000年に「バビロニア」と名指せる相手はいない。この年代を支える粘土板や、その出版された報告を挙げた例も見当たらない。査読を経た文献は酢の歴史をずっと控えめに置き、確実にさかのぼれるのは「少なくとも紀元前200年」までだとする(マスらの2014年の総説)。
もっとも、これは酢が新しいという話ではない。酒があれば酢はできる以上、酢が先史から存在したことのほうがむしろ確からしい。崩れるのは、紀元前5000年の文書に記録があるという記録の主張の部分だけである。
酸の正体を知らないまま
酢を造る人びとが酢酸菌の存在を知ったのは、ずっと後のことである。液面に張る膜の正体は、ブールハーヴェ(1732年)、ラヴォアジエ(1789年)、キュッツィング(1837年)を経て、パストゥールが1864年に微生物の働きとして決着させるまで分からなかった。それでも生産に支障はなかった。うまくできた酢を少し取り分けて次の酒に加える——種酢を継ぐこの手つきと、木桶に静かに置いて表面で発酵させるやり方は、古代から近代まで途切れずに続いている。
酢は海も渡った。16世紀のフィリピンでは酢が土地の調味として使われ、大西洋の向こう側では、セファルディ系ユダヤ人が魚を揚げて香味酢に漬ける技法を西インド諸島へ運んだ(1494年から1550年ごろ)。原理を知らないまま、人は千年単位でこの酸をつくり続けてきたのである。
各地への伝来 3
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前6000〜前200頃 中東・北アフリカ 在来加工
- 1494〜1550頃 西インド諸島 植民地交易流通
- 1500頃 フィリピン 在来加工
酢の到来が成立を縛った料理 2
酢が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
- アドボ フィリピン1500年ごろ
- エスコビッチ・フィッシュ ジャマイカ1509年ごろ
酢を使う料理 20
- ザワーブラーテン ドイツ・ラインラント1200年ごろ
- チョルバ(ルーマニア・モルドバ) ルーマニア・モルドバ1500年ごろ
- 南蛮漬け 日本1542年ごろ
- カポナータ シチリア1544年ごろ
- ビルトン 南アフリカ1650年ごろ
- ニシンの酢漬け スウェーデン1770年ごろ
- 酢豚 中国・広東省1800年ごろ
- スヴィーチュコヴァー チェコ1826年ごろ
- 脆皮焼肉(シウヨッ) 中国1850年ごろ
- 擔仔麺 台湾1890年ごろ
- ブンチャー ベトナム1900年ごろ
- カンザスシティ・バーベキュー 米国1908年ごろ
- ビゴロン ニカラグア1914年ごろ
- チキン南蛮 日本・宮崎1925年ごろ
- ヒルダ スペイン・バスク1947年ごろ
- バーントエンド 米国1950年ごろ
- パタタス・ブラバス スペイン1950年ごろ
- ドナー カナダ1971年ごろ
- ギャツビー 南アフリカ1976年ごろ
- ラダウツィ風スープ ルーマニア1979年ごろ