食材から辿る / 在来
醤油 素材 時期 C検証済
醤油が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 原料の大豆・小麦・塩はいずれも日本で在来かつ潤沢(大豆は縄文期以来の在来作物、小麦は弥生期以降の在来穀物、塩は製塩による在地供給)。したがって外来食材による律速はなく、律速は入手の経路=加工、すなわち醤油そのものを得ることを目的に醸す製法が国内で確立した時期である。国内成立の年代窓は1536年(『鹿苑日録』の仕込み記録)〜1597年(『易林本節用集』が醤油を採録)
- 調理技術ゲート
- 煮た大豆と炒って挽いた麦を混ぜて麹をつくり、食塩水を加えて諸味を仕込み、熟成後に液を搾り採る。味噌に水を加えて煮詰め布袋から垂らす二次加工品の たれみそ(15世紀前半の東寺の記録に専用の味噌垂袋が現れる)と違い、醤油は初めから液体調味料を得る目的で仕込む一次加工品であることが技術上の分岐点。『多聞院日記』天文19年(1550)6月12日条の唐味噌は大豆一斗三升・小麦一斗三升・塩一斗三升・水三斗三升=大豆と麦と塩をほぼ等量に仕込むもので、製麹が6月中旬〜下旬、仕込みはその約1週間後、製成が8月中旬の約60日を要し、江戸期の醤油醸造とほぼ同じ原料比を示す。慶長8年(1603)『日葡辞書』は醤油を小麦と豆から製する液体、溜りを味噌から取る液体と定義し、両者を別の製品として区別している
- 場ゲート
- 担い手は禅院と公家社会。京都相国寺塔頭の鹿苑院(『鹿苑日録』天文5年=1536の仕込み記録)と奈良興福寺塔頭の多聞院(『多聞院日記』の唐味噌および永禄11年=1568の醤油)が自家醸造し、桶や徳利に入れて贈答した(永禄2年=1559『言継卿記』の小桶一つを遣わす記事)。寺院の自家醸造と贈答の圏内で先に成立し、室町後期以降に堺・湯浅・龍野など近畿に産地が形成されて商品としての醸造が始まり、江戸期に商業醸造と全国流通へ広がる
各地への伝来 3
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 544〜1279頃 中国 技術発明
- 1536〜1597頃 日本 技術発明加工
- 1868〜1905頃 ハワイ 日本開国
醤油の到来が成立を縛った料理 3
醤油が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。