食材から辿る / 在来
ピーマン 素材 時期 C検証済
ピーマンが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3つの成立条件(食材・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3つの成立条件
- 食材の条件
- 栽培化(トウガラシ属 Capsicum annuum/メソアメリカ・前6000年頃。甘味ピーマンは非辛味変異を選抜した後代品種)
- 調理技術の条件
- 生食・加熱=食材入手と同年
- 場の条件
- 家庭=食材入手と同年
ピーマンはどこから広がったか
ピーマンは、唐辛子と同じ一つの種(Capsicum annuum)から出た品種である。辛くない大ぶりの実をつける系統を、人が選び続けた結果として生まれた。だからこの野菜の歴史は二段に分かれる。種そのものの歴史と、辛みを失った甘い品種の歴史である。
種としての Capsicum annuum が畑の作物になったのは、メキシコの中東部だった。言語・生態・考古・遺伝の四つの筋から証拠を集めた研究(クラフトらの2014年の報告)は、六千五百年以上前のこの一帯を栽培化の場としている。当時の実は小さく、辛かった。
大西洋を渡って
コロンブスの航海のあと、この作物はまずスペインへ渡る。1493年、第1回の航海から戻ったコロンブスは、新大陸の香辛料をスペインの国王夫妻に献じた。翌年には、マドリードにいたイタリア人の人文学者ピエトロ・マルティーレがこの香辛料を教皇庁の副尚書アスカニオ・スフォルツァへ送り、種子もイタリアへ渡ったらしい。スミソニアン誌の記事によれば、1496年に第2回の航海から戻ったときにも、コロンブスはトウガラシ属の実を国王夫妻のもとへ持ち帰った。夫妻はそれをエストレマドゥーラにあるユステとグアダルーペの二つの修道院に託し、修道士たちが16世紀に栽培を始めたと伝えられる。北アフリカのマグリブへは、16世紀のうちに届いた。中国へは1570年代に伝わったとされ、1591年の高濂の書物には、辛い赤い実が観賞用の草花として記されている。
辛みが抜けるまで
甘い実の系統が形になるのは、旧大陸へ渡ってからのことである。オスマン帝国を経てバルカン半島へ入ったこの作物は、1650年から1800年ごろのあいだにドナウ川下流のルーマニア一帯にも達した。近隣のハンガリーでは、カロチャやセゲドの産地で辛くない実を選び出す作業が重ねられ、甘い実とそれを挽いた粉が土地の産物になった。いま店先に並ぶ肉厚のピーマンや、粉のパプリカは、この選抜の先にある。
メキシコの畑で六千五百年以上前に選ばれた辛い小さな実と、ドナウ川の畑で近世に選ばれた甘い大きな実。同じ一つの種が二度、別々の土地で人の手にかけられた結果が、いまの姿である。
各地への伝来 5
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前6500〜前5000年 メソアメリカ 在来在地栽培
- 1493〜1496年 スペイン 新大陸交換
- 1535〜1600年 マグリブ 新大陸交換
- 1570年以降 中国 新大陸交換
- 1650〜1800年 ルーマニア 交易路流通
ピーマンの到来が成立を縛った料理 5
ピーマンが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の成り立ちうる最も早い年になります。
- エスカリバーダ スペイン1493年ごろ
- フェルフェル・マフシ チュニジア1535年ごろ
成立年不明 3
- クレオール・サンドイッチ 米国 遅くとも 1912 年までに
- ホノルル・サンドイッチ 米国 遅くとも 1912 年までに
- 青椒肉絲 中国 年代不明
ピーマンを使う料理 14
- ピスト スペイン1600年ごろ
- ラグマン 中央アジア1600年ごろ
- ギュヴェチ バルカン半島1694年ごろ
- ジャンバラヤ 米国ルイジアナ1718年ごろ
- カルデイラーダ ポルトガル1720年ごろ
- ギヴェチ ルーマニア・モルドバ1800年ごろ
- タクトゥーカ モロッコ1800年ごろ
- マトブハ イスラエル1800年ごろ
- メシュイア・サラダ チュニジア1800年ごろ
- イエミスタ ギリシャ1815年ごろ
- アサド・ネグロ ベネズエラ1861年ごろ
- パニールティッカ インド1947年ごろ
- ショプスカ・サラダ バルカン半島1950年ごろ
成立年不明 1
- チャクルアン カンボジア 年代不明