食文化圏 / 東欧

ハンガリー料理の成立史

東欧の食文化圏「ハンガリー」に属する料理 17 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。

  • 全圏平均の約 33.9 倍・5 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。

成立年代の分布成立年代の分布(最古 1227 年〜最新 1956 年)。

  • 中世 1
  • 近世 9
  • 近代 4
  • 現代 3

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 0 外来 8

所属する料理 17

  • キフリ ハンガリー 1227–1900 時C説C

    オスマン軍を破った記念に三日月形のパンを焼いた——ハンガリーの三日月ロール「キフリ」に付くこの勇ましい起源話は、同時代の史料を欠く後世の作り話である。三日月形の日常パンは、その戦役の数世紀も前から中欧にあった。

  • ランゴシュ ハンガリー 1500–1900 時B説C

    発酵生地を薄く伸ばし油で揚げ、すりおろしニンニクやサワークリームをのせて頬張る。ハンガリーの屋台でおなじみのこの軽食には「オスマンのトルコ人が揚げパンを伝えた」という語りがつきまとうが、いちばん古い文献が指していたのは油で揚げる一枚ではなく、窯の炎で焼いたパンだった。

  • トゥーロシュ・チュサ ハンガリー 1600–1900 時B説B

    トゥーロシュ・チュサは、短く切った平麺に生カード(トゥーロー)とベーコンの搾りかす、そしてサワークリーム(テイフェル)をからめたハンガリーの家庭料理である。華々しい発祥譚も名の知れた発明者も持たない、農村の日々の暮らしから立ち上がった素朴な粉物だ。

  • フーゼレーク ハンガリー 1600–1840 時B説B

    フーゼレークは、季節の野菜を小麦粉のとろみで煮込んだハンガリーの家庭料理である。「16世紀から今の形で作られてきた」とよく語られるが、これは料理の名が古い文献に現れることと、いまの野菜料理という分類が定まった時期とを取り違えている。

  • クルトーシュカラーチ ハンガリー 1650–1784 時B説B

    タタール軍を藁の巨大な菓子で欺いて撤退させた、というセーケイ人の伝説は、この菓子の起源としては裏づけを欠く民間伝承にすぎない。クルトーシュカラーチは、円筒の串に生地を螺旋状に巻いて熾火で回転焼きする欧州スピットケーキの一系統として、17世紀のトランシルヴァニアで形をなした菓子である。

  • トゥーロシュ・レーテシュ ハンガリー 1690–1800 時B説C

    紙のように薄く延ばした生地でトゥーロー(生カード)を巻いた、ハンガリーの菓子トゥーロシュ・レーテシュ。この薄い生地の菓子をハンガリーやオーストリアが独自に生んだとみる見方は根強いが、その延ばしの技はオスマン帝国を介して中東から伝わったもので、独自発明説は技術史の上では支持されていない。

  • グヤーシュ ハンガリー 1750–1850 時A説B

    肉を煮込む料理としてのグヤーシュは古い。だが、あの赤いパプリカに染まった今日のグヤーシュは、新大陸から渡ってきた唐辛子の仲間が食べ物として根づき、戦乱と疫病のなかで黒胡椒に代わる調味料へと選ばれて、ようやく生まれた新しい姿である。

  • ハラースレー ハンガリー 1750–1864 時B説A

    真っ赤に染まったハンガリーの川魚スープ、ハラースレー。その赤を与えたパプリカは新大陸から来た香辛料で、赤い一杯の作り方が活字になるのは1864年、ペシュトで出た一冊の家政書でのことだった。

  • ペルケルト ハンガリー 1750–1850 時B説B

    褐色に炒めた肉を赤いパプリカで煮込むハンガリーの代表的な肉料理。だが、この真っ赤な煮込みがいかにも古い民族の味という印象に反して、パプリカが日々の台所に入ったのは18〜19世紀のことである。

  • チキンパプリカ(パプリカーシュ・チルケ) ハンガリー 1800–1900 時B説C

    鶏肉をパプリカで赤く煮込み、仕上げにサワークリームをとかすチキンパプリカーシュ。20世紀初めにブダペストの名店で生まれたという話が語られてきたが、その料理法はすでに1888年の料理書に印刷されている。

  • エステルハージ・トルタ ハンガリー 1880–1900 時B説C

    エステルハージ・トルタは、アーモンドのメレンゲ層をバタークリームで幾重にも重ね、白いフォンダンにチョコレートの羽根模様を描くハンガリーの銘菓だ。「エステルハージ侯爵のために考案・献呈された」という有名な由来話は、名に挙がる侯爵たちが菓子の生まれる前に世を去っているため、そのままには成り立たない。

  • ドボシュトルタ ハンガリー 1885–1885 時B説B

    薄いスポンジ層をバタークリームで重ね、上面を硬いカラメルで覆ったハンガリーの銘菓。誰がいつ生み出したかがはっきり分かる、珍しいほど出自の明確な近代菓子である。

  • リゴ・ヤンチ Hungary 1896–1900 時B説C

    リゴ・ヤンチは、チョコレートのスポンジとクリームを重ねたハンガリーの角切り菓子。その名は、1896年に世界を騒がせたロマ系ヴァイオリニストと米富豪令嬢の駆け落ちに由来する——ただし、当の二人がこの菓子を口にしたかどうかは、かなり怪しい。

  • ホルトバージ・パラチンタ ハンガリー 1909–1958 時B説C

    「ホルトバージ」という名から、大平原(プスタ)の牧童が受け継いだ古い郷土料理だと思われがちだが、この一皿はホルトバージ地方と関わりがない。牧歌的な響きの名は後から付けられたもので、現行の姿が広まったのは1958年のブリュッセル万博だった。

  • グンデル・パラチンタ ハンガリー 1940–1949 時B説C

    グンデル・パラチンタは、濃厚なチョコレートソースをかけたハンガリー生まれの豪華なクレープ。名前は名店グンデルの主人にちなむと思われがちだが、その名は戦後の政治的な改称で付いたもので、考え出したのは別の人物だったとする説が有力だ。

  • ショムローイ・ガルシュカ ハンガリー 1956–1958 時B説C

    ハンガリーの国民的デザートとして親しまれるショムローイ・ガルシュカは、名前から連想されるショムロー産ワインとも、すいとんを意味するガルシュカとも関係がなく、1950年代のブダペストの名店で生まれた新しい菓子である。

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