食文化圏 / 東南アジア

インドネシア料理の成立史

東南アジアの食文化圏「インドネシア」に属する料理 22 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。

  • 全圏平均の約 9.82 倍・2 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。
  • 全圏平均の約 4.07 倍・3 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。

成立年代の分布成立年代の分布(最古 400 年〜最新 1971 年)。

  • 先史・古代 1
  • 中世 2
  • 近世 12
  • 近代 4
  • 現代 1

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 2 外来 7

所属する料理 22

  • 定番 ナシゴレン インドネシア(ジャワ) 1600–1900 時C説C

    インドネシアの代表的な炒飯「ナシゴレン」を、10世紀のジャワ宮廷で生まれたと語る話がある。だが確かな文献にたどれる最古の姿は1814年のもので、それも今日とは形が違う。甘い醤油とサンバルを核とするいまのナシゴレンが、唐辛子が海を渡って届くより前に成り立つことはなかった。

  • アヤム・ゴレン インドネシア ?–? 時C説B

    香辛料ペーストで下味を染み込ませてから揚げるインドネシアの揚げ鶏、アヤム・ゴレン。特定の発明者も発祥地も持たず、ジャワからマレー圏の家庭と屋台で、土地の鶏と香辛料から広く育った料理である。

  • ブブール・アヤム インドネシア ?–? 時C説B

    インドネシアの朝の定番、鶏をほぐしてのせた米の粥ブブール・アヤム。その正体は、華人が海を越えて持ち込んだ中国の粥が、ジャワの薬味をまとって土地の味になった一皿である。

  • トゥンペン インドネシア 400–1814 時C説B

    円錐形に盛った黄色いウコン飯を、卵焼きや鶏の唐揚げ、テンペや野菜のおかずが取り囲む祝祭の盛り付け「トゥンペン」。あの独特の三角錐は、山を神々の宿る聖地として敬った古代ジャワの信仰にさかのぼる在地の様式であり、誰か一人が考案した料理ではない。

  • ラウォン インドネシア 1042–? 時C説C

    東ジャワの黒いビーフスープ、ラウォンは「九〇一年のタジ碑文に rarawwan として記されている」と長く語られてきた。だが原本を確かめると、碑文にその語は無かった。

  • ナシクニン インドネシア(ジャワ) 1300–1500 時C説B

    ウコンで黄金色に染めたご飯を円錐形に盛る「ナシクニン」は、ジャワのヒンドゥー期に根を持つ儀礼食である。黄色は豊かさと尊厳を映す色として、共同体の感謝の宴に供され続けてきた。

  • ナシウドゥ インドネシア 1500–? 時C説C

    ジャカルタのブタウィ料理を代表するココナッツ炊き込み飯。誰がいつ生んだのかは、マレー系移民の融合とみる説とジャワ王朝に起源を置く説が併存し、一つに決めきれない。

  • バビ・グリン インドネシア(バリ) 1520–? 時C説B

    バリのヒンドゥー寺院と王宮に発した、香辛料を腹に詰めて炭火で回し焼く子豚の丸焼き。供犠の儀礼にさかのぼる古い一皿でありながら、いま屋台をにぎわせるその赤い香りづけには、海を越えて届いた新大陸の唐辛子が溶け込んでいる。

  • ルンダン インドネシア(ミナンカバウ/西スマトラ) 1540–1800 時B説C

    ルンダンは14世紀の王国時代に生まれた、という話がよく語られる。だが赤いルンダンに欠かせない唐辛子が海を渡ってこの地に届いたのは16世紀のこと。王国の伝説に始まりを求める物語は、辛みの到来という一点で崩れる。

  • グドゥッ インドネシア(ジャワ) 1587–1814 時C説B

    グドゥッは16世紀のマタラム王国建国のさなか、開墾に汗を流した兵士が創作した——あるいは王宮の料理人が貴族のために考案した。そんな由緒ありげな起源話はいずれも同時代の記録に支えられておらず、実際は中部ジャワの市場と家庭で長く煮込まれてきた大衆の一皿である。

  • サテー ジャワ(インドネシア) 1600–1850 時B説C

    サテーは「ジャワ土着の古い串焼き」とも「ケバブのアジア版」とも語られるが、串焼き肉の起源も語源もいまだ諸説が併存し、ピーナッツソースという現行の顔は、新大陸の落花生が東南アジアの海を渡って届いたのちにようやく加わった層である。

  • サンバル インドネシア(マレー諸島) 1600–1700 時B説C

    インドネシアの食卓に欠かせない、唐辛子の常備調味料サンバル。「サンバルは新大陸の唐辛子が伝わって生まれた料理だ」という通俗的な理解は、史料と食い違う。唐辛子が届くより前から、すり潰した香味のペーストはこの地にあった。唐辛子はそれを生んだのではなく、置き換えて作り変えたのである。

  • ソトアヤム インドネシア(ジャワ) 1600–1900 時C説C

    ジャワ島の屋台で湯気を上げる、ターメリックで黄色く染まった鶏のスープ、ソトアヤム。「二千年の歴史」とまで謳われることもあるが、文字に残る最も古い記録はせいぜい二十世紀の初め。誰がいつ生み出したのかは一つに定まらず、その出自じたいが海を越えて交わった人びとの混じり合いを映している。

  • プンペック インドネシア 1600–1850 時C説C

    魚のすり身をタピオカ澱粉と練って揚げ焼きするパレンバンの名物プンペックには、老いた華人の行商人「アペッ」が名の由来だという有名な語源話がある。だがこの発明譚は同時代の裏づけを欠き、キャッサバ由来のタピオカで作るという現行の姿とも年代が合わない。

  • ミーゴレン インドネシア 1600–1900 時B説C

    インドネシアの食堂や屋台に欠かせない、甘い醤油をまとった炒め揚げ麺。中国南部から海を渡ってきた華人移民の炒め麺が、この土地の味で作り変えられて生まれた。ただ、それがいつ・どのように根づいたのかは、はっきりとは分かっていない。

  • ルンペル インドネシア(ジャワ) 1600–1900 時C説C

    バナナ葉に包まれた、鶏肉入りの蒸しもち米——ルンペルをマタラム王国以来の宮廷食と語る話は、それを支える碑文も写本も見つかっていない。むしろ作り手も成立年もわからないまま、ジャワの家々と市場を渡ってきた軽食である。

  • ガドガド インドネシア(ジャワ) 1700–1900 時B説C

    ジャワの茹で野菜にこっくりとした落花生のソースをからめたサラダ、ガドガド。その名がポルトガル語の「家畜の餌」に由来するという語呂のよい話は、辞書がたどった語源とすれ違う偶然の空似にすぎない。

  • ナシパダン インドネシア・西スマトラ(ミナンカバウ) 1800–1970 時B説B

    食卓に着く前に、十数皿がすでに卓上に積まれている。ルンダンにカレー、サンバル、青菜の炒め物——選ばず座るだけで一食が始まり、食べた分だけ支払う。この「ナシパダン」という呼び名そのものは、実は料理よりずっと新しい。西スマトラの飯屋文化が19世紀にかたちを整えたあと、名としての「ナシパダン」が世に定着したのは1960年代も後半のことだった。

  • バッソ インドネシア 1800–? 時C説B

    バッソは、弾力のある肉団子をスープと麺に合わせるインドネシアの国民的な屋台食である。中国・福建系の移民が伝えた肉団子の手わざが、オランダ領東インドの街頭で牛肉のハラル料理へと姿を変えて根づいた一皿だ。

  • マルタバ Indonesia 1800–1935 時B説B

    マルタバという名前は、アラビア語で「折り畳んだ」を意味する**muṭbaq**に由来する。薄く延ばした生地を折り畳んで焼くこの料理は、13世紀のバグダードの料理書にまで型をたどれる古い調理法でありながら、19世紀にムスリム商人の交易網に乗ってインドネシアの港町へ渡り、そこで卵とひき肉を包む今の姿へと形を変えていった。

  • クレポン インドネシア 1810–? 時B説C

    クレポンは、椰子糖(ヤシの花蜜からとる黒糖)を芯に包んだもち米団子を、パンダンで緑に染め、削りココナッツでまぶしたジャワの伝統菓子である。マジャパヒト帝国期に生まれ「千年の歴史」を持つとよく語られるが、その古さを示す確かな史料はなく、後付けの由緒である。

  • ソト・ブタウィ インドネシア 1971–? 時C説B

    「ソト・ブタウィは1971年にジャカルタの屋台で生まれた」——そう語られることがある。だがこの年に起きたのは料理の誕生ではなく、名前がついたことだった。ココナッツミルクで白く濁ったこの牛肉スープは、その名を持つより前からブタウィの食卓にあった。

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