米国式テリヤキ 時期 B起源説 B検証済
確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→
暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。
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米国のレストランで肉に甘辛だれを絡めて焼く「テリヤキ」は、瓶詰めソースの発売や特定の専門店の開業が生んだ料理だとよく語られる。だが実際には、瓶詰めソースが店頭に並ぶよりずっと前、1940年のホノルルの新聞にはすでに「Teriyaki Steak」の文字がある。よく語られる起源譚は、この料理が広まった段階の出来事にすぎない。
史料が示すこと 起源・発祥は?
米国式テリヤキは、日本の照り焼き(醤油+みりん+砂糖のたれで魚を掛け焼きする技法)を、ハワイの日系移民社会が現地の食材事情に合わせて作り替えたもの。主役が魚から牛肉・鶏に替わり、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け、大蒜・生姜を加える点が指標になる。下限は日系移民が醤油とともにハワイへ渡った1868年(元年者153名。日布両政府の取扱いによる官約移民は1885年1月開始=国立国会図書館)。上限は1940年7月21日 Honolulu Advertiser のコラム『You taleen me!』(Joe Manuel)が『Teriyaki Steak』を挙げる時点で、1941…
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 醤油(+甘味料)の甘辛だれが必須で、担い手ごと醤油がハワイへ渡った1868年が下限。主役は魚から牛肉・鶏へ転換(米国側では牛肉・鶏は潤沢で制約にならない)、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け大蒜・生姜を加えるのが米国式の指標。1950-01-23 Chicago Daily Tribune のハワイ料理教室記事に牛肉+醤油+砂糖+大蒜+生姜のみりん抜き配合、1950-10-18 Washington Post に Dole の牛肉+パイナップル(缶詰シロップが砂糖代わり)串焼き
- 調理技術ゲート
- たれを塗り重ねて直火/炭火で焼く在来の掛け焼き技法で、特別な器具を要さない。瓶詰めテリヤキソースの工業生産(1965 Diamond→1966 La Choy→1968-05 Kikkoman)は成立の条件ではなく普及の駆動要因=律速から降格
- 場ゲート
- ハワイの日系移民の家庭と日本料理店(1940年 Honolulu Advertiser のコラム、1946年 Honolulu Star-Bulletin の Seaside Garden 開店広告に『Teriyaki Steak: broiled over charcoal』)→1950年 本土の料理教室・全米フードエディター会議で紹介→1976-03-02 Toshi's Teriyaki(シアトル)以降のテリヤキ専門店(ドライブイン/持ち帰り)ジャンル化
成立年代と成立ゲート
食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い調理技術ゲート(1965年・瓶詰めテリヤキソース)が律速=成立の物理的な下限で、太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は律速以降にある。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 調理技術
- 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
起源説
定説
ハワイの日系移民が魚を牛肉・鶏に置き換え、みりんの代わりに砂糖・パイナップル果汁と大蒜を使って作り替えたテリヤキ B
米国式テリヤキは、日本の照り焼き(醤油+みりん+砂糖のたれで魚を掛け焼きする技法)を、ハワイの日系移民社会が現地の食材事情に合わせて作り替えたもの。主役が魚から牛肉・鶏に替わり、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け、大蒜・生姜を加える点が指標…続きを読む
米国式テリヤキは、日本の照り焼き(醤油+みりん+砂糖のたれで魚を掛け焼きする技法)を、ハワイの日系移民社会が現地の食材事情に合わせて作り替えたもの。主役が魚から牛肉・鶏に替わり、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け、大蒜・生姜を加える点が指標になる。下限は日系移民が醤油とともにハワイへ渡った1868年(元年者153名。日布両政府の取扱いによる官約移民は1885年1月開始=国立国会図書館)。上限は1940年7月21日 Honolulu Advertiser のコラム『You taleen me!』(Joe Manuel)が『Teriyaki Steak』を挙げる時点で、1941年4月13日の同コラムはベレタニア通りのカフェの広告として『noodle and teriyaki stake』を、1946年8月15日 Honolulu Star-Bulletin の Seaside Garden 開店広告は『Teriyaki Steak: broiled over charcoal』を伝える=遅くとも1940年にはハワイの外食に牛肉のテリヤキがあった。本土への紹介は1950年1月23日 Chicago Daily Tribune(Mary Meade)が報じたハワイ帰りの家政学者 Dorothy Roost Bates のハワイ料理教室で、牛肉・醤油・砂糖・大蒜・生姜というみりん抜き配合=Shurtleff & Aoyagi が『牛肉(赤身肉)を主役にした最も早いテリヤキのレシピ』と注記する。同年10月18日 Washington Post(Lucia Brown)はニューヨークの全米フードエディター会議(144名)に Dole がハワイから持ち込んだ『Teriyakis』=牛肉とパイナップルの串焼きを報じ、缶詰パイナップルのシロップが砂糖の代わりを務める。市販の瓶詰めソースはこの後で、1965年 Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co.)が最初、1966年 La Choy が2番目、1968年5月10日 Life誌全面広告の Kikkoman Hawaiian Teriyaki Sauce が3番目。1976年3月2日にシアトルのロウアー・クイーンアンで開いた Toshi's Teriyaki が単独専門店の第1号で、鶏・牛の串焼きに飯とサラダを添える『シアトル型テリヤキ』の外食ジャンルを生んだ。つまり瓶詰めソースもシアトル型の店も、成立ではなく普及の段階にあたる。
- 支持 William Shurtleff & Akiko Aoyagi (2022) History of Teriyaki (1813-2022): Extensively Annotated Bibliography and Sourcebook, Soyinfo Center(480件の年代順一次文献目録。語の初出=1813年 式亭三馬『四十八癖』二編の「海老の照焼」=石毛直道 2007年書簡に拠る/英語初出=1889-12-08 Detroit Free Press, Frederick Stearns「A Japanese dinner」の salmon teriyaki「soy sauceに漬けて焼き冷やして食す」/1898 Brinkley 他編 An Unabridged Japanese-English Dictionary「Teriyaki: Flesh of fish baked with a kind of sauce composed of soy, mirin, and sugar」/初の市販テリヤキソース=1965 Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co.)/1968-05 Kikkoman Hawaiian Teriyaki Sauce のLife誌広告『the fun flavor of Hawaii』/編者注記『キッコーマンはテリヤキソースをハワイの産物として提示しているが、実際には日本起源の日本の産物である』) 重み3
- 支持 国立国会図書館 電子展示会『ブラジル移民の100年』第1章 前史(ブラジル移民がはじまるまで)(日本人の海外集団渡航の開始: 1868年(明治元)に153人がハワイへ渡ったのが最初=元年者、1885年(明治18)1月に日布両政府の取扱いによる移民=のちの官約移民が開始し1886年に日布渡航条約締結、計26回・約3万人が渡航) 重み3
- 支持 Teriyaki trailblazer: Mill Creek's Toshi created our regional dish (The Daily Herald / HeraldNet, Everett WA)(Toshihiro "Toshi" Kasahara が1976年3月2日にシアトルセンター近くで Toshi's Teriyaki を開業=メニュー5品、チキンテリヤキ皿1.85ドル・チキン+ビーフ2.10ドル。日本の農家育ちでポートランド州立大に留学、シアトルの日本料理店勤務を経て独立。「テリヤキ専門店にしたのは自分が最初」と述べ、たれの配合は非公開) 重み2
反証
米国式テリヤキはキッコーマンが米国向けに開発した瓶詰めテリヤキソースから始まったとする説 D
日本語圏でよく語られる説に、キッコーマンが1957年に米国で醤油販売を始め、日系二世の営業担当が母の作る魚の照り焼きをヒントに肉に合う『テリヤキソース』を開発したのが米国式テリヤキの始まり、というものがある(1961年発売とする記述もある)。しかし Shurt…続きを読む
日本語圏でよく語られる説に、キッコーマンが1957年に米国で醤油販売を始め、日系二世の営業担当が母の作る魚の照り焼きをヒントに肉に合う『テリヤキソース』を開発したのが米国式テリヤキの始まり、というものがある(1961年発売とする記述もある)。しかし Shurtleff & Aoyagi (2022) の年代順目録では、初の市販テリヤキソースは1965年の Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co., ホノルル。ラベルに『Our Original Teriyaki Sauce from Hawaii』、1988年の同社書簡が1965年発売と確認)、2番目が1966年の La Choy Teriyaki Sauce(オハイオ州アーチボルド)、キッコーマンの Hawaiian Teriyaki Sauce は3番目で1968年5月(Life誌5月10日号の全面広告『Kikkoman Teriyaki — the fun flavor of Hawaii / Now a favorite in Chicago!』が最初の資料)。さらに牛肉のテリヤキ自体は瓶詰め以前から存在し、1940年7月21日のホノルルの新聞コラムに『Teriyaki Steak』、1950年1月23日 Chicago Daily Tribune に牛肉主役・みりん抜き(醤油+砂糖+大蒜+生姜)のレシピがある。キッコーマンが果たしたのは全米流通に乗せた普及であって料理の成立ではない。なお1968年の広告がテリヤキを『ハワイの味』として売った点は、テリヤキ=ハワイ発祥という誤解(日本の照り焼きの側でも別の起源説として反証済み)の出所でもある。
シアトルの Toshi's Teriyaki が1976年に米国式テリヤキを発明したとする説 D
シアトルでは Toshi Kasahara(笠原利博)が『シアトル・テリヤキの祖父』と呼ばれ、1976年3月2日にシアトルセンター近く(ロウアー・クイーンアン)で開いた Toshi's Teriyaki が『テリヤキを生んだ』と語られる(地元紙の見出しも『To…続きを読む
シアトルでは Toshi Kasahara(笠原利博)が『シアトル・テリヤキの祖父』と呼ばれ、1976年3月2日にシアトルセンター近く(ロウアー・クイーンアン)で開いた Toshi's Teriyaki が『テリヤキを生んだ』と語られる(地元紙の見出しも『Toshi created our regional dish』)。実際に彼が創始したのはテリヤキ単品の専門店という業態と、鶏もも/牛の串焼きに飯とサラダを添えて1皿1.85ドルで出すファストフード形式=『シアトル型テリヤキ』であって、牛肉・鶏のテリヤキという料理そのものではない。ハワイでは1940年7月21日 Honolulu Advertiser に『Teriyaki Steak』、1946年8月15日 Honolulu Star-Bulletin の Seaside Garden 開店広告に『Teriyaki Steak: broiled over charcoal』があり、本土でも1950年1月23日 Chicago Daily Tribune が牛肉主役のレシピを、同年10月18日 Washington Post が Dole の牛肉+パイナップル串『Teriyakis』を報じている=Toshi's の36年前には成立していた。業態の発明と料理の発明を区別すれば、Toshi's は普及史における『専門店ジャンルの起点』として正しく位置づけられる(1996年までにシアトル圏17店へ拡大、2010年には市内に店名に teriyaki を含む店が83軒)。
- 反証 William Shurtleff & Akiko Aoyagi (2022) History of Teriyaki (1813-2022): Extensively Annotated Bibliography and Sourcebook, Soyinfo Center(480件の年代順一次文献目録。語の初出=1813年 式亭三馬『四十八癖』二編の「海老の照焼」=石毛直道 2007年書簡に拠る/英語初出=1889-12-08 Detroit Free Press, Frederick Stearns「A Japanese dinner」の salmon teriyaki「soy sauceに漬けて焼き冷やして食す」/1898 Brinkley 他編 An Unabridged Japanese-English Dictionary「Teriyaki: Flesh of fish baked with a kind of sauce composed of soy, mirin, and sugar」/初の市販テリヤキソース=1965 Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co.)/1968-05 Kikkoman Hawaiian Teriyaki Sauce のLife誌広告『the fun flavor of Hawaii』/編者注記『キッコーマンはテリヤキソースをハワイの産物として提示しているが、実際には日本起源の日本の産物である』) 重み3
- 言及 Teriyaki trailblazer: Mill Creek's Toshi created our regional dish (The Daily Herald / HeraldNet, Everett WA)(Toshihiro "Toshi" Kasahara が1976年3月2日にシアトルセンター近くで Toshi's Teriyaki を開業=メニュー5品、チキンテリヤキ皿1.85ドル・チキン+ビーフ2.10ドル。日本の農家育ちでポートランド州立大に留学、シアトルの日本料理店勤務を経て独立。「テリヤキ専門店にしたのは自分が最初」と述べ、たれの配合は非公開) 重み2
解説
ハワイで魚から牛肉・鶏へ
日本の照り焼きは、魚に醤油・みりん・砂糖のたれを塗り重ねて焼く料理である。1868年、この技法を知る日本人が集団でハワイへ渡り始めた。元年者と呼ばれる153人を皮切りに、以後数万人規模の移民が続き、彼らとともに醤油もハワイへ渡った。
ハワイの日系移民社会では、日本にいたときと同じようにみりんや酒を手に入れるのは容易ではなかった。移民の台所は、代わりに手近な砂糖やパイナップルの果汁で甘みを付け、大蒜や生姜を加えるようになった。たれをかける相手も魚に限らなくなり、ハワイで潤沢に手に入る牛肉や鶏肉が主役になっていった。この置き換えを経て、日本の照り焼きとは別の一皿が生まれた。
その存在は戦前の新聞にすでに記録されている。1940年7月21日のホノルル・アドバタイザー紙のコラムは「Teriyaki Steak」を挙げ、1946年にはホノルルのシーサイド・ガーデンが炭火で焼く「Teriyaki Steak」を看板に開店広告を出した。牛肉のテリヤキは、戦後の普及より先にハワイの外食にすでに根づいていたことになる。
本土への紹介と瓶詰めソースの登場
本土の読者がこの料理に触れたのは1950年前後である。同年1月、シカゴ・デイリー・トリビューン紙は、ハワイ帰りの家政学者が開いた料理教室を報じ、牛肉・醤油・砂糖・大蒜・生姜という、みりんを使わない配合を伝えた。同年10月にはワシントン・ポスト紙が、ニューヨークで開かれた全米フードエディターの会議で、パイナップル生産者のドールが牛肉とパイナップルの串焼きを振る舞ったと報じている。缶詰パイナップルのシロップが砂糖の代わりを務めるという工夫も、このときすでに紹介されていた。
瓶詰めのテリヤキソースが店頭に並ぶのは、これらの新聞記事よりさらに後になる。最初に発売されたのは1965年、ホノルルの酒造会社によるダイヤモンド・テリヤキソースで、1966年にオハイオのラチョイが続き、キッコーマンがハワイアン・テリヤキソースを売り出したのは1968年である。三社とも、すでに存在していた料理に合わせてソースを商品化したのであって、料理そのものを作り出したわけではない。
シアトルの専門店が広めた食べ方
1976年、シアトルで笠原利博(トシ・カサハラ)が開いたトシズ・テリヤキは、鶏や牛の串焼きにご飯とサラダを添えて手早く出す形式の専門店だった。この店を皮切りに、シアトルの街には同じ形式の店が次々と生まれ、店名に「テリヤキ」を含む店だけで市内に何十軒も並ぶまでになった。ここで生まれたのは、テリヤキを専門に出すという商売の形であり、それは牛肉や鶏肉を甘辛だれで焼くという料理自体とは別のものである。トシズが店を構えた1976年の時点で、その料理はすでに36年前のホノルルの新聞に記録されていた。
検証ストーリー
日本語圏では、米国のテリヤキはキッコーマンが瓶詰めソースを開発したことから始まったとよく語られる。1957年に醤油の米国販売を始めた同社の日系二世社員が、母の作る魚の照り焼きをヒントに、肉に合う「テリヤキソース」を考案したという筋書きである。もう一つ、シアトルで語られる話もある。1976年にトシズ・テリヤキを開いた笠原利博が、この街にテリヤキという食べ物を持ち込んだ最初の人物だ、というものだ。
だが牛肉のテリヤキという料理自体は、どちらの逸話よりずっと前から存在していた。1940年7月21日、ホノルル・アドバタイザー紙のコラムはすでに「Teriyaki Steak」を挙げている。1946年にはホノルルのレストランが炭火焼きのテリヤキステーキを看板にした開店広告を出し、1950年には本土の新聞が牛肉・醤油・砂糖・大蒜・生姜という配合の料理教室を報じ、同じ年にニューヨークの会議でパイナップル生産者が牛肉とパイナップルの串焼きを振る舞っている。瓶詰めソースが店頭に並ぶのは、これらすべてより後の1965年から1968年にかけてであり、トシズ・テリヤキの開業はさらにその8年後である。
つまり瓶詰めソースの発売もシアトルの専門店の開業も、すでに存在していた料理を全米に広め、専門の商売として定着させた出来事だった。料理そのものが生まれたのは、日本の照り焼きを知る移民がハワイへ渡り、手に入りにくいみりんの代わりに砂糖やパイナップルの果汁で甘みを付け、魚の代わりに牛肉や鶏肉を焼くようになった、もっと早い時期のことである。ハワイの外食の看板に「Teriyaki Steak」の文字が並んでいた1940年には、この料理はすでに出来上がっていた。
なお、キッコーマンの広告が「ハワイの味」としてテリヤキを売り出したことも見逃せない。テリヤキという言葉自体は江戸時代の日本にすでにあり、19世紀末には英語の文献にも紹介されていた料理法である。米国で育った牛肉・鶏肉のテリヤキがハワイ発祥であることは確かだとしても、その源にある調味の技法まで米国発とみなすのは行き過ぎである。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
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| 2026-08-01 | 支持 | B→B | polisher-1 | |
| 2026-08-01 | 支持 | B→B | polisher-1 | |
| 2026-08-01 | 反証 | D→D |
「米国式テリヤキはキッコーマンが米国向けに開発した瓶詰めテリヤキソース(1957/1961年)から始まった」説は成立しない
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polisher-1 |
| 2026-08-01 | 反証 | D→D |
「シアトルの Toshi's Teriyaki が1976年に米国式テリヤキを発明した」説は成立しない。Toshi's が創始したのは専門店という業態(シアトル型テリヤキ)であって料理そのものではない
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polisher-1 |
| 2026-08-01 | 支持 | D→D |
Toshi's Teriyaki の開業は1976年3月2日、シアトルセンター近く(ロウアー・クイーンアン)で、テリヤキ単品の専門店としては第1号
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polisher-1 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。