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米国式テリヤキ 時期 B起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

米国 ・ 19世紀後半〜1940年(ハワイの日系移民社会で成立。遅くとも1868年の日系移民渡航、遅くとも1940年ホノルルの新聞に「Teriyaki Steak」) ・ 成立年代 1868–1940 ・ 主役食材 醤油(日本)

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

米国のレストランで肉に甘辛だれを絡めて焼く「テリヤキ」は、瓶詰めソースの発売や特定の専門店の開業が生んだ料理だとよく語られる。だが瓶詰めが店頭に並ぶより前、1940年のホノルルの新聞にはすでに「Teriyaki Steak」の文字がある。よく語られる起源譚は、この料理が広まった段階の出来事にすぎない。

史料が示すこと 起源・発祥は?

俗説「日本語圏でよく語られる説に、キッコーマンが1957年に米国で醤油販売を始め、日系二世の営業担当が母の作る魚の照り焼きをヒントに肉に合う『テリヤキ…」は、史料の検証で退けられている。

米国式テリヤキは、日本の照り焼き(醤油+みりん+砂糖のたれで魚を掛け焼きする技法)を、ハワイの日系移民社会が現地の食材事情に合わせて作り替えたもの。主役が魚から牛肉・鶏に替わり、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け、大蒜・生姜を加える点が指標になる。下限は日系移民が醤油とともにハワイへ渡った1868年で、根拠は人数ではなく密航者 佐久間米吉の未刊日記の記述(旧暦4月25日「横浜出帆。米・味噌・醤油の食料」)である。一団の人数そのものは史料が割れていて確定しない=149名とする系統(Gary Y. Okihiro が Brian Niiya 編『Japanese American History: An A-to-Z Reference from 1868 to the Present』1993 で「男141・女6・子供2の149名が1868年5月17日に横浜を出帆した」と書き、Shurtleff & Aoyagi がこれを引く)と、153名とする系統(国立国会図書館の電子展示『ブラジル移民の100年』、福井吉兵衛『醤油読本』1956、仁瓶利夫「ハワイにおける日本酒、味噌、醤油の歴史」1978)が並び立ち、出航時か到着時かの違いでも説明が付かない。下限1868年はどちらを採っても動かないので、本項では人数を一つに決めない。日布両政府の取扱いによる官約移民が1885年1月に始まったことは国立国会図書館の同展示による。上限は1940年7月21日 Honolulu Advertiser のコラム『You taleen me!』(Joe Manuel)が『Teriyaki Steak』を挙げる時点で、1941年4月13日の同コラムはベレタニア通りのカフェの広告として『noodle and teriyaki stake』を、1946年8月15日 Honolulu Star-Bulletin の Seaside Garden 開店広告は『Teriyaki Steak: broiled over charcoal』を伝える=遅くとも1940年にはハワイの外食に牛肉のテリヤキがあった。本土への紹介は1950年1月23日 Chicago Daily Tribune(Mary Meade)が報じたハワイ帰りの家政学者 Dorothy Roost Bates のハワイ料理教室で、牛肉・醤油・砂糖・大蒜・生姜というみりん抜き配合=Shurtleff & Aoyagi が『牛肉(赤身肉)を主役にした最も早いテリヤキのレシピ』と注記する。同年10月18日 Washington Post(Lucia Brown)はニューヨークの全米フードエディター会議(144名)に Dole がハワイから持ち込んだ『Teriyakis』=牛肉とパイナップルの串焼きを報じ、缶詰パイナップルのシロップが砂糖の代わりを務める。 下限1868年と初出1940年のあいだの約70年は、材料が届くのを待っていた時間ではない。醤油はむしろ日系移民より先にハワイにあり、1847年6月5日には中国産の醤油が船Maryでホノルルへ入って競売にかけられている(The Polynesian紙の広告)。ハワイでの醸造も1891年6月に島田治八が試み(輸送難と資本不足で撤退)、1900年4月には山上信之の『賢婦』印醤油工場がホノルルで本格稼働し、1905-06年には商業生産が軌道に乗る。1915年8月、在ホノルル日本領事 有田八郎が大隈重信外相へ送った報告『布哇ニ於ケル日本醤油ノ需要』は、日本からの輸入80,807樽(約131万リットル)に加えて現地4社が約4,200石(約76万リットル)を製造し、現地生産は前年比20%増だと記す。砂糖はハワイ最大の産業、牛はパニオロの牧畜、パイナップルは1901年以降の缶詰産業と、甘味・主役肉・果汁もすべて島内で潤沢だった。つまり食材の側は初出の25-40年前には飽和しており、70年を費やしたのは担い手の側である。1868年の一団は150人前後の小集団にとどまったうえ、そのまま定着もしなかった=染井直人(2024)は、約三分の一が召喚特使 上野景範のハワイ政府との交渉(上野は1869年10月31日横浜出港、12月27日ホノルル着)を機に帰国し、約三分の一が三年の年季明けにより賃金の高いアメリカ本土へ渡り、ハワイに残った残り三分の一も続く日本人移民がないまま現地の女性と結婚した、と整理する。持続的な移民は1885年の官約移民から、家族を伴う定住と二世世代の成立は1900-1920年代という、共同体の形成過程が70年の中身である。食物史家 Rachel Laudan は『The Food of Paradise』(University of Hawaii Press, 1996) で、ハワイの日系(Local Japanese)がみりんの代わりに黒砂糖を用い生姜と青葱を加えたのは『みりんがほぼ入手不能で、砂糖が王だった』土地ゆえの置き換えだと説明し(生姜・大蒜・青葱は日本の照り焼きには見られず中国系の影響の可能性を指摘)、『1960年代までに、おそらくはもっと早くに、ハワイ式テリヤキソースは諸島の料理上の象徴のひとつになっていた』と書く。取材記事では置き換えの時期を1920-30年代とする。なお1940年という上限は英語紙での初出であり、ハワイの日本語紙(日布時事1906年創刊、布哇報知1912年創刊)は未探索なので、実際の成立はこれより早い可能性がある。 市販の瓶詰めソースはこの後で、名を冠した最初は1965年 Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co.)、1966年 La Choy が2番目、1968年5月10日 Life誌全面広告の Kikkoman Hawaiian Teriyaki Sauce が3番目。名でなく中身で数えても、ホノルルの Aloha Shoyu Co. と King Shoyu Co. が米国式配合(醤油・砂糖・大蒜・生姜)のだれを『バーベキューソース』として瓶詰めしていた記録が1956年の Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』の広告にあり(Shurtleff の推定発売年は1947年・1948年)、これも初出1940年より後にあたる。1976年3月2日にシアトルのロウアー・クイーンアンで開いた Toshi's Teriyaki が単独専門店の第1号で、鶏・牛の串焼きに飯とサラダを添える『シアトル型テリヤキ』の外食ジャンルを生んだ。つまり瓶詰めソースもシアトル型の店も、成立ではなく普及の段階にあたる。 なお「米国式テリヤキはキッコーマンが米国向けに開発した瓶詰めテリヤキソースから始まったとする説」という通説一次史料・学術文献で退けられている。

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3ゲート

食材入手ゲート
醤油(+甘味料)の甘辛だれが必須で、担い手ごと醤油がハワイへ渡った1868年が下限。主役は魚から牛肉・鶏へ転換(米国側では牛肉・鶏は潤沢で制約にならない)、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け大蒜・生姜を加えるのが米国式の指標。1950-01-23 Chicago Daily Tribune のハワイ料理教室記事に牛肉+醤油+砂糖+大蒜+生姜のみりん抜き配合、1950-10-18 Washington Post に Dole の牛肉+パイナップル(缶詰シロップが砂糖代わり)串焼き。ただし下限1868年は『材料が届いた年』ではなく『担い手が届いた年』である=醤油そのものは日系移民より21年早く、1847-06-05 に中国産が船Maryでホノルルへ入り競売にかけられている(The Polynesian紙の広告)。ハワイでの醸造は1891-06 島田治八の試み、1900-04 山上信之の工場稼働、1905-06 商業生産の定着と進み、1915-08 の在ホノルル日本領事 有田八郎の報告『布哇ニ於ケル日本醤油ノ需要』では日本からの輸入80,807樽(約131万L)に現地4社の製造約4,200石(約76万L)が加わる。砂糖・牛肉・パイナップルも島内で潤沢。したがって食材の側は文献初出1940年の25-40年前には飽和しており、下限1868年以降に成立を律速したのは食材の入手ではなく担い手=日系共同体の形成(1885年官約移民→1900-1920年代の定住と二世世代)である。なお材料の中で最後に揃った一品(食材の側の律速)は醤油だが、料理そのものの成立を決めたのは材料ではなく場=担い手の形成であり、この2つは食い違わない
調理技術ゲート
たれを塗り重ねて直火/炭火で焼く在来の掛け焼き技法で、特別な器具を要さない。たれ自体も1950-01-23 Chicago Daily Tribune のレシピのとおり醤油・砂糖・大蒜・生姜で自作でき、市販品を要さない。瓶詰めテリヤキソースは成立の条件ではなく普及の駆動要因なので、成立要因からは外した。瓶詰めの年表は名前で数えるか中身で数えるかで二段になる=テリヤキソースの名を冠した市販品の最古は1965年 Diamond Teriyaki Sauce(ホノルル)、2番目が1966年 La Choy、キッコーマンの Hawaiian Teriyaki Sauce は3番目で初出資料は1968-05-10 Life誌の全面広告。名でなく中身(醤油・砂糖・大蒜・生姜のみりん抜き配合を瓶詰めした既製だれ)で数えると、ホノルルの Aloha Shoyu Co. の Aloha Barbecue Sauce と King Shoyu Co. の Broil King Barbecue Sauce がさらに早く、Shurtleff & Aoyagi(2021) の推定発売年は1947年・1948年、年が確実に付く記録は1956年 Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』の広告(Aloha p.16 / Broil King p.50)。それでも初出1940年より後で、しかも Broil King の1956年広告は手作りテリヤキだれのレシピに×印を重ねて『Broil King があれば要らない』と売っている=商品が置き換えようとした手作りのだれが商品より先に在ったことを商品自身の広告が認めている。キッコーマン自社史の申告年1961年を採っても、成立窓1868-1940年より20年以上遅い。瓶詰め流通の年表(1947/48年ホノルルの既製バーベキューソース、1956年の広告、1958年の新聞広告、1961年の北米輸出開始、1965年の名を冠した初の市販品、1968年の全国誌広告)は、成立史ではなく普及史の側に記録した
場ゲート
ハワイの日系移民の家庭と日本料理店(1940年 Honolulu Advertiser のコラム、1946年 Honolulu Star-Bulletin の Seaside Garden 開店広告に『Teriyaki Steak: broiled over charcoal』)→1950年 本土の料理教室・全米フードエディター会議で紹介→1976-03-02 Toshi's Teriyaki(シアトル)以降のテリヤキ専門店(ドライブイン/持ち帰り)ジャンル化

成立年代と成立ゲート

食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い食材入手ゲート(1868年・在地/到来・醤油(日本))が律速=成立の物理的な下限で、太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は律速以降にある。

成立年代と成立ゲート成立 1868–1940食材入手 1607(在地/到来/鶏肉)食材入手 1640(在地/到来/砂糖)食材入手 1793(在地/到来/牛肉)食材入手・律速 1868(在地/到来/醤油(日本))15741973
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

検証メモ: 出典 Shurtleff & Aoyagi(2022) の全文(210頁)を精読して年代を是正。adder暫定の1950-1976は普及史の年代で、成立はそれ以前=ハワイの日系移民社会。遅くとも1868(日系移民の渡航=醤油の到来。台帳: 醤油@ハワイ=1868, 幅1868-1905)、遅くとも1940-07-21 Honolulu Advertiser「Teriyaki Steak」。律速は瓶詰めソース(技術)ではなく担い手とともに来た醤油(食材入手)。日本の照り焼きからの伝播として結線済み。史料批判: 出典中のサンタフェの日本料理店広告の記録は新聞データベース由来の年代誤りが濃厚なので採らず、ハワイ紙の記録のみ採用した。再研磨: 構成要素として持っていた技術「瓶詰めテリヤキソース」を成立要因から外し、その行を却下した。瓶詰めソースが世に出たのは資料上1965年(Diamond, ホノルル)→1966年 La Choy→1968年5月 キッコーマン(Life誌5/10全面広告)で、キッコーマン自社史の自称年1961年を採っても成立窓1868-1940年より20年以上遅い=調理技術ゲートの要因たりえず、実体も調理技術でなく市販商品の流通事象。瓶詰め流通の年表(1958年の新聞広告/1961年の北米輸出開始/1965年の初の市販品/1968年の全国誌広告)は成立史から普及史の側へ移した。あわせてキッコーマン起源説を、キッコーマン自身の自社史で崩す形に書き直した=同社は瓶詰め発売前の1958年に『Teriyaki Has Become an American Dish』と題する新聞広告を米国で打ち、1950年 Chicago Daily Tribune の手作りだれのレシピを自ら引用している。確度は時期B・起源説B のまま不変。

起源説

定説

ハワイの日系移民が魚を牛肉・鶏に置き換え、みりんの代わりに砂糖・パイナップル果汁と大蒜を使って作り替えたテリヤキ B

米国式テリヤキは、日本の照り焼き(醤油+みりん+砂糖のたれで魚を掛け焼きする技法)を、ハワイの日系移民社会が現地の食材事情に合わせて作り替えたもの。主役が魚から牛肉・鶏に替わり、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け、大蒜・生姜を加える点が指標…続きを読む

米国式テリヤキは、日本の照り焼き(醤油+みりん+砂糖のたれで魚を掛け焼きする技法)を、ハワイの日系移民社会が現地の食材事情に合わせて作り替えたもの。主役が魚から牛肉・鶏に替わり、みりん・酒の代わりに砂糖やパイナップル果汁で甘みを付け、大蒜・生姜を加える点が指標になる。下限は日系移民が醤油とともにハワイへ渡った1868年で、根拠は人数ではなく密航者 佐久間米吉の未刊日記の記述(旧暦4月25日「横浜出帆。米・味噌・醤油の食料」)である。一団の人数そのものは史料が割れていて確定しない=149名とする系統(Gary Y. Okihiro が Brian Niiya 編『Japanese American History: An A-to-Z Reference from 1868 to the Present』1993 で「男141・女6・子供2の149名が1868年5月17日に横浜を出帆した」と書き、Shurtleff & Aoyagi がこれを引く)と、153名とする系統(国立国会図書館の電子展示『ブラジル移民の100年』、福井吉兵衛『醤油読本』1956、仁瓶利夫「ハワイにおける日本酒、味噌、醤油の歴史」1978)が並び立ち、出航時か到着時かの違いでも説明が付かない。下限1868年はどちらを採っても動かないので、本項では人数を一つに決めない。日布両政府の取扱いによる官約移民が1885年1月に始まったことは国立国会図書館の同展示による。上限は1940年7月21日 Honolulu Advertiser のコラム『You taleen me!』(Joe Manuel)が『Teriyaki Steak』を挙げる時点で、1941年4月13日の同コラムはベレタニア通りのカフェの広告として『noodle and teriyaki stake』を、1946年8月15日 Honolulu Star-Bulletin の Seaside Garden 開店広告は『Teriyaki Steak: broiled over charcoal』を伝える=遅くとも1940年にはハワイの外食に牛肉のテリヤキがあった。本土への紹介は1950年1月23日 Chicago Daily Tribune(Mary Meade)が報じたハワイ帰りの家政学者 Dorothy Roost Bates のハワイ料理教室で、牛肉・醤油・砂糖・大蒜・生姜というみりん抜き配合=Shurtleff & Aoyagi が『牛肉(赤身肉)を主役にした最も早いテリヤキのレシピ』と注記する。同年10月18日 Washington Post(Lucia Brown)はニューヨークの全米フードエディター会議(144名)に Dole がハワイから持ち込んだ『Teriyakis』=牛肉とパイナップルの串焼きを報じ、缶詰パイナップルのシロップが砂糖の代わりを務める。 下限1868年と初出1940年のあいだの約70年は、材料が届くのを待っていた時間ではない。醤油はむしろ日系移民より先にハワイにあり、1847年6月5日には中国産の醤油が船Maryでホノルルへ入って競売にかけられている(The Polynesian紙の広告)。ハワイでの醸造も1891年6月に島田治八が試み(輸送難と資本不足で撤退)、1900年4月には山上信之の『賢婦』印醤油工場がホノルルで本格稼働し、1905-06年には商業生産が軌道に乗る。1915年8月、在ホノルル日本領事 有田八郎が大隈重信外相へ送った報告『布哇ニ於ケル日本醤油ノ需要』は、日本からの輸入80,807樽(約131万リットル)に加えて現地4社が約4,200石(約76万リットル)を製造し、現地生産は前年比20%増だと記す。砂糖はハワイ最大の産業、牛はパニオロの牧畜、パイナップルは1901年以降の缶詰産業と、甘味・主役肉・果汁もすべて島内で潤沢だった。つまり食材の側は初出の25-40年前には飽和しており、70年を費やしたのは担い手の側である。1868年の一団は150人前後の小集団にとどまったうえ、そのまま定着もしなかった=染井直人(2024)は、約三分の一が召喚特使 上野景範のハワイ政府との交渉(上野は1869年10月31日横浜出港、12月27日ホノルル着)を機に帰国し、約三分の一が三年の年季明けにより賃金の高いアメリカ本土へ渡り、ハワイに残った残り三分の一も続く日本人移民がないまま現地の女性と結婚した、と整理する。持続的な移民は1885年の官約移民から、家族を伴う定住と二世世代の成立は1900-1920年代という、共同体の形成過程が70年の中身である。食物史家 Rachel Laudan は『The Food of Paradise』(University of Hawaii Press, 1996) で、ハワイの日系(Local Japanese)がみりんの代わりに黒砂糖を用い生姜と青葱を加えたのは『みりんがほぼ入手不能で、砂糖が王だった』土地ゆえの置き換えだと説明し(生姜・大蒜・青葱は日本の照り焼きには見られず中国系の影響の可能性を指摘)、『1960年代までに、おそらくはもっと早くに、ハワイ式テリヤキソースは諸島の料理上の象徴のひとつになっていた』と書く。取材記事では置き換えの時期を1920-30年代とする。なお1940年という上限は英語紙での初出であり、ハワイの日本語紙(日布時事1906年創刊、布哇報知1912年創刊)は未探索なので、実際の成立はこれより早い可能性がある。 市販の瓶詰めソースはこの後で、名を冠した最初は1965年 Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co.)、1966年 La Choy が2番目、1968年5月10日 Life誌全面広告の Kikkoman Hawaiian Teriyaki Sauce が3番目。名でなく中身で数えても、ホノルルの Aloha Shoyu Co. と King Shoyu Co. が米国式配合(醤油・砂糖・大蒜・生姜)のだれを『バーベキューソース』として瓶詰めしていた記録が1956年の Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』の広告にあり(Shurtleff の推定発売年は1947年・1948年)、これも初出1940年より後にあたる。1976年3月2日にシアトルのロウアー・クイーンアンで開いた Toshi's Teriyaki が単独専門店の第1号で、鶏・牛の串焼きに飯とサラダを添える『シアトル型テリヤキ』の外食ジャンルを生んだ。つまり瓶詰めソースもシアトル型の店も、成立ではなく普及の段階にあたる。

反証

米国式テリヤキはキッコーマンが米国向けに開発した瓶詰めテリヤキソースから始まったとする説 D

日本語圏でよく語られる説に、キッコーマンが1957年に米国で醤油販売を始め、日系二世の営業担当が母の作る魚の照り焼きをヒントに肉に合う『テリヤキソース』を開発したのが米国式テリヤキの始まり、というものがある。キッコーマン自身も自社史『Teriyaki Sauc…続きを読む

日本語圏でよく語られる説に、キッコーマンが1957年に米国で醤油販売を始め、日系二世の営業担当が母の作る魚の照り焼きをヒントに肉に合う『テリヤキソース』を開発したのが米国式テリヤキの始まり、というものがある。キッコーマン自身も自社史『Teriyaki Sauce Museum』で、1961年に日本で Teriyaki Barbecue Marinade を開発して北米へ輸出開始、1962年10月にそれを国内向けに仕立てた Barbecue Marinade を日本で発売、1968年1月にカリフォルニアで現地ブレンド・瓶詰めを開始、1973年にウィスコンシン工場へ全量移管、と述べ、Kikkoman USA の販促ページは『1961年に米国初の瓶詰めテリヤキソースを発売した』と謳う。 しかしこの説は、キッコーマン側の最も早い自称年(1961年)を採っても成立しない。牛肉のテリヤキは瓶詰め以前から存在し、1940年7月21日のホノルルの新聞コラムに『Teriyaki Steak』、1950年1月23日 Chicago Daily Tribune に牛肉主役・みりん抜き(醤油+砂糖+大蒜+生姜)の手作りだれのレシピがある。料理名が文献に現れた1940年より21年も遅れて現れた商品が、料理の成立条件になることはない。しかも同じ自社史が、瓶詰め発売前の1958年に『Teriyaki Has Become an American Dish(テリヤキは米国の料理になった)』と題する新聞広告を米国で打ったこと、および1950年 Chicago Daily Tribune の記述(牛肉を串に刺し、醤油・砂糖・大蒜・生姜のたれに30分以上漬けて炭火で焼くハワイの地元料理)を自ら引用しており、キッコーマン自身の記録が『瓶詰め以前に米国式テリヤキは既に在った』ことを裏づけている。 『米国初の瓶詰め』という先行性の主張も二重に崩れる。第一に、テリヤキソースの名を冠した市販品に限っても最古はキッコーマンではない=Shurtleff & Aoyagi (2022) の年代順目録では1965年の Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co., ホノルル。ラベルに『Our Original Teriyaki Sauce from Hawaii』、1988年の同社書簡が1965年発売と確認)が最初、2番目が1966年の La Choy Teriyaki Sauce(オハイオ州アーチボルド)で、キッコーマンの Hawaiian Teriyaki Sauce は3番目、最初の資料は1968年5月(Life誌5月10日号の全面広告『Kikkoman Teriyaki — the fun flavor of Hawaii / Now a favorite in Chicago!』)である。1961年という年はキッコーマンの自社申告で、同書はそれを裏づける同時代資料を挙げていない。第二に、名前でなく中身で数えると瓶詰め自体がさらに古い=Shurtleff & Aoyagi (2021) のハワイ篇には、ホノルルの醤油会社2社が米国式テリヤキだれそのものを『バーベキューソース』の名で瓶詰めして売っていた記録がある。Aloha Shoyu Co. の Aloha Barbecue Sauce(12液量オンス瓶、原材料は水・塩・大豆・小麦・砂糖・大蒜・生姜=みりん抜きの米国式配合そのもの。ラベルは『Time-saving. Ready-to-use.』と謳い、ステーキ・鶏・スペアリブ・魚を漬けて炭火で焼き、焼きながら塗り重ねよと指示する)と、King Shoyu Co. の Broil King Barbecue Sauce である。Shurtleff が付与する発売年はそれぞれ1947年・1948年(ラベル写真と会社記録に基づく推定で、年付きの同時代資料は伴わない)、年が確実に付く記録は1956年ホノルル刊の料理書 Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』の広告(Aloha は p.16、Broil King は p.50)である。つまりキッコーマンが1961年と自称するより最短でも5年、Shurtleff の推定年を採れば13-14年早く、瓶詰めの米国式テリヤキだれはハワイの地場企業がすでに売っていた。 そしてこの Broil King の1956年広告こそ、瓶詰め起源説を最もよく崩す。広告は『The king of barbecue sauces: Broil King. Ready mixed, richly flavored, rightly blended.(手間も材料も省ける)』と謳い、その横に手作りテリヤキだれのレシピ(醤油1/2カップ、酒大さじ1、砂糖大さじ3、生姜小さじ1、大蒜1片)を刷ったうえで、そのレシピに大きな×印を重ねている=『Broil King があればこの手作りは要らない』。商品が置き換えようとした手作りのだれが商品より先に在ったことを、商品自身の広告が図で認めている。キッコーマンが果たしたのは全米流通に乗せた普及であって料理の成立ではない。なお1968年の広告がテリヤキを『ハワイの味』として売った点は、テリヤキ=ハワイ発祥という誤解(日本の照り焼きの側でも別の起源説として史料で否定されている)の出所でもある。

シアトルの Toshi's Teriyaki が1976年に米国式テリヤキを発明したとする説 D

シアトルでは Toshi Kasahara(笠原利博)が『シアトル・テリヤキの祖父』と呼ばれ、1976年3月2日にシアトルセンター近く(ロウアー・クイーンアン)で開いた Toshi's Teriyaki が『テリヤキを生んだ』と語られる(地元紙の見出しも『To…続きを読む

シアトルでは Toshi Kasahara(笠原利博)が『シアトル・テリヤキの祖父』と呼ばれ、1976年3月2日にシアトルセンター近く(ロウアー・クイーンアン)で開いた Toshi's Teriyaki が『テリヤキを生んだ』と語られる(地元紙の見出しも『Toshi created our regional dish』)。実際に彼が創始したのはテリヤキ単品の専門店という業態と、鶏もも/牛の串焼きに飯とサラダを添えて1皿1.85ドルで出すファストフード形式=『シアトル型テリヤキ』であって、牛肉・鶏のテリヤキという料理そのものではない。ハワイでは1940年7月21日 Honolulu Advertiser に『Teriyaki Steak』、1946年8月15日 Honolulu Star-Bulletin の Seaside Garden 開店広告に『Teriyaki Steak: broiled over charcoal』があり、本土でも1950年1月23日 Chicago Daily Tribune が牛肉主役のレシピを、同年10月18日 Washington Post が Dole の牛肉+パイナップル串『Teriyakis』を報じている=Toshi's の36年前には成立していた。業態の発明と料理の発明を区別すれば、Toshi's は普及史における『専門店ジャンルの起点』として正しく位置づけられる(1996年までにシアトル圏17店へ拡大、2010年には市内に店名に teriyaki を含む店が83軒)。

解説

ハワイで魚から牛肉・鶏へ

日本の照り焼きは、魚に醤油・みりん・砂糖のたれを塗り重ねて焼く料理である。1868年、この技法を知る日本人が集団でハワイへ渡り始めた。最初の一団は元年者と呼ばれ、帰国した者、年季が明けて米本土へ渡った者、島で家庭を持った者に分かれて集団としては続かなかったが、1885年に始まる官約移民では26回にわたって約3万人が海を越え、家族を伴う定住と二世の世代がハワイに根づいていく。醤油も彼らとともに渡った。島の醤油は日本からの輸入だけではない。1900年にはホノルルで日系の醤油工場が本格稼働し、1915年に在ホノルル日本領事が本国へ送った報告は、日本からの輸入に加えて現地4社が醸造していることを記している。

ハワイの日系移民社会では、日本にいたときと同じようにみりんや酒を手に入れるのは容易ではなかった。移民の台所は、代わりに手近な砂糖やパイナップルの果汁で甘みを付け、大蒜や生姜を加えるようになった。たれをかける相手も魚に限らなくなり、島で潤沢に手に入る牛肉や鶏肉が主役になっていった。この置き換えを経て、日本の照り焼きとは別の一皿が生まれた。

その存在は戦前の新聞にすでに記録されている。1940年7月21日のホノルル・アドバタイザー紙のコラムは「Teriyaki Steak」を挙げ、1941年の同じコラムはベレタニア通りのカフェの広告として「noodle and teriyaki stake」を伝える。1946年にはホノルルのシーサイド・ガーデンが炭火で焼く「Teriyaki Steak」を看板に開店広告を出した。牛肉のテリヤキは、戦後の普及より先にハワイの外食に根づいていたことになる。

本土への紹介と瓶詰めソースの登場

本土の読者がこの料理に触れたのは1950年前後である。同年1月、シカゴ・デイリー・トリビューン紙は、ハワイ帰りの家政学者が開いた料理教室を報じ、牛肉・醤油・砂糖・大蒜・生姜という、みりんを使わない配合を伝えた。同年10月にはワシントン・ポスト紙が、ニューヨークで開かれた全米フードエディターの会議で、パイナップル生産者のドールが牛肉とパイナップルの串焼きを振る舞ったと報じている。缶詰パイナップルのシロップが砂糖の代わりを務めるという工夫も、このときすでに紹介されていた。

市販の瓶詰めが現れるのは、これらの新聞記事より後になる。ただしその年表は、何を数えるかで二段に分かれる。「テリヤキソース」の名を冠した商品に限れば、最初は1965年、ホノルルの酒造会社が出したダイヤモンド・テリヤキソースで、1966年にオハイオのラチョイが続き、キッコーマンのハワイアン・テリヤキソースは3番目、資料でたどれる最初の姿は1968年5月のライフ誌の全面広告である。名前ではなく中身、つまり醤油・砂糖・大蒜・生姜というみりん抜きの配合を瓶に詰めた既製だれで数えると、それより早い。ホノルルのアロハ・ショウユとキング・ショウユが、同じ配合のたれを「バーベキューソース」の名で売っていた。年が確実に付く記録は1956年にホノルルで出た料理書の広告で、発売そのものはラベルと会社の記録から1947年・1948年と推定されている。

どちらの数え方をしても、瓶詰めが出てくるのは新聞に「Teriyaki Steak」が載った1940年より後である。三社とも、すでに存在していた料理に合わせてソースを商品化したのであって、料理そのものを作り出したわけではない。

シアトルの専門店が広めた食べ方

1976年、シアトルで笠原利博(トシ・カサハラ)が開いたトシズ・テリヤキは、鶏や牛の串焼きにご飯とサラダを添えて手早く出す形式の専門店だった。この店を皮切りに、シアトルの街には同じ形式の店が次々と生まれ、店名に「テリヤキ」を含む店だけで市内に何十軒も並ぶまでになった。ここで生まれたのは、テリヤキを専門に出すという商売の形であり、それは牛肉や鶏肉を甘辛だれで焼くという料理自体とは別のものである。トシズが店を構えた1976年の時点で、その料理はすでに36年前のホノルルの新聞に記録されていた。

検証ストーリー

日本語圏では、米国のテリヤキはキッコーマンが瓶詰めソースを開発したことから始まったとよく語られる。1957年に醤油の米国販売を始めた同社の日系二世社員が、母の作る魚の照り焼きをヒントに、肉に合う「テリヤキソース」を考案したという筋書きである。もう一つ、シアトルで語られる話もある。1976年にトシズ・テリヤキを開いた笠原利博が、この街にテリヤキという食べ物を持ち込んだ最初の人物だ、というものだ。

だが牛肉のテリヤキという料理自体は、どちらの逸話よりずっと前から存在していた。1940年7月21日、ホノルル・アドバタイザー紙のコラムはすでに「Teriyaki Steak」を挙げている。1946年にはホノルルのレストランが炭火焼きのテリヤキステーキを看板にした開店広告を出し、1950年には本土の新聞が牛肉・醤油・砂糖・大蒜・生姜という配合の料理教室を報じ、同じ年にニューヨークの会議でパイナップル生産者が牛肉とパイナップルの串焼きを振る舞っている。

瓶詰めの側の年表も、名前で数えるか中身で数えるかで見え方が変わる。名を冠した商品の最初は1965年のダイヤモンド・テリヤキソース、キッコーマンの商品が資料に現れるのは1968年5月である。中身で数えれば、ホノルルの醤油会社2社が同じ配合のたれを「バーベキューソース」として瓶に詰めていて、こちらは1956年の料理書の広告で年が確定し、発売はラベルと会社の記録から1947年・1948年と推定されている。それでも、いちばん早い推定年ですら1940年の新聞より後になる。

そのうちの一社、キング・ショウユのブロイル・キングが1956年に出した広告が、瓶詰め起源説をいちばんよく崩している。広告は「バーベキューソースの王、ブロイル・キング。調合済み、豊かな味、正しい配合」と謳い、その横に手作りのテリヤキだれのレシピ——醤油1/2カップ、酒大さじ1、砂糖大さじ3、生姜小さじ1、大蒜1片——を刷ったうえで、そのレシピに大きな×印を重ねている。ブロイル・キングがあればこの手作りは要らない、という売り方である。商品が置き換えようとした手作りのだれが商品より先に在ったことを、商品自身の広告が図で認めているわけだ。

キッコーマンの側の記録も同じことを語る。同社の自社史は、瓶詰めを売り出す前の1958年に「テリヤキは米国の料理になった」と題する新聞広告を米国で打ったことを記し、1950年のシカゴ・デイリー・トリビューン紙の記述——牛肉を串に刺し、醤油・砂糖・大蒜・生姜のたれに30分以上漬けて炭火で焼くハワイの地元料理——を自ら引用している。同社が果たしたのは全米流通に乗せた普及であって、料理の成立ではない。

つまり瓶詰めソースの発売もシアトルの専門店の開業も、すでに存在していた料理を全米へ広め、専門の商売として定着させた出来事だった。料理そのものが生まれたのは、日本の照り焼きを知る移民がハワイへ渡り、手に入りにくいみりんの代わりに砂糖やパイナップルの果汁で甘みを付け、魚の代わりに牛肉や鶏肉を焼くようになった、もっと早い時期のことである。

なお、キッコーマンの広告が「ハワイの味」としてテリヤキを売り出したことも見逃せない。テリヤキという語自体は1813年の日本の戯作に「海老の照焼」として現れ、英語圏でも1889年のデトロイトの新聞が日本の晩餐の献立として salmon teriyaki を紹介している。米国で育った牛肉・鶏肉のテリヤキがハワイで生まれたことは確かだとしても、その源にある調味の技法まで米国発とみなすのは行き過ぎである。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-08-01 支持 B→B
米国式(牛肉)テリヤキの文献初出は1940年7月21日 Honolulu Advertiser のコラム『You taleen me!』(Joe Manuel)の『Teriyaki Steak』であり、adder暫定の1950年より10年早い
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2026-08-01 支持 B→B
下限は日系移民が醤油とともにハワイへ渡った1868年。国立国会図書館の電子展示は1868年(明治元)に153人がハワイへ渡ったのが日本人の集団渡航の最初(元年者)、両政府取扱いの官約移民は1885年1月開始と記す
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2026-08-01 反証 D→D
「米国式テリヤキはキッコーマンが米国向けに開発した瓶詰めテリヤキソース(1957/1961年)から始まった」説は成立しない
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2026-08-01 反証 D→D
「シアトルの Toshi's Teriyaki が1976年に米国式テリヤキを発明した」説は成立しない。Toshi's が創始したのは専門店という業態(シアトル型テリヤキ)であって料理そのものではない
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2026-08-01 支持 D→D
Toshi's Teriyaki の開業は1976年3月2日、シアトルセンター近く(ロウアー・クイーンアン)で、テリヤキ単品の専門店としては第1号
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2026-08-24 反証 D→D
キッコーマン自社史が主張する最も早い年(1961年に日本で Teriyaki Barbecue Marinade を開発し北米へ輸出開始)を採っても、ホノルルの新聞が1940年7月21日に『Teriyaki Steak』を載せた時点より21年遅い。瓶詰めソースは米国式テリヤキ成立の条件たりえない
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2026-08-24 支持 B→B
瓶詰めテリヤキソース(資料上の最古は1965年 Diamond、キッコーマンは1968年5月のLife誌広告が初出資料、自社申告でも1961年)は成立窓1868-1940年のどこにも掛からない普及段階の商品であり、米国式テリヤキの成立要因ではない
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2026-08-28 反証 D→D
米国式テリヤキの律速は瓶詰めテリヤキソースの量産・流通だったのではないか(operator仮説)
出典: William Shurtleff & Akiko Aoyagi (2021) History of Soybeans and Soyfoods in the Hawaiian Islands (1847-2021), Soyinfo Center(1,225件の年代順一次文献目録・当方が全文365頁を取得し精読。ハワイの醤油供給史: 1847-06-05 中国産醤油が船Maryでホノルルへ入りHenry Skinner社が競売=The Polynesian紙p.3の広告、ハワイ最古の大豆食品/1868 元年者149名が米・味噌・醤油を携行=佐久間米吉の未刊日記/1891-06 島田治八がハワイで初の醤油醸造を試み輸送難と資本不足で撤退=森田1915 p.260/1900-04 山上信之の『賢婦』印醤油工場がホノルルPunchbowl通りで本格稼働=Pacific Commercial Advertiser 1900-04-14 p.14/1905-06 最古の商業大豆製品Kikko-Ki醤油(T. Terada Shoten)は1915年に166,600ガロン生産/1915-08 在ホノルル日本領事 有田八郎が大隈重信外相へ送った報告『布哇ニ於ケル日本醤油ノ需要』=日本からの輸入80,807樽=1,309,000L、ハワイ内4社の製造4,200石=756,000L、現地生産は前年比20%増。瓶詰め調味料: Aloha Barbecue Sauce=Aloha Shoyu Co.ホノルル、12液量オンス瓶、水・塩・大豆・小麦・砂糖・大蒜・生姜、ラベルに Time-saving / Ready-to-use とありステーキ・鶏・スペアリブ・魚を漬けて炭火で焼く指示、Shurtleff付与の発売年1947、年付きの確実な記録は1956年 Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』p.16の広告/Broil King Barbecue Sauce=King Shoyu Co. 1215 Kona St.ホノルル、Shurtleff付与の発売年1948、1955年頃のラベル写真、1956年 同書p.50の広告/同社のHideko Murataは醤油の短期製造法でUS Patent 2,444,577 Sauce preparation を取得=1947-01-20出願・1948-07-06登録) 重み3
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2026-08-28 支持 B→B
下限1868年と文献初出1940年のあいだの約70年は、食材(醤油)の入手を待っていた時間である
出典: William Shurtleff & Akiko Aoyagi (2021) History of Soybeans and Soyfoods in the Hawaiian Islands (1847-2021), Soyinfo Center(1,225件の年代順一次文献目録・当方が全文365頁を取得し精読。ハワイの醤油供給史: 1847-06-05 中国産醤油が船Maryでホノルルへ入りHenry Skinner社が競売=The Polynesian紙p.3の広告、ハワイ最古の大豆食品/1868 元年者149名が米・味噌・醤油を携行=佐久間米吉の未刊日記/1891-06 島田治八がハワイで初の醤油醸造を試み輸送難と資本不足で撤退=森田1915 p.260/1900-04 山上信之の『賢婦』印醤油工場がホノルルPunchbowl通りで本格稼働=Pacific Commercial Advertiser 1900-04-14 p.14/1905-06 最古の商業大豆製品Kikko-Ki醤油(T. Terada Shoten)は1915年に166,600ガロン生産/1915-08 在ホノルル日本領事 有田八郎が大隈重信外相へ送った報告『布哇ニ於ケル日本醤油ノ需要』=日本からの輸入80,807樽=1,309,000L、ハワイ内4社の製造4,200石=756,000L、現地生産は前年比20%増。瓶詰め調味料: Aloha Barbecue Sauce=Aloha Shoyu Co.ホノルル、12液量オンス瓶、水・塩・大豆・小麦・砂糖・大蒜・生姜、ラベルに Time-saving / Ready-to-use とありステーキ・鶏・スペアリブ・魚を漬けて炭火で焼く指示、Shurtleff付与の発売年1947、年付きの確実な記録は1956年 Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』p.16の広告/Broil King Barbecue Sauce=King Shoyu Co. 1215 Kona St.ホノルル、Shurtleff付与の発売年1948、1955年頃のラベル写真、1956年 同書p.50の広告/同社のHideko Murataは醤油の短期製造法でUS Patent 2,444,577 Sauce preparation を取得=1947-01-20出願・1948-07-06登録) 重み3
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2026-08-28 支持 B→B
みりんから砂糖への置き換え(米国式配合の指標)を起こしたのはハワイの日系社会で、機序は『みりんが入手不能・砂糖が潤沢』という現地の非対称である
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2026-08-29 支持 B→B
米国式テリヤキの3ゲート横断の律速は食材入手ではなく場(担い手=ハワイの日系共同体の形成)である
出典: William Shurtleff & Akiko Aoyagi (2021) History of Soybeans and Soyfoods in the Hawaiian Islands (1847-2021), Soyinfo Center(1,225件の年代順一次文献目録・当方が全文365頁を取得し精読。ハワイの醤油供給史: 1847-06-05 中国産醤油が船Maryでホノルルへ入りHenry Skinner社が競売=The Polynesian紙p.3の広告、ハワイ最古の大豆食品/1868 元年者149名が米・味噌・醤油を携行=佐久間米吉の未刊日記/1891-06 島田治八がハワイで初の醤油醸造を試み輸送難と資本不足で撤退=森田1915 p.260/1900-04 山上信之の『賢婦』印醤油工場がホノルルPunchbowl通りで本格稼働=Pacific Commercial Advertiser 1900-04-14 p.14/1905-06 最古の商業大豆製品Kikko-Ki醤油(T. Terada Shoten)は1915年に166,600ガロン生産/1915-08 在ホノルル日本領事 有田八郎が大隈重信外相へ送った報告『布哇ニ於ケル日本醤油ノ需要』=日本からの輸入80,807樽=1,309,000L、ハワイ内4社の製造4,200石=756,000L、現地生産は前年比20%増。瓶詰め調味料: Aloha Barbecue Sauce=Aloha Shoyu Co.ホノルル、12液量オンス瓶、水・塩・大豆・小麦・砂糖・大蒜・生姜、ラベルに Time-saving / Ready-to-use とありステーキ・鶏・スペアリブ・魚を漬けて炭火で焼く指示、Shurtleff付与の発売年1947、年付きの確実な記録は1956年 Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』p.16の広告/Broil King Barbecue Sauce=King Shoyu Co. 1215 Kona St.ホノルル、Shurtleff付与の発売年1948、1955年頃のラベル写真、1956年 同書p.50の広告/同社のHideko Murataは醤油の短期製造法でUS Patent 2,444,577 Sauce preparation を取得=1947-01-20出願・1948-07-06登録) 重み3
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2026-09-10 反証 B→B
1868年にハワイへ渡った元年者は149名であり、その典拠は国立国会図書館である
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2026-09-10 不明 B→B
元年者の人数は149名か153名かのどちらかに確定できる
出典: William Shurtleff & Akiko Aoyagi (2021) History of Soybeans and Soyfoods in the Hawaiian Islands (1847-2021), Soyinfo Center(1,225件の年代順一次文献目録・当方が全文365頁を取得し精読。ハワイの醤油供給史: 1847-06-05 中国産醤油が船Maryでホノルルへ入りHenry Skinner社が競売=The Polynesian紙p.3の広告、ハワイ最古の大豆食品/1868 元年者149名が米・味噌・醤油を携行=佐久間米吉の未刊日記/1891-06 島田治八がハワイで初の醤油醸造を試み輸送難と資本不足で撤退=森田1915 p.260/1900-04 山上信之の『賢婦』印醤油工場がホノルルPunchbowl通りで本格稼働=Pacific Commercial Advertiser 1900-04-14 p.14/1905-06 最古の商業大豆製品Kikko-Ki醤油(T. Terada Shoten)は1915年に166,600ガロン生産/1915-08 在ホノルル日本領事 有田八郎が大隈重信外相へ送った報告『布哇ニ於ケル日本醤油ノ需要』=日本からの輸入80,807樽=1,309,000L、ハワイ内4社の製造4,200石=756,000L、現地生産は前年比20%増。瓶詰め調味料: Aloha Barbecue Sauce=Aloha Shoyu Co.ホノルル、12液量オンス瓶、水・塩・大豆・小麦・砂糖・大蒜・生姜、ラベルに Time-saving / Ready-to-use とありステーキ・鶏・スペアリブ・魚を漬けて炭火で焼く指示、Shurtleff付与の発売年1947、年付きの確実な記録は1956年 Hui Manaolana『Japanese Foods: Tested Recipes』p.16の広告/Broil King Barbecue Sauce=King Shoyu Co. 1215 Kona St.ホノルル、Shurtleff付与の発売年1948、1955年頃のラベル写真、1956年 同書p.50の広告/同社のHideko Murataは醤油の短期製造法でUS Patent 2,444,577 Sauce preparation を取得=1947-01-20出願・1948-07-06登録) 重み3
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2026-09-10 反証 B→B
1868年の元年者は大半が帰国したため、持続的な日系移民は1885年の官約移民からになった
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どこまで広まったか 普及の記録(成立史とは別軸)

時期種別地域・媒体数量状態出典・注記
1958 言及範囲 米国 ・ 新聞広告 観測
企業の自社史による回顧記述で、広告の実物(紙名・掲載日)は未確認
キッコーマンが米国で打った最初の広告キャンペーンは1958年の新聞広告で、題は『Teriyaki Has Become an American Dish(テリヤキは米国の料理になった)』。自社の瓶詰めテリヤキソース発売より前に、テリヤキが米国の料理として通用していたことを広告主自身が前提にしている
1961–1973 到達 米国 ・ 瓶詰め流通 観測
企業の自社史による自社の先行性主張で、同時代資料の提示が無い。Shurtleff & Aoyagi (2022) の年代順目録では資料上の最古の市販テリヤキソースは1965年 Diamond、キッコーマンの初出資料は1968年5月のLife誌広告=1961年という年は自社申告にとどまる
キッコーマン自社史による瓶詰めテリヤキソースの供給側の歩み: 1961年に日本で Teriyaki Barbecue Marinade を開発して北米へ輸出開始、1962年10月にそれを国内向けに仕立てた Barbecue Marinade を日本で発売、1968年1月にカリフォルニアで Leslie Salt Company と組み現地ブレンド・瓶詰めを開始、1972年ウィスコンシン州に米国初の自社工場を設立し1973年の稼働以降はテリヤキソースを全量そこで生産
1965 到達 ハワイ ・ 瓶詰め小売 観測
資料で裏づけられる最古の市販テリヤキソースは1965年の Diamond Teriyaki Sauce(Honolulu Sake Brewery & Ice Co., ホノルル。醤油+みりん+旨味調味料。ラベルに『Our Original Teriyaki Sauce from Hawaii』、1988年の同社書簡が1965年発売と確認)。2番目は1966年 La Choy Teriyaki Sauce(オハイオ州アーチボルド)=たれを自作せず買う経路がここで開いた
1968 到達 米国 ・ 全国誌広告 観測
Shurtleff & Aoyagi の編者注記は『キッコーマンはテリヤキソースをハワイの産物として提示しているが、実際には日本起源の日本の産物である』と述べる=この広告はテリヤキ=ハワイ発祥という誤解の出所でもある
キッコーマンの Hawaiian Teriyaki Sauce は資料上3番目の市販テリヤキソースで、最初の資料は1968年5月10日号 Life誌の全面広告『Kikkoman Teriyaki — the fun flavor of Hawaii / Now a favorite in Chicago!』=ハワイの外食由来の味が全国誌の面でシカゴの家庭へ届いたことを示す

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構成素材

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