食文化圏 / 東欧
ロシア料理の成立史
東欧の食文化圏「ロシア」に属する料理 19 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 900 年〜最新 1900 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 4 外来 4
所属する料理 19
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定番 ブリヌイ
ロシア 900–1500
時B説B
黄金色に丸く焼くロシアの薄焼き **ブリヌイ** は、異教スラヴの太陽神を象る神聖な祭礼食に起源する、としばしば語られる。だがその正体は名前が語るとおり素朴で、挽いた穀粉を発酵させて焼く在来の穀物料理である。太陽信仰の物語のほうが、後世に着せられた飾りだった。
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定番 ピロシキ
ロシア 1500–1800
時B説B
ロシアのピロシキは、生地に肉やキャベツ、魚などを詰めて焼くか揚げた小型の詰め物パイである。その名はスラブの古い言葉で「宴」を意味する語にさかのぼり、中世以来の祝祭の食として連続してきた。テュルク語からの借用という説は、語源研究によって退けられている。
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定番 ドラニキ
ベラルーシ 1800–1900
時B説C
すりおろした生ジャガイモを油で焼いた、ベラルーシを代表する素朴なパンケーキ。その姿はしばしば「ベラルーシ固有の料理」と語られるが、実際は東欧一帯でジャガイモが主食になった頃に広く生まれた、汎スラヴの農民料理である。
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定番 ビーフストロガノフ
ロシア 1871–1895
時B説C
「ストロガノフ伯爵家の誰かが考案した」——細切れ牛肉をサワークリームで仕上げるこのロシア料理には、家名にちなんだ発明者の逸話がつきまとう。だが、その個人発明の物語を支える同時代の記録はなく、確かに辿れるのは1871年の料理書に最初のレシピが現れる地点だけである。
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カーシャ
ロシア(東スラヴ圏) 900–1500
時B説B
カーシャはロシアのどこかの家庭料理の固有名ではなく、東スラヴで穀物を水や乳で煮た粥そのものを指す総称である。もっとも有名なそばの実のカーシャすら、実はこの古い粥の系譜に後から加わった一変種にすぎない。
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シチー
ロシア 900–1550
時B説B
シチーはロシアの食卓を千年ささえてきたキャベツのスープである。九世紀にキャベツが伝わった直後に生まれたという通説がくり返し語られてきたが、その年を示す記録は残っておらず、本当の始まりは文字が生まれる前の霞のなかにある。
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ライ麦パンのキャビア
ロシア 1100–1930
時C説B
黒パンにバターとキャビアを乗せたロシアの一皿は、皇帝の食卓を思わせる贅沢の象徴に見える。だが実際には、ヴォルガ川の漁民が日々口にし、正教会の斎日に黒パンと共に食べた在来の食習慣から育った民衆の一品である。
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ウハー
ロシア 1400–1700
時B説B
ウハーは、川魚を澄んだ煮汁に仕立てるロシアの汁物。「千年前から続く魚のスープ」とよく紹介されるが、それは料理の古さではなく、名前の古さを取り違えた語りである。
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オラディ
東スラヴ圏 1470–1600
時B説B
東スラヴ圏で親しまれる、厚くて小さな発酵パンケーキ。その名「オラディ」は、丸い手のひらの形からでも生地そのものからでもなく、ギリシャ語の「油」にさかのぼる。油を敷いて焼く生地菓子という料理の姿を、名前がそのまま映している。
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クレビャーカ
ロシア 1500–1700
時B説B
多層に具を重ねたロシアの祝祭パイ。フランスの名高いシェフ、カレームが生み出したという話がしばしば語られるが、これは順序が逆で、パイのほうがカレームより古い。フランス経由の呼び名「クリビヤック」は、後からロシア料理にかぶせられた化粧である。
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ソリャンカ
ロシア 1500–1800
時C説C
肉と塩漬けの酸味が溶け合う、ロシアの濃いスープ。十六世紀の古文書にすでに載っていたという有名な話があるが、その文書には「ソリャンカ」の語そのものが見当たらない。今ではトマトで赤く染まるが、その赤も、スープの長い歴史のなかではごく新しい色である。
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ペリメニ
ロシア(シベリア) 1500–1700
時B説C
ペリメニは「ロシアの国民食」と呼ばれるが、そのルーツは必ずしもロシア人のものではない。ウラル・シベリアの先住民から受け継いだとする話と、中国の餃子がモンゴルを介して伝わったとする話とが並び立ち、どちらか一方に決まらないまま今に至っている。
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ホロデツ
ロシア 1500–1800
時B説C
獣の蹄や骨を長時間煮出し、寒さに任せて自然に固めた煮凝り——ホロデツは東スラヴ農民の『無駄なし』の保存食で、後世フランス料理が磨きをかけた宮廷版とは系統が別である。
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コトレータ
ロシア 1800–?
時B説B
ロシアの挽肉カツレツ「コトレータ」を有名にした逸話――トルジョクの宿で供された一皿が1612年の英雄ドミトリー・ポジャルスキー公に由来するという話は、実は別の一族の名を借りた後づけの物語である。
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ヴィネグレット
Russia 1830–1905
時B説B
ビーツとじゃがいもの角切りを酢と油で和えるロシアの定番サラダ、ヴィネグレット。宮廷料理人カレームが酢がけを見て『酢?(ヴィネグル)』と尋ねたのが名の由来だという有名な逸話は、料理名がカレーム来訪の二十年以上前から記録に残る以上、成り立たない。
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オクローシカ
ロシア 1850–1950
時C説C
クヴァスで割った、ロシアの夏の冷たいスープ。いまでは角切りのジャガイモが欠かせない一品だが、その古い姿はジャガイモを知らなかった。「中世からいまと同じ姿だった」という思い込みには、一七九〇年の料理書がはっきり待ったをかける。
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オリヴィエサラダ
ロシア(モスクワ) 1860–1900
時B説C
ロシアの正月に欠かせないサラダ。19世紀モスクワの高級レストランで生まれた贅沢な一皿が、ソ連の時代を経てジャガイモとマヨネーズの大衆料理へと姿を変えた。だが「考案者が秘伝のソースを墓まで持ち去った」という有名な逸話は、後世の回想が広めた作り話に近い。
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シルニキ(東スラヴ圏)
1861–?
時B説B
東スラヴ圏の家庭で親しまれる、トヴォログ(凝乳チーズ)を練って焼くパンケーキ。「チーズ」を意味する古語 syr を名に負い、сырники という語じたいは16世紀の家政書にまで遡るが、いま食卓に並ぶ焼き菓子の形が定まったのは18〜19世紀のことである。
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メドヴィク(蜂蜜ケーキ)
ロシア 1900–1960
時C説C
蜂蜜嫌いの皇后エリザヴェータのために1820年頃に考案された、という甘い逸話で語られるメドヴィク。だがその筋書きは史料に裏づけがなく、退けられている。実際は20世紀ソ連期に広まった層状の家庭菓子で、料理書での初出は1960年である。