食文化圏 / 東アジア

台湾料理の成立史

東アジアの食文化圏「台湾」に属する料理 17 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

成立年代の分布成立年代の分布(最古 1593 年〜最新 1986 年)。

  • 近世 3
  • 近代 2
  • 現代 12

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 1 外来 8

所属する料理 17

  • 定番 魯肉飯 台湾 1945–? 時C説C

    台湾の国民食「魯肉飯」は中国・山東省で生まれたという説がミシュランガイドをきっかけに広まったが、これは料理名の漢字を読み違えたところから出た俗説である。

  • 定番 タピオカミルクティー 台湾 1986–? 時B説C

    台湾生まれのタピオカミルクティーには二つの茶館が「元祖」を名乗り、十年に及ぶ争いの末、法廷は発明者を一人に決めることはできないと結論づけた。

  • 蚵仔煎 台湾 1593–? 時C説C

    鄭成功が1661年の攻城戦の陣中で牡蠣とサツマイモ澱粉を焼いて兵糧にした——という蚵仔煎の発明譚には、同時代の裏づけがない。1931年の台湾語辞典にはまだ「蚵仔煎」という見出し語すら立っておらず、そこに並んでいたのは名も配合も揺れる海辺の食べ物たちだった。

  • 臭豆腐 台湾・他 1669–? 時B説C

    強烈な匂いを放つ発酵豆腐で、揚げたり煮たりして食べる中華圏の街頭スナック。清の王致和が売れ残りの豆腐から偶然作り出したという有名な発祥譚が伝わるが、匂いを生む発酵豆腐の技はそれ以前からあり、単一の考案者に帰す話は史料の裏づけを欠く。

  • 油條 Taiwan 1715–1923 時C説B

    岳飛を陥れた宰相・秦檜とその妻を象り、憎しみを込めて油で揚げた——油條にまつわるこの有名な起源話は、事件が起きたはずの南宋の同時代の記録にまるで痕跡がない。名に混じる「檜」も「鬼」も、もとの「粿(果)」が音の近い字に置き換わった当て字である。

  • 擔仔麺 台湾 1890–1920 時C説C

    小ぶりの丼に鹼麺と蝦、豚そぼろを盛る台南の擔仔麺は、「1895年、漁の淡季に困った一人の漁夫が始めた」という創業譚とともに語られてきた。だがその年を記した同時代の記録は見あたらず、いまこの物語を支えているのは店に伝わる話だけである。

  • 肉圓 台湾 1898–? 時C説C

    台湾の肉圓(バーワン)は、番薯粉の透きとおる皮で豚肉を包む彰化・北斗の名物として知られる。だが「肉圓」という名は、北斗で生まれたとされる1898年より25年早く、海の向こうの廈門で「豚肉の団子」として辞書に載っており、いまの姿を指す語義が辞書に現れるのは1973年である。

  • 割包 Taiwan 1900–1927 時B説C

    台湾の割包(グアバオ)には、三国時代の張飛や諸葛亮が生んだという古い由来話と、二〇〇四年のニューヨークで生まれたという新しい由来話が並んで流れている。だが割包という名が確かに残るのは日本統治期の台湾で、商家が年末の宴で店員をもてなした一皿としてだった。

  • 火鶏肉飯 台湾 1949–1960 時B説C

    戦後に嘉義へ来た米軍が七面鳥を持ち込んだから生まれた——台湾の火鶏肉飯には、そんな起源話が今も広く流布している。だが台湾の農家が七面鳥を育てはじめたのは米軍の到来より七十年以上前のことで、この一杯を生んだのは、物のない戦後の嘉義で安い肉を探した街の食堂だった。

  • 牛肉麺 台湾 1949–1962 時B説B

    川味紅燒牛肉麺——四川の郷土料理がそのまま台湾へ渡ったと思われがちなこの一杯は、じつは四川本土に存在しない、戦後の台湾で生まれた料理である。

  • 葱油餅 Taiwan 1949–1965 時C説C

    台湾の夜市に並ぶ葱油餅は「数百年前の中国北方で生まれた」と語られてきたが、その古さの拠りどころとなる文献は、そう語る側から示されていない。台湾の一皿としての姿が定まるのは、1949年前後に大陸から渡ってきた人びとと、戦後に大量に流れ込んだアメリカ援助の小麦粉のあとである。

  • 豆漿(豆乳) Taiwan 1949–1955 時B説B

    台北の朝に欠かせない豆漿は、島に古くからあった飲み物ではなく、1949年前後に海を渡ってきた華北の人びとが持ち込み、台北近郊の永和で朝食の定番になった。豆乳史の解説がしばしば挙げる「後漢の『論衡』に豆漿の記録がある」という一節も、現行の本文にあるのは大豆の発酵調味料を指す「豆醬」で、豆乳のことではない。

  • 棺材板 Taiwan 1950–1959 時C説C

    台南名物の棺材板は、厚切りの食パンを油で揚げて器にし、白いソースで和えた具を詰めた小吃である。棺に見立てたその名を、考古学者の一言がつけたという有名な話は、語り手が資料ごとに入れ替わり、同時代の記録には姿を見せない。

  • 三杯鶏 Taiwan 1956–? 時B説C

    鶏を醤油・米酒・黒麻油(黒ごま油)の三つの液だけで煮からめる台湾の家庭料理、三杯鶏。南宋の忠臣・文天祥の獄中に江西の老婆が鶏と酒を差し入れたのが始まりで名の由来だ、という感動的な逸話が広く語られるが、この物語を支える当時の記録は見当たらず、「三杯雞」の名が文献に現れるのは戦後台湾の1956年からである。

  • 鹹酥鶏 Taiwan 1963–1981 時C説D

    鹹酥鶏は1975年に台北・西門町で陳廷智が発明した——台湾でもっとも広く語られるこの発祥譚は、当時の記録に辿れない。「台灣第一家」は店の系譜ではなく調味粉の卸売ブランドの名で、同じ看板を掲げた加盟店が3000を超えたのがその実体である。

  • 雪花冰 Taiwan 1965–1982 時C説C

    「雪花冰は1990年代の台湾で生まれた」「台湾のかき氷は7世紀の宮廷の氷菓に遡る」——英語圏で流通するこの二つの由来話は、どちらも台湾に残る記録と合わない。牛乳を凍らせた氷の塊を紙のような薄片に削るこの冰菓が形をとったのは、1960年代半ばから1980年代初頭にかけての台湾である。

  • 鉄蛋 Taiwan 1970–1983 時B説C

    淡水の土産物街で「元祖」として知られる店が鉄蛋を発明し、その名をつけたという話は、発明の帰属としては通らない。黒く硬いこの煮卵は1970年代、渡船場脇で漁師を客にしていた麵の屋台で、売れ残りを毎日煮返すうちに偶然できたものだった。

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