食文化圏 / 中東・北アフリカ
アラビア半島・湾岸料理の成立史
中東・北アフリカの食文化圏「アラビア半島・湾岸」に属する料理 26 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 前1000 年〜最新 1850 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 1 外来 12
所属する料理 26
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シュワ
オマーン ?–?
時C説C
羊や山羊を地中の窯で一日以上かけて焼き上げるオマーンの祝祭料理シュワ。「砂漠の遊牧民ベドウィンが肉を保存するために編み出した」という定番の由来話は、年代を示す史料を欠く後世の説明にすぎない。
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ジャリーシュ
サウジアラビア ?–?
時C説B
ジャリーシュは、発明者も華々しい発祥譚も持たないまま、アラビア半島の家庭で古代から食べ継がれてきた粗挽き小麦の粥である。2023年、サウジアラビアはこれを国民料理に選んだ。
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デビヤーザ
サウジアラビア ?–?
時C説B
サウジアラビア西部ヒジャーズの家々で、断食明けのイードの朝に供される乾燥果実の甘い煮込み。いつ生まれたと一点で言える料理ではなく、巡礼と交易の街に中東各地の乾物が集まるなかで育った祝祭菓子である。
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マアスーブ
サウジアラビア ?–?
時C説B
サウジアラビアの朝食やデザートとして親しまれるマアスーブは、実はイエメン南部ハドラマウト地方で生まれた菓子で、この地とヒジャーズ(現サウジアラビア)やUAEを結んだのはハドラミー移民のコミュニティだった。
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マクシューシュ
サウジアラビア ?–1823
時C説B
マクシューシュは「1823年に生まれた」と具体的な年号つきで紹介されることがあるが、この年はこの菓子が郷土史書に初めて書き留められた年にすぎず、発祥の年ではない。サウジアラビア北部の農牧民が古くから焼いてきた素朴な小麦の菓子は、記録が残るよりずっと前から食卓にあった可能性が高い。
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ムタバック
サウジアラビア ?–?
時C説C
ムタバックの名は南インド・ケララ州のタミル系ムスリムの言葉で「卵(muta)とパン(barota)」を組み合わせたものだ、という語源譚がよく語られる。だが実際には、アラビア語で「折り重ねる」を意味するmuṭabbaqという言葉そのものが、13世紀のアラビア語料理書にすでに記録されていた。
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アリーカ
サウジアラビア -1000–?
時C説B
アリーカは、サウジアラビア南西部アシール地方とイエメン高地の家庭に伝わる小麦の練り菓子。誰がいつ考え出したという発祥の物語を持たない、土地に根づいた日々の食べ物である。
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サリード
サウジアラビア 450–632
時B説B
預言者ムハンマドの曾祖父ハシムが、飢えた巡礼者のためにパンを砕いてスープに浸し、その行いから「砕く者」の名を得た——よく知られたこの逸話は、サリードという料理の発祥譚としては成り立たない。パンを汁に浸して食べる営みは、彼が生まれるよりはるか前からアラビアの食卓にあった。
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タルビーナ
サウジアラビア 600–850
時B説B
大麦粉を乳で炊いた、乳のように白く滑らかな一椀の粥がタルビーナである。その名が預言者の言葉を伝える伝承に現れるため「預言者の時代に生まれた料理」と受け取られがちだが、この一椀を固有のものにしたのは名づけと使いどころであって、粥そのものはずっと古い。
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ハニース
サウジアラビア 600–900
時C説B
ハニースは、サウジ南部のアシールからイエメンにかけて受け継がれる、地中の窯や焼石で羊肉をじっくり焙る歓待の一皿。炙り焼きの肉を指す古い言葉が7世紀のクルアーンにすでに現れ、この焼き方が少なくともそれほど昔から人々の暮らしに根づいてきたことをうかがわせる。
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アシーダ
サウジアラビア 900–?
時B説B
アシーダが史料に初めて姿を見せるのは10世紀の料理書だが、それは料理が生まれた年ではない。小麦の粉を熱湯で練るこの素朴な一皿は、文字に書き留められるよりずっと前から、遊牧の食卓にあった。
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ハリース
湾岸地域(バーレーン・クウェート) 900–1500
時B説C
アラビア半島の湾岸で、ラマダンや祝祭のたびに大鍋で炊かれる、小麦と肉を搗き混ぜた粥。4世紀の聖人が即興でこしらえたという起源譚が語り継がれてきたが、それは料理名の聞き違いから生まれた後付けの物語だった。
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マズビー
イエメン(ハドラマウト) 950–1600
時C説C
香辛料を擦りこんだ若鶏を灼熱の平石の上で焼きあげるイエメンの料理マズビー。『古代の、イスラム以前の太古のイエメンで生まれた』という触れ込みもあるが、米を欠かせないこの一皿は、そこまで昔にはさかのぼれない。
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サリーグ
サウジアラビア 1000–?
時C説C
サリーグの発祥は1936年、タイフに開いた一軒の専門店にある――そう語られることが多い。だが店を構えた料理人は、その味を父から受け継いでいた。1936年は、家庭の料理が初めて商品として店先に並んだ年であって、料理そのものが生まれた年ではない。
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ムファッタ
サウジアラビア 1000–?
時C説B
ムファッタは、丸ごとの羊を米の大皿いっぱいに広げて供するサウジアラビア・ナジュド地方の饗応料理。特定の考案者も誕生の年も伝えられておらず、部族の饗宴文化そのものから育った郷土の一皿である。
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マンディ
イエメン(ハドラマウト) 1200–1600
時C説C
イエメン・ハドラマウトの祝祭料理マンディ。地下に掘った土窯で肉を吊るし、その下で米を炊きこむ独特の蒸し焼き技法が、この炊きこみ米飯を成り立たせている。『古代イエメンの太古の料理』という触れ込みもあるが、主役の米が海を渡って届くまで、この一皿は生まれようがなかった。
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ハウラーニーコーヒー
サウジアラビア 1450–1720
時C説B
「ハウラン山地のコーヒー栽培は800年以上の歴史をもつ」——そう紹介されることがある。だが、コーヒーそのものがこの山地に根づいたのは15世紀。堅い伝承がたどれるのは、長く見積もっても数百年である。
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アラビックコーヒー
アラビア半島(湾岸諸国) 1500–?
時B説B
湾岸のもてなしを象徴する、カルダモンが香る淡い一杯——アラビックコーヒー(カフワ)。はるか古くからの飲み物のように思えるが、その源は15世紀イエメンで、スーフィー教団が夜通しの勤行の眠気を払うために煎じた一杯に、はっきりとたどれる。
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サルタ
イエメン(サナア) 1550–1900
時B説C
肉の煮込みに、泡立てたフェヌグリークと辛いサルサを載せて石鍋でぐつぐつ供す——サルタはイエメンの国民食である。だがその始まりは、よく語られる「慈善の施し食」説をふくめ、まだ確定していない。
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カブサ
サウジアラビア 1700–1900
時B説C
サウジアラビアの大皿の炊き込み飯「カブサ」。遠いスペインのパエリアから来たという話まで語られてきたが、これは時代も伝わった向きも合わない作り話で、起源はあくまで半島の内側にある。
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ハニーニ
サウジアラビア 1700–1950
時C説B
ハニーニは、サウジアラビア・ナジュド地方の家庭で長い冬の夜に食べられてきた、ナツメヤシと小麦粉を練り上げた濃厚な滋養食。名の知れた発明者も、これといった発祥の年も伝わらない——由緒ではなく、日々の台所から生まれた一皿である。
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マチブース
湾岸地域(バーレーン・クウェート) 1700–1900
時B説B
湾岸の食卓を飾る一鍋の炊き込み米飯。名前は違っても、その正体はサウジやイエメンで知られるカブサと同じ料理である。
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サルーナ
湾岸地域(バーレーン・クウェート) 1800–1900
時C説C
サルーナは羊肉とトマトを煮込んだ湾岸地域の家庭のシチューである。「預言者ムハンマドの好物だった」という宗教的な言い伝えが知られるが、いまのサルーナを赤く染めるトマトは新大陸原産で、七世紀のアラビアには影も形もなかった。
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ブハーリ・ライス
サウジアラビア 1850–1950
時C説B
サウジアラビア紅海岸の食堂で親しまれる炊き込みご飯「ブハーリ・ライス」。その名が指し示すのはアラビアの土地ではなく、はるか彼方のシルクロードの要衝、中央アジアのブハラである。
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マタジーズ
サウジアラビア 1850–?
時C説C
中央アラビア・ナジュド地方の家庭で受け継がれてきたマタジーズは、薄く伸ばした練り粉を羊肉と野菜の煮込みでくたくたに煮た一皿。いかにも古い郷土食の風情だが、いまその顔となっている赤いトマト煮込みの姿そのものは、意外に新しい近代の形である。
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マルグーグ
サウジアラビア 1850–?
時C説C
マルグーグは、紙のように薄く伸ばした小麦の練り粉を羊肉と野菜のスープで煮込む、中央アラビア・ナジュド地方(リヤド周辺)の家庭料理である。いかにも古い郷土料理に見えるが、いま食卓を彩る赤いトマト煮込みの姿は、じつは近代になってから定まった新しい形だ。