食文化圏 / 東南アジア
ミャンマー料理の成立史
東南アジアの食文化圏「ミャンマー」に属する料理 12 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 1000 年〜最新 1950 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 3 外来 5
所属する料理 12
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モンリンマヤ
ミャンマー ?–?
時D説D
「夫婦の菓子」という名前が、この焼き菓子の誕生の物語をそのまま語っているように聞こえる。だが名の由来は、二枚を合わせて一つにする作り方をなぞった民間語源であって、誰がどこで生み出したのかは記録に残っていない。
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ラペットゥ
ミャンマー 1000–1700
時B説C
茶を飲むのではなく食べる——ミャンマーのラペットゥは、発酵させた茶葉を具と和えて口にする料理で、その起源はシャン州の山あいの茶づくりにさかのぼる。
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バラチャウン
ミャンマー 1550–?
時C説B
干しエビとンガピ(発酵させたエビの塩辛)を油で揚げ、香ばしい玉ねぎとにんにく、真っ赤な唐辛子を合わせたミャンマーの常備菜。素朴で古めかしく見えるこの一皿だが、いまの姿を決める唐辛子は海を越えてきた新参者で、現行のバラチャウンが生まれたのは早くても16世紀のことである。
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タミンジン
ミャンマー 1600–1900
時C説C
タミンジンは、ミャンマー・インレー湖の水上に暮らすインター(Intha)の人々が朝夕に食べる、発酵させた酸っぱい米の料理である。素朴で古めかしいこの一皿だが、いま各地に記録される「トマトと潰したジャガイモを練り込む姿」は、新大陸生まれの作物が海を渡って届いたのちにしか成り立たない、意外に新しい料理でもある。
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シャンカウスエ
ミャンマー 1700–1900
時C説C
ミャンマー東部、シャン高原の市場で湯気を立てる手切りの米麺。トマトのほのかな酸味が利いた鶏肉のつゆをまとうこの一杯は、シャン族の常食か、それとも雲南からの隊商が運んだ麺食文化の一翼か——その出自は、いまも一筋には定まらない。
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モヒンガー
ミャンマー(ビルマ) 1700–1900
時C説C
ミャンマーの国民食モヒンガー。ナマズの出汁を米麺にかけたこの朝食の正確な成立年は、宮廷の記録に残らなかったがゆえに、いまも史料の上で開いたままになっている。
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ダンバウ
ミャンマー 1750–1900
時C説C
ダンバウは、香辛料と鶏を米に炊き込んだミャンマーのビリヤニ系炊き込み飯である。その味の骨格は、英領期にインド系ムスリムの移民がラングーンへ運び込んだ弱火密閉の炊飯技法とともに、この土地に根をおろした。
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オンノカウスエ
ミャンマー 1800–1950
時B説C
ミャンマーの朝に欠かせないココナッツ鶏の麺料理オンノカウスエ。ピー近郊のシュエダウンで生まれたという話が広く語られるが、それを示す記録は乏しく、最初の一皿をどの町に帰すかは確かめようがない。
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ナンジートウ
ミャンマー 1800–1900
時C説C
ミャンマー・マンダレーの名物、太い米麺を鶏とヒヨコ豆粉で和えた麺サラダ。王妃のために生まれたという宮廷伝説が語られるが、それは別の地方の一皿にまつわる作り話で、この料理そのものの発祥を伝える古い記録は残っていない。
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モンティ
ミャンマー 1819–1900
時C説C
ミャンマー西岸ラカイン地方の米麺料理モンティ。ミンドン王の妃の物語が発祥だと語られることがあるが、その宮廷ゆかりの起源話には裏づけとなる同時代の記録がなく、料理そのものはベンガル湾に沿って暮らす人々の日々の食卓から育った一皿である。
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サンウィンマキン
ミャンマー 1850–?
時C説B
サンウィンマキンは、セモリナ粉をココナッツミルクで練り焼いた、黄金色のビルマの祝い菓子。その正体は、インドのセモリナ菓子がビルマでココナッツミルクをまとって土地の味に変わったものである。
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チェーオー
ミャンマー 1950–1968
時C説C
銅鍋で供する豚肉・ホルモン・卵入りのビーフン麺スープ、チェーオー。誰がいつ考案したかを記す史料はなく、確かに遡れるのは1968年ヤンゴンの専門店開業まで、という比較的新しいミャンマー料理である。